2016.07.31

Windws10とブログ(ココログ)

7月31日(日) ココログの記事が書けない(管理画面が開けない)

いやはや困ったものである。
久しぶりに記事を書くつもりが、ブログ(ココログ)の管理画面にどうしてもアクセスできないというのが、一昨日から続いていた。

パソコンなど素人に毛がはえたぐらいの知識で悪戦苦闘した。
パソコンの設定がおかしいのか、サーバーのほうに不具合でもあるのか・・・
Windws10に変更してMicrosoftEdgeから@niftyにアクセスし、さてブログ(ココログ)に入ろうとすると、いつまでたってもウンともスンとも言わない。

Edgeのキャッシュ履歴を消したり、ない知識であれこれしてみるが変化なし。
スマホからのアクセスは何の問題もないので、これはWindws10かEdgeの方だろう。
数日前までは問題なく記事も書けたのに困ったものである。
@niftyの障害情報もない。
まあ、そのうち@niftyのほうで対応してくれるだろうと、実に寛容の精神でいたが。

それにしてもちょっと癪である。何とかならないものかと思うがWindws10をバージョンアップ前に戻す(戻し方がわからない)のもとても面倒だ。
ならばEdgeではなくてIE10から@niftyに入ってみたらどうかと、素人の無い知恵をほじくり返してみた。

上手くいった!ちょっと不安定だけどEdgeを使わなければ、行けそう!
全部が全部うまく行くとも限らないかもしれないが、とりあえずこうして記事にできた。

というわけで、不具合をサーバーの方で早く対応してくれないかなぁ。
バージョンアップとか修正とかとか、できればあまりしたくないが、まわりの環境がどんどん変化すると、やむを得ない・・・むむむ、となる。

パソコンの世界も伏魔殿のような世界になって手が出せない。年寄りには辛い(笑)なんとかならないものか。

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2016.02.17

家庭内電波事情

2月17日(水)Wi-Fiルーターは消耗品?

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携帯の契約容量を2ギガに減らした。
これでも多いくらい、動画など容量を必要とする使い方をしてないので、普段でも1ギガを下まわるほどだ。携帯料金がかかるのは痛いけど、外出先での調べものには重宝する。

室内ではインターネット契約のWi-Fiルーターで携帯もタブレットもデジカメも電波を飛ばしているのが家庭内電波事情というわけだ。

この10年ほどでWi-Fiルーターは3台目になる。以前ルーターを購入するさいに「ルーターは消耗品ですから」と言われ、まさか車のタイヤじゃあるまいし、なぜ消耗品なのか?と途惑ったものだが。

今回新しいWi-Fiルーターに取り換えたのは、PC以外の端末の電波受信が途切れたり、繋がらなくなったりと、「不穏な電波」状態におちいったからだ。
ルーターが消耗してきたから?そんなことはない・・・はずだ。
光回線を変更した、携帯を買い替えた、使う端末も増えた。それ以外にもいろいろ思い当たる電波事情の変更点はある。

つまり、Wi-Fi電波の使用環境が以前のルーター環境と変わったのが大きな原因だと思われる。
ここにWi-Fiルーターの消耗品の所以がある。
「ルーター君、君は悪くありません!」数年もして端末やらPC環境やら、そうしたものを買い替える電波環境が変わり、ルーターもちょっと耐えがたくなったというだけの話。

マニアックな世界だとつくづく思うけれど、こうしたことに慣れないと「パソコン遊び」の世界はやってられない。
とはいうのも、設定が意外とめんどうなのだ。
マニュアルはあるけれど、マニュアルというものは一般論、最大公約数の環境説明なので、個別には詳しく対応していない。

仕事のマニュアルも同じだけど、一般論では片付かないことも多々あって、その片付かない「例外」にいかに対応するのか!に真価が問われるものだ。

話しはそれたが、それたついでに、世の中のあらゆるものが複雑化して、その複雑なものに対応することが、年々歳々難しくなってきた。
人間関係もしかり、親子、夫婦、親せき・・・
もとをたどれば複雑ではないはずが、複雑化を進歩と勘違いしたり、複雑にする洪水のような情報の氾濫もある。

そうした複雑な暮らしから、シンプルな暮らしを行おうと思うと、複雑なものを考えなきゃならないという逆説的な事態になってしまう。
「関わらない!」というのも一つの選択肢ではある。
ひょっとしたら「関わらない」というのが、もっともシンプルな生き方のようにも思われるが、一人仙人のように暮らすならばいいが、現実社会はままならない。

