堀川 :橋のある風景

  • 19 堀端橋より名古屋城を
     名古屋の歴史を物語る「堀川」の現在を撮ってみた。  清流の戻る日が待ちどおしい。

堀川:桜のある風景

  • 74 庄内用水元杁樋門
     4月上旬の桜が満開となった休日  「堀川」端の桜のある風景を撮ってみました

2020.06.28

小説のなかの人生観

6月28日 読書日誌

少し前に読み終えた藤沢周平の小説藤沢周平のです。Img_0008_20200628213101  
「三屋清左衛門残日録」「麦屋町昼下がり」「闇の梯子」「海鳴り(上下)」
武家もの、市井もの、お店もの、に分類されるのですが、「海鳴り」二冊が面白かったです。

どれも人の人生を垣間見るようなものです。
すっぱりと前を向いた人生などなかなかありません。
道理にあわぬ人生や腑に落ちない人生。
そういった人の生き様を見させてくれるのも小説のおもしろさでしょうか。
たとえば・・・

 骨身をけずり、果てにむかえた四十の坂。残された日々は、ただ老い朽ちてゆくばかりなのか。
 ・・・・家は闇のように冷えている。心通じぬ妻と、放蕩息子の跡取りと。
 紙商・小野屋新兵衛は、やがて、薄幸の人妻丸子屋のおかみおこうに、果たせぬ想いをよせてゆく。(裏表紙より)

という物語です。
で、こんな思いの文章も出てきます。

 男はつねに、どこかに生涯の真の同伴者がいるのではないかと夢見る。
 そしてそれが結局は夢でしかなかったことを悟るころには、男はもはやどうあがきようもないほど老いてしまって、やがて死にむかって歩むのだ。
 ・・・・だが、おこうは・・・・。
 ひょっとしたら夢にみる同伴者かも知れないと新兵衛は思いはじめていた。

現実の実生活にあって目の前のことや、好きなことから、すこし意識を離して。
そこから、たぶんあり得ない人生を想像できるのも小説のよいところです。
新兵衛は妻と息子らの家を捨てて、人妻おこうと新たな逃避行の旅にでます。

単なる不倫や通俗小説とは違う、仄かな生きる希望というものが見えてくる小説でした。
読後感よかった。







2020.06.10

梅雨入りだから本でも読んで

6月10日 暇のつぶしかた

東海地方の梅雨入りにあわせたように昼前から雨が降り出しました。
これからひと月ほどはぐずついた日が続くのでしょう。

「年金暮らし」の身となり暇が増えました。
毎日ストレスと格闘していたような現役時代からはずいぶんと「のんびり」した日々です。
暇というのは「退屈」でもあるし「時間を持て余す」とも言えます。
実際に退職して「さて今日はどうしよう」と思う人いるでしょう。

だから「何かをしよう」と考える。
そのポジティブ志向もわからなくはないけれど、晴耕雨読の日々でもよいのでしょう。
小説を読みふけるというのも、よい「暇つぶし」なわけです。
その程度のものとして本を読むのが日々のライフワークになれば、この梅雨時は本物の「晴耕雨読」なわけです。

藤沢周平の時代小説を読んでいます。Img_0003_20200610232001
この作家の発表した小説は1970年代がもっとも脂ののった頃だと言われています。
日本が高度成長を続けていた時代です。

「冤罪」「竹光始末」「暗殺の年輪」「時雨のあと」そして「橋ものがたり」
この五冊を読み終え図書館に返却しました。
いまは次の五冊を読み始めています。
ブログに書くのは読書記録のようなものだとわかりました。

藤沢周平の本はたくさん図書館の本棚にあります。
当分は「日頃読む本」としては困りません。

藤沢周平の時代小説は「武家もの」が多いなかで「橋ものがたり」はめずらしく「市井もの」でした。
江戸にかかる橋にまつわる人の出会いと別れが10編の物語となっています。
人生という長い道のり中での男と女の出会いと別れ。
いろいろな愛情や想いが錯綜するのは、人生もようそのものです。

とても暗いといえば暗いし清々しいといえば清々しいのですね。
そういう論理だて出来ない、あるいはしにくい情緒を知るのですが・・・
「心のひだ」なんですね。

そういうものを一つ一つの橋になぞらえて物語に仕立てています。
なんだかタイプ化された感情とはちがう「心のひだ」に何をかを思うというところです。
時代小説というか市井ものの原型のような短編物語です。
1970年代だからこそ描けた、あるいは読者も感じたものがあったのでしょう。
今読んでもおもしろい時代小説でした。

