2016.03.14

晩年

3月14日(月) 愛犬ポンちゃん一周忌

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今日は18歳と8か月を生きた愛犬ポンちゃんの一周忌。

昔の写真をいろいろ見ていたが晩年の頃の表情がとてもいい。
幼くて若い頃は尻尾もピンと立って柴犬らしい写真がたくさんあるが、この晩年の玄関前でぼんやりと寝そべる写真が、僕はとても可愛いと思う。

人も犬も年老いてからの日々が幸せであることが一番なのである。
「下流老人」というか「下流老犬」の不安などどこにもなく、日がなごろりと寝転んで、老いを満喫しているように思える。
どんな晩年を過ごすのかが人も犬も大切なのだ。

近所の大型犬と小型犬の散歩に出会う。
まだポンちゃんの元気な頃は友達犬、というか飼い犬を通じて知り合う近所付き合いだった。

「どう?また犬を飼いたくなった?寂しいでしょ?」と聞かれるが・・・
義祖母宅に「癒し犬」よろしく毎日出勤してたが、高齢で毎日の散歩の世話も大変になり、晩年は自宅でのんびり暮らしていたポンちゃんである。

その晩年の世話は、退職後の自分の仕事みたいなものだったので、飼犬の可愛さと世話の大変さは不可分のものだった。

飼われるペットが、犬よりも猫が増えているという。
その犬も室内でも飼いやすい小型犬の散歩姿が目につくようになった。
当世ペット事情なのだろう、猫好きが増えているとも思えない。猫のほうが世話の手間が少ないからだと勝手に思っているが・・・

一年が過ぎて、長生きした、あのポンちゃんが最後の飼い犬であってもいいと思うのは、自分の歳とペットの生きる歳を考慮してのこと。
晩年をのんびりとした暮らしにさせてやれるか自信がないからなのである。
しかし懐かしく想いだされるポンちゃん写真一枚だ。

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2015.03.14

虹の橋

3月14日(土) ぽんちゃん永眠

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作者不詳の散文詩で、こんな内容だという。

この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。

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食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。
しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。
一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。
懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駈けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。
死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。
(Wikipediaより)

ときどきこのブログに登場させていた愛犬ポンちゃんが今日息をひきとった。
18歳と8か月と8日。最期は穏やかに眠るようだった。
明日ペットセレモニーで火葬予定だが、よく頑張って家族とともに長く暮らしてくれたものだと思う。
とくに、娘や息子にとっては子どもの頃から一緒に育ったといってもいい。

ペットロス症候群というのがある。亡くなったペットを可愛がっていればいるほど、その永久の別れに、心を痛めるというものだ。

冒頭の「虹の橋」は、そんな心痛をいくぶんか和らげてくれる。

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2015.03.12

高齢犬の介護日記

3月12日(木) いやはや、何というか・・・

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【猫好きの方のために一枚、野良猫?精悍そうだなぁ~】

例年の今頃ならば、♪梅は咲いたか~桜はまだかいな~と、名古屋市農業センターのしだれ梅とか岐阜市の梅林公園とか、梅見の遊山に興じているのだけれど、今年はねたきりの高齢犬の介護に追われ、ちょっと疲れている。

「もういつ死んでもおかしくない」と獣医に宣告されて一か月ほどすぎ、正真正銘の「寝たきり老犬」となって、一日一日を生きているのが精いっぱいのポン太くん。

命というのはあらためて神秘的なもので、死んだように眠っていても、息をして心臓も脈をうっているので、生きる力、生命力の素晴らしさとでも言える。

生きているといえば、昨年12月に鉢植えしたシクラメンも、一つ二つと花を落としながら、窓辺に白とピンクの花を咲かせている。
これも例年ならば1~2か月で水やりを忘れ枯らしてしまうところだが、今年は水を絶やさず栄養分を与えいるので、しっかりと咲き続けている。

寝たきり高齢犬の介護も疲れるもので、ときには「ふぁぁ~あ」と溜息をつくこともある・・・というのが正直なところだ。
立ち上がれないので、水も餌も排泄も自力ではできないから、「ワホ~~ン」と叫び声に近い声を出すしか術がないのである。

