2008.10.11

職場の心象風景日記Ⅱ

10月11日 あいさつ

 「ありがとうございます~♪」
 人と人が世代を超えて同じ時間を共有しているのが職場です。
 家庭にいる時間とおなじくらい過ごす職場が心を通わせられるところだったらとても幸福です。
 「おはようございます」と大きな声で返してくれる友人とか、「はい、この書類ね」と手渡せば、「ありがとうございます」って必ず一声添えてくれたりと・・・

 「職場を活性化する取り組み」というものがあります。
 まず、「あいさつ」からと言われて、そういうことが組織の指示として提唱されているのですが、そんな外から持ち込まれた「あいさつ」なんて、本音がみえてしまうものです。
 同じ職場で同じような悩みや喜びをともにできる日常の仕事環境があってこそ、自然にあいさつができるということです。

 そういう意味で、自分の仕事も人の仕事も同じ職場人生の一環だと思って考えれれるといい。
 4月に仕事環境が変わり、この職場ではいつも「ありがとうございます~♪」という声が聞こえます。
 新しく入社した新人の人たちが率先してあいさつするから、ちょっとくたびれたおじさんにも「ありがとうございます♪」となります。

 何もたいしたこともないのに、一つ一つに「ありがとうございます♪」と、これは長い職場人生で、不思議と初めて経験するものでした。
 教師は生徒に学べ!年寄りは若者に学べ!ということでしょう。

 そんな雰囲気を維持しているのは、もうすぐ退職される方、その人の優れたコミュニケーション方法が、自然と職場のありかたを決めているからでしょうか。

 歳を重ねるというのは、時として苦しく辛いことがあっても、愚痴や嫌味を言わない、いや、そういうものがマイナスの要因しかならないことや、人に優しくすることが、しいては自分の人生に跳ね返ってくることを心のそこから理解するということでしょう。
 
 ジョーク人間の自分は、ほんとうに毎日というほど辛口ジョークもいいます。
 ちょっと書類を数えてる手が遅いと・・・・
 「いやぁ、歳をとったから水分が不足して書類もめくれない、としよりはピチピチの若さには勝てんってことだわさ」(笑)

 新入の人が仕事場に侵入した蚊に喰われたら
 「さすが若い人の血は美味いってこと、もう○○さんたちなんか、ご馳走のあとの粗食みたいなもんだから」(笑)
 
 いろいろと辛口話をしても、この職場ではそういう会話の中身を受けとめて、ジョークの中に潜む人生経験というやつが、人と人を繋ぐ「ユーモア」として理解してくれるのが嬉しい。
 (もちろん言ったぶんだけ、きっちり反対に返してくれるのだけど~♪)

 「ヤジ」も一服の清涼剤になるし、「何やってるの」っていう叱責も励ましの言葉になります。
 それは、お互いの心情というか、信頼感というか、そういうものが確認しあえるという前提があってこそかもしれません。

 我が家でも、もっと辛口ジョークを連発しますが、幸かな「こまったオヤジ」程度で済まされているが、いい気になって、さらに辛らつジョークを連発すると・・・・
 「あのね、職場で嫌われんようにね」(笑)

 男は社会に6人の敵がいる(だったっけ?)、そんな本音と着飾った言葉を上手に使い分け、職場を渡り歩いて、地位と権威と富を捜し求めるよりも、ごく普通に、ごく正直に、ごく素直に、人と人との心を通わせることが出来る、そんな職場人生をまっとうしたいものだと思っています。

 「名もなく、貧しく、美しく」映画のタイトルですが。
 まぁ、貧しいかどうかは別としても、世の中の片隅のほんの小さな職場のなかにも、年齢を問わず「すばらしい人」はいるものです。
 そういう人との出会いはとても幸せなことだと思っています。
 職場というのは人と人との出会い、巡り遭いの場所ですね。

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2008.10.10

職場の心象風景日記

10月10日 職場、友達と楽しく働かなくっちゃ! 