2020.05.24

「菜の花の沖縄日記」を読んで

5月24日 図書館と新聞と・・・

図書館が自粛のため休館となる前に「取り寄せ本」で借りた本でした。Photo_20200524214201  
一月以上手元にあり予約している人が10人以上待ってるので、この記事を書いたら返却しようと思っています。
図書館は一部再開してるが、まだまだ全面開館には至っていません。

ずいぶん前に新聞の書評欄を読んでから予約してずいぶん待ちました。
十五歳の春に石川県から沖縄の「珊瑚舎スコーレ」という無認可の学校へ通いだしたのがこの著者の女の子です。
沖縄の学校での生活で学ぶことや地元の人々との交流で知る沖縄の文化と歴史への思いが綴られています。

太平洋戦争で本土防衛の名のもとに多くの島民が犠牲となり、そうしてアメリカからの返還をへて今も続くアメリカ軍の戦略的基地の島。
沖縄の歴史は一通り知っているつもりの自分でも、やはりどこか本土で暮らす者としての「他者」の心苦しさがあるものです。

著者の坂本菜の花さんは、そういうとまどいを持ちながらも沖縄での人々との交流のなかで成長して行くのですね。
沖縄の文化、沖縄の言葉、米軍基地の問題や少女暴行事件、辺野古への基地建設などに率直な自分の思いを綴っています。
普段自分たちの新聞の記事を通して、テレビのニュースを通して知る沖縄の現状を、そことは少し違う視点から生きた人の言葉として知る機会でもありました。

そういう感想とともにこの十代の若者が発信する感性というか、新鮮な社会を見つめる目、人との交流から学ぶという思いの清々しさが読後感として残り続けます。
ともあれ沖縄に暮らそうがあるいはどこで暮らそうが、この「沖縄の今」を自分事として考え直す、そういう見方を一人の若者の著書から十分に学ぶことが出来ます。

沖縄で学んだことは、多くの問題につながることです。意見の違う人とどう向き合うのか、非暴力の抵抗運動はどう続けれらるのか。じつは私たちの周りには小さな沖縄がいっぱいあります。(著書より)

ほんとうにそうだよね。沖縄にいようが日本の他の都市に暮らそうが、そこにある「小さな沖縄」と同じ問題に、老いも若きも向き合って考えてゆけたらいいよね!と彼女に伝えたいですね。

2020.05.14

お家で読書

5月14日 「用心棒日月抄」シリーズ(藤沢周平)

外出するイベントに慣れていないので「自粛暮らし」はあまり苦にはなりません。
「お家にいよう」というので、これを機会に足元の暮らしに目をむけたいとおもいました。

日頃できなかった片付けや整理にも精を出して部屋も少しさっぱりしました。
図書館で借りた本も5冊ほどあり、4月は藤沢周平の「用心棒日月抄」を楽しんで読みました。

早く読めないたちなので、ゆっくりと物語のストーリーをかみしめ、情景を想像しながらの読書でした。
読書の良いところは、自分で想像して情景を描くところでしょうか。
場面としての情景だけでなく「心情」という、微妙な心模様も想像できます。
本がそばにあると退屈しません。
Img_0002
藤沢周平の「用心棒日月抄」は四冊にわかれています。
出だしはこうです。
藩主毒殺の謀を知った青江又八郎はそのことから許嫁「由亀」の父親を切ってしまう。
藩を出奔した又八郎は江戸にでて、用心棒の日々をおくることになります。

職の口入れ屋「相模屋」の狸に似た吉蔵が主人で、その日の糊口もおぼつかない又八郎にとって、用心棒は時に土方や守りも用心棒の一つでした。

藩出奔し刺客にも目を配り、かつかつの裏店暮らしで手当ての多少にも気に病む日々です。
相棒には髭面の子だくさんで酒好きの浪人細谷源太夫と組むことも多いのです。
剣客としての腕もたつが、貧乏暮らしの裏店住いというギャップが土台です。
シリーズの前半はこの細谷という用心棒仲間との情味のある関りが主で、なかなかユーモアもあっておもしろいです。