では、介護の状態はというと、低体温症を防ぐために45度ほどの湯をペットボトルに入れ、身体にあてる(のが良いと獣医さんに教わった)

脱水症の予防にコマメに水分を摂らせる、褥瘡の消毒と抗生剤の軟膏の塗布。
ウォーターベッドのおかげで新たな褥瘡は出来ていないが、ときどき体位を変えてやる、筋肉も脂肪もなくなって、痩せ衰えた骨節をさすってやる。

心臓と食欲だけは生きてる証のように意欲をみせるので、シニア犬用のスープタイプの餌に、固形の餌をすり潰して混ぜ、獣医科でもらう高カロリー食をブレンドして与える。

水分はときどき砂糖水にして与えたり、高栄養ミルクを与えたり・・・自力では立てないので片手で体をささえ、片手で餌椀を口に持って行く。

食べたら出るものだ。内臓器官が弱っているのか常に下痢便になる。冷えてくると節々が痛いのか、腹が痛いのか鳴き声を上げて呼ぶ。
「癌」で死ぬ犬も少なくないと聞いたが、18年と8か月の老いの辛さだと思う。

朝起きて、死んだように眠っている老犬の目は、目やにで開けられないのである。
目と顔と口を拭いてやり、オムツの中の処理をする・・・というのが始まり。
体毛が汚れをいっそう酷くするので、何度も何度も拭きとると、ビニールの袋がいっぱいになる。
それが一日何回も必要となるので、最近のゴミ出し日の量が多いこと、多いこと。

寝たきり高齢者の家庭介護に近いものがある。いや、人間ならば入院して点滴治療や高齢者施設での暮らしになっているに違いない。
「介護疲れ」という話があるが、寝たきりになった人の介護の大変さの一端を垣間見るような気持である。

幸いにも妻も息子も娘も、この寝たきり高齢犬の状態を心配したり気を使かう言葉を口にしてくれる。
そこは、「ふぁぁぁ~あ」とため息をつきながらも、「世話をしてやらなくっちゃ」と気を取り直せるところだ。
介護疲れの幾分かは、実はその他の家族の関わり方やちょっとした言葉などに疲れを感じたり、気を取り直したりするものだ。
介護することへの感情の共有の大切さなのだろうと思える。

妻が作ったフリースのベッド用のシーツの上で、今はスヤスヤと眠っている。
雪が舞ったり底冷えのまだまだする3月、今日も夜鳴きに起こされそうである。
家庭で介護するというのは、つまりは命と向き合いながら、ため息をついたり、ほっとしたり、そういう日々なのである。

もうじき桜の開花が伝えられる季節になりましたねぇ~、梅は満開、桜はちょっとはやい。

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2015.01.06

それでも生きている

1月6日(火) 小寒(二十四節気)の日の犬の暮らし

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     【息子からもらった「進撃の巨人」の掛布にくるまって・・・】

夏が超えられるかと言ってた老犬が、秋を過ぎ、ますます寒さの厳しくなる「小寒」の今日も生きている。
ちょうど18歳と6か月を迎え、今日を生き、明日を生きるという、その毎日が老いとの向き合いといえる。

半年まえは一つ向こうの道までヨロヨロしながら散歩に行けたけれど、秋には数十メートルとなり、今は家の前の道5~6歩が限度となってきた。

かろうじて踏ん張ってオシッコ、いつ倒れるかわからないので両手で支えてやらねばならないが、これもこの歳までの習慣、あとでホースの水で流してやる。
ウンチは立った状態ではもうできなくなり、寝たまましてしまうが、コロンと新聞紙の上にするので、除菌シートで尻を拭いてやり新聞紙をまるめて・・・始末は楽である。

玄関にペット用の暖房を入れ、低温やけどと床ずれを防ぐために柔らかなカバー、アルミの断熱シート、新聞紙など数枚重ねた上で寝ている。
新聞紙は暖かくちょっと滑り止めにもなって、けっこうお気に入りのようだ。