 今週は、めっちゃ(笑)忙しい一週間でした。
 終業の合図とともに、残業デイが始まる一週間、疲れたなぁ~ってところです。
 なぜか、このところ相談業務も舞い込んで、でも「この忙しいところに!」などとは思いません。
 忙しいときは忙しく、ちょっと余裕のあるときは余裕で、あるがままの流れに身を任せて・・・・

 「仕事は楽しく働けるのが一番だね」このところ、そんな言葉も交わされています。
 楽しく働けば、一人一人の力も重なって何倍もの力量に膨れ上がります。
 苦虫を噛み潰したような仕事場では、どんなに協力できても人数分以上の力はでないものです。

 毎年、歳を重ねて、思うようなパワーも発揮できずに、ガチガチの競争主義の職場だったら、毎日「窓際族」「落ちこぼれ」「嫌われ者」ありとあらゆる名札を下げることになっていたように思う自分です。
 そういう意味では、以前の職場でも今の職場でも「自分なりに精一杯力を発揮しよう!」と素直に思わせてくれる友人たちがいることが嬉しいです。

 思えば、ある意味綱渡りのような仕事人生を送ってきた自分だと思っています。
 これまで崖っぷちを歩いていても、いつも手を差し伸べてくれる友人たちがいました。
 「ともだち」
 世間で友達といえば、自分のことを理解してくれるとか、何でも話ができるとか、まあそんなふうに言われています。
 そういう意味では「ともだち」なんて、ほとんど居ないに等しいですが。

 だけれども、いつも職場というところには「同僚」という名前の「ともだち」が何人かはいました。
 そして、それほど長きにわたって一緒に仕事をしたわけではないけれど、個性があって、人を思いやる心があって、楽しく会話ができる友人たちと巡り合うことができました。
 こういう友人たちに支えられて、今働いている自分がいるし、今人のことも少しは考えられる自分がいます。

 とてもラッキーな職場人生を送ってこれたのも、その時々に本心から語り合えたこうした友人たちがいたからです。
 職場というのは、飯の食い扶ちを稼ぐところだけではないと思いますね。
 こんな身近なところに、本当の「友人」、「ともだち」と呼びたい人がいるものです。

 そんなわけで、今日も目いっぱい仕事をしましたがそれでも処理できなくて、「ちょっと手伝ってほしいんだけど~」
 「いいですよ~♪」
 とても感謝、感激、雨、あられ~♪ってちょっと古い表現かぁ(笑)

 そういえば、昨年も朝まで徹夜覚悟の仕事を助けてもらいました。
 渡る世間は鬼ばかり?いやいや、人生のたった数年間だけの同じ職場の同僚であっても、この人は「ともだち」だな!と思える人は探せばいるものです。

 だから、世間で言うところの「ともだち」なんて、ほとんどいなくても、自分にとっては「この人は友達だ」と勝手に呼べる職場の友人がいるのが幸福です。

 これを「超幸せな職場人生」と言わずして、どこに幸せがあるんだろうかと思う本日です。

 ふぅ~、ではもう寝る。(笑)

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2008.01.17

なぜか癪にさわる気持ち

1月17日 先輩の通夜でした

 私より一つ年上の先輩が亡くなられました。
 以前、同じ仕事に就いていて、困難ケースなどの接し方も教えてもらいました。
 いろんな意味で、個性的な先輩で、自分には持ち得ないそんな個性を羨ましくも思ったことがありました。

 闘病生活をされていて、昨日「亡くなられた」とお聞きしたときは、何ともいえない気持ちになったのですね。
 「悲しいこと」とか「お気の毒なこと」とか「まだ若いのに」とか「治療効果もだめだったのか」・・・いろいろな思いもありました。
 でも、一つ年上といっても、同じ時代を歩んだこの先輩の死について、なんとなく複雑な心境なんですね。
 「ご冥福をおいのりします」・・・そうなんですが、やっぱり何ぜか釈然としない気持ちが残ります。

 何ヶ月か前まで、病気と闘いながら、仕事に来てみえました。
 「食事は食べられますか?」って話しかけましたら「少しづつだけどね」っていつもの顔で、いつもの話し方で、応えて見えましたが・・・
 命あるものは必ずお終いがあるのが人生・・・そういってしまえば、そうなんですが。
 何となく、そんな言葉で言い尽くせないのですね。

