堀川 :橋のある風景

  • 19 堀端橋より名古屋城を
     名古屋の歴史を物語る「堀川」の現在を撮ってみた。  清流の戻る日が待ちどおしい。

堀川:桜のある風景

  • 74 庄内用水元杁樋門
     4月上旬の桜が満開となった休日  「堀川」端の桜のある風景を撮ってみました

2020.02.22

南伊豆の旅

2月22日 河津桜の可憐さも良かった
Img_0063
【車窓より富士を眺める】

新型肺炎の感染が広がり、ちょっと心配もしながら、今週の初めに南伊豆の旅に兄と行った。
兄弟で行く旅は4回目となる。
マスクをしたり手の消毒を心がけたりしたバスツアーの一泊二日。

初日は一日雨降りで、ロープウエイで登った「伊豆の国パノラマパーク」は本来ならば富士山が一望できる絶景のはずが・・・雨で。
それでも、ちょっとモノトーンの幻想的な山頂風景が広がっていた。
修善寺の梅林はもう終盤か?雨の中肌寒さも加わった散策となった。

一日目の宿は南熱川温泉。海岸沿いの潮騒が日頃にはない騒がしい光景であった。
日頃といえば、会ったり喋ったりする機会もない男の兄弟なので会話は尽きないのがいつもだ。

翌日は嘘のように晴天。
だが風が強いので伊豆急行のプラットホームでは海風に体が飛ばされそうだった。
海岸線を車窓から眺めながら河津町の「河津桜」を散策する。
河津川沿いにピンクの小ぶりな河津桜が植えられ、菜の花の黄色とのグラデーションが見事。

やはり外国人の姿はほとんど見かけない。
どこでも中国語や韓国語が聞こえるものだが、日本人観光客ばかりだった。
河津桜は一本の原木を見つけた地元の人から広がったという。
早咲きで少し小ぶりのピンク色。
ソメイヨシノの大ぶりの花びらとはまた違った趣である。

小さな河津桜の植木が売られていたので買いたいと思ったが、カミさんに叱られそうでやめる。
その話を帰宅後に話したら「買ってくればよかったのに」と心にもない事をいう。
同じ河津桜でも知られる下加茂の河津桜もコース。
こちらも川沿いが散策路になっていた。
土産も買う河津桜の「さくら饅頭」と勢いで買った「さんまの押しずし」、まあ土産に美味いもの無しというが...

晴天に恵まれ、のんびりと散策できたのでよかったし、河津桜は一度は出かけて見たいところだった。
帰路はフェリーに乗り清水港へ着くはずだったが波が高くて欠航となる。
そのアクシデントのおかげでバスによる伊豆半島の縦断、「天城超え」である。
「伊豆の踊子」に想いをよせ、石川さゆりの「天城越え」を思い出し、どちらもせつない話だが、想像しながら進むバスの車中。

これはこれで自分は良かった。
旅というのは、思いもよらないことに遭遇するもので、それも含めて楽しい想い出となった。
初日は雨で車窓も楽しめなかったけれど、帰りのバスからは雲一つない青い空を背景に富士山が白い雪を頂いて見事。
富士山をこれほどきれいに見られたのも数少ない。それだけでもよかった旅であった。

Img_0013
【まるで水墨画のような雨の伊豆の国パノラマパーク山頂より】

Img_0033_20200222230201
【河津桜の並木】

2019.11.11

短い秋、滋賀県大津市へハイキング

11月11日 日吉大社、西教寺へハイキングに行ったこと

Photo_20191111210201

秋も短くなったと感じるこの頃、もう暖房器具も必要な朝晩になりました。
昨年リホームで入れた床暖房を30度に設定し、暖をとりはじめた。
電気代が心配な冬もまじかに迫って、心配する貧乏性は我一人・・・むむむ。

