パソコン・ブログ・インターネット

2024.01.28

スマートホンは必需品?

1月28日 ブログ更新

久しぶりにブログ記事を書いています。
自分のことは棚に上げて、よく訪問するブログ友もなかなか更新されていない。(笑)
しかし、パソコンに向かいキーボードを打つことがけっこう億劫になります。
文章を書いていると、それなりに頭の体操にはなります。

飼い猫のペット病院を受診した。
予約方法が変更になり、スマホのLINEからになった。
電話での受診予約はできないと言われた。
スマホを使っていないと、病院に出かけて、待たされて受診するしかない。
あちらも、こちらも、スマホ、スマホ・・・
おかげで、スマートホンの画面はアイコンだらけになっている。
なんだか汚部屋然の画面になっている。

パソコンが職場の仕事に幅を利かせるようになった昔。
人間の処理能力が、いや、自分の処理能力が追い付かず。
開発者はインターフェース、人の入力方法を簡素化できないかと思った。
AIが進化して、そんなところも、フォローしてくれるようになるのか?
「〇〇の作業をして」と言えば、全部オートメーションでやってくれるとか。
まあ、しかし、気力や記憶力や集中力が低下する一方なので、自分の頭が追い付かなくなりそう。

そんなことを思うと、パソコンやスマホなどを全部廃棄して、自然な暮らし方になれればとも思う。
ものすごく、自由で気楽な一日を送れるようにも思うが。
消費生活があり、何をするにもデジタル社会なのでそうもいかない。
無い知恵をしぼって、なんとか四苦八苦しているけれど、もうすぐ「落ちこぼれ」となるのだろう。
嘆きながら、さて今年も「確定申告」も待ってるし、ここは老化防止の為と、ポジテブ思考するしかないかなぁ。

 


 

2020.10.05

リモート会議

10月5日(月)会議のツール 

必要な書類の手続きにネットからできると言われ・・・
なんとなくその煩雑さに手を焼くようになった。
仕事をしていた頃は、むしろ得意とまではいかなくても苦手ではなかったが。
パソコンに触れる機会は比較的早い方で、他人様にも講釈していた口だった。
それが、だんだんと面倒になってきた近ごろである。

定期的な会議がリモート会議になってきた。
もちろんコロナ禍の影響ではある。
会議の参加者は若い人が中心となっている。
それこそ手取り足取りで設定などを教えてもらっての参加だ。
業務としての会議だが、自分はボランティアでの参加なので自宅から。
コロナ感染が幾つかの事業所に及べば閉鎖を余儀なくされる。
そういうリスクを回避するとめには一つの方法なのだろう。

リモート会議が現実のものになるという、ちょっと不思議な感覚。
人と人は対面して話すものだという固定観念も古いものになったのか。
こうしたネットを駆使するのも時代といえば時代だと思う。
若い人たちは順応力に長けていてスムーズに進行して行く。

良いとか悪いとかという思いはさておき、時代の流れには最後尾でついてゆく。
けっこう意識の集中を余儀なくされ、画面と言葉にくぎ付けとなる。
年寄りはそんなもんだ!ちょっとしんどい!と自虐しながらだけれど。
会議のツールだと割り切って二時間ほどで終えた。
ちょっぴりカルチャーショックでもあった。

 

 

2020.09.21

Wi-Fiルーター崩壊

9月15日 経年劣化、勤続疲労・・・

家電10年が買い替え時期と言われ、15年は過ぎるこの家の電化製品類はそういう時期に来ています。
家電に限らず社会的インフラ、水道管や道路や建築物などもいつかは経年劣化しますが、はたしてそういう事も考慮して日本の経済的な拡大は進められてきたのでしょうか?はなはだ疑問。