 同じ世代の同じ職場の先輩だったということもありますが、何故か癪にさわってしかたがありません。
 生きて生活していた方が亡くなる、という当たり前の摂理が、何故か納得できない気持ちです。
 それが、癪にさわる気持ちの原因かも知れません。

 世の無常というものを痛切に感じる今夜ですね。
 もうすぐ、この世から、あの世へと旅立つ準備をされているんでしょうね 合掌。

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2007.12.07

情けは人の為ならず

11月6日 嫌いなもの

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 平らなようで、ちょっと「うねり」があるようで、それでいて平らな舗装道です。
 人の心に似ている。

 息子がどうしても気に入らない奴がいる「うざい奴」と話していました。
 どうも利己的なところがある奴だという話のようです。
 でも、嫌がらせや嫌味を言われているわけでもなさそう。
 それで「情けは人の為ならず」っていうことわざを知ってるか?って一言。

 この、諺の真意は「人に情けをかけるのは、その人の為にならない」という意味ではないんですね。
 「人に情けをかけるということは、廻り回って自分の為になるんだよ!」って言うのが本当の意味ですね。
 そう言うと、息子いわく「つまり打算的に考えるってこと?」・・・おいおい、ちょっと違うぞ。
 
 「情けをかける」って人情を知るということですね。
 人の情ですね。
 たとえば上手く出来ない人には、上手く出来ないそれだけの理由があるということです。
 酔っ払ってくだまく人にも、それだけの理由がある。
 反抗的な人には反抗的になる理由がある。

 「情けをかける」というのは、そういう行為を見てみぬふりをするというのとも違う。
 道理をよく理解してあげるということなんですね。
 
 怒らずに「叱る」という、子育てにも似ています。
 子どもを叱ってるつもりが、ただ子どもに腹を立てているだけになってしまう場合がありますね。
 これと同じことですね。
 
 人間関係には、往々にしてこれと似たことが起こるものです。
 「嫌味」とか「あてつけ」とか「悪口」といったものには、人情はありませんね。
 たとえ、その批判が正しくても、それはただ「怒っている」だけなんですね。
 人間関係の形成には、クソの役にもたたないものです。

 世の中、人情味が薄れてきているような気がしますね。
 情けをかけることも大切なことだ!
 
 褒めて育てる、優しく説得する、素直な気持ちで話し合う・・・・
 情けをかけて、相手とのコミュニケーションをとる方法だ。

 だから、息子にも言うんですね「正しいから、相手を批判するんじゃなくて、一緒に考える姿勢、そのことの方がもっと必要なこと」だって。
 理解できなければ理解できるまで何度でも繰り返し話せばいい・・・たったそれだけのこと。

 まあ、職場というのも同じものですね。
 「嫌味」と「悪口」と「非難」ばかりが増大すれば、出来るものも出来なくなる。
 こういう人は「情けは人の為ならず」を「情けは相手の為にならないから教えてやる」と本気で思っている。
 ある意味、弱肉強食の論理だが、往々にして「人に厳しく自分に甘い」心を露呈している。
 
 楽しく働くことをすっかり忘れているから、面従腹背、二枚舌。
 褒めない、癒さない、人情もない、トリプル小心者ってわけだ。 

 「あいつが悪い、こいつはダメだ」なんてことばかりの会話が増えて膨らんでくるとウンザリだなぁ! 

 世の中には、いろんな意味でハンディを背負って生きている人たちがいる。
 そうした人たちが、すべて清貧な心の持ち主とは限らないものです。
 ときには、そんな清貧でもなく、嘘つきで、約束も守らない、そんな人であっても・・・そうなるにはそれだけの理由がある、もし、それが同じ仲間であり、社会的弱者であるならば、その理由を自分の問題として考えて見ることも大切だと思うんですね。
 
 人情ってものは、そんな太っ腹な許容の心からしか生まれないかもね。

 ・・・・ってわけで、連日帰宅が遅い毎日が続いていますから、ブログ更新もままならない。
 忙しさなんて、時間さえ費やせば、究極、何とかなるもんですから。
 そんな、もんは小さなことです。