昨日の日曜日、滋賀県大津市の社寺巡りハイキングに行った。
「行った」というか連れて行ってもらったというのが正確で、過っての職場仲間の運転する車二台に8人が同乗して出かけた次第。
自分で運転する自信も最近はやや下がり気味の歳になった。
乗せてもらえるありがたさである。

大津から京阪鉄道に乗換え坂本比叡山口駅で降り、そこから日吉大社、西教寺、旧竹林院を巡るハイキング。
天台宗の御法神、古事記にも記された比叡山の山の神とパンフレットにある。
お猿さんが魔よけの象徴というだけあってあちこちに猿を形どった彫刻もある。
門前で「猿回し」の大道芸があり「日本の古典芸能です!」という噺につられて「お代」違うな「賽銭」これも違う「心付け」これかな、500円玉を籠にいれる・・・
日吉大社はまだ紅葉には早かったが境内3000本といわれるもみじが秋の風景であった。

つづいて、これも天台宗の西教寺へ。
ここは庭園がすばらしいお寺で、本堂、客殿も風情のある立派な年代を感じるお寺である。
あの坂本城主、明智光秀一族の菩提寺、室町時代に一揆に僧兵が攻め込んだ折、本堂からの鐘の音に踏み込むと一匹の猿が上人に代わって鉦をたたいていた・・・という逸話をお坊さんが話されていた。
猿という動物によくよく縁のあるところだと思いながら、実は多くの寺社を巡って、どこがどこかとわからなくなることが多いが、こういう逸話だけは記憶に残るのである。

昼食を食べるところがないなぁと話していた先に小さな喫茶店。そこでごくごく普通のカレーライスとかピラフとか注文する。
歩き疲れて食べる昼飯は、なんでも美味いものである。

帰る途中で旧竹林院を見学する。さすがに大津坂本は比叡山の門前町である。
どこもかしこも立派な庭園が見られる。
こうした里坊といわれる邸は比叡山の僧侶の隠居所として建てられたものだそうだ。
信長の比叡山攻めが歴史に残るほどに、比叡山を中心にした僧侶の権勢が大きかった歴史がうかがえる。

紅葉の見ごろとまではいかなかったが9キロほどの寺社巡りハイキング、歩数も13000歩ほどは歩いた秋の一日だった。
ふむ、ちかごろお出かけイベントブログになっている。ちょっと反省ってところだなぁ。

 

 

 

2019.10.11

男女7人秋の湯の山温泉旅

10月11日 旧交を温めた湯の山温泉の旅
P1160499_20191012001801
10月8日9日、過っての職場の友人たちと「湯の山温泉」一泊二日の旅をした。
「男女7人・・・」もうすっかり大人になっってしまった60代と70代の仲間たち。
ほぼ現職を辞し、子や孫のいる人たちばかりだが、いろいろな人生を過ごしてきたその過程は奥深い。

車二台に分乗して名古屋からゆったり一般道で三重方面に向かう。
途中「おちょぼ稲荷」で参拝し軽く昼食をとる。
昼食後は山道を超え宿泊する宿に向かうという、超「ゆったり行程」なのは、年代の面々ゆえのことか。

でもって、早めのチェックイン、早めの露天風呂、早め…ではないが、とても美味い夕餉。
夜の12時頃まで、歓談の花が咲いて・・・
「気の置けぬ仲間たち」という言い方がピッタリなのは、福祉職場という人生の酸いも辛いも甘いもに関わって仕事をしてきたからなのだろうか。

翌日はロープウエイで御在所岳に登る。
快晴であるとともに、お山は気温が低く寒い、台風のせいじゃないだろうが風も強く吹き飛ばされそう。
なんせご老体ばかりだから。そこそこで下山し、そのまま「蕎麦の美味い店」で昼食をとる。
なんともまあ、ゆったりとした旅路。宿でも車中でも話が尽きない。
こんな楽しい旅の二日間であったが、退職した後に切れてしまいそうな職場のつながりが、今でも続いているからありがたい。