・・・ずいぶんと話がそれたが、まあ、そんな家庭内電波事情も、あと何年かすれば意味不明な「宇宙語」にしか思えない時代に、歳に、なるのかも知れない。
その時は、思い切って「電波事情」とは関わらないアナログな世界で、「すみません、どういう意味かよく解らないので教えてください」と教えてもらおうと思う。

何ごとも謙虚に教えを乞うことが年寄りの生きる処世訓なのだと思うので、「近頃の若い奴らときたら、訳の分からない機器の流行ばかり追っかけて」などと、頭の固い思考だけはしないでおこうと思うのだなぁ~。
虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うし・・・。

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2012.09.30

ないしょ話

9月30日(日) 「ネット疲れ」現象があるらしい・・・

 本来ならば今日は「中秋の名月」なのに、台風17号のおかげでそれどころではありません。
 とはいえ、台風一過の明日は十六夜の丸いお月さんが眺めれれるだろうか?

 さて、もっか家族にも友人にも誰にも話さずに、日々コツコツと計画準備をすすめています。
 こういう話は、ないしょ話ですが、子どもの頃のないしょ話ならば、裏山に秘密基地を作って、誰にもないしょのお気に入りの宝物を持ち込んだり、ちょっと小さな冒険旅行、ほんの日頃とは少し離れた場所に、ないしょで行ってみたりというものです。

 大人になっての「ないしょ話」となると、ちょっと怪しいものです。
 密かにどこかに「いい人」を作ったり、熟年なんとかの準備を怪しまれずしたり、まあロクなことはなさそうです。

 「ここだけの話だけれど・・・」と、ここだけには止まったためしのない他人の噂話や批判ばなし。
 どうも、大人の「ないしょ話」というものは、裏と表を使い分ける技術のようなものです。
 言いたいけど言えない世間の世知辛さ、上司の悪口のひとつふたつを言ってみたり、同僚の要領のよさという自己中心を嘆いたり、嫁や姑や夫や妻や子どもへの愚痴を、どこかに吐き出したいと・・・

 なかなか世の中というのは難しいものでございます。

 先日、ネット検索をしていて「facebook疲れ」という言葉がでてきました。
 僕はfacebookをやっていないから、どういうものかトンと縁がありませんが、本名を明かすSNSであるというぐらいなものです。

 このfacebookのどこに「疲れ」を感じるのかというと、実在する本名を名のることによって、ネット上での会話や文章やそうしたものに、どうも本音とは違う自分を作らなければならないことへの疲れのようです。

 これはfacebookが比較的早くに確立されたアメリカなどの国々の利用者に見られる現象で、むしろ、facebook熱が広がりはじめたインドなどの国では、コミュニケーション手段への期待のほうが大きいようです。

 とまあそういう記事でしたが、どうなんでしょう、リアルコミュニケーションへの回帰がネット社会でも見直されてゆくのでしょうか。

 ブログ、mixi、ツイッター、facebook・・・さまざまなコミュニケーションの手段が変遷してきました。
 僕が書いてるブログだって、この「facebook疲れ」と同じ現象があるんじゃないかと思っています。

 自分を表現するのがネットコミュニケーションです。
 その自分の偽らざる本音というか、そういうものが他人の目にどう映るのか?ということを考えながら書くというのは、きっと言いたいことが言えない別の自分を書き出し続けることになって行く。
 そういうストレスなんでしょうね。

 つまり「ないしょ話」が出来ない世界でもあるわけですが、リアルコミュニケーションの世界では、そういうことも含めて、生身としての社会関係がつくられるわけです。
 「本音」を語ることが出来ないSNS、なおかつ本名も住まいもオープンにするとなれば・・・

 素性を明かさないブログとて、同じでしょう。
 ほとんど「さしさわりのない記事」を書き続けていても「何かが違う、求めていたコミュニケーションとはどこかが違う」と気が付きはじめると、書くことへの意欲も減退して、疲れが蓄積されて行く・・・

 もともとリアルコミュニケーションとは違うものだと、facebookなどは転職や自分の技術技能をオープンにして行くものとして利用されてきた(と、僕は思っているのですが)

 ブログで言えば、自分を表現するというか、目に見えない世間にさらすのが、まあ、その手段なのでしょう。
 書きながらまとめたり、整理したり、遊んだり、ときどき意見をもらったり、出したり・・・
 という制約下でのコミュニケーションでしかないわけで、だからこそできる「本音」もあるわけですが、どうもその「本音」ってものが「ないしょ話」のように思われているようにも思う。

 ネットコミュニケーションは、ある意味「社会の窓口」だと思っています。
 僕のような退職してリアルコミュニケーションの世界が狭まった者にとっては、やっぱり貴重なものです。
 社会にさらされる・・・という意味での社会の窓口になっています。
 それはそれでいいと思っています。