10年ほど棲家のようにしている玄関が一番落ち着く様子である。
不思議なもので、片方の目が白内障と思われほとんど見えない、見えないからまっすぐには歩けず、円を描くような数歩の歩み。

立ちあがって餌を食べられなくなって、這いつくばった状態で容器に口を突っ込む。
水も昔は上手に舌を使って飲んでいたが、今はそれも下手になり、少し傾けて飲みやすくさせている。

目が衰えて、鼻も衰えて、足腰、特に後ろ足は相当に弱ってきた。習慣性なのか一番楽な寝方はいつも反時計回りに体を曲げている。

同じ体位ばかりでは床ずれ褥瘡ができそうなので、ときどき反対向きに体位を変えてやると、力が入らないのか手足をジタバタさせている。
しばらくジタバタして何の拍子か、また元の丸い姿勢になっているので、これも必要な運動かなと思っている。

今日はおやつと間違えて私の親指の爪を思いっきり噛んで離さない。「違う違うそれは指だ!」と頭をひとつコツンと叩いてやったら、やっと気がついた。
噛む力は老いたとはいえ相当なものだ、虐待というほどのコツンではない。

食欲だけは衰えを知らないように思われるので、その点は一番安心できるところだ。
友人のNさんが「心臓が丈夫で食欲が衰えなければ生き続けられるが、足腰や身体が衰えるので介助も大変になる」と言ってたのを思い出す。

「ポンちゃんも早くお迎えがきて、ポックリと楽に行けたらいいのに」と言ってたのは、高齢のお義母さんだが、「ポックリと楽に」というのは、ある意味本人(犬)にとって理想的なことかも知れない。

とはいえ、それでも頑張って生きている。生きている限りは、生きることに力を注ぐことは当たり前なので、可哀そうというよりも、年年歳歳不自由さが増すなかで、自然の流れにそって生きているということだろう。

まずはこの冬の厳しい寒さに打ち勝って春を迎えて欲しいと思うのだが・・・

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2014.07.10

犬の首に鈴 ②

7月9日(水) イソップ寓話

二年ぶりに病院に行き、尿検査、血液検査をしてもらいました。
血尿ではないかと、これは腎臓機能に問題があるのではないかと。
一通り検査を終え、腎臓はけっこう圧迫する力が加わるので、水分の摂取に心がけるようにというのが、とりあえずの処方箋でしたが、検査結果は・・・
ポン太の話ではなくて、これは自分の話です。

人は症状を訴えられるから原因も突き止めやすいものです。
ポン太といえばちょっと便秘と下痢を繰り返し、それでも散歩は元気に行くので、やはり暑さのせいだろうと思うが、言葉が話せない分注意深く観察するほかありません。

チリンチリンと鈴が鳴るのは何かをしたいと訴える音でもあります。
排便排尿の場合がほとんどですが、言葉のかわりですね。
「犬の首に鈴」というのはあまり似合いません。鈴といえば猫というのが相場です。

イソップの寓話に「ねずみの相談」という話があって、絵本などになって有名です。
いつも猫の怖さに晒されているネズミたちが相談しあい、猫が来たらすぐわかるように猫の首に鈴をつけたら良いという名案がうかびます。
が、はたしてその名案は、さて誰が猫の首に鈴をつけるのかという段になって、誰も自分がつけると言い出すものがいない。

教訓。素晴らしい名案も実行できなければ意味がない、言うが易し行うが難し。
そういう「教訓」がイソップ童話の中心になっています。

なんだか素晴らしい人生訓だと、昔はおもっていましたけれど寺山修司に言わせれば「どの寓話もあきらめと我慢の教訓」、イソップは「主人もちのユーモア」「奴隷の教訓」がその思想の本質だと述べています。