ところで、湯の山温泉は、あの「男はつらいよ」の第三作のロケ地になっていたのを知った。
知らぬのは迂闊だったので、旅を終え帰宅したあとに保存してあるDVDであらためて鑑賞した。
マドンナは新玉美千代、旅館の女将。例によって例のごとく「ほ」の字の寅さんが、他人の恋路には世話を焼くが、自分ときたら・・・。
湯の山の町も1970年の時代。渥美清も若い、新玉美千代も美人であるし、当時から今もあるロープウエイも出て来る。

泊まった宿に「男はつらいよ50 お帰り寅さん」のパンフレットが置いてあり、今年の12月27日に公開という。
第一作の公開から50年だそうだ。

何年たっても変わらない旅路の面々、そりゃぁそうだ皆が同じだけ一緒に歳を重ねて今を生きている。
友人らに感謝だなぁ。

2019.09.14

車窓

9月14日(土) 

やっと秋らしい気候になってやれやれと胸をなでおろしている。
夏の暑さと冬の寒さが身体に堪えるようになったのは歳のせいか。

9月になって兄弟で一泊の旅にでて、その翌週には夫婦で「日帰りバス旅」に出かけた。
こちらの方は「星空ナイトツアー旅」だったが、あにくの曇り空の暗い夜空の鑑賞会だった。
まあ、それはそれで初秋の楽しい一日であった。

連泊をするほどの旅は生まれてこの方あまりない、ましてや外国など行ったこともない。
が、連休に外国に行く旅行客の姿をテレビでみても、凄いなぁ~とは思うが、それ以上の思いはない。
生まれつき貧乏性で、目新しいものよりも、ほぼ日常の生活の範囲のなかのちょっとした変化に喜ぶ性質なので、知人が一か月北海道を旅したと聞いて、そりゃぁ凄いなとは思うが、やはりそこまでである。

そんな性格なので、日帰り旅などでバスの車窓から見る町々の風景は、今日びはちっとも珍しくもないけれど、ちょっと家屋の庭に趣向があるのを見つけたりすると、そういうのが好きなのである。
なので、日差しが強いとバスの窓いっぱいにカーテンを閉め切って何時間も過ごすのは、なんともまあ「勿体ない」と思ってしまう。

バスや列車の窓からぼんやりと眺める。自転車に乗ってぼんやりと流れる風景を眺める。
移動手段というよりも、そのぼんやりとした景色を眺めながら、風景を考え、思考を整え、子どもの頃の思い出や、楽しかったことや辛かったことなどを思い浮かべたりする。
考える時間なのだと思う。

日々の雑残としたあれこれという情報の喧騒から遮断された時のようなもので、そこでは論理的にもなり情緒的にもなる。
どうもねぇ~、視覚や聴覚や与えられる環境ばかりが増えると、ちょっとだけ、そうしたものから遊離した「自分」というものに身を置きたくなるのである。

ふと思ったが、これは小説という世界に入って、あれこれ想像して楽しむという遊びに似ているのかもしれないと・・・。


Photo_20190914224502
【和歌山県串本市:橋杭岩】

Photo_20190914224501
【岐阜県中津川市:付知峡の不動滝】

2019.09.06

補陀洛渡海

9月6日(金)旅は道連れ・・・②

P1160392


春夏秋冬、なんとなく平凡な日々を過ごし、知らぬ間に歳を重ねる。
兄弟というのは幼い頃から同じだけ歳を積み重ねてるから、二才上の兄との距離はそのままなので、その年の差はどこまで行ってもそのままだが、果たしてお互いにあと何年生きられるのか・・・と、ふと考えてしまう歳になった。

旅の目的地の一つが「補陀洛山寺」だったが幾つかあった名所の中では際立った寺でもない。
小さな寺で本堂の横にこれまた小さな木船がある。
補陀洛渡海船(レプリカだと思う)というもので、補陀洛とは極楽浄土を意味し、そこへ行く渡海船がこれ。
ただし、これはこの寺の歴代の住職が入船したあと、しっかり釘打ちされ、そのまま沖へと曳航されたあとは、風のまま波のままなので、いわば即身成仏の船であった。