といった都市づくりや街づくりの疑問はさておいて。
6年ほど使用してきたWIFIルーターがダウンしてしまいました。
とうとう・・・。

その兆候は少し前の「熱暴走か」にあったわけですが、まあ壊れてしまったのです。
家庭内電波事情というのは、スマートホンの設定やスピーカー、カメラの設定や、けっこう多種多岐にわたります。
でもって、新しい環境設定をするとなると、これまた面倒になります。
きちんと設定マニュアルがあればまだ良いが、なけれな製品サイトのマニュアルを調べたりします。
意図しないところで、ずいぶん電波事情に囲まれているものだと痛感しました。

WIFIルーターも取り換えれば電波の届く範囲も異なって、台所では繋がらないということも・・・
こういう面倒なことはもう御免だな!と思いつつ、「スマート家電」などと言って、家庭内WIFIは拡大の一途です。
一年過ぎるごとに電波事情も変化します。
そのうちこれに追いつけない時代というか歳がやって来ると思うと過ってのアナログ時代が懐かしい。

先日教えてもらいながらリモート会議のテストでZOOMを試みました。
とっても不思議な感覚で、古くなったパソコンの画面に見慣れた面々の顔が映るのですね。
などと言うと笑われそうですが、そういう時代に移りつつあるのも現実です。
「直に顔を合わせて話すのがいいよね」というのも、自分らのような年齢以上の者にはひしひしと感じることです。
それでも必要ならば「アナログが懐かしい」「スマホ・ケイタイなんて」などとどれほど騒いでも、時代は変遷していますね。

いっそ山奥にひそんで暮らす仙人のような暮らしを、こういう時代だからこそ憧れるものです。
それを「憧れ」と理解したうえで、現実の都市生活者として生きて行くわけです。
「落ちこぼれ」ながら生きて行く、そのほどほど感も、これまた楽しいものだと思うのですね。

2016.07.31

Windws10とブログ(ココログ)

7月31日(日) ココログの記事が書けない(管理画面が開けない)

いやはや困ったものである。
久しぶりに記事を書くつもりが、ブログ(ココログ)の管理画面にどうしてもアクセスできないというのが、一昨日から続いていた。

パソコンなど素人に毛がはえたぐらいの知識で悪戦苦闘した。
パソコンの設定がおかしいのか、サーバーのほうに不具合でもあるのか・・・
Windws10に変更してMicrosoftEdgeから@niftyにアクセスし、さてブログ(ココログ)に入ろうとすると、いつまでたってもウンともスンとも言わない。

Edgeのキャッシュ履歴を消したり、ない知識であれこれしてみるが変化なし。
スマホからのアクセスは何の問題もないので、これはWindws10かEdgeの方だろう。
数日前までは問題なく記事も書けたのに困ったものである。
@niftyの障害情報もない。
まあ、そのうち@niftyのほうで対応してくれるだろうと、実に寛容の精神でいたが。

それにしてもちょっと癪である。何とかならないものかと思うがWindws10をバージョンアップ前に戻す(戻し方がわからない)のもとても面倒だ。
ならばEdgeではなくてIE10から@niftyに入ってみたらどうかと、素人の無い知恵をほじくり返してみた。

上手くいった!ちょっと不安定だけどEdgeを使わなければ、行けそう!
全部が全部うまく行くとも限らないかもしれないが、とりあえずこうして記事にできた。

というわけで、不具合をサーバーの方で早く対応してくれないかなぁ。
バージョンアップとか修正とかとか、できればあまりしたくないが、まわりの環境がどんどん変化すると、やむを得ない・・・むむむ、となる。

パソコンの世界も伏魔殿のような世界になって手が出せない。年寄りには辛い(笑)なんとかならないものか。

2016.02.17

家庭内電波事情

2月17日(水)Wi-Fiルーターは消耗品?