 むしろ、そうしたことよりも、自分に向かって書いているというのが正解かもしれません。
 その結果「ふむ、なっとくできる文章だった」となれば、それが自分の暮らしのバロメーターにもなっています。
 できるかぎり本音話が書ければと思っているが、それは「ないしょ話」を書こうとというのではなくて、文章力としてなかなか書ききれません。

 「ないしょ話」はリアルコミュニケーションやメールを使うでしょう。
 ブログにはブログの意味がきっとあるはずで、そこは真摯に考え続けなきゃいけないでしょうね。

 さて、あとひと月の準備期間を経て、僕の楽しい企て(悪だくみ)が始まる予定です。
 そういうものをブログに書いたりするのも、また遊びです。
 「大人の遊び」は子どもに負けないくらいに、ひたむきな心が必要だと思うし、そういう気持ちで生きれば、人生は楽しい、ブログも楽しい、嫌な世の中、腹立たしきこと多くても・・・
 
 

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2011.09.01

引っ越しする!

9月1日(木) セブンの話

 セブンといえばウルトラセブンの代名詞みたいなものだが、現在の最先端のパソコンOSはWindows7です。
 まあ、僕のような昔人間はウルトラマンシリーズに夢中になった子ども時代だったので、ウルトラがウインドウズに変わっても「セブン(7)」は良いネーミングだと思っています。
 もっとも「ラッキー7」って言いますし、7という数字自体がなにか幸運の気分なのです。

 ・・・というわけで、突然ながら引っ越しをすることにしました。
 えぇ!?と思われるかも知れませんが、家の話ではありません。
 無職無収入の遊び人を気取っている僕には、家を引っ越すほどの予算もありません・・・・パソコンの話です。

 現在のパソコンを購入したのが2001年の10月なので、この秋にちょうど10年目を迎えます。
 日進月歩のパソコンの世界、10年前のスペックはWindowsXP、メモリ256MB、CD-Rドライブといったもので、それでも当時としては「イケメンPC」に近いものがありましたね、当時としては。

 エクセル98とかワード98がバンドルされていたと言えばわかりやすいでしょう、いかに年季の入ったパソコンかお分かりだと思うのです。
 パソコンも今では一年に何回も新型モデルが登場して、価格だってずいぶん安くなりました。

 しかし、当時は山本譲二の「みちのくひとり旅」の歌詞じゃないけれど。
 「たとえどんなに流れていても お前が俺には最後のPC~ ♪」ってな決心で買ったものでした。
 あれから10年、ウインドウズもNT、2000、ビスタとさまざま変わりましたが、浮気心も起こさずにXP一筋使い続けてきました。

 もちろん、USBをVER2にしたり、DVDドライブに装換したり、メモリの増設もしたり・・・
 ガタイのでかいデスクトップPCは、でかい分だけ拡張もできるところが良かったんですね。
 OSこそ「XP」のままでしたが、それなりに10年間持ちこたえて来たわけです。

 XP、あんたは偉い!

 ほんとうは、こうしたハードウェアの終わりなき物欲に飽きてしまったというのが実情なんです。
 じゃぁ、この間に何が起こったかというと・・・ブログ日記を書きだしているわけです。
 器械そのものの興味から器械を使って文字を書くことに見事に変身したのです。
 まさに諸星弾(モロボシ・ダン)隊員がウルトラセブンに変身するようなものでした。

 パソコンの最新スペック、最高のPC・・・それを追い求めると、結局死ぬ一日前のパソコンを買うしかなくなるわけで、こういうオタクの世界は買った瞬間に新古機になるようなものです。

 IPADだった後継機が出て、次から次により高機能な新型が出続けるのです、オタクの世界は「最新型」が重要なのであって、まあ僕は非常によく理解できるのですが、「必要ないでしょう!」と世の夫に言う妻の立場も、これまたヒジョウーによくわかります。

 さて、その10年来使っていたパソコンの調子が最近悪くなるばかりでした。
 メモリ不足でエラー、DVDドライブにはシカトされる、最悪は日記を書き終えてアップしようとしたら、な・な・なんと突然のダウン、これって泣くに泣けないです。
 文字が消えたからといって商売に関係するわけじゃぁないけれど、なんとなく空しい、なんとなくコンチクショー。

 思い切って新しいパソコンを購入しました。
 もう、あれこれ拡張して、あれもやりたい、これもやりたい・・・そういうオタク的欲求もないので、文字が書ける、ネットにつながる、写真が見られる、音が出る、その程度で十分なのでノートパソコンにしました。
 と言っても、10年も経ってるとDVDが標準でUSBだってVer3だし申し分ないスペックです、値段も昔の3分の1で買えてしまいます。