これを読んだ時には「なるほどなぁ~」とちょっと驚きの感想でしたが、奴隷の身分から宮廷おかかえの作者に成り上がったイソップの生涯が如実にそれを物語っています。

まあ、そんなことを思いながら「アリとキリギリス」や「ウサギとカメ」などを思い出すと、なにごとも我慢が美徳、なにごとも諦めが幸せをもたらす、という思想に帰着してくるのもよくわかります。

憲法9条の平和主義、もしも敵が攻めてきても戦うことすらできない・・・こういう論理というのは、「猫の首に鈴」の「イソップ教訓話」とおなじ論理だなぁ~と思うのですね。
・・・9条なんてネズミの相談ごとだよと言いつつ、戦争の道を説くってことでしょう。


Img087_2まあ、そういうイソップ寓話のことを思いながら先日図書館に行き、星新一の「未来イソップ」(新潮文庫)を探すことにしたけれど、あいにくない。
探しまくってBOOKOFFで100円で手に入れて読みました。

「イソップ村の繁栄」はこの物語の星新一的解釈でとてもおもしろいです。
教訓というか、寓話というのは、現実との対比のうえに、現実を掘り下げたときに面白みがでてくるものだと、まあそんな気がします。

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2014.07.08

犬の首に鈴 ①

7月8日(火) 七夕誕生日

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【寝てばかりのポン太18歳】

昨日の七夕の日の空は台風の影響で一面雲におおわれ、牽牛織女星の逢瀬は見られませんでした。

もっとも、その雲のはるか上の夜空では天の川をはさんで、ロマンチックな物語が展開されていた。
ということだろうが、そういう星座の物語もたとえ晴れた夜空だったとしても、都会の煌々と輝くネオンの街ではしっかり見ることできなくなりました。

「七夕の今日はポンちゃんの誕生日」だと娘からメールが入り、誕生日は七夕とか元旦とか祝日に重なると覚えやすいものです。

18歳になった老犬の一日は実にのんびりしたものです。
その老犬の首には小さな鈴を二つほど付け、玄関でちょっと動くとチリンチリンと音が聞こえるわけです。
散歩に行きたがったり、挙動不審な動きに合わせてチリンチリン・・・認知症のお年寄りのためにドアに鈴が下げられている光景に似ています。

最近は人間の高齢化と同じようにペットも4匹に1匹がシニア犬だと言われています。
ペットも長生きになりました。ドッグフードも栄養が良くなり環境も良くなりました。
人間の食べ残しの類がペット食だった時代、子どもの頃の犬の餌はそんなものでしたし、室内で犬を飼う家庭など、ほんのごくごく僅かで、番犬として年中屋外の犬小屋ばかりでした。
だから、子どもの頃に飼っていた犬、ポチ、コロ、エルはそれほど長生きはしませんでした。

犬の1歳は人間の4~7歳に相当するといいます。
生まれて1年で犬は成熟するので、人の17~18歳ぐらいに相当するようです。
ポン太18歳を人間の年数に換算すると、17歳に4歳×16年を足すと、81歳になります。

もっとも少ない年数の計算ですが、1年7歳とすると・・・
17歳足す7歳×16年ならば、な、な、なんと129歳になるから???いくらなんでもギネス級になってしまいます。

ちょうど中間をとって1年5歳とすると97歳となりますが、どとらにしてもシニア犬というより超高齢犬といえるわけです。

犬も人間も高齢化社会になってきたと実感する年齢計算です。
だから高齢にともなう病気への心配や認知症の症状も出てくるといいます。
ペット用品のオムツが断然現実味をおびてくるわけです、老犬のホームもあるようですから、もう人とほとんど同じようなものです。

そういうなかで、今高齢者が高齢の犬の世話をすることの困難さが大きくクロージアップされてきています。
長く人とともに家族として暮らしてきたペットを世話ができなくて手放すことの辛さを知ってるからこそ、ここにも老々介護の現実があります。

一人暮らしの高齢者がペットによって暮らしや生きがいを感じられる、そんな関係がたくさんあって、犬も人も歳を老いて行く。(他人事ではない気がします)
年間20万匹といわれるペットの殺処分の現状があると言います。仔犬や子猫は可愛いものですが、可愛さだけでは、人とペットは共存して生きて行けないのでしょう・・・いろいろ考えさせられます。