藩の江戸屋敷の「嗅足組」の佐知との出会いがシリーズの後半を大きく占めます。
嗅足組というのは藩の忍者・秘密組織といったもので、その頭領が佐知なのです。
この佐知という女性の存在に関わり、藩の謀事にも又八郎は腕をふるうことになります。
佐知と又八郎の微妙で繊細な関係は「まるで恋愛小説」とすら思える伏線ですね。

時代が移り、国許では許婚者由亀と子に恵まれる身となった又八郎。
16年の歳月を経て江戸で佐知と再会する又八郎です。
揺れ動く心のはざまで思う男心と女心とでもいいましょうか。
腕の立つ剣豪小説とは違う庶民感情と男女の仲、ときにユーモアがあったりします。
そういうところが藤沢周平という作家のおもしろいところではないでしょうか。
微妙で繊細で揺れ動くこころ模様・・・こういう感情は小説でしか味わえない感情で貴重です。

※「ですます調」で書いてみました(笑)




2020.04.22

自粛暮らし

4月22日 「天保悪党伝」藤沢周平の感想

「自粛」の暮らしが続いている。
幸いにして年金暮らしなので、人との接触の多い職場に行くこともない。
それでもスーパーやコンビニでの買い物には行くが、なんだか決死の行動のような気分。
マスクをする、手洗いも心がける、人との接触を避ける・・・自前の予防はするが。

こういう「自粛」の時だから、日頃なかなか出来ない部屋の片付けに着手する。
以前軽トラ一杯ほどの不用品を処分いたが、それでも「不用品」はある、ある、ある。
実は不用品とはいえないが、数年も使うことも見ることもないモノは処分する。

えい!やぁ!ガラガラポン!と意を決しないと物は捨てられない。
「物など無くても生きて行ける」という決意なくして捨てられない。
日常生活の「行動変容」物に囲まれた惨めさに気づくところから始まる。
というわけで、「自粛暮らし」なので、おとなしく読書に励んでいるわけではない。
家庭内「労働」という不用品の処分の作業で、ずいぶんと可燃ごみや資源ごみが出た。

少し前に読み終えた藤沢周平の小説のうち「天保悪党伝」が面白かった。
「蝉しぐれ」「たそがれ清兵衛」は再読の小説で、三冊とも本棚から引っ張り出した。
六人の悪党たちのそれぞれを一遍として相互に関わっている。
博打好き、辻斬り、ゆすりや抜荷、江戸の天保年間の悪事を「生業」とする輩のものがたり。
ある種の爽快感があるので、暗さと悲惨さの読後感はない。
いつの世も時代と社会から「はみ出した者たち」は、そのどこかに憎めない生き様があるものだ。
「悪党であって悪人ではない」という小説。

テレビで「蝉しぐれ」のドラマを見た記憶がある。
父助左衛門の遺骸を荷車にのせて一人引くシーンが印象的だったと思う。
「原作」にあたるおもしろさは実は想像するおもしろさだと思っている。
小説好きの方々はきっとそんな想像を楽しんでいるのだろう。

というわけで、図書館が全休館している折、返却日も6月に延び、今は借りている「用心棒日月抄」シリーズを読んでいる。
娯楽として読むにはとても楽しいシリーズ、江戸の町を青江又八郎が稼業の用心棒に日々の糊口を凌ぐ。
「剣豪小説」とは少し趣きの違うところが藤沢周平という作家の本領なのだろうか。

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2020.03.29

巣篭り読書

3月29日 「今昔物語」福永武彦訳

近所の用水脇のさくらが五分ほど咲いていた。Photo_20200329232801
人の姿はほとんどないから自粛して巣篭りなのか。
たまたまベビーカーを引いた親子とすれ違い、ともに笑顔で軽く会釈した。
近所のさくらを見にきていたのだろうか。

新聞の書評欄に「こんな巣篭りのときだからこそ、散歩したり家では良書を読んで過ごしましょう」と。
こんな時だからこそ、読書に親しむのはチャンスなのだろう。
もっとも何が「良書」かはわからないが、テレビを消して「暇潰し」をじっくりと本を読む時間に充てるのもいいかも知れない。