 ここからが本題ですが、旧パソコンから新パソコンへのソフトの引っ越しがややこやしいのです。
 当然にもXP対応のソフトは、いやソフトだけじゃなくプリンターもそうですし、すべてWindows7対応とは限りません。
 メーカーから対応するドライバーをダウンロードしたり、場合によっては再認証も必要なソフトもありますし、そもそもiTunesの音楽データとか住所録データとか、それらだって引っ越しのしかたをまず調べなきゃできないのです。

 そんなわけで、ほぼ引っ越しを終えました。
 引っ越しソバのつもりで本日の日記を書いています。
 いやぁ~家の引っ越しも大変だけれど、パソコンの引っ越しもそれなりに苦労が付きまとうものです。

 (本題が数行で終わりました:笑)

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2011.06.18

ブログは衰退期?

6月18日(土) 大いなるマンネリズムの向こう

 一時期ほどのブログの勢いがなくなってきた・・・ように思う。
 「お気に入り」に登録している幾つかのブログの更新もたしかに少なくなってきた。
 ある会議で「インターネットをやってる人?ツイッターの人はいませんか」と。
 ブログではなくてツイッターなのだ。
 僕はツイッターはあまり興味が無い、新しいものには興味が湧くが何故かツイッターへとは向かない。

  ブログを始める動機は自分の意見を発信したい、人とコミュニケーションを図りたい、この二つに集約されるのだろう。
 ところが、この文章を書くってのは膨大なエネルギー、時間と書く努力?を必要とする。(と思っている)
 ましてや素晴らしい情報を発信と意気込むと、そんなオリジナルな情報が日々転がっているわけではないことに気がつく。

 ブログそのものがネットに溢れていた時代は、それでも新鮮な書き込みなどに一喜一憂することもできたが、アフェリエイトの中にチョコチョコと記事が書かれているブログも増え、期待したようなコミュニケーションの世界とは違ってきたのが現在だと思う。

 つまり、膨大な時間を費やして記事を書いて期待したほどコミュニケーションの場ともならない・・・というのがブログの勢いのなくなってきた原因じゃないかと思う。
 ブログ、SNS、ツイッター、フェイスブック・・・とネット社会のツールは常に興亡の中にあって、誰しも自分の満足するものを取り入れてきた。
 コミュニケーションを楽しむ人がツイッターへ向うのもわかるし、情報発信するエネルギーのわりに対価が少ないのも理解できる(かな?)

 満足するかどうかと言っても、所詮は「仮想社会の擬似コミュニケーション」に近いもので、やはり現実とはかけ離れているのが事実だと思う。
 いつの日かブログが消えて、他のネットツールに席巻される日が来るかも知れない。
 情報発信もコミュニケーションも限定されたものだということを心に留めないと・・・無限大の拡大再生産など夢でしかないってわけだ。

 しかし、こうしてブログが勢いをなくし、他のツールに取って代られるというのも、あながち悪いことばかりでも無い。星の数ほどあるブログの中で光り輝く一等星が目につきやすくなるからだ。
 
 淘汰されて行くブログ、いや淘汰されて行くのはブログではなくて、それを書いている人間の方かも知れない。
 元来、こうしたツールは道具でしかないが、その道具の中に「ほぉ~!」「そうだよなぁ~」と思うものがあって、そういう人の自立した生き方暮らし方を読むのが好きだ。

 そういう小さな輝きは自分が生き暮らす上で大きな栄養源になっているから、「つぶやき」もダメとは言わないが、文章にして書かれるブログが日記のように読めるのが楽しい。
 適度な距離感は「仮想社会の擬似コミュニケーション」の前提だと思う、だから自分の暮らしを見つめなおすツールであり、それがブログという世界だと。

 まあ、僕はブログというネットツールが閉鎖されたら、紙ベースの日記を書いて部屋の壁に掲示板のように貼り出したり、読んでくれそうな友人に無理やり「手紙」で送るとか、そんな方法を考えるだろうな。あはは。

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2010.06.21

裸のブログ

6月20日(日) 勝手気ままに5年と10ケ月

 職場の方がブログを書いているしツイッターもやっているという。
 じゃあ、読ませてもらいたいからブログ名を教えてと頼んだら、「職場の人に見られるなんて・・・書きたいことも書けなくなる」と。

 その気持ちはちょっとは理解できるが、果たしてそういうものだろうかと思う。
 職場の人が読んだら困ることって何だろうか、いつも思ってることを文字にして、その思ってることが他人を心外させるものなら、そうかも知れないが・・・
 「書かないことはあっても、書けないことは無い」と思っているのだが、「いやいや書けないこともある!」とお叱りを受けるかも知れない。
 