この「補陀洛渡海」を知ったのは浅田次郎編集の「見上げれば星は天に満ちてー心に残る物語」に収録されていた井上靖の「補陀落渡海記」という小説からだった。
仏教徒である僧侶、この寺の住職は何年か勤め上げた後に、補陀洛渡海船に乗って極楽浄土を目指す習わしだったが、そこは生身の人間のこと、様々な葛藤や悟りやはたまた諦めや・・・人間界からの死への旅立ちの話。

小説に登場するこうした場所や建造物などを、確認するように行ってみる。その逆に、そこを訪ねて知る「小説登場した舞台」。
どちらにしても、面白いもので、よく知られた社寺とは一味違う、小さな寺に伝わる補陀洛渡海の歴史に、なんとなく納得するのである。
この補陀洛山寺は、小説を読み終えてから、ぜひ一度は行ってみたいお寺だったので、今回の旅はここだけでも自分には意味があった。
小説と結びつく旅というのも楽しいものである。

2019.09.05

吊り橋

9月5日(木)旅は道連れ・・・①

P1160384_20190905234901

9月も始まった今週、すぐ上の兄と紀伊半島のバスツアーに行った。
お互いに退職して「隠居」の身だから、比較的自由がきくし、これで三回目の旅となる。

「旅は道連れ・・・」というが、誰々と連れだって出かけるのか、というのは案外、旅の一大要素かも知れない。
気心の知れた仲ならば、少々のことは笑い話になるが、そうじゃないといつまでも「あの時は・・・」と納得感も減るのだろう。

夫婦、兄弟、親子というのは、おおむね「笑い飛ばせる」仲であることがほとんどと言えるが。
いやまてよ、血縁関係であっても不仲はあるし、夫婦であれば、なおさらそもそも他人ってわけだし。
旦那と行くよりも気の合う友人との旅のほうが楽しいっていう話もあるから。
旅の道づれも難しいものだ。

【谷瀬の吊り橋】

和歌山県の真ん中ほど、十津川(熊野川)に架かる吊り橋で、地上54メートル、長さ297メートル。
この吊り橋の歴史を聞くとすごい。

戦後の復興期、たびたび洪水で流される丸太橋に困り、谷瀬の集落の人々がお金を出し合い自前で作ったという。
私財を出し合って、この吊り橋をかけ、現在でも村の交通の橋として使われ、同時に十津川村の観光名所にもなっている。
これみよがしに作る立派な「観光橋」とは、中身が違う、歴史が違う、心根が違う「吊り橋」というわけだ。

