2007.12.18

言葉の暴力

12月18日 中日新聞記事から

 「学校だけじゃない」「職場のいじめ横行」
 昨日の中日新聞の記事のタイトルです。
 企業で相談業務に関わるカウンセラーに「職場のいじめ」と考えられる相談が8割もあったというのです。

 それで、いじめの内容は
   パワーハラスメントが78パーセント
   人間関係に起因したいじめは59パーセント
   仕事のミスに対するいじめ 44パーセント
   セクハラ 36パーセント
 という割合のようです。

 もはやパワーハラスメント(職権を背景とした嫌がらせ)は完全な社会現象なんですね。
 日本の大企業から中小企業、そして公務員まで、この「いじめの構造」はストレスと精神衛生の悪化の要因にもなっているってわけです。

 ついでに、いじめの形態としては
   ののしる・怒鳴る・威嚇する 68パーセント
   無視・仲間はずれ  54パーセント
   嫌がらせ    50パーセント

 問題なのは、上司から部下への「いじめ」が実に85パーセントに上がるそうです。

 職権を「己の権力」と勘違いして、部下への陰湿な「言葉の暴力」はちょくちょく見受けられるものです。
 管理職みずからが「いじめ」を「いじめ」と認識していないから、たちがわるいってところですね。
 
 品格のない上司は管理能力にも欠ける。
 だから、管理能力を何か「命令すること」と勘違いしているから、職場状況の分析も出来なければ、労働者の悩みや苦しみなどにも心が寄せられないんですね。

 言葉は悪いが「給料ドロボー」といわれてもしかたがない。
 職場でパワハラ行為を行う者が家庭内では穏健で平和なんてありえないですね。

 同僚がこう言ってましたが、実に説得力というか真実味があります。

 『 部下いじめなんかする出来の悪い上司は、今は職権というものがあって、しかたなく皆は従がっていても、どうせ退職して、部下もいなくなった時、家でもつまはじきにされ、嫌われて、誰にも相手にされなくなるんだわ・・・ 』

 
 こんな上司や管理職には、次のような言葉の年賀状を送りつけたくなりますね~

 暴力には腕力だけでなく言葉の暴力もあります、
 そして、そのどちらも人の心を傷つけます、
 そして、その傷はいつか自分の傷となる時がある
        (金八先生 贈ることば より)
 
 
 

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2007.10.25

味覚の秋も悲しいもんだなぁ

10月25日 謝罪会見の中身

 我が家の好みの「土産品」のベスト3に堂々と名を連ねる「赤福」の偽装表示問題が発覚して、「巻きなおし」とかなんとかいって、ようするに消費者にニセ物を販売していたわけです。

 それで、社長が謝罪記者会見を開いて、あれこれ言い訳をして、ともかく謝罪となったが、その裏では「偽装の事実」を隠蔽しようと書類の焼却までしていたという新聞記事が載っていた。

 「赤福」だけでなく、「白い恋人」や「ミーとホープ偽装ひき肉」など、この国の食の安全っていうのは、人の命よりも「会社の利益」が大切であるということを示しているから、もはや「企業の社会性」っていう使命感など吹き飛んでいる感があります。

 いろいろと問題を起こした会社の責任者はテレビカメラの前では、神妙な顔つきで「謝罪会見」しているのですが、いったい何を「謝罪」しているのだろうか?と疑問に思うところです。

 「謝罪会見」というのは、問題の解明と今後二度と同じようなことが生じないことを約束するものですが、どうもそうではなくて、「責任回避」のために、「言い訳を釈明する場所」になっているようにもおもいますね。

 「食品」ではないが、プロボクシングの亀田トレーナーの「謝罪会見」も、「申し訳ない」という表明の裏側では「言い訳」がちらついたために「偽装謝罪」なんて言われています。

 「誤り」に対する真摯な態度というものが、最近の「謝罪会見」では見られないケースが多いという気がします。
 「露見してしまって、運が悪かった」って、腹の底では思っているから、なんとか「その場」をつくろって・・・
 人間忘れっぽいもんですし、「人の噂も七十五日」っていうか、時間と日にちの経過をひたすら待っているんでしょうか?