 2004年の9月にこのブログを書き始めてもうすぐ6年になる。
 勝手気ままに書いてきたとはいえ、ときどき「なぜブログを書くのか」と自問することもある。
 自問するほど大それた問題でもないけれど、時には「なぜ生きるの」ってのと同じくらいの膨らみになることもある。

 最近では「日記なんだわさ」と思うことも増えて、ほとんど文字のたれ流し状態になっている。
 情報の発信とか友人とのコミュニケーションとか、いろいろ理屈を考えてみたりしても、どうもそれほどのことでもない。
 読む人がいてくれるから書いているのだけれど、読む人が誰もいなくなっても、やっぱり書いてると思う。
 そう思うと、やっぱり「日記」に帰結する。
 「日記」というならば創作とは違うわけだから、嘘は書けないし装飾も必要ない。
 
 以前、友人に指摘された「的を射るが正しくて、もしくは当を得たって使うのよ」
 そういえば、たしかに「的を得た」って書いた記憶があるが、間違いはお手のものだから、きっと何年も書いていると、誤字もふくめて、たくさんあると思う。
 そういうことも含めて、今の自分以上でも以下でもないだろう。

 たくさん書けば書くほど、ボロもでれば、おかしな事も、非常識なことも人目にさらすことになる。
 持て余すほどの「あれこれ」も持ち合わせていないから、着ている服を一枚一枚剥ぎ取られて行くようなものである。
 けれども、だからといって、身の丈以上のことは書けないし書くほどのものもない。
 そうなると、今のあるがままの「自分」をさらけ出すしかないわけだ、いや、さらけだすほどのものがあれば、それにこしたことはないが。
 やっぱり、裸のブログにならざるをえない。馬鹿馬鹿しさも、いい加減さも含めて・・・
 
 ブログというものはそういうものだと思っている。
 文章を積み重ねれば、書いている人の人格や思考や、それに嗜好も表現される。
 何を題材に書いたとしても、結局は同じことで、書く人のパーソナリティが表われるわけだ。
 そこに「本音」というものがあり、どんなに着飾っても、どんなに虚構を貫いても、どんなに「あたりさわり」のないことを書いても、見えてきてしまうものだと思う。

 ブログを書くっていうのは、自分を書くことに他ならないと思っている。
 自分を表現するわけだから、職場であろうが、知人であろうが、親戚・家族であろうが、読まれて困ることはないだろうし、読まれて困ることは書かなければいいと思っている。 
 だからといって、ただ「あたりさわりのない」ことを書いていても、いったいそれが自分にとって何かという、そういう自問が残る。

 どうせ書くならば「あたり」もし「さわり」もする、そんなWeblogが、日々書けたらなぁ~と思うこの頃なのだぁ。
  

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2010.05.03

「つぶやき」発信

5月3日(月) Twitter(ツイッター)

 知らぬ間にブログ日記の一番最後の行に「Twitter」アイコンが表示されるようになった。
 気にはなってたが、あまりよく知らないので、ちょっと調べてみた。
 現在インターネットの最新のコミュニケーション手段で、HPから始まりブログ日記、そしてミクシーのようなSNSといろんなネット情報交換がでてきて、最近の話題はこのTwitter(ツイッター)のようだ。

 簡単に言うとミニブログのようなもので、140文字以内で手軽に発信できる情報交換手段。
 手軽さとリアルタイムであることが特徴で「今、食事してる」「○○で一杯飲んでる」などと、今の自分を書き込むものらしい。

 携帯でも書き込みができて、気に入ったTwitter(ツイッター)フォローという機能で表示できるから、今何をしてるのか、瞬時に情報交換できるしくみのようだし、いちいちコメント、返しなどという定めごともなさそう。
 まあ、詳しくはネットで調べてみるとよいと思うが、世界で何百万人も利用しているというから驚き、桃の木、山椒の木ってわけだ。

 ミニブログとか「つぶやき」とか言われるだけあって、自分の今、他人の今を「トイレなう」「おはようなう」とか・・・
 ハマリにハマッてTwitter(ツイッター)中毒になってるという声も聞こえてくる。
 相互にフォローし合っていれば、メールのようなもので、もっと手軽に気楽に、自分を情報発信できるから、チェック、チェックで一日中、自分も不特定多数の相手ともコミュニケーションが出来ていると思えるのだろう。

 そういえば、ミクシーでも「マイミク」との間で、ほんの数行のやりとりを行っている、それが何十人という相手であっても、そういうのに似ている気がするが、それよりも、更にリアルタイムになっている。

 ここまで来ると、いったいコミュニケーションって何だろうと考えさせられる。
 ビジネスや企業メディアの最新情報を活用しようとする意図は分らないでもないが、そうした使い方はごくごく一部なんじゃないだろうか。