図書館の三月中の閉館で以前途中で断念していた「今昔物語」をあらためて読んだ。
650ページ、150余話の平安朝の説話を集めたもので読み応えがあった。
生も死も悪霊も滑稽も人情も仏教も、誰が集めたのか、およそ淡々と書かれている。
世に知られた「姨捨山」や芥川の「鼻」なども、ここからモチーフがとられている。

小説を読むようなストーリーの面白さはないが、この何百年もまえの平安後期の世相を知るにはわかりやすい。
淡々と人生の出来事が綴られ、これは想像しながら読まないとちっとも面白くない。
「源氏物語」のような王朝貴族の「風流」とは違って、何でもありの説話集なのだと言える。
この当時の人々の喜怒哀楽や人生観のようなものがよく伝わってくる。

はてさて、人は目の前の即時的な現象に目を奪われがちになるが、少し頭の中で歴史という時空をさかのぼり人々を理解するのも面白い。
というわけで、次はこれも中断して「積読」状態であった藤沢周平へと眼をむけている次第なりぃ。

2020.03.08

こんな時だからこそ・・・

3月8日 「妖かしの宴」三冊

福祉関係の職場の会合で議論されるのはやはりコロナウイルスへの対応のこと。
障害者が日々暮らす場所なだけに感染への対応は緊張と最大限の注意が払われている。

それでも、もしも施設感染が発症したら感染者と濃厚接触者が「家庭内」で出現するようなものになる。
命と健康への危機とあわせて、暮らしの場としての施設や環境の運営の存亡の危機にもなりかねない。
日々そうしたものに向き合っているのが福祉施設の現状だろう。

だから本気で真剣になんとか感染が生じないように働いているのが職員たちだし、そういう現場の職員が命を守っているといっても過言ではないと思う。
こんな時だからこそ、自分の暮らしの足元をみつめる。
いろんな言動に一喜一憂することなく落ち着いて客観的に見る必要があるのかもしれない。
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図書館が二週間の休業となり手元に残された三冊の「妖かしの宴」シリーズを読んでいる。
一冊のページ数が400頁を超えて分厚い文庫本なので、物理的に読み応えがある。
ホラー・アンソロジー、妖怪ミステリーで比較的現代の作家の作品が多く収録されている。

いつも読んでる小説とは趣が違うので、少々戸惑いながら読み進め三冊目。
この戸惑いがどっから来るのかと自問しながら読むが、もう一つ分からない。
小説の背景となるその時代や風景が想像しにくいのだ。

物語のストーリーの面白さは、こうした小説の神髄としても、妖怪漫画や「世にも奇妙な物語」の範疇から出た、ぐぐっと心に響くものが、もう一つである。
これを脚本としてアニメにすれば、それなりの映像が加わって、完成度もあるのだろうか。
あるいは、もしかして今という時代に自分が立ち遅れているのかとすら思えてくる。

「妖怪」は人間が創り出した心の在りようだと思うので、文字で表現する文学はそこが大事にされないと・・・
文字というものはつくづく面倒くさいが、そこを超えた先には自由な創造的風景がある。
そこがもっとも面白いし、ひょっとしたら芸術一般の原点があるのかも知れない。
風景を想像する力は、そうした自分の心の豊かさや広がりにしかないので、風景をどこまで膨らませることができるかという問題だと思っている。

 

2020.03.03

社会不安

3月3日 妖怪というもの...

天気が良いので散歩のつもりで銀行のATM機まで出かけた。
花粉症ではないが、目がショボショボし、花もむずむずする。
きっと花粉が飛散しているのだろう。

マスクが品不足という、トイレットペーパーも棚から消えて、「デマに惑わされないように」とテレビでも報道している。

コロナウイルスがマスクだけで防げるとは思えないが、医療や福祉現場でマスクが不足する事態はどうにかならないか。

この季節花粉症で苦労している人にとっても深刻なことだと思う。

突然「学校休業」が言い出された。子どもたちを感染のリスクから遠ざけるというが。
大都市の市内感染は報告されている数字の何倍も多いともいわれている。
テレビでももっぱらコロナウイルス報道が続き、国会中継もここに論議がさかれている。

いったい何が真実なのだろうか?事実が歪められて恣意的に進んでいるのか?
穿った見方も出てきておかしくない。
社会不安は「国のありかた」がおかしくなって、もう「信じられねぇよ」という事情がこれを支える。
国と国民との信頼関係の崩壊。