 もっと大切なのは、人と人とのコミュニケーションなんですね、人はちょっと忙しくなると、スケープゴート(標的・生贄)を作り出して集中砲火を浴びせて自己満足、「私だけが大変だ~」と怒ったり、逃げたりと・・・・つまらんものです。

 職場で見かける「嫌なもの」はこのつまらなさですね。 
 つまらないものを見た日、聞いた日は・・・本当に情けない職場だと思うのですね、福祉職場だろ!  
 人の心のヒダに関心を寄せなきゃな~、理解できなきゃな~、福祉事務屋っていう機械だわな~

 愚痴ブログ日記です。

 【情けは人の為ならず】(ことわざ辞典)
 人に情けをかけておけば、いつかはめぐりめぐってよいことがある。なさけをうけた者はしぜんそれをありがたく思って、なさけをかけてくれた人に好意をもつようになるから、なにかの折にはむくいるものだ。

   

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2007.08.13

ランニングハイと自傷行為

8月13日 世の中はお盆休みなり~、ふん仕事だわい。

 さすがにお盆です。
 自動車がめっきり少ないし、ましてやトラックなどは普段の半分以下の通勤道路事情ですね。

 こういう日は快適です。
 自転車通勤の快適さにプラスαというわけで、朝から休憩場所の神社の樹に咲いている花の写真なんぞを撮ったりして、優雅な出勤風景ということです。

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 なんの花だ?知らん・・・ちょっと和みの朝というわけだ。

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 ところで、ジョギングの世界に「ランニングハイ」と言われる快感現象があると言われています。
 エンドルフィンという脳内物質が、まるで麻薬のように作用して、カ・イ・カ・ン・・・となるのですね。
 一種の脳内のモルヒネのようなもので、危険状態を回避させる作用があるというのです。
 それで、これはマラソンとか自転車サイクリングなどでも同様らしいのです。

 たしかに、走り始めて20分もすると、爽快な気分、自転車と一体感になって、飛んでいるとまではいかないにしても、疾風のような心地よさがやってくるのですね。

 この快感に酔いしれるという状態が、ランニングハイ状態というわけです。
 ある種の麻薬作用のようなものですから、ストレスが溜まると、このランニングハイ現象を過剰に求める要求が体の中から沸いてくるものです。

 そうすると、必要以上に、無理してペダルを回す、限界点を見極めようとするがごとき走法になるのですね。
 場合によっては、スポーツ自転車族が入り込む自傷行為に似ているところもあります。

 まあ、私なんか上級者向けのようなロードレースや無理なアップダウンを求めることはあまりありませんが・・・

 このランニングハイに似た現象として、人はいろいろな行為を行うものだとも思うんですね。
 たとえば、格闘技やハードなスポーツに取り組み、限界点付近にくると・・・脳内モルヒネ物質が分泌され、充足感や満足感を覚えるような錯覚も、一種のランニングハイ現象だと思う。

 自分の知識や能力を100パーセント開花させようとエンドレスの努力というか「のめり込み」というか、スキルアップに充足感をもとめる・・・これもある種のランニングハイ現象の一種だと思うのですね。

 これが、常態化すると、自虐的な自傷行為のような、限界点へと自分を追い込み、それによって得られる「快感」を忘れられなくなるというわけ。

 人間、ほどほどが調度よい、いい加減が、良い加減どころ・・・というもの。
 自傷行為といっても、現代の若者たちのリストカットは「死ぬ気のない病める充足感」でありSOSの一つでもあるんだと思うのですね。

 若者だけでなく、一心不乱に仕事に没頭し、骨身を削って働き、病気寸前のところでも「快感・爽快感」というものは生まれるわけですね。

 ワーカーホリックというものもランニングハイの一種という側面もあるし、ゲームなどの趣味や興味にとことん「オタク化」するのもランニングハイ現象を求める行為なのかも知れないと思うのですね。

 「免許・資格取得症候群」とでも呼ぶべき、スキルアップ人間も「快感」を忘れられない人々の一人でしょう。
 「自己否定や大げさな卑下」などもある種、同じ状態だと思うのですね。