(つづく)




 

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2014.01.09

今日のぽんちゃん

1月9日(木) シベリヤ寒気団がやってくる~って、寒いなぁ~

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寒気が日本列島をおおうようだ。
人間も寒いが犬も寒いだろう、玄関で古着をすっぽり被って微動だにしない。
ペット用の暖房も入ってるから、さしずめコタツの中で寝てるようなもの。
子どもの頃は石油ストーブとコタツが冬の暖房だった、頭までコタツにもぐって叱られたものだが、そんな雰囲気に似ている。

16歳と半年が過ぎて、また元気を取り戻している。
1キロ弱ほどヨロヨロと散歩をする、昨夏の数百メートルしか歩けなかったのが嘘のように思える最近である。

そんな姿で歩いていると若い犬に追い越され、ときには吠えられるが、その飼い主には決まって褒められる「頑張ってるね、歩けるのはいいことよ」と。
犬への励ましだけれど人間も同じこと、歳をとっても「歩ける、散歩できる」という、当たり前のことができる素晴らしさだろう。

散歩も注意深く観察していると、犬も人も同じだとよくわかる。
裏道の「通学路」と書かれた何でもない白線にツルリと滑るのだ、だから慎重にノソノソとしか歩けない。
その慎重さがあって転んで骨折とはいかない用心深さを身に着けるようだ。

近所の神社の境内で人気のないのを確かめてリードを放してやると、以前は猛烈ダッシュで脱走したものだが、今では飼い主に遅れまいとヨロヨロ歩いてついてくる。
一人で散歩する不安があるのだろうが、これはなんとも可愛いしぐさだ。
もう全速力では走れなくなった、歩くのが精いっぱいの頑張りなのだろう。

・・・という「今日のぽんちゃん」とタイトルして、写真付きメールを結婚した娘に時折送っている。
もうアニマルセラピー犬よろしく義母宅に出勤することもなくなったが、離れて暮らす娘とのコミュニケーションの役割を担ってるともいえる(笑)

しかしなぁ~今日も親指大のウンチを二つほど寝ながら脱糞、起き上るのが億劫なのか無意識なのか・・・。
排泄も大切な生きてる証だと、消臭除菌スプレーで後始末・・・ははは、よろし。

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2013.08.28

愛犬のひと夏

8月28日(水) 介護の夏・・・だったなぁ

 やっと酷暑の日々から解放されて、少し涼しくなりました。
 窓から通り過ぎる風が、ちょっと心地よい。
 そんな風に乗って虫の音も聞こえてくると「秋の気配」も感じられます。

 今年の夏、例年にない酷暑の夏のような気がします。
 16歳の誕生日を過ぎて、我が家の愛犬ポン太の夏は「なんとかひと夏生き延びた」という実感です。
 犬は暑さに弱いから、今年の酷暑は相当堪えた夏でした。
 
 人間の夏バテと同じで、食欲がなくなり、水も飲まなくなり、体力が落ちて寝てばかりの状態でした。
 意識がモウロウとするのか、普段は外で排便排尿をする習慣が、外に出る力がなくて、玄関で時にはリビングで、ウンチをしてしまう・・・
 
 「しもの世話」というのは生き物すべて共通して、大変だということです。
 今年の夏を生き延びられるか!というのが、老犬「ポン太」の格闘でした・・・というか、いかに世話をするのかが、退職後の「暇人」と思われている僕の勤めでもありました。

 まず水分の補給、これは近所のお宅で「栄養ミルク」を貰いました。
 少し味もあって、水は飲まないがミルクならば・・・それでも水分量が足りないし、食欲もでない。
 いつもは半生のドッグフードが主食だけど、食べない。
 「食べないと体力が落ちるぞ~」と日本語で話すが、もちろん通じない。