新聞やテレビやネットニュースでは、右も左も上も下もあれこれ。
しかし、つまらない言動や馬鹿々々しい言葉の中に、案外問題の核心があったりする。
誰が何をどういう立場で言ってるのか。何を隠したいのか。
そういう視点で賛否の中身を考えると人の本性というもの、政治の中身が見えて来る。

こういう社会不安が大きくなるときは、差別と偏見、そして人権感覚が問われる。
であるならば、いつも物事を批判的に、懐疑的に考えることが必要になる。
新聞やテレビのニュースの中に「問題」と「正論」があるのではなくて、現実の暮らしの中の「大変なこと」を通して見る力。
しっかり考える習慣と、事実を忘れないことだと思う。

基礎疾患を有する、つまり糖尿病というリスクの大きい高齢者という括りに入る自分は、出来るだけ外出は避けているが、仕事をしなければ生きて行けないのが圧倒的大多数。
医療現場も福祉現場も教育現場も、先の見えない不安感が渦巻いている。
はびこる嘘、ごまかし、改竄、忖度、ご都合主義、そうしたものが、この国の社会不安を払しょくできない元凶のように思えてならないのである。

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というわけで、話は変わって、市立の図書館も二週間ほど一斉閉館となった。

相変わらず「妖怪」ものの本を読んでいる。
「あやかし <妖怪>時代小説傑作選」は短編集なので6作品ほどが収録されている。
不可思議な話も時代小説にすると、すこしロマンがあり、陰鬱さが遠のくので読みやすい。

例えば「こおろぎばし」(漢字変換できないからひらがな)という作品は
失明した母親の世話のため店を辞めた佐吉という孝行息子は、こおろぎ橋のたもとの薬種屋を知りそこの店の娘那智と知りあう。
毎日薬を取りに来るように言われ、しかも薬代はタダでよいという。
何度も通ううちに、それがなぜなのかを佐吉は知ることになる。

人情がからんだ「妖怪」もので、なかなか面白い。
あとは宮部みゆきの「逃げ水」も面白い。

今は水木しげる監修の「妖かしの宴」「御伽草子」と読み進めている。
これも短編集であるが、その中に水木しげるの「漫画」一作品が収められている。
漫画と小説の対比としてみると実に興味深い、小説は読み手の想像力に依拠してることがよく分かる。

2020.02.14

待合室

2月14日 図書館本のこと

ここ数日は暖かいので体も動くようになったが、週の初めは風邪でほとんど寝てすごした。
あまり寝てばかりだと腰の調子もなんとなくよくない。

先日、風邪薬をもらいに内科受診をした。
やはり平日の午前中はお年寄りの診察待ちの方が多い。
けっこう混んでいたのでしばらく待たされたが、御年70歳は過ぎたと思われるおじいさんが隣のおばあさんにしきりに話しかけているのが聞こえてきた。
知り合いとも思えないお二人で、おばあさんは「ええ」とか「はい」とか相槌で答えるだけだった。
その会話がなかなか面白くて、こんな話。

「ちかごろでは年寄りは何をして過ごしているか知ってるかね?」
「・・・」
「みんな図書館に通っているんだよ、年収が500万とか600万とかある人は、あちこち出かけている」
「そうですね」
「けれどそんなに収入があるひとばかりじゃない。無い人、そういう人は図書館に通って本を借りたり読んだりしている」
「年収200万そこらの人もたくさんいる。図書館はお金がかからない、みんなそうしている」
「そうですね」

とまあ、こんな話で聞き手のおばあさんは名前を呼ばれるとそそくさと席を立って行った。
みんながそうであるかは別として、図書館を利用するというのは、つつましく暮らすには良い方法だと思った。

考えてみれば、最近書店の出版本もほとんど買っていない。
ただでさえ溢れている本の山がこれ以上増えても困るというのと、たしかに出費を減らすには有効でもある。
その上で、読み応えのある本や面白い本に出会えたら、こんな充実した日はないと思える。

図書館の利用法というのも人それぞれであって、過って仕事でお会いしていたおじいさんは、一人暮らしで生活も楽ではなかったけれど、毎週2冊ほどこつこつと図書館で本を借りていた。
山本周五郎とか時代小説がすきで、「あの本は良かった」「この本はおもしろかった」楽しいですよと話してくれたのを思い出す。
暮らしの中に読書する楽しみをライフワークのように取り込む愉しさを教えてもらったような気がする。