 「偽装」っていうのは国語辞典では「敵の目をごまかすために装うこと」と書いてあるんですが、ようするに「嘘」をつくという、きわめて単純な悪質行為のことですね。

 ですから「確信犯」であろうが「ミステイク」であろうが、「間違い」にたいして「謝罪会見」を行う場合には、そこんところの「腹の底からの反省」ってもんがないと、言葉や態度や表情に表われるものです。

 何故か、最近はやたらと「謝罪記者会見」が多い、国民の批判を「かわす」という、技術的手段として「謝罪会見」という方法が用いられているようにおもうんですね。

 それで、謝罪した内容が、次々と新しい「隠ぺい工作」とかが、どんどん出てきてしまう。
 こういう、現象がいろいろな分野で社会現象のようになってくると、これって、もはや構造的な「偽装社会」といえるんではないかと思えますね。

 構造的な「無責任」がこの国を覆ってしまいそうな気がします。
 味覚の秋というのに、「ニセ物の味覚」を本物のように騙されているかと思うと、いったい何を信用すればいいんでしょうね。

 中国産の食品が「日本産」と表示され、「廃鶏」が「比内地鶏」だったり、わけのわからないものが混入された食品を、毎日食べているかと思うと、ウンザリする思いです。

 楽しいことや嬉しいことや、日常生活にはいっぱいありますが、こういう「社会的な虚偽」には、やっぱり大きな声で「怒る」ことも必要だと思う今日です。

 しかしなぁ、「謝罪会見」ぐらいは本気で謝罪しなきゃなぁ~ 

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2007.08.06

心の襞(ヒダ)

8月6日 昭和20年8月6日広島に原爆が投下され多くの命が奪われた

 日中は暑いが、今日の夜は涼風が心地よく流れ、穏やかな夜のポン太の散歩です。

 「心の襞(ヒダ)が解らない奴は、もっともケースワーカーに適さないな」

 私が初めてケースワークを業務とした頃に、先輩から教えられた事です。
 人の心はのっぺりした理路整然としたものではなくて、複雑な感情や思いを持ち合わせているから、そういう、人の心の襞(ヒダ)を理解してこそ、対話や共感などのコミュニケーションが成立するというものです。

 そんな心の襞(ヒダ)の折れ具合や曲がり具合などについて、関心が働かないならば、人を理解すると言うことは不可能だと思うのです。

 「うつ病は心の弱い奴がなる病気だ」「心の持ちようで克服できるはずだ」
 ・・・と、こんなふうに思っている人も多いようです。

 これが、職場のメンタルケアを考えて人事管理をしなければならない管理職の考えであるならば、管理職失格であるし、こういう職場ではまともな人事管理などとうてい期待できないでしょう。

 ハードな労働環境を起因としたストレスが「うつ病」に大きく関わっているのは事実ですが、脳内の神経伝達物質のバランスがくずれ感情コントロールができなくなる状態・・・病気なんですね。

 ですから、これが体調として、不眠や疲労感、動悸、下痢便秘などの、体の病状として現れてくる。
 「うつ病」の症状がでたら、とにかく休養するのが、第一であると言われています。
 
 「うつ病だ!といって怠けているんだ!」「サボっているんだ」とも誤解されやすいのも病気の特徴かも知れません。
 そこには「心の弱い奴が、仕事がうまく出来ないので、病気を口実にしているんだ」という、メンタルケア知らずの「心の持ちよう」で治るのだ・・・という、馬鹿げた考えが持ち出されるというわけです。
 心の襞(ヒダ)が解らない、薄く浅くのっぺらぼうのような考え方の持ち主ですね。

 横綱「朝青龍」が今回のサッカー事件を契機に二場所出場停止と謹慎という処分がくだされました。
 新聞紙上では心療内科の医師の診断として「神経衰弱」という病名が付けられていました。
 そして、医師の診断では「モンゴルに帰って治療に専念する必要がある」とのことです。