 最も一般的なのは、まだ知らぬ不特定多数のツイッターと言われる人たちとの「コミュニケーション」を、「つぶやき」することで、共有化しようとしていることか。
 「今、○○線の何両目に乗ってる」ってつぶやけば、誰かが「ああ、私も乗ってるわ」とまあ、そういう出会いもネット社会の特徴のひとつだから。

 ネットの世界がアバターのようなもので、限界があることを理解して利用しているならば、有効な活用方法も見つかるに違いないと思うが、まあ、それでも発信する情報は著名人や有名人ならば、ファンは最先端情報を知ることもできる。
 けれど、ごくごく一般人の発信する情報、「寝るなう」「腹減ったなう」ってものが、どういう「つぶやき」なのかよく分らない。

 手軽なネットのお遊びツイッターならば、わからないでもない。
 情報を発信するということは、それを受ける側との間に、普通は緊張感があるものだが、そういう余分なことは、ブログやSNSにまかせて、お気楽にアバター的コミュニケーションを楽しむ手段なんだろうか。

 ツイッターで「おはよう」とつぶやく人が、朝公園ですれ違った散歩のお年寄りに「おはようございま~す」と声を掛けるのだろうか。
 いや、声を掛ける人はほんの僅かな人だと思う。
 なぜなら、社会には危険がいっぱいあって、見知らぬ人には警戒感をもつから。
 そういう現実があるから、ネットの世界はどんどんと擬似コミュニケーションの膨らみをもつものだと思う。
 寂しいといえば寂しい現象だと思う。

 親子や、職場や、グループや、自分が住んでる街での・・・そういうところでのコミュニケーション。
 けっこう、気も使って難儀なことだと思うけれど、そういう現実の世界で「ツイッター」のような関係が築けたら、もう少し世の中変わるかもしれないなぁ~。
 
 そんなことを思いながら書いてるブログ日記。
 ほとんど一方的に書いてるだけだから、よく訪問してくれる方は特定少数の方だけだと思う。
 ブログ日記でしかないからそれでよいと思っている。

 そんなに不特定多数の方とコミュニケーションを築くほどの発信する情報もないし、それでも気にかけて読んでくれる方がいれば、そういう方々の実生活のほうが、とても興味深い。
 だから、できるだけ隅から隅までネットの限界に挑戦するように、そういう相手の書くものには想像力という無い知恵をしぼって読んでいる。
 それが、せめてもの感謝の気持ちだと思っている。

 「トイレなう」と書き込まれたとしても、やっぱり「だから?どうしたの」って思ってしまう。
 どうも、新しいことには気おくれしてしまう引きこもりの性格なのかも知れないなぁ。(笑)


 明日は職場の友人たちと自転車サイクリング、妻もご一行様に入ってる。
 車に自転車を積んで・・・渋滞が気になるGWなう。(笑) 

   

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2009.11.27

ふたたび、ブログ日記

11月27日(金) 明日は尾張サイクリングロードだぁ~♪

 「花の金曜日」、略称「花金」とは一昔前の流行語。
 なんだけれど、金曜日に仕事を終えたあとの開放感はたまらなくいい。
 週末を「骨休め」などと、トドのようにゴロゴロする気分にはなれないから、明日は何処に出かけてやろうかと思うと、もうハッピィ~♪気分。

 それで、尾張サイクリングロードを職場の友人Kさんとひとっ走りすることになった。
 愛知県海部郡大治町から木曽川までの片道20キロほどかな?
 お互い「山ノ神」のご機嫌伺いしながらの週末になるだろう(笑)

 話は変わって・・・
 「ちゃぶん」さんのブログが復活すると記事がアップされていた。
 あはは・・・人生はおもしろいものだ。

 ところで、いつもコメントをいただいている間宮さんの掲示板「マミケンの部屋」にHP、ブログについての記事が掲載されていました。
 「掲載させてもらっていいですか」って、返事ももらわないうちに転載させていただきました。(笑)
 ご自身の掲示板を「スケッチブック」「落書き帳」と位置づけて、こういうスタンスでHPやブログについて述べられています。
 あれや、これやブログ道(笑)に悩んでいる方に、ぜひお読みいただきたいとの思いで、掲載させていただきました。(すみません、許可いただく前に転載してしまって、でも許していただけるでしょう)

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 HPとは?ブログとは?何なのか?