そんなわけで、最近の読書を記しておくと。
「風の軍師」「散り椿」「山桜記」「花や散るらん」と葉室麟の時代小説が続いている。
何冊も続けて読んでいて、この葉室麟という作家が「どのような生き方」を尊いと思うのかがよく分かってくる。
題材はいくつもの史実からとり、葉室流ともいえる物語の展開である。
その想像力は読者の興味を惹きつける力が大きい作家だと思う、惹き込まれるのである。

図書館本も冊数に限りがある。葉室麟の文庫本はちょっと少ない。
少し別の系統もと、ほとんど読むこともなかった推理小説集を借り、怪談物を取り寄せ申し込みした。


 

2020.02.04

立春とかリハビリとか読書とか・・・

2月4日 暮らしの風景あれこれ

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朝、テレビの番組で東京の街の風景が映し出され、さまざまな店やイベントなどが紹介されているを見て、この街は日々刺激の多い街だと思った。
刺激の多い日々を暮らしているとそれが普通のこととなり時間の流れも速くなるのだろう。
東京というのは「イベント」に埋もれた街だというのが感想で、ちょっとついて行けない街だと思った。

今日は「立春」である。暦(こよみ)の上では春というが、いつもは季節を先取りするのが暦。
しかし、最近の気候はその先取り感が少なくなって、この暖冬である。

花壇の「さくら草」が小さな花を咲かせている。 
たしかこの花の開花は4月から5月の頃のはずが、2月の初旬には咲きだした。
チューリップも昨年に比べて芽が出始めているので、これも少し早い。
温暖化の影響なのだろうか。

午前中、整形外科にてリハビリ治療。
電気治療と牽引治療をする。牽引の機械はとてもおもしろい。
椅子に座り仰向けに角度がかわると腰にまわしたベルトが固定され脇の下の支えから引っ張る。
腰には暖房があり両足のふくらはぎもマッサージされるので、療養器具というより気持ちの良い椅子という具合だ。

座って気持ちの良い椅子は、この機械と理髪店の椅子の二つに勝るものはない。
理髪店の椅子も顔剃りで仰向けになると眠くなるほど気持ちが良い。
どちらでもよいので一つ自宅にあるといいと思うが、一台数百万もするようだ。

さて、相変わらず葉室麟の小説を続けて読んでいる。Img_0003_20200204231701
「柚子は九年で」「影踏み鬼」「星火瞬く」そして読書進行中は「風の軍師」といったところ。
「柚子は九年で」は葉室麟の初の随想集。
「私は歴史の敗者を描きたい」という思いは、小説を読み続けれとなるほどと思う。
随筆集としては二作目の「河のほとりで」の方が自分としてはおもしろかった。

「影踏み鬼」は新選組の実情を篠原泰之進を通して描いた小説。
新選組の実態がどんなものか、一般的な事柄ぐらいしか理解がないが、こういう隊士からの視点がおもしろい。
どちらにしても、歴史はあとから解釈したものだという作者の見方に沿えば、史実の細部から物語を構成して描くことで、後からの解釈といえどもリアリティを生み出しているように思える。

「星火瞬く」は幕末明治の時代をシーボルトの息子、アレクサンダーを語り手にし、ロシアの無政府主義者バクーニンとの接触から感化される生き方が描かれた小説。
第一インターナショナルに参加した革命家バクーニンが横浜に現れるというのが不思議で、ちょっと略歴を調べたら確かにシベリアの抑留施設から脱獄して日本を経由してアメリカに出国している。

やはりいろいろ原書にあたったり調べたり、作家の仕事はそういう下調べがあって出来上がる。
葉室麟の小説はこういう思いもよらない(と思うのだが)登場人物によって成り立っている、その視点が特徴なのだろうか。

個性とか才能とかオリジナリティとか、そういうものが溢れて自己主張花ざかりが流行の時代にあって、しっかりと歴史の隅々を調べたうえでの作品は本当におもしろい。
読書進行中の「風の軍師」は黒田官兵衛を扱った小説。

しかし読みながら忘れるものも多くて、脳みその許容量がたくさんあればいいが、忘れながら次の小説を読み、そうして蓄積されたものが、一つの世界観や歴史観として残って行くのだろうか、わからないが。

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