 事の是非と処分については少し置いといて、たしかに重い処分に対して強烈なストレスがかかったのでしょう。
 こういう場合に、本人のメンタルケアとして、部屋と自宅と病院以外の外出は不可というのは、治療という観点からは、はなはだ疑問というところです。

 横綱だから日本の伝統的な国技、大相撲の横綱としての品格を大事にする必要がある!という相撲協会の意図もわからないではないが、「仮病-サッカーに興じる」という前例があるから、「神経衰弱」というのも疑わしという疑念も生じていることだろうが・・・・・それでも、横綱「朝青龍」も人間ですから、異国のスポーツ界での人知れない苦労もあっただろうし、天狗になったこともあったり、いろいろでしょう。

 メンタルケアという病気の治療については、治療として対応すべきだと思っていますね。
 いろいろと問題児扱いされ続けてきた「朝青龍」ですから、いろいろとあるのでしょうが、こと病気について言うならば、あまりにも「治療」ということが軽く考えられているようにも思いますね。

 いわく、横綱としての努力が足りんから、今更のように心の病なんて、気持ちの持ちようだ、辛抱も必要だ・・・って。

 「朝青龍」という事例だからなのか、心療内科医師の診断に対して、「病気」という見方よりも、「心の弱さ」だといった見方が支配的のような気がしますが、まだまだ、日本ではメンタルケアに対する理解がずいぶんと遅れているという思いですね。

 というわけで、今日はちょっと「心の襞(ヒダ)」を考えさせられる一日でした。

 利己的な管理職が本人は気がついていない「パワーハラスメント」によって、労働者を死に追いやるということも十分ありえる。これはきわめて現実的な問題です。

 こうした後進性がまだまだ職場を支配しているのが、日本の悲しい現実ですね。 
  

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2007.07.27

参議院選挙!

7月27日 政治のこと

 今週の日曜日は参議院選挙の投票日です。
 期日前投票ってのも通常の1.5倍だそうですし、関心の度合いが高いのか・・・

 それで、選挙っていうと「議会制民主主義の政治制度」なんですが、何故か日本のお国柄なんでしょうか、「政治」というものには、ふれない、さわらない、曖昧にする・・・っていう有権者が多いんですね。

 農耕民族特有の「曖昧な考え、是非よりも一致を良しとする」風土のような観もします。
 「私は○○党を支持してます」なんて表明すること事態が、異端の教徒のごとく色眼鏡で見られてしまう風潮です。

 国民の代表を選ぶというのだから、本来はもっと「自己主張」がされてもいいようにも思うのですね。
 ブログで政治について書いている方も多いのですが、それはそれでまた激しい自己主張であって、唯我独尊のようにも思えてしまいます。

 しかし、それにしても「政治的主張」と「沈黙」の間の垣根が高いような気もします。

 私は、まだ選挙権を持った頃には「適当な候補者はいないから、白紙投票だ!」と、選挙には行くが「誰の名前も書かない」っていう自己主張をしていた頃もありましたが。

 今では、きわめて単純に物事を考えて選挙に行くようになりました。
 ただ、あの「選挙期間中」だけ腰が低く、国民の友達のようなポーズを振りまくが、選挙が終われば「おらが大将、大政治家先生」面をした議員の面々にはホトホト嫌気がさしてはいますがね。

 昔から、時の権力者というのは、国民が無知であることを望んでいた。
 ヒットラーしかり、戦前のファシストしかり、現代の権力者しかりですね。

 それで、国民のほうも、選挙の公約なんて一時の「作文」みたいなもので忘れてしまう。
 自分が投票した政治家が「暮らしを豊かにします、福祉をよくします」って選挙の前には言ってたのに、議員に当選したとたんに、忘却の彼方に忘れ去ってしまうから、あれれ、何か税金ばかりが重くのしかかってくる・・・な~んて事が平気で行われるんですね。

 「公的福祉予算が減って、障害者制度も応益負担になって」・・・でもって、「何でやねん」って言ってる有権者自身が、そんな「政策に賛成する議員に投票している」とまあ、そういうことなんでしょうね。