001wifi

携帯の契約容量を2ギガに減らした。
これでも多いくらい、動画など容量を必要とする使い方をしてないので、普段でも1ギガを下まわるほどだ。携帯料金がかかるのは痛いけど、外出先での調べものには重宝する。

室内ではインターネット契約のWi-Fiルーターで携帯もタブレットもデジカメも電波を飛ばしているのが家庭内電波事情というわけだ。

この10年ほどでWi-Fiルーターは3台目になる。以前ルーターを購入するさいに「ルーターは消耗品ですから」と言われ、まさか車のタイヤじゃあるまいし、なぜ消耗品なのか?と途惑ったものだが。

今回新しいWi-Fiルーターに取り換えたのは、PC以外の端末の電波受信が途切れたり、繋がらなくなったりと、「不穏な電波」状態におちいったからだ。
ルーターが消耗してきたから?そんなことはない・・・はずだ。
光回線を変更した、携帯を買い替えた、使う端末も増えた。それ以外にもいろいろ思い当たる電波事情の変更点はある。

つまり、Wi-Fi電波の使用環境が以前のルーター環境と変わったのが大きな原因だと思われる。
ここにWi-Fiルーターの消耗品の所以がある。
「ルーター君、君は悪くありません!」数年もして端末やらPC環境やら、そうしたものを買い替える電波環境が変わり、ルーターもちょっと耐えがたくなったというだけの話。

マニアックな世界だとつくづく思うけれど、こうしたことに慣れないと「パソコン遊び」の世界はやってられない。
とはいうのも、設定が意外とめんどうなのだ。
マニュアルはあるけれど、マニュアルというものは一般論、最大公約数の環境説明なので、個別には詳しく対応していない。

仕事のマニュアルも同じだけど、一般論では片付かないことも多々あって、その片付かない「例外」にいかに対応するのか!に真価が問われるものだ。

話しはそれたが、それたついでに、世の中のあらゆるものが複雑化して、その複雑なものに対応することが、年々歳々難しくなってきた。
人間関係もしかり、親子、夫婦、親せき・・・
もとをたどれば複雑ではないはずが、複雑化を進歩と勘違いしたり、複雑にする洪水のような情報の氾濫もある。

そうした複雑な暮らしから、シンプルな暮らしを行おうと思うと、複雑なものを考えなきゃならないという逆説的な事態になってしまう。
「関わらない!」というのも一つの選択肢ではある。
ひょっとしたら「関わらない」というのが、もっともシンプルな生き方のようにも思われるが、一人仙人のように暮らすならばいいが、現実社会はままならない。

・・・ずいぶんと話がそれたが、まあ、そんな家庭内電波事情も、あと何年かすれば意味不明な「宇宙語」にしか思えない時代に、歳に、なるのかも知れない。
その時は、思い切って「電波事情」とは関わらないアナログな世界で、「すみません、どういう意味かよく解らないので教えてください」と教えてもらおうと思う。

何ごとも謙虚に教えを乞うことが年寄りの生きる処世訓なのだと思うので、「近頃の若い奴らときたら、訳の分からない機器の流行ばかり追っかけて」などと、頭の固い思考だけはしないでおこうと思うのだなぁ~。
虎穴に入らずんば虎子を得ずって言うし・・・。

2012.09.30

ないしょ話

9月30日(日) 「ネット疲れ」現象があるらしい・・・

 本来ならば今日は「中秋の名月」なのに、台風17号のおかげでそれどころではありません。
 とはいえ、台風一過の明日は十六夜の丸いお月さんが眺めれれるだろうか?

 さて、もっか家族にも友人にも誰にも話さずに、日々コツコツと計画準備をすすめています。
 こういう話は、ないしょ話ですが、子どもの頃のないしょ話ならば、裏山に秘密基地を作って、誰にもないしょのお気に入りの宝物を持ち込んだり、ちょっと小さな冒険旅行、ほんの日頃とは少し離れた場所に、ないしょで行ってみたりというものです。

 大人になっての「ないしょ話」となると、ちょっと怪しいものです。
 密かにどこかに「いい人」を作ったり、熟年なんとかの準備を怪しまれずしたり、まあロクなことはなさそうです。

 「ここだけの話だけれど・・・」と、ここだけには止まったためしのない他人の噂話や批判ばなし。
 どうも、大人の「ないしょ話」というものは、裏と表を使い分ける技術のようなものです。
 言いたいけど言えない世間の世知辛さ、上司の悪口のひとつふたつを言ってみたり、同僚の要領のよさという自己中心を嘆いたり、嫁や姑や夫や妻や子どもへの愚痴を、どこかに吐き出したいと・・・