人一人すれ違うと少し揺れ、おお怖いと言いながら、さながら空中散歩の気分だった。


2019.06.04

曇り富士

6月4日(火)日本平から富士山を眺めた話

Photo_11

一週間ほど前の話を書いている。
もっとも三人目の孫が生まれ、娘と孫たちが実家帰りしていたので、ブログ更新も・・・何日ぶりだろうか。
で、5月の末に友人ら12人ほどで静岡県の「日本平」というお山と久能山東照宮、こちらは徳川家康が埋葬されているところだが、歴史のうんちくはどこかの本にでも書いてあるのでそちらを調べるとして・・・
「新緑のハイキング」の名目だったけど、新幹線、バス、ロープウエイと乗り継ぎ、ハイキングとうよりも「友だち旅」。
で日本平の頂上にある「夢テラス」という展望台から眼下に駿河湾と清水港があり、その景色の前方には雄大な富士山...
あいにくの曇り日でくっきりはっきりの富士ではなくぼんやりと。
デジカメでは富士の稜線すら撮れず以外なことにiPhoneのカメラでやっとどうにか写っていた。
古いデジカメだからかな、最近のスマホのカメラの優秀なこと。
しかし、富士山というのはとてつもなく雄大だと改めて思い、あの裾野の広がりはそんじょそこらのお山ではお目にかかれない。
眺めているだけでいいもので、たしかに神々しさとか存在感とか思う。
「お山」や「巨木」が信仰の対象たりえるのは、古来から変わらないその存在感にありそうだ。
不変、変わらないということの持つ意味だろうか。
人が創ることのできない自然の産物であり、何万年前からか知らないが日々流転しているような人間の暮らしとは比較できない存在。
「お山」信仰の神々しさってそういうことかなぁ~、神々が宿る富士山、ちょっとだけ納得してしまう。
そんな事を思いながらカシャとカメラで写したり、富士の絵を描いたりなんてのは、人間の勝手な行為でしかなくて、変わらないものは変わることなく、ただただそこにあるということかな。
日本一のお山とか、富士の根雪の白さが素敵だとか、稜線が素晴らしいとか・・・いろいろ説明しても、なんだかつまらない気がしてくるから不思議だなぁ。

2018.11.22

紅葉とSLと列車の思い出話

11月22日(木) 小さな夫婦旅

すっかり紅葉の素晴らしい季節になって天気に恵まれた一日を日帰り旅した。

遠くの国々や遠方の土地でなくても、ただ秋の一日を満喫できれば、どこだって素晴らしい。

というわけで、バスツワー旅の一員となり、大井川鉄道から奥大井湖あたりの秋の景色を楽しんできたので、まずは写真でもアップしてみるが、けっして「撮り鉄愛好家」でも「風景フォト愛好家」でもない・・・

P1160243
【大井川鉄道のSL】

P1160257
【車窓から見える大井川】

P1160249
【昔ながらの扇風機と蛍光灯、レトロな車内風景】

P1160300
【奥大井湖の鉄橋脇を渡り、急な階段を上がると・・・】

P1160316_2
【なかなかの絶景だった】

大井川鉄道のSL列車に初めて乗り、次に南アルプスの急こう配を上る鉄道から紅葉を満喫する、奥大井湖を眼下に眺めるというのが、行程のメインというわけで、普段ではお目にかかれないから、こういうのは小学生並みの楽しさといえる。

SLはあのブォォーという汽笛が懐かしく、客車の窓や車内の匂いが「昭和の香」といえば言えるのだろう。

芥川龍之介の好きな短編「蜜柑」を思い出す。まだ蒸気機関車が全盛の時代の一人の少女のしぐさととそれを見る主人公の心模様が浮かび上がってくるような客車風景。
心のタイムスリップとでも言うべきか。

そういえば幼い頃、信州の郷里に帰る母に連れられて飯田線に乗った記憶がある。
あの頃もモクモクと煙を吐く列車の中にその隙間から入り込む煙の独特の匂いがあった。
トンネルの数を百幾つか数えながら、何処まで行くのかわからずに車窓を眺めていた思い出である。

あの頃の思い出に会えたのは幸せだと思う自分がいるが、そんなこととは別世界のごとく「紅葉がきれいねぇ」とスマートホンで撮ってるいうカミさんがいる。
それもいつかしたら「思い出話」となるのだろう。



2018.11.11

なんと素敵な秋の空

11月11日(日) 奈良ハイキングの旅

P1160182

「なんと(710)素敵な平城京」

歴史の年号の語呂合わせでこう覚えたと、友の解説に...そんなの知らなかった。
なんと(710)出来の悪い学校生活、あはははは。
11月10日(土)、友人らと近鉄電車に乗って奈良へとハイキングの日帰り旅。

奈良盆地の空は広い!ビルに遮られた空ばかり見てると、なんと素敵な秋の空とつい言ってしまう。

近鉄大和西大寺駅を降り、平城京のあった宮跡めぐり。
ひろい旧跡に大きな唐様式の復元建築物をみる。
広い敷地なのでのんびり歩くと時間もゆったり流れるが、ここは自転車でぐるりと散策すると楽しそう。