 ドッグフードに「ウエットフード」の物をブレンドしてみました、割合を試しながら。
 これは目先の変化で効果がありましたが、歯痛でもあるのだろうか?固形フードがダメになったのか。
 いずれにしても、犬は喋りませんので、好むものに変えて行くということでしょうか。

 朝晩の散歩は日差しの強い時間をさけて、歩く距離よりも、歩く時間を犬に合わせることにしました。
 数百メートルを30分も40分もかけて歩きます。
 視力が落ち、段差につまずいて、よろけるし、休憩しないと次の一歩がでないのですね。

 実に忍耐の要る散歩です、飼い主にとって。
 というのも、このノロノロ歩きでは格好の蚊の餌食になるのですね、人間が。
 メッシュのパーカーを買いました。頭からかぶりどうにか蚊との格闘には勝利しましたが、メッシュ地は見た目ほど涼しくないのですね~、汗だくになりますが、蚊に刺されるよりはましです。

 日中の気温が35度も超えると肉球と舌の発汗作用しかない犬には地獄なのでしょうが、意外とハーハー言わないのは、人間の高齢者と同じで感知能力が下がってるのだと思われます。
 肉球も老いて固くなり、足腰の弱りもあって、踏ん張りが効かなくなります。
 玄関のタイルでもツルリと滑り、骨折してもおかしくない、という状態です。

 夏の厳しい温度、今年は犬の為にクーラーが大活躍しました。
 28度に設定して、扇風機を回します。
 至れり尽くせり・・・環境的には人並み以上?の玄関でありました、おかげで、あまりクーラーが好きではない自分の方が、クーラーのない部屋に逃げ出したりしてました。

 少し涼しくなって、この数日は散歩のヨーイドンでは、尻尾も上がりちょっとだけ元気もでてきました。
 が、相変わらずもう走ることはできません。
 ヨロヨロしながら、それでも散歩は好きなようです。
 出来る限り犬の好きなようにさせてやればいいのだろう、若い頃のように走らせたり急がせたりちょっと遠くまでということは出来なくなりました。

 まずは、この酷暑の夏を生き延びられたポン太ということでしょう。
 ペットを死ぬまで世話するということは、よくよく観察して、気持ちが通じるように、一緒に生きるということだと思います。

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2013.07.23

犬の時間(観察日記)

7月23日(火) 満月にして「大暑」の日

 久しぶりのブログ日記であります。

 歳時記カレンダーも見ながら今年の夏も一日々々が過ぎて行くのを実感してる毎日です。
 「大暑」ひと夏で暑さがピークを迎えるという意味だけど、7月初旬の連続猛暑の頃のほうが凄かったような気がします。
 学校も夏休みに入り、田んぼのサリガニを獲る小学生の姿が毎日見られるようになりました。
 でも「夏だなぁ~」と思っていると、あっという間に季節もかわるのでしょう。

 このひと月ほど、愛犬は玄関暮らしで一日過ごしています。
 諸般の事情で義母宅への出勤はお休み・・・ってことで、文字通り「夏休み」なのです。
 ゴロゴロと寝てばかりだが、一日の様子を見ていると、行動のほとんどが「老犬」らしくなって来ています。
 足の筋力が衰えて、とくに後足は起き上るのに踏ん張りきれない様子で、疲れると小刻みにぴくぴく震えています。

 筋力と肉球の弾力も減って、歩くことが精いっぱい。もうこの数か月は「走る」という姿が見られなくなりました。
 その歩き方もすこしふらついて尻尾も下がります。
 尻尾がピンと上がる時はまだ体調が良いほうなので、そうやって具合を観察しています。

 「北極コース」「学問の道コース」「南方Uターンコース」「ハナちゃん恋路コース」と、散歩はおおむね4パターンで、距離は1キロもありません。
 ああ、コースの名前は僕が勝手に命名したんですが、「北極コース」なんてのは涼しそうでいいじゃありませんか。
 たんに我が家から出て一路北に向かうというだけですが、不思議とこのコースはさっさと歩きだす。
 「学問の道」は学校をぐるりと一回りする、朝は木陰も比較的多くて、犬もさることながら人間が木陰で休み休みという、「飼い主孝行」ですが、あまり行きたがりません。
 「南方Uターン」というのは、我が家から歩道を一直線に南に向かい、疲れた頃合いを見て引き返すというもの。
 「ハナちゃん恋路コース」ってのは、元気な頃の散歩の定番コースだったが、その「ハナちゃん」も亡くなって、ちょっと淋しくなったが、今でもハナちゃんの犬小屋の前で必ず立ち止まって確認しています。