 なかなか世の中というのは難しいものでございます。

 先日、ネット検索をしていて「facebook疲れ」という言葉がでてきました。
 僕はfacebookをやっていないから、どういうものかトンと縁がありませんが、本名を明かすSNSであるというぐらいなものです。

 このfacebookのどこに「疲れ」を感じるのかというと、実在する本名を名のることによって、ネット上での会話や文章やそうしたものに、どうも本音とは違う自分を作らなければならないことへの疲れのようです。

 これはfacebookが比較的早くに確立されたアメリカなどの国々の利用者に見られる現象で、むしろ、facebook熱が広がりはじめたインドなどの国では、コミュニケーション手段への期待のほうが大きいようです。

 とまあそういう記事でしたが、どうなんでしょう、リアルコミュニケーションへの回帰がネット社会でも見直されてゆくのでしょうか。

 ブログ、mixi、ツイッター、facebook・・・さまざまなコミュニケーションの手段が変遷してきました。
 僕が書いてるブログだって、この「facebook疲れ」と同じ現象があるんじゃないかと思っています。

 自分を表現するのがネットコミュニケーションです。
 その自分の偽らざる本音というか、そういうものが他人の目にどう映るのか?ということを考えながら書くというのは、きっと言いたいことが言えない別の自分を書き出し続けることになって行く。
 そういうストレスなんでしょうね。

 つまり「ないしょ話」が出来ない世界でもあるわけですが、リアルコミュニケーションの世界では、そういうことも含めて、生身としての社会関係がつくられるわけです。
 「本音」を語ることが出来ないSNS、なおかつ本名も住まいもオープンにするとなれば・・・

 素性を明かさないブログとて、同じでしょう。
 ほとんど「さしさわりのない記事」を書き続けていても「何かが違う、求めていたコミュニケーションとはどこかが違う」と気が付きはじめると、書くことへの意欲も減退して、疲れが蓄積されて行く・・・

 もともとリアルコミュニケーションとは違うものだと、facebookなどは転職や自分の技術技能をオープンにして行くものとして利用されてきた(と、僕は思っているのですが)

 ブログで言えば、自分を表現するというか、目に見えない世間にさらすのが、まあ、その手段なのでしょう。
 書きながらまとめたり、整理したり、遊んだり、ときどき意見をもらったり、出したり・・・
 という制約下でのコミュニケーションでしかないわけで、だからこそできる「本音」もあるわけですが、どうもその「本音」ってものが「ないしょ話」のように思われているようにも思う。

 ネットコミュニケーションは、ある意味「社会の窓口」だと思っています。
 僕のような退職してリアルコミュニケーションの世界が狭まった者にとっては、やっぱり貴重なものです。
 社会にさらされる・・・という意味での社会の窓口になっています。
 それはそれでいいと思っています。

 むしろ、そうしたことよりも、自分に向かって書いているというのが正解かもしれません。
 その結果「ふむ、なっとくできる文章だった」となれば、それが自分の暮らしのバロメーターにもなっています。
 できるかぎり本音話が書ければと思っているが、それは「ないしょ話」を書こうとというのではなくて、文章力としてなかなか書ききれません。

 「ないしょ話」はリアルコミュニケーションやメールを使うでしょう。
 ブログにはブログの意味がきっとあるはずで、そこは真摯に考え続けなきゃいけないでしょうね。

 さて、あとひと月の準備期間を経て、僕の楽しい企て(悪だくみ)が始まる予定です。
 そういうものをブログに書いたりするのも、また遊びです。
 「大人の遊び」は子どもに負けないくらいに、ひたむきな心が必要だと思うし、そういう気持ちで生きれば、人生は楽しい、ブログも楽しい、嫌な世の中、腹立たしきこと多くても・・・
 
 

2011.09.01

引っ越しする!