 ・・・というわけで、ランニングハイもスポーツや文化の中で「適度な充足感」と思われる程度がちょうど良いというわけで、その満足感が得られないために、これでもか、これでもかと自分を責め、自分で気がつかないところで、結果的に自分をいじめる・・・自傷行為というものは、そういうものだと思っています。

 もちろん、忘れてはならないのが、そうした生きること、生活すること、学ぶことなどが「楽しいこと」でなくなってしまっている、現在の病的な社会状況というものに、本当は一番の問題があるということなんですがね。

 ・・・・というわけで、本日は、ちょっと思う「ランニングハイと自傷行為」の話でした。
 ふむ、こんなブログを毎日書き続けているのも、ひょっとしたら・・・・ 

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2007.08.08

職場の心象風景

8月7日 人はみなその属性を剥ぎ取れば「ただの人」なのだがな~


 自分の職場の話は、あまり好きではないのですが、好ましい話もあれば、不快な話もあります。

 
 心の笑顔 
 階段を上がって仕事を済ませ、ふと目と目があって「やぁ、元気かい」って声をかける。
 「明るい闘病生活をするんだ」と言ってがんばった彼女の笑顔が何ともいえない。
 笑顔が似合う人はそれほどたくさんいるとは思えないが、屈託の無い笑顔は内に秘められた、本人にしかわからない苦闘の末のものだから・・・・「本物の笑顔」に思われてしまう私の心象風景の一コマ。
 職場復帰した現在、ゆっくりと順調に健康を取り戻して欲しいと願っている。


 崖っぷちを歩む
 不眠症に悩んでいる方がいる。
 いや、不眠症は結果がもたらす症状で、起因するものは強度のストレスからなんだろうと思う。
 「崖っぷちを歩く」そんなギリギリの生活というか仕事というか・・・「倒れることが許されない」という精神状況は長続きしないものだと思っている。自分の体験的にもそうだ。
 崖っぷちの心の状態は、それを肯定する自分の強い意志が働いているうちは、何とかなるものだが、「精一杯頑張っている自分」が否定されたとき、それが自分であっても、他人からであっても、不安が増殖するもんです。
 ある瞬間に、ガラガラと崩れさることは目に見えてあきらかなんだが。
 休養が必要だと私は思っている。
 思い切って「仕事を投げ出してしまうこと」も、人は長い人生の中では必要な時があるということかも知れない。


 威勢を張る 
 人事管理能力が不足している。
 保身とメンツと肩書きに安住して、働く部下の心が読めない管理者は「威勢を張る」ことで、なんとか体面をつくろうものである。
 大きな理想があるわけでもなく、さりとて小さな心遣いもできない・・・・まあ、つまらない人物ということですね。
 日々、誰からも立派だと「評価」をされるわけでもない仕事をコツコツと続けている職場の労働者の「凄み」のほうが、はるかに人間的なのかも知れないと思うのだが・・・
 「出来の悪い管理職、退職して『ただの人』になったとき、肩書きも組織の上下関係も無くなったとき、誰にも相手にされず声も掛けられなくなるに決まっている」と若い同僚が言っていた。
 なかなかの観察力というか、人生の真髄を言い当てているものだと感心します。


 誰しも普通の人 
 人間は知識とか肩書きとか資産とか、そういった属性を剥ぎとってみると、五十歩百歩の同類であることが、なかなか理解されないものだから、貧困家庭への差別や障害者への差別や外国人への差別などが、当たり前のように思われてしまうもんだ。
 だから、どんな「偉い人」でも本質は「普通の人」、民主主義の原点「職業、地位に関係なく人は平等・公平」これも、学生時代で終焉してしまう思想なんでしょうかね。寂しい話だが・・・


 懐の深さと広さ
 「いろいろと批判や嫌味や異論などに、ムッとすることも多々ある。組織や人との関係は本当に難しいもんだが、これも『立場というものが言わせているんだ』って思うようにしているんです」
 地域の中での世話役として苦労されている方のこんな言葉を聞いて、実に奥深いものを感じました。
 世話役という立場の方が、人と人の集まりである組織のなかで、このように言い切れる懐の深さと広さには尊敬しましたね。(権勢を振るう人が多いというのに・・・)