 友人のブログがなくなると、ちと淋しい。よくうかがっていたブログだとなおさらである。
(1年とか数か月動かない、凍結された物件もよく目にするが・・・)

実は僕はHPを持っていない。これは沖縄の知り合いHPの借り物である。
あまりに僕ばかりそこの掲示板に書きこむので
ある時「間宮さん専用の掲示板を作りました」と別に作ってくれたのだ。
それが「マミケンの部屋」。だからこれのネーミングも僕じゃない。
ついでに僕の書き込みだけをまとめた「マミケンの小部屋」なるコーナーも作ってくれた。
嬉しかったが、ていよく隔離されたようだったなぁ・・・ははは

当初、100畳の牢名主になって、広い牢屋にポツンとひとり座ってるイメージでした。
今、本家HPがどうなったのかは定かではない。
まだ続いているようでもあり、そのまま凍結されているようにも見える。

僕にとっての「マミケンの部屋」はラフスケッチブックである。
ありとあらゆる分野の脈絡ない書き込みが続くが
約1か月に1度140部発行、郵送する「寓話通信」があるのが、他のHPと違う所だろう。

「HPで世界の誰にも発信している!」なんてのはウソっぱちである。
事実91歳の父はそんな物、あるのも知らないだろう。パソコンも使えない。
あれは、単なる年齢層以下に流行っている情報ツールというだけのことだ。

そんな中で郵送の「寓話通信」は少なくとも父の所へは届いている。
(細かい文字のこの通信を、父がちゃんと読んでくれているかどうかは怪しいのだが・・)

僕の基本は「寓話通信」の方であって、HP「マミケンの部屋」はおまけである。
もっとも、HP上のゴタゴタがそのまま記事になることもあり
「寓話通信」を作る上での、貴重な稽古場にはなっている。

ブログになると「コメント」と呼ばれるコーナーがあり、読者書き込み欄なのだが
「マミケンの部屋」には付いていない。
誰でも書き込めて、映像も貼り付けられる今のシステムのままが気に入っている。

HPによってはアクセス数を増やすのを命としている所もあるそうだが、僕はどうでもいい。
コメントがあろうがなかろうが、全然気にならない。
これは1か月に1度、自宅宴会をしているのに助けられているのかもしれない。
もともと宴会が先にあり、宴会報告が「寓話通信」の発祥なのだ!!

他に活動がなく、ブログへのアクセスもコメントもすべてなくなったら
それこそ、ひとり大きなガラ~~~ンとした部屋で日記を付けているだけの
寂しいイメージになってしまうのかもしれない。

HPもブログも単なる道具である。
それをどう使い、どう生かすのか?は、その人の「生き方」その物である。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 とても納得させられる記事です。
 自由で開放感いっぱいなんですね。

 というわけで、明日の尾張サイクリングロードはちょっと期待してるわけだけれど、Kさんの方は無事「山ノ神」の承諾を得られただろうか?二週連続だからなぁ~。
 私?帰ったら「せっせと家事掃除~♪」に決まってます。(笑)

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2009.11.26

ブログ日記

11月26日(木) 無題

 長年、ブログ仲間として書かれてきた「ちゃぶん」さんのブログ閉鎖のお知らせがアップされていた。
 星の数ほどあるブログの一つが流れ星のように消えてゆくことは日常茶飯事ではあるが、なんともまあ淋しいものである。

 ブログを書く意味がなくなれば、しょせんブログでしかないわけだから、終了するのも自然なことだと思っている。
 たとえば、コメントが減って、訪問者も少なくなり・・・そういう現象に出会うと、ブログの意味も薄れてしまうのかとも思うが、実はそうじゃないと思っている。

 ブログはコミュニケーションの有効な手段だと思うが、人の意見のあれこれに反応して、ちょっと迎合したり、ちょっと上手なブログ日記をめざしていると、そのうち自分自身が見えなくなってしまうんじゃないかと思っている。
 まずは生活ありきであり、ブログなんていうのは、たかだかその反映にすぎない。
 自分の人生を楽しく豊かに過ごすことを大切にしたいと思っている。

 だから、あるときは自己主張したり、あるときは冗談を飛ばしたり・・・
 できるかぎり、実生活が忠実に反映されているブログが面白いと思うから、上手、下手なんて、ほとんど意味がないように思われる。

 自分は、「ブログは所詮、日記でしかない」と思っている。
 そういう意味では、コミュニケーション手段としてのブログはあまり似合わないのかも知れない。
 どこまで行っても、自分に向けたブログとして書いているので、コメントが入ろうが入らまいが、訪問者が多かろうが少なかろうが、あまり影響されない。

 実に「孤独」なブログ(笑)だと思うが「孤独感」はほとんど感じない。
 そう思っているから、コメントをいただくと、なおさら、できるかぎり正直な思いを書こうと思っている。
 ずいぶんと、身勝手なブログ日記であり、では何のための「公開ブログなんだ?」と言われそうだが・・・
 人目にさらされて、そういう自分という存在があり、つまらない自尊心やつまらないプライドを捨てるには、ブログ日記はちょうどよい。