9月1日(木) セブンの話

 セブンといえばウルトラセブンの代名詞みたいなものだが、現在の最先端のパソコンOSはWindows7です。
 まあ、僕のような昔人間はウルトラマンシリーズに夢中になった子ども時代だったので、ウルトラがウインドウズに変わっても「セブン(7)」は良いネーミングだと思っています。
 もっとも「ラッキー7」って言いますし、7という数字自体がなにか幸運の気分なのです。

 ・・・というわけで、突然ながら引っ越しをすることにしました。
 えぇ!?と思われるかも知れませんが、家の話ではありません。
 無職無収入の遊び人を気取っている僕には、家を引っ越すほどの予算もありません・・・・パソコンの話です。

 現在のパソコンを購入したのが2001年の10月なので、この秋にちょうど10年目を迎えます。
 日進月歩のパソコンの世界、10年前のスペックはWindowsXP、メモリ256MB、CD-Rドライブといったもので、それでも当時としては「イケメンPC」に近いものがありましたね、当時としては。

 エクセル98とかワード98がバンドルされていたと言えばわかりやすいでしょう、いかに年季の入ったパソコンかお分かりだと思うのです。
 パソコンも今では一年に何回も新型モデルが登場して、価格だってずいぶん安くなりました。

 しかし、当時は山本譲二の「みちのくひとり旅」の歌詞じゃないけれど。
 「たとえどんなに流れていても お前が俺には最後のPC~ ♪」ってな決心で買ったものでした。
 あれから10年、ウインドウズもNT、2000、ビスタとさまざま変わりましたが、浮気心も起こさずにXP一筋使い続けてきました。

 もちろん、USBをVER2にしたり、DVDドライブに装換したり、メモリの増設もしたり・・・
 ガタイのでかいデスクトップPCは、でかい分だけ拡張もできるところが良かったんですね。
 OSこそ「XP」のままでしたが、それなりに10年間持ちこたえて来たわけです。

 XP、あんたは偉い!

 ほんとうは、こうしたハードウェアの終わりなき物欲に飽きてしまったというのが実情なんです。
 じゃぁ、この間に何が起こったかというと・・・ブログ日記を書きだしているわけです。
 器械そのものの興味から器械を使って文字を書くことに見事に変身したのです。
 まさに諸星弾(モロボシ・ダン)隊員がウルトラセブンに変身するようなものでした。

 パソコンの最新スペック、最高のPC・・・それを追い求めると、結局死ぬ一日前のパソコンを買うしかなくなるわけで、こういうオタクの世界は買った瞬間に新古機になるようなものです。

 IPADだった後継機が出て、次から次により高機能な新型が出続けるのです、オタクの世界は「最新型」が重要なのであって、まあ僕は非常によく理解できるのですが、「必要ないでしょう!」と世の夫に言う妻の立場も、これまたヒジョウーによくわかります。

 さて、その10年来使っていたパソコンの調子が最近悪くなるばかりでした。
 メモリ不足でエラー、DVDドライブにはシカトされる、最悪は日記を書き終えてアップしようとしたら、な・な・なんと突然のダウン、これって泣くに泣けないです。
 文字が消えたからといって商売に関係するわけじゃぁないけれど、なんとなく空しい、なんとなくコンチクショー。

 思い切って新しいパソコンを購入しました。
 もう、あれこれ拡張して、あれもやりたい、これもやりたい・・・そういうオタク的欲求もないので、文字が書ける、ネットにつながる、写真が見られる、音が出る、その程度で十分なのでノートパソコンにしました。
 と言っても、10年も経ってるとDVDが標準でUSBだってVer3だし申し分ないスペックです、値段も昔の3分の1で買えてしまいます。

 ここからが本題ですが、旧パソコンから新パソコンへのソフトの引っ越しがややこやしいのです。
 当然にもXP対応のソフトは、いやソフトだけじゃなくプリンターもそうですし、すべてWindows7対応とは限りません。
 メーカーから対応するドライバーをダウンロードしたり、場合によっては再認証も必要なソフトもありますし、そもそもiTunesの音楽データとか住所録データとか、それらだって引っ越しのしかたをまず調べなきゃできないのです。

 そんなわけで、ほぼ引っ越しを終えました。
 引っ越しソバのつもりで本日の日記を書いています。
 いやぁ~家の引っ越しも大変だけれど、パソコンの引っ越しもそれなりに苦労が付きまとうものです。

 (本題が数行で終わりました:笑)

2011.06.18

ブログは衰退期?