 職場の心象風景を書き記すとこんな思いが心に浮かんでくる今日です。  

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2007.07.11

嫌いな奴・・・

7月11日 生理的嫌悪っていうこと

 こういう日記は自分では好きではないが、こういう日記をたまには書いてみるのいいでしょう。

 長い社会生活のうちには、「困った奴だわい」とか「小うるさい奴だなぁ」などと思う人物に遭遇するのですが、なぜか不思議とそういう「困ったチャン」に対して嫌いな奴だと思ったことはあまりない。

 自己中心的で、周囲に迷惑をかけたりして「まわりの事をちっとも考えん奴」などと陰口をたたかれている人もいますが(おっと、自分も含まれているかも知れないがネ)、それも大きく見れば、個性の範疇、副次的な事柄、大勢に影響は無いと思えるから、人間社会は出来の良い奴も、出来の悪い奴も、いろいろいてナンボの社会だと思う。

 それを個性と言ってよいものか、許されない事と考えるのか、おそらく考え方には個人差はあるものだとも思う。
 ですから、横着者であっても、口の悪い奴であっても、どこかで軌道修正できれば、ごく普通の人間関係が形成できるはずだから、基本的には「人間はちょっと不足があても善人なんです」・・・って考えるのです。

 そんなふうに基本的には考えている自分ですが、どうしても嫌いな奴という人物もいます。
 で、そんな「嫌いな奴」というのは生理的に受け入れられない状況にまで到達したときなんですね。

 今日は夕方、そんな人物と接触してしまったのですが、自分でわかるのですね。
 この人物の顔が「生理的に嫌悪感をもたらし、受付いれられない」ってことが。
 そんなふうに思う自分が、他方では「ちっちゃい、ちっちゃい」っても思うのですがダメですね。

 自分の人生数十年、そのように「生理的に受け入れられない人物」っていうのがこれまでに2名。
 保身をはかり、自己中心的で、人への配慮もなければ、心の痛みや苦しみも理解しない・・・寂しい奴。

 ・・・と、ここまでは何処にもいますし、自分との関わりのない知らないところでは多勢いるんでしょうね。
 悪徳政治家や官僚、犯罪者、粗暴な輩・・・・社会のナンパーセントかはそうした人間が占めるもんです。

 しかし、生理的に嫌悪感をもよおす人物となると、もっと数は減るもんです。

 私にとっては、こうした保身と身勝手自己中心的人物、他人を傷つけても平気である・・・という人物が、権力や組織の地位などにぶら下がって、さも「勝ち組」のような顔をして、社会的弱者への差別と偏見を当たり前のように振りかざしている人物ということです。

 「権力、組織的地位というものを利用した行為」とたんなる自己中でやんちゃとは決定的に異なっている。

 権力というのは「国家の権力」から「官僚社会の権力」「企業の権力」「ワンマン経営陣」「団体」「家庭内」まで段階がありますが、そうした、権力を背景にしたパワーハラスメントを行使する人物には「ヘド」が出そうなほどの嫌悪感が拭い去れないというわけです。

 ・・・・あ~あ、こういう記事を書いていると「憂鬱」になるものです。
 

 たったひと言で大事な人の命を奪うことがあるということを
 君たちはどうして分かろうとしないンだ
            (「金八先生 贈ることば」カレンダーより) 

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2007.05.17

傘がない

5月17日 豊かさと貧しさと・・・

 湯けむりの立ち込める名の知れた有数の温泉地から戻ってきた。
 べつに、行きたくて行ったわけではない。

 日々の生活に困ることのない人たちは、金銭感覚も天井知らずである。
 「贅沢」は、貧乏人の給与生活者の思う「贅沢」と、余裕のある人の思う「贅沢」とでは中身が違う。

 世の中は理不尽なものだとつくづく思う、その「贅沢」のほんのちょっとがあれば救われる人たちは数多くいる。
 贅沢がしたいとちっとも思わないが、「贅沢」に慣れきってしまった人たちは、社会的な不幸の数々を本当に理解できるのだろうか・・・

 ホームレス生活者を見れば「汚くて、どうしようもない人だ」と思うだろうし、障害をもった人を見れば「可哀想だなあ」と思い、生活困窮者を見れば「働きもしないで」と思うだろう。
 そして、続けて「でも、あの人達と自分は違うんだ」って思う、格差社会が生み出す心の風景だ。

 1972年に井上陽水が作詞した「傘がない」という唄、もう知ってる人も少ないかな。
 
  ♪都会では自殺する若者が増えている
   今朝来た新聞の片隅に書いていた
   だけども問題は今日の雨 傘がない
   行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
   君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
   

   冷たい雨が今日は心に浸みる
   君のこと以外は考えられなくなる
   それは いい事だろ?