 速く歩けないから、よその散歩犬に必ず追い越されます。
 チビの座敷犬に吠えられても、されるがまま、関知せずってところです。
 ノロノロと歩くので「もう幾つになるのですか?」「16歳なんですよ」「頑張ってるねぇ~」と、そういうふうに見知らぬ飼い主の方から声をかけられることが増えました。
 頑張って散歩している・・・という光景に見える、ちょっとせつなく見える、ということでしょうね。

 弱ってきているのは足だけではなくて、当然にも視力や嗅覚もです。
 片足を上げてしていた尿も、その足があがらない。道を横断するにもゆっくりとしか渡れない。
 嗅覚が衰えてきたのは、マーキングのしぐさにも表れて、何度も何度も匂いを確かめている、一度では確認できなくなったのでしょう。
 なので、鼻先には小さな枯葉や砂がついてしまうので、ちょっと可笑しい。

 玄関先の段差が気になって、若い頃のように勢いよく降りたり登ったりできませんし、アスファルトの隙間につまずくことも少なくありません。
 散歩も半分を過ぎると立ち止まる回数が増えてきて、休憩しないと次の一歩がでません。

 こうして、ノロノロと犬と一緒に歩くとたった数百メートルでも、かなりの散歩時間がかかってしまいます。
 ちなみに、これは人間にとっては健康のための散歩といえる「散歩」にはなりません。
 愛犬「ポン太」の散歩のリズムはこうして、ノロノロと歩くのが丁度よいのでしょう。

 犬も老いて行けば、速くは歩けない、目も見えにくいから車も怖いし段差も怖い。
 鼻も衰えて時間をかけて確認しないとだめだ・・・人間の身体が老いて行く過程と同じなんでしょう。
 僕はこうして老いて行く姿をみていると、老いたら老いたリズムに飼い主が合わせて行くのがベターなのだと思うのです。

 何につけゆっくりになり、危なくて怖いから、さらにゆっくりとなる。
 それが、この愛犬「ポン太」の老後の暮らし方ならば、それでいいのでしょう。
 飼い主としては、もっとサッサと歩いてくれないか、何回匂い嗅ぎするのだよ、道の端をまっすぐ歩いてくれないか・・・元気な頃の姿を知ってると、気が付かぬうちに「はやく、はやく」と急き立ててしまいがちになります。
 しかし、もう速くは歩けない、時間もかかるのが現在のポン太というわけです。

 この葛藤は高齢者とその介護の心境に似たものがあります。退職して比較的時間のゆとりがとれる僕のような立場ならば、犬の時間に合わせることができるけれど、忙しく働いて暮らす飼い主にしてみれば、たかが犬の散歩であっても、やはりストレスになるだろう、「はやく、はやく」と飼い主のリズムに合わせることを望むだろう。

 こういう葛藤、超高齢化社会の老人問題の葛藤の本質があるんじゃないかと思うわけです。
 もし僕が歳をとって体の自由がきかなくなったとき、それでも自分のリズムで生きることを、どこまで貫くのか、犬じゃなくて人間なので、きっと身内であれ他人であれ、介護者の存在そのものに気を使うだろうと思う。

 高齢化社会と言われているが、高齢者の側から問題を考えるというよりも、高齢者をとりまく環境と介護の側からの視点が中心となっているのが現在でしょう。
 ほんとうは、高齢者自身の暮らしのあり方に高齢化社会の問題の核心があるような気がします。
 高齢者が望む暮らし方を尊重する、実現できる社会であるべきなのでしょう。