6月18日(土) 大いなるマンネリズムの向こう

 一時期ほどのブログの勢いがなくなってきた・・・ように思う。
 「お気に入り」に登録している幾つかのブログの更新もたしかに少なくなってきた。
 ある会議で「インターネットをやってる人?ツイッターの人はいませんか」と。
 ブログではなくてツイッターなのだ。
 僕はツイッターはあまり興味が無い、新しいものには興味が湧くが何故かツイッターへとは向かない。

  ブログを始める動機は自分の意見を発信したい、人とコミュニケーションを図りたい、この二つに集約されるのだろう。
 ところが、この文章を書くってのは膨大なエネルギー、時間と書く努力?を必要とする。(と思っている)
 ましてや素晴らしい情報を発信と意気込むと、そんなオリジナルな情報が日々転がっているわけではないことに気がつく。

 ブログそのものがネットに溢れていた時代は、それでも新鮮な書き込みなどに一喜一憂することもできたが、アフェリエイトの中にチョコチョコと記事が書かれているブログも増え、期待したようなコミュニケーションの世界とは違ってきたのが現在だと思う。

 つまり、膨大な時間を費やして記事を書いて期待したほどコミュニケーションの場ともならない・・・というのがブログの勢いのなくなってきた原因じゃないかと思う。
 ブログ、SNS、ツイッター、フェイスブック・・・とネット社会のツールは常に興亡の中にあって、誰しも自分の満足するものを取り入れてきた。
 コミュニケーションを楽しむ人がツイッターへ向うのもわかるし、情報発信するエネルギーのわりに対価が少ないのも理解できる(かな?)

 満足するかどうかと言っても、所詮は「仮想社会の擬似コミュニケーション」に近いもので、やはり現実とはかけ離れているのが事実だと思う。
 いつの日かブログが消えて、他のネットツールに席巻される日が来るかも知れない。
 情報発信もコミュニケーションも限定されたものだということを心に留めないと・・・無限大の拡大再生産など夢でしかないってわけだ。

 しかし、こうしてブログが勢いをなくし、他のツールに取って代られるというのも、あながち悪いことばかりでも無い。星の数ほどあるブログの中で光り輝く一等星が目につきやすくなるからだ。
 
 淘汰されて行くブログ、いや淘汰されて行くのはブログではなくて、それを書いている人間の方かも知れない。
 元来、こうしたツールは道具でしかないが、その道具の中に「ほぉ~!」「そうだよなぁ~」と思うものがあって、そういう人の自立した生き方暮らし方を読むのが好きだ。

 そういう小さな輝きは自分が生き暮らす上で大きな栄養源になっているから、「つぶやき」もダメとは言わないが、文章にして書かれるブログが日記のように読めるのが楽しい。
 適度な距離感は「仮想社会の擬似コミュニケーション」の前提だと思う、だから自分の暮らしを見つめなおすツールであり、それがブログという世界だと。

 まあ、僕はブログというネットツールが閉鎖されたら、紙ベースの日記を書いて部屋の壁に掲示板のように貼り出したり、読んでくれそうな友人に無理やり「手紙」で送るとか、そんな方法を考えるだろうな。あはは。

2010.06.21

裸のブログ

6月20日(日) 勝手気ままに5年と10ケ月

 職場の方がブログを書いているしツイッターもやっているという。
 じゃあ、読ませてもらいたいからブログ名を教えてと頼んだら、「職場の人に見られるなんて・・・書きたいことも書けなくなる」と。