 30年以上も前の新聞の片隅の記事が、今では一面の記事になって今日の中日新聞の朝刊に書かれている。
 「過労自殺最悪」「精神障害 30代が4割」
 「ノルマ達成のために長時間労働を強いられる実態が背景にあり、業務の負荷が高い若年層が、職場でサポートを得られないまま孤立する事例も目立つ・・・」(「2006年度労災認定」中日新聞)
 
 年間に、交通事故で不幸にも亡くなられる方よりも、自殺で尊い命を絶つ方の方が多いと言われている現代。
 何かの歯車が狂ってきている。
 その新聞の一面の横にはこんな見出しの記事も。

 「子どもだけで朝食」4割
 
 冷たい雨が今日は心に浸みる思いだが、そんな社会の現実から、人間らしい暮らしを守る「」は・・・Img_0166
 
 今朝方、平和の象徴としての鳩がホテルの窓の手すりから部屋を覗き込んでいた。
 誰かが餌付けしたんだろうか、餌を乞うて数羽もやってきた。

 ごく普通の食事と、ごく普通の団欒と、ごく普通の仕事につければ、それ以上の「贅沢」もいらないし、競争社会に勝ち残りたいとも思わない。

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ・・・・ 

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2007.04.27

耳休めに突入かな・・・

 4月27日 猛進の後の耳休め

 「花の金曜日・・・花金?華金?」まあどちらでもいいか、もう今時、使われない言葉だから。
 3月4月と走り続けてきた二ヶ月間なので、疲労もピークです。

 自転車で走るのは何ともないが、仕事に追われる心は走りに走り・・・あれやこれやで疲れが溜まって、今日がG・W(ゴールデンウィーク)前の大仕事でしたから、終わって、ちょっと「ほっ」としたところです。

 「身体が資本」の無産者階級などと、古い言葉を呪文のように唱えて、それでも鞭打つ「働き人」ってところかなぁ。
 
      こころよく
     我にはたらく仕事あれ
     それを仕遂げて死なむと思ふ 
          (石川啄木「我を愛する歌」)

 夢や希望やロマンを喪失した仕事はこころよくないですね、こころよく働ける仕事が一番ですね。 

    ◇    ◇    ◇    ◇

 病気で療養休暇中の友人が、職場復帰ができることになったと顔を見せてくれました。

 前向きで明るい彼女が闘病生活に入る前に言っていた「私は明るい闘病生活をするんだ」っていう言葉に、そんなに強くなれない私なんかは、とても感動したのですが、そんな彼女の笑顔をみると、ちょっと勇気がわいてくる。

 病気の治療だから、本当は大変だったろうと推し測ることができるが、元気な姿を見せてくれただけで、何か華やいだ雰囲気が広がってくる。

 天性の明るさ、華やいだ素質、そんな雰囲気を持っている彼女だから、また頑張って「明るい職場生活」を始めてくれるに違いない。

 ほんとに頑張って、よく職場に戻ってきてくれたと心から嬉しく思う、そんな気持ちですね。


 というわけで、崖っぷちのイナバウワー的な仕事がひと段落して、明日から三連休のG・W前半戦です。
 疲れた体の骨休めということですが、慌ただしい雑音、喧騒のような職場からの休息です。

 ですから、骨休めというよりも、私なんかは「耳休め」というほうが正確かも。
 あれをしなければ、これをしなければ・・・・情報過多に心が休まらないという最近ですが、なにはともあれ「仕事」を忘れてG・Wに突入です。