 生きていることに価値があり、生きていろいろ考えている自分を肯定していきたいと思うわけだ。
 それが、とるにたらないような人生であっても、生きている実感を大切にして、そういう結果がブログに反映されるならば、それでいいんだと思ってる。

 そういう生活のあれこれに、ちょっと気を留めて読んでいただけるだけで幸せなことだと思う。
 一年々々歳を重ねるように、ブログも歳を重ねるわけで、そういう足跡が残るだけに過ぎないが、文章にして自分に問いかけてみると、たまにはキラッと輝くものでもあれば、もうそれで充分だとも思っている。
 

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2009.03.02

一人ぼっちのブログ日記

3月2日 向かい風が半端じゃない!

 あはは、なんとも哀愁がただよってくるタイトルです。

 向かい風がとても強くてペダルが重い帰宅路でした。
 それでも、夜空にはきれいな三日月が浮かんでいました。
 暗い夜道も風も月も、考え方一つで風情がある「弥生」の月の始まりです。

 「よく書いてるねぇ」ブログを読んだ知人の一言です。
 時々虫食いの日があるけれど、できるだけ一日々々の日記を書いてるわけで、「よく書いてる」という言葉には、一生懸命書いてるねって意味と、もう一つ「よくもまあ飽きもしないと・・・」そういう意味もあります。
 後者の方の感想がほとんどだと思うのです。

 誰かに読んでもらいたいと公開してるのが、ブログ日記の特徴ですが、とりたててコメントが多いわけでもなく、訪問者も、「通りすがりの者」っていうこの日記です。
 そんな、相手のいないブログ日記を「よく書いてるね」ってことです。
 
 だから、一人ぼっちのブログ日記。(笑)

 でも、案外そんなふうにして書いてるブログも少なくないと思うのです。
 書いて、書いて、たまにはスナップ写真も載せて、誰かのコメントを待って、そのうち見知らぬブログ友達が出来て・・・
 そんな思いを持ちながら書き続けているブログもある。

 きっと諦めさえしなければ、いつかは願いがかなうものだと思うわけで、ちょっと寂しいけれども、世の中そんなブログ日記の書き方もあるものだと思うわけです。

 だけれども、「いつか」はやっぱり「いつか」であって、そんな孤独な作業は辛さばかり多くて、やっぱりリタイアしてしまうんだと思うのです。

 このブログ「ちょっと一休み」も、ほんと「一人ぼっちブログ」の典型です。(笑)
 だから、「よく書いてるね」となりますが、実際は家族がいて、友人たちがいて、現実はけっして「一人ぼっち」ではないんだけれど・・・

 ある意味「風車に立ち向かうドンキホーテ」のように見えるかも知れないし、「孤軍奮闘」とか「孤高」とか「一匹狼」とか、まあよく言えばそんなふうに映るんだろうか?

 人はほんとうのところ、「一人で生まれて、死んでゆくときも一人」であって、もちろん生きてるときは、何人かの友人や家族によって、支えられ助けられているものです。

 「一人ぼっち」ってのは、人が生きて行く前提みたいなもので、だからこそ、家族や友人を大切にしたいと思うわけです。
 そうした思いは「一人ぼっち」の自分を見つめれば見つめるほど大きなものとなります。

 「一人ぼっちブログ」を書くのは、自分がほんとうの孤独にならないために、自分が人とのつながりを大切にできる心を保つための、そんな方法の一つというわけです。

 だから、人に見せる日記というよりも、自分のために書く日記。
 ・・・・と言うと、「公開する意味ないじゃん」ってことになるのですが、やっぱり行き着くところは自分の表現というわけです。

 ブログ日記は表と裏があってはいけないと思っています。
 匿名性がブログの特徴ですが、犯罪や誹謗中傷、悪意の批評など、さまざまな危険性が無くなれば、実名でもかまわないんじゃないか・・・そう思っています。(まあ、こんなのは今はまだ非現実的ですが)
  
 ブログ日記は良くも悪くも、書いてることが他人の批評にさらされるということです。
 けれど、匿名だから何を書いてもよいということでもないですね。

 書けば書くほど、良いところも悪いところも、浅はかなところも(笑)、どんどん出てくるわけで、それでいいと思ってるんです。
 それが、そのブログを書いてる人の「姿」なんですから。
 そういう自分のいろいろを、さらけ出すことができるブログ日記が書けたら痛快です。
 
 ・・・というわけで、今日も寂しい「一人ぼっちブログ日記」だな、と思ってる同類の方は書き込みを・・・(笑) 
  

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