 その気持ちはちょっとは理解できるが、果たしてそういうものだろうかと思う。
 職場の人が読んだら困ることって何だろうか、いつも思ってることを文字にして、その思ってることが他人を心外させるものなら、そうかも知れないが・・・
 「書かないことはあっても、書けないことは無い」と思っているのだが、「いやいや書けないこともある!」とお叱りを受けるかも知れない。
 
 2004年の9月にこのブログを書き始めてもうすぐ6年になる。
 勝手気ままに書いてきたとはいえ、ときどき「なぜブログを書くのか」と自問することもある。
 自問するほど大それた問題でもないけれど、時には「なぜ生きるの」ってのと同じくらいの膨らみになることもある。

 最近では「日記なんだわさ」と思うことも増えて、ほとんど文字のたれ流し状態になっている。
 情報の発信とか友人とのコミュニケーションとか、いろいろ理屈を考えてみたりしても、どうもそれほどのことでもない。
 読む人がいてくれるから書いているのだけれど、読む人が誰もいなくなっても、やっぱり書いてると思う。
 そう思うと、やっぱり「日記」に帰結する。
 「日記」というならば創作とは違うわけだから、嘘は書けないし装飾も必要ない。
 
 以前、友人に指摘された「的を射るが正しくて、もしくは当を得たって使うのよ」
 そういえば、たしかに「的を得た」って書いた記憶があるが、間違いはお手のものだから、きっと何年も書いていると、誤字もふくめて、たくさんあると思う。
 そういうことも含めて、今の自分以上でも以下でもないだろう。

 たくさん書けば書くほど、ボロもでれば、おかしな事も、非常識なことも人目にさらすことになる。
 持て余すほどの「あれこれ」も持ち合わせていないから、着ている服を一枚一枚剥ぎ取られて行くようなものである。
 けれども、だからといって、身の丈以上のことは書けないし書くほどのものもない。
 そうなると、今のあるがままの「自分」をさらけ出すしかないわけだ、いや、さらけだすほどのものがあれば、それにこしたことはないが。
 やっぱり、裸のブログにならざるをえない。馬鹿馬鹿しさも、いい加減さも含めて・・・
 
 ブログというものはそういうものだと思っている。
 文章を積み重ねれば、書いている人の人格や思考や、それに嗜好も表現される。
 何を題材に書いたとしても、結局は同じことで、書く人のパーソナリティが表われるわけだ。
 そこに「本音」というものがあり、どんなに着飾っても、どんなに虚構を貫いても、どんなに「あたりさわり」のないことを書いても、見えてきてしまうものだと思う。

 ブログを書くっていうのは、自分を書くことに他ならないと思っている。
 自分を表現するわけだから、職場であろうが、知人であろうが、親戚・家族であろうが、読まれて困ることはないだろうし、読まれて困ることは書かなければいいと思っている。 
 だからといって、ただ「あたりさわりのない」ことを書いていても、いったいそれが自分にとって何かという、そういう自問が残る。

 どうせ書くならば「あたり」もし「さわり」もする、そんなWeblogが、日々書けたらなぁ~と思うこの頃なのだぁ。
  

2010.05.03

「つぶやき」発信

5月3日(月) Twitter(ツイッター)

 知らぬ間にブログ日記の一番最後の行に「Twitter」アイコンが表示されるようになった。
 気にはなってたが、あまりよく知らないので、ちょっと調べてみた。
 現在インターネットの最新のコミュニケーション手段で、HPから始まりブログ日記、そしてミクシーのようなSNSといろんなネット情報交換がでてきて、最近の話題はこのTwitter(ツイッター)のようだ。

 簡単に言うとミニブログのようなもので、140文字以内で手軽に発信できる情報交換手段。
 手軽さとリアルタイムであることが特徴で「今、食事してる」「○○で一杯飲んでる」などと、今の自分を書き込むものらしい。