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2007.04.25

「謝る」ってこと

4月25日 表の顔と裏の顔

 久しぶりに仕事のことでも書いてみようと思う。
 今日は30分ほど、ひたすら「謝る」ことに時間を費やした。

 電話でのやりとりでみかける仕事場の風景のひとつにこんなことがある。
 ごく普通の応対の電話を終えたと思ったら、受話器を切った途端に「○○ってこともわからんのか、まったく・・・」などと、相手をなじる言葉が飛び出す。

 慇懃無礼(いんぎんぶれい)ともちょっと違うが、表と裏の顔が飛び出す人もいる。
 心にストレスを持っているのかも知れないが、正直ではないと思う。
 正直と我慢というのは違うものである。
 
 電話というものは、「声の世界」だから、ぺロっと舌をだしていても、言葉ではわからない。
 思うんですね。
 無理難題を、理屈の通らないことを強引に言い張る人には「できない」ときっぱりと言うべきですが、それも相手とのコミュニケーションの上のこと、やんわりと怒りを抑えて「丁寧にお断りする」こともある。

 クレーマーという人もいるが、ほんとうに理解できなくて困って問い合わせる人もいる。
 クレーマーとは違って悪意は無いが押しの強い人や、本当にごく普通のことでも理解すら困難な人もいる。
 「電話」というのは、そうしたいろいろな人が架けてくるものだ。

 そうした人を混同して、一律にクレーマーとして反応していると、いつしか「愚痴」のかたまりになる。
 コミュニケーションというのは、相手の立場にたって理解するのが第一義であるから、相互の理解が深まって共通の認識に立てれれば、それがもっとも、嬉しいことだし、それでよいはずである。

 さて、そんな「愚痴」の世界ばかりを広げていると、とんでもないことになる。
 人間関係に表の顔と裏の顔があって当たり前になってしまう。
 そういうものは、どこかで綻び(ほころび)がでてしまうものだ。

 そうした、綻びが相手に伝わったときには「言葉では良いことを言って、ほんとうは馬鹿にしているんでしょう」って噛みつかれるものである。
 あたりまえである。

 上手に世渡りをして、綻びを出さなければ、誰も気がつかない・・・・と思っていると大間違い。
 お天道様はちゃんと見ているのである。
 「嫌な仕事」はどこにでもあるものだ。
 けれども、相手の立場を良く聞いて理解すれば、大抵の場合は誤解や説明不足のような、ちょっとした行き違いで済むものだから、そうすればいい。

 「謝る」ことのできない人は不幸である。
 同時に、謝らないために、必要以上に必死の「防御」を試みるから、大きなストレスとなる。
 人は失敗を重ねて育つものだから、「謝る」ことが出来ない人は「失敗」も認めることが出来ないのである。

 ・・・・というわけで、今日は仕事のトラブルの「謝罪」に時間を費やした。
 電話の「言葉」と「本音?」の言葉が大きくズレたことを察知した相手が激怒したのだ。
 相手の言うことが正論である。表と裏の顔が見えてしまったということである。
 日頃の「愚痴」が膨らんだ結果であると思っている。
 
 私は結果的に調停役を引き継いだのであるが「あんたたちはいつも腹の底では、馬鹿にしているんでしょう」と言われて、膨らんだ「愚痴」のつけが指摘されたのだと思った。

 本当の気持ちで「不愉快な思いをさせたことを謝った」のだが、信頼というものはなかなか修復しがたいものである。
 それでも、間違っていれば「謝る」ことが大切だと思う。

 ・・・・そんな話を、帰宅して「家族」と話し合ってみた。
 仕事というものは、いろいろ大変なことが多く、苦労もするものだ。

 何か世の中、弱い者同士の「たたきあい」の世界のような気もする。
 強いものが弱い者に、さらにそれより弱い者に・・・いじめの世界にも似ている。

 もっと穏やかな会話が人間関係の軸にならないものだろうかとも思う。
 たとえ、それが「誤謬」や「失敗」や「ささいなクレーム」であったとしても・・・そうでなければ、世の中は「総ヒステリー」の蔓延となり、ごく一部の人々にとって思うツボなのである。


 ものごとの大変さを語ってやるのも
 オヤジの愛情だと思っとるンです。
         (「金八先生 贈ることば」より)
 
 

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