大極殿から朱雀門、どちらも復元建築物でところどころに工事現場のような鉄骨物があるのは、ここ全体を一大「平城宮跡」とするのだろうが、まだまだ日数はかかりそう。
でもって、あ~でもない、こ~でもないと話しながら歩く秋の空の下。

ここ平城宮跡から「唐招提寺」へと歩くがどれほどの距離だったか?遅れがちに最後尾を歩いて着いた先は古民家造りの食事処、昼食である。
「旅は道連れ世は情け」こういう風情のある食事処を見つけてくれる友の、なんとまあ、ありがたいことか!
旅は道連れ・・・連れられて、のんびり歩く、幸せ感。感謝感謝。

美味しい食事のあとは唐招提寺へ、国宝の金堂、大きな薬師如来像や菩薩像など、国宝級の像はその存在感に圧倒される。
細かなことはよくわからないが、どんなに見ていても飽きないように思われる。
飽きない流れのなかで、ここの開祖「鑑真大和上」の廟へと向かった。

「復元」もそれなりの意味はあると思うが、1000年のときを超えて今も存在する建造物や仏像の数々は、解釈や意味を超えて、やはり魅了される。

というわけで、最後の目的地「薬師寺」へと歩く。
あいにく「東塔」は改修工事中で見ることが出来なかったのは残念だった。
10代の終りころ、友人と二人でこの東塔を見に来て、どこかの安旅館に泊まった、貧乏時代が懐かしく思い起こされたので、やはり残念だった。

ハイキングとしては12キロほど歩いただろうか。このところ、夜な夜なウォーキングを続けているので、まだまだ歩けそうだった・・・エッヘン!! (笑)

2018.05.30

新緑ハイキング

5月30日(水) 京都「哲学の道」周辺へ

日曜日に友人らと9名で京都の新緑ハイキングに行った。
過っての福祉職場の仲間たちと、こうして出かけられることに感謝し、退職して社会の接点も減るなかでは、ある意味、安否確認・近況報告会のようなものかもしれない。

五月新緑の季節、木々の若葉が輝き、老い行く目にはとてもやさしい。
旅に出て、旅ではなくとも皆スマートホンやデジ・カメを手にし写真を撮りまくっている。
「こんな構図がいい」とか「これは珍しい」とか、インスタ映えするものを探すに余念がなさそうだ。

撮った写真をどうするか?LINEで友達に送る、フェイスブックで「いいね」をもらう、インスタグラムで公開する・・・それも「いいね」(笑)
皆がどんどんと摂りまくればいいと思っている。
カメラやフィルムが高価時代から一億総カメラマンの時代になって、あれこれ理屈を言う暇もなく、みな「芸術家」になった。

そうして撮った写真をスマホやハードディスクに仕舞い込むのはもったいないので、もう一度見返すぐらいの愛情は欲しい。

風景をみて写真に収めるけれど、人の手が加わり現実の風景ではない・・・と思うので、加工された風景だと思う。
絵を描くことや俳句をひねることや小説で描写することとほとんど違わない。

などと持論をのべたてても失笑を買うだけだが、ただ一つ「時代が映り込んでいるか?」ってことをいつも気にする。
パッと「平成の今」を撮れば時代なのかというとそんなものでもない。
今という時代を生きている自分の感情が映り込めればいいなぁ~と思う。

というわけで、もっとも嫌われるおじさんの第一位は「くどくどモノを言う人」らしいので、このへんにして「新緑ハイキング」の写真もアップしてみる。

「目に青葉・・・」というだけの写真ですが。

Photo_2

Photo_3

Photo_4

Photo_5

名古屋(新幹線)➡京都➡銀閣寺➡哲学の道➡永観堂➡青連院➡京都(新幹線)➡名古屋 
8キロほど散策したと思う日帰りハイキング。


より以前の記事一覧