 携帯でも書き込みができて、気に入ったTwitter(ツイッター)フォローという機能で表示できるから、今何をしてるのか、瞬時に情報交換できるしくみのようだし、いちいちコメント、返しなどという定めごともなさそう。
 まあ、詳しくはネットで調べてみるとよいと思うが、世界で何百万人も利用しているというから驚き、桃の木、山椒の木ってわけだ。

 ミニブログとか「つぶやき」とか言われるだけあって、自分の今、他人の今を「トイレなう」「おはようなう」とか・・・
 ハマリにハマッてTwitter(ツイッター)中毒になってるという声も聞こえてくる。
 相互にフォローし合っていれば、メールのようなもので、もっと手軽に気楽に、自分を情報発信できるから、チェック、チェックで一日中、自分も不特定多数の相手ともコミュニケーションが出来ていると思えるのだろう。

 そういえば、ミクシーでも「マイミク」との間で、ほんの数行のやりとりを行っている、それが何十人という相手であっても、そういうのに似ている気がするが、それよりも、更にリアルタイムになっている。

 ここまで来ると、いったいコミュニケーションって何だろうと考えさせられる。
 ビジネスや企業メディアの最新情報を活用しようとする意図は分らないでもないが、そうした使い方はごくごく一部なんじゃないだろうか。

 最も一般的なのは、まだ知らぬ不特定多数のツイッターと言われる人たちとの「コミュニケーション」を、「つぶやき」することで、共有化しようとしていることか。
 「今、○○線の何両目に乗ってる」ってつぶやけば、誰かが「ああ、私も乗ってるわ」とまあ、そういう出会いもネット社会の特徴のひとつだから。

 ネットの世界がアバターのようなもので、限界があることを理解して利用しているならば、有効な活用方法も見つかるに違いないと思うが、まあ、それでも発信する情報は著名人や有名人ならば、ファンは最先端情報を知ることもできる。
 けれど、ごくごく一般人の発信する情報、「寝るなう」「腹減ったなう」ってものが、どういう「つぶやき」なのかよく分らない。

 手軽なネットのお遊びツイッターならば、わからないでもない。
 情報を発信するということは、それを受ける側との間に、普通は緊張感があるものだが、そういう余分なことは、ブログやSNSにまかせて、お気楽にアバター的コミュニケーションを楽しむ手段なんだろうか。

 ツイッターで「おはよう」とつぶやく人が、朝公園ですれ違った散歩のお年寄りに「おはようございま~す」と声を掛けるのだろうか。
 いや、声を掛ける人はほんの僅かな人だと思う。
 なぜなら、社会には危険がいっぱいあって、見知らぬ人には警戒感をもつから。
 そういう現実があるから、ネットの世界はどんどんと擬似コミュニケーションの膨らみをもつものだと思う。
 寂しいといえば寂しい現象だと思う。

 親子や、職場や、グループや、自分が住んでる街での・・・そういうところでのコミュニケーション。
 けっこう、気も使って難儀なことだと思うけれど、そういう現実の世界で「ツイッター」のような関係が築けたら、もう少し世の中変わるかもしれないなぁ~。
 
 そんなことを思いながら書いてるブログ日記。
 ほとんど一方的に書いてるだけだから、よく訪問してくれる方は特定少数の方だけだと思う。
 ブログ日記でしかないからそれでよいと思っている。

 そんなに不特定多数の方とコミュニケーションを築くほどの発信する情報もないし、それでも気にかけて読んでくれる方がいれば、そういう方々の実生活のほうが、とても興味深い。
 だから、できるだけ隅から隅までネットの限界に挑戦するように、そういう相手の書くものには想像力という無い知恵をしぼって読んでいる。
 それが、せめてもの感謝の気持ちだと思っている。

 「トイレなう」と書き込まれたとしても、やっぱり「だから?どうしたの」って思ってしまう。
 どうも、新しいことには気おくれしてしまう引きこもりの性格なのかも知れないなぁ。(笑)


 明日は職場の友人たちと自転車サイクリング、妻もご一行様に入ってる。
 車に自転車を積んで・・・渋滞が気になるGWなう。(笑)