 などと満月が雲の間に見え隠れするおぼろ月夜を眺めながら、我が家のポン太はあんがい幸せな部類に入るだろうなぁと思うのです。
 
 
 

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2013.04.08

犬の観察日記

4月7日(日) 人も老い、犬も老いる

 春の嵐だなぁ~という日曜日。
 強い風が吹き自転車も風に倒されそうな勢いだった。

 中日ドラゴンズの野球中継を午後から見ながら、強い巨人軍に3タテされるのを見せつけられるのもなぁ~と、途中でテレビ観戦打ち切り。
 巨人軍の快進撃が春の嵐であってくれなければ、今年のプロ野球はつまらない。

 負けても負けても応援するのが真のファンと言われそうだが、今年のドラゴンズはどこかが違う。
 「負けが続く」からではない、言うならば「夢のある戦略」がみあたらないのだ。
 目先の一勝、目先の選手采配にばかり目が行って、なんだか小さくなってしまったように僕には思える。

 だから、素人ファンのたわごとだけど、勝った負けたもいいけれど、若手への切り替えもいいけれど、「夢のある戦略」を、提示して欲しくてたまらない。
 そういうものから、中日ドラゴンズの魅力をファン自身が創造して行くのだから、それが欲しい。
 
 週末、愛犬ポン太は自宅で過ごしている。
 玄関の定位置で寝てばかりいるのだ。
 歳をとって目と耳と足が弱ってきた。
 もう鎖などつけなくても、自分の棲み場所に落ち着いている。
 昔ならば鎖がなければ、知らぬ間に家中を駈け廻ってしまったものだが。

 玄関先の15センチの階段3つを超えるのに躊躇する、自分のリズムでないと怖いようだ。
 これは、どうも肉球の弾力がなくなったのと、やはり足の衰えから来てるのだろう。

 視力が低下して、散歩道も道路の真ん中寄りを歩こうとする、端の側溝に落ちる怖さだろう。
 一度など停車中の車にぶつかったし、店の前の幟旗が風でゆらいでいたら、何を勘違いちたのか路上で立ち止まって硬直してしまった。

 足の衰えは、あのオス犬特有の片足あげたオシッコスタイルにも表れる、ときどき疲れるのか両足のままでジョジョジョ~と。

 よく眠る、眠り込むと帰宅する家族がそばで声をかけても気が付かない、背中をチョンチョンとさわって、初めて「誰だろう?」と顔を上げる。
 これは視力とともに嗅覚も衰えてきた証拠だと思う。
 もうすぐ14歳になろうとしている。

 先日、同じ柴犬の散歩に遭遇したが、飼い主は「この犬も12歳だ」と言っていた。
 ピンピンした元気犬だったが「値段の高い餌を与えてると、足も丈夫で毛のつやもいい・・・」との話。
 我が家のドッグフードが粗食なのかなぁ~と思いつつ、それでも食欲だけは旺盛なので、まあいいだろう。

 週末はちょっと離れた公園まで散歩することも多かったが、もう近所の角を一つ二つで帰りたがる。
 犬も人と同じように「加齢」を体験しているのだろう。
 そういうポン太の行動を観察していると、犬も人間の同じようなものだと思える。
 自分の「加齢」の先の姿を見るようなものかも知れない。
 
 歳を重ねれば、その歳相応の暮らしのリズムになって、視力が衰えればそれなりに、嗅覚が衰えればそれなりに・・・、そういうものだと、ここは一つ尊重して「犬の暮らし」に飼い主が合わせてやる必要がある。

 「溺愛」という言葉がある、犬を猫をペットを溺愛する。
 自分への愛情をペットに投影するようなものだと僕は思う。
 だから溺愛する必要もないけれど、愛情だけは死ぬ瞬間まで必要だろう。

 犬も歳を重ねる、その歳にあった犬自身が必要とする環境を出来る限り大切にしてやることが自然なことだと思うので、滑らないように怖がらないように、ゆっくりと歩けばいいし、ぼんやりと玄関で寝そべればよいと思う。
 

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