 国民が、小難しい「制度や政策の中身」を勉強なんぞし始めたら、困るだろうな、建前と本音がバレてしまうから。
 というわけで、投票日に投票できない方には期日前投票という「選挙」ができる。

 私なんか、ある意味単純に考えているんです。

 戦争が嫌いで、憲法九条を変えない人
 税金のムダ(最大のムダは軍備)をなくして、とにかく増税しないと言う人
 非核三原則を法制化して、核兵器をなくすように努力する人
 民主主義を大切にして、格差是正と人権感覚に敏感な人

 まあ、これが自分の投票行為の基準ですから、自分が投票した人が政党が約束を守るかどうか、見続けることが大切だと思っているんです。

 やっぱり、たかがブログ日記であっても、目の前の参議院選挙っていうのは、毎日の天候のように、季節の変化のように、旅行の想い出日記のように、自分の感じる思いを書くことが、ある意味正直な「日記」なんではないかとおもっているところです。

 学校で勉強した「議会制民主主義」の原点は政治への参加ということですね。
 いろいろな考え方の違いはあったとしても・・・・

 というわけで、やっぱり「一票」は投票缶に自分の思いと考えを持って投じるべきなんでしょうね。

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2007.06.01

「かりゆしウエア」と小学生の発想

6月1日 いわゆる衣替え、というかパフォーマンスというか・・・ 
 
 6月は衣替えのシーズンです。

 テレビを見ていましたら、政府の閣僚たちがクール・ビズのファッションです。
 エアコンの室内温度を28度に設定し、ノーネクタイとノースーツで暑い夏を乗り切るということなんでしょうが・・・

 「かりゆしウエア」は沖縄県で夏に着られるアロハに似たシャツらしいが、地球温暖化を少しでも食い止めようとする姿勢だとしたら、それも良いかもしれません。

 それにしても閣僚たちの、クール・ビズファッションが、何故かパフォーマンスに見えてしまうのですね?
 「かりゆしウエア」といっても数千円のものから数万円のものまで生地によって差があるようです。

 テレビで見る限り首相のそれは、高級そうな「かりゆしウエア」でしたが、お値段はいかほどか?
 
 エコロジーと言われ、見た目のパフォーマンスばかり先行して、実質をともなわないものも多い。
 Co2の削減は目標値にはほど遠そうだし、車社会はこの先も拡大していくだろうな。

 立派な「かりゆしウエア」を着込んでクール・ビズの実践をしているのならば、高級料亭で何万円もする料理に舌鼓を打つことによって消える地球資源のことも考えて欲しいと思うのですね。

 クール・ビズに反対しているわけではないのですが、あまりにもパフォーマンスばかり先行する、「かりゆしウエア」って言ったら、それがクール・ビズだなどという安直な発想では情けない。

 本当に地球環境のことを国民が納得して考えられるような政策が求められているんじゃないのかなぁ。

 ・・・というわけで、そんなテレビニュースを見ながら新聞を読んでいたら、片隅の小さな「発言」記事が目に止まりました。

 11歳の小学生の女の子が「レジ袋以外に環境対策ある」っていう投稿記事が載っていました。

 要約しますと、環境問題でよくスーパーの袋が話題になる。
 お母さんは買い物にカバンを持参している。
 お父さんも時々買い物をしてくるがカバンを持つのはとても不便です。
 スーパーの袋の有料化が言われているが、お父さんのような人からお金をとるのはどうかと思う。
 お父さんのような人は違う方法で環境問題に取り組むことができると思う。
 ひとりひとりが自分でできることをしていくことが大事です・・・とまあ、こういうような意見です。

 教育とか徳育とか、国が主導して「考え方」が立派(?)な国民にして行くという姿勢。
 夏のクール・ビズは、「かりゆしウエア」が当たり前なんだっていう姿勢・・・何か共通するものを感じてしまいますね。
 ほんとうのエコロジーを考えることより「見た目で勝負」って雰囲気です。

 11歳の小学生の女の子の意見には「レジ袋を止めれば環境対策」っていう見た目の安直な大人の心を見透かしている。
 そして、一人一人が環境問題にできることから取り組むのが大切って言ってるわけで・・・これって、環境問題に大人たちはどう取り組むのかという答えを求められているようなものですね。

 ノーネクタイで上着を着ない、「かりゆしウエア」でクール・ビズ、これこそ地球に優しいエコロジーだ、な~んていうぐらいの発想しかできない硬い頭の持ち主の嘘を見破っているようなもんです。
 (もっとも見えないところでは飽食のし放題、山林伐採でできたゴルフ場で出張ゴルフ三昧でしょうか?)・・・そう思いましたね。

 自転車通勤ってのも自分ができる一つの環境問題への接近でもあります。私の小さな・・・ 
 

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2007.03.13

若い人たち

3月13日 驚きです・・・7人に1人とは!

 ブログ日記を始めて2年半になります。
 よくも、まあ続いているもんだって、おまけに月日が経つごとに更新が早くなり、文字数も増えていってます。
 このまま行けば、うんざりするほどの文章羅列ブログに変貌は間違いありません(笑)

 それで、ブログのおかげで見知らぬ方や若い方々との「会話」もできたりして、別の世界に入り込む・・・そんな雰囲気ですね、って、まあ、つまり歳ですね。

 若い方々のコメントや会話を読ませていただくと、いろいろと感じるものがあります。
 若さと危うさと「希望」、それにちょっと「つまずき」そんなものが、いろいろありますから、宝石箱のように思えるのですが、「本当の心」はどのへんにあるんだろうか、って思う・・・そんな新聞記事を目にしました。

 20歳から24歳の女性の七人に一人(15%)がリストカット(手首を切る行為)などの自傷行為の経験があることが厚生労働省研究班の調査で分かった。四人に一人は「したことはないがしようと思ったことはある」(中日新聞)というのです。

 これは、驚きの数字です。
 ネットの若い方々のブログなどでは、現代版「話し言葉」で楽しく書き込まれ、ときおり使われる絵文字(おじさんは絵文字が苦手なのだ)は、若さと楽しさが一段とアップしているのですが。

 一方では、そんな「ネット」と「携帯メール」が寂しさを紛らわす手段になっているんでしょうか。
 ブログ日記が文章を書くというよりも、友人に語りかける言葉として、重きが置かれているのを読むと、たくさんの人々の中で「孤独と苦悩」を癒しているような気もします。

 そうした、ネットの言葉のコミュニケーションの世界を否定しているわけではありません。
 生身の生活の中で感じる「ちょっと空虚な気持ち」が友人たちの会話で、「ちょっと頑張ろう」ていう思いにさせてくれるならば、そんなに良いことはありませんから。

 けれども、確実に「リストカット」などの自傷行為を経験した若者が七人に一人もいるという現実です。
 「リストカット」は自殺行為ではなくて、どうしようもない自分の解決行為だという、SOSなんですね。

 この調査を行った機関の方は「特に若い女性の間に厭世(えんせい)的な気分が広がり、世の中への失望が自傷に向かっている可能性が否定できない」と話しています。(中日新聞)

 青春の蹉跌です。

 ・・・それでも、辛く、苦しく、悩むことが絶え間なく生じるこの社会ですから、「リストカット」も自分自身の表現方法の一つかも知れませんね。

 それよりも、もっと良い方法が見つかるならば、探してみるといい。
 「リストカットをしているんだ」「苦しんでいるんだ」そう伝えてみると良い。

 人は一人では生きて行けないし、生きられないから、本当の仲間探しの旅に出るといい・・・おじさん達の世代と現代の世代の若者気質が大きく変わっていることは、そのとおりですが、どんな時代にも「悩める青春」は横たわっている・・・そんな気がした本日ですね。

 先日、法事で行ったお寺の「会報」に載っていました。

 いろんなこと
   あるけれど
 明日は
   きっと
  いいこと
     あるさ
 だから
  もうすこし
 がんばろうよ
       自分に

 がんばらなくてもいい、だけど もうすこし がんばろうよ!・・・これ、自分に言いきかせてみようかなぁ

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