2017.05.28

新緑ハイキング

5月28日(日) 高雄・清滝川ハイキングで心の洗たく

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5月27日の土曜日、京都の高雄・清滝川の東海自然歩道ハイキングに行った。
昔の職場仲間から声をかけていただき、11名の日帰り旅。
8時前の新幹線こだまで京都駅へ、そこから市内バスで高山寺へ行き、ここを起点に高雄・清滝川に沿ったハイキングコースで、終着は嵐山というもの。

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【指差す先は刹那・西明寺かな】


この季節、目に飛び込んで来る新緑が心地よい。昨日の大雨が嘘のように晴れ上がりハイキング日和の1日だった。
20代から70代までの過っての職場の友人という顔ぶれは、歩きながら笑顔、話しながら笑顔・・・屈託のない初夏の香りが爽やかな新緑の間からこぼれ落ちる。

清滝川の清流に沿って山道を歩く。少々の上りもあれば下りもあり岩場に足をとられないように気を付けながら、視線は日差しに輝く青葉へと向けられる。
京都の洛西、市内から一歩踏み込めば、こうした自然があるという、これも京都の魅力の一つに違いない。

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【木漏れ日も青々として】


初夏から夏にかけて「目には青葉山ほととぎす初鰹」なんて江戸っ子が好んだ俳句の情緒も思い起こされる季節。
ほととぎすではなくてウグイスが鳴いていた。それよりもカジカ蛙の鳥の声かと紛う鳴き声に「ああ、これがカジカの声なんだ」と妙に感動もする。
ここらにはオオサンショウウオも生息するらしい。
目には青葉 山カジカガエル 握り飯 なんちゃって、語呂が悪いなぁ(笑)

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【杉木立の中をハイキング】


おおむね10キロのハイキングコース。京都駅で仕入れたコンビニ弁当も木漏れ日の下で食べるのは、それはそれでおいしいものだ。
午後の3時前には嵯峨野に着く。小洒落た茶処で清涼の一服、冷たいトコロテンわらび餅を胃におさめて、祇園寺を拝観する。

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ところてんわらび餅も美味し】


若い娘さんたちは元気だが足が痛いと、年寄りたちは足腰の痛さを隠して平然そうに(笑)。
退職して6年を迎えるが、年に数回とはいえ、こうして一緒に一日ハイキングが出来るってのも不思議な縁だしありがたいものである。

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【嵯峨野の古民家保存地区】

 

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2017.05.12

天橋立

5月12日(金) 兄弟旅をした話②

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【展望台から眺める天橋立】

舞鶴引揚記念館から40キロ弱ほど離れた天橋立に旅の宿をとった。向かう途中の「赤れんが博物館」に立ち寄る。
ベルリンの壁とか万里の長城とか珍しいれんがの展示があるが、興味のある人には唸らせるものがあと思うが、すこしマニアック過ぎて頭がついて行けない。
とはいえ、知らないこと知らないものを見るのはシニア世代には頭の体操としてはとてもいい。

30分ほどで博物館を出る。高速は使わずに一般道を車で走る。
舞鶴市から宮津、天橋立は自転車で走るのもよいと思っていたが、けっこうなアップダウンもあり、くねくねと道もつづら折りで、ここを自転車で走るのはちょっと無謀そうだ。

日本三景の一つ「天橋立」は初めて来る観光地。宮島、松島と並ぶ名所だが、観光客でひしめきあうほどでもない。GW明けの平日とはいえ、きっと東京ディズニーランドとか東京スカイツリーとかいった「テーマパーク」に観光客の足は向くのだろう。

景色・風景もそれはそれで見応えがあると私はおもうのだけど・・・20年ほど前に兄は一度この「天橋立」に来たというが、それほどのものはなかったと。
宿のホテルに荷物を置き、「美味い海鮮丼」でも食べに出たが、午後の5時過ぎには人出もなく店も閉店しているところが多い。

松林に立つ「天橋立」を少し歩く。学校を終えた学生さんの通学自転車に出会う。なるほど通学路にもなっているのだ。こういう風景はどこにでもある海岸線の松林。
日も暮れようとする松林のなかに与謝野晶子の歌碑が建っていたが内容は忘れた。

後で知ることになったが、天橋立は上空から、山の上から眺め、その全貌を知って、なるほど「これが天橋立なのか」とわかるのである。

海鮮丼の旗の立つ店に入る。ちょっとした魚卸のような小さな店で、まあここしかないから、当たりかそれとも外れか・・・どちらにしても店が開いてないからしかたない。
なかなか新鮮で美味しい海鮮丼で、お値段と相談しても当たりだった。

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【ホテルの庭の松と天橋立】

兄弟でこうして旅の宿に来ることもそれほどない。この歳になって少し人生の余裕ができて時間だけは追われることもないからか。

夜遅くまで、とりとめのない話をして思うのは、兄弟というのはやっぱりどこか似ているところがある。学校を卒業してそれぞれの家庭を持ち、それぞれの環境のなかで何十年と生きて来たわけで、生活習慣も考え方もそれぞれではあるが、どことなくよく理解できるのである。まあ、兄弟というのはそういうものなのだろう。

朝。天然温泉の朝風呂に入り、近頃ホテルでは定番の朝食バイキングを食べ、近くの展望台に上がることになった。

モノレールで数分の天橋立ビューランドである。昨日はよく晴れていた空模様も今日は曇りなのだが、それでも「絶景」である。
晴れていればもっと遠くまでしっかり眺望できるのでちょっと残念。

「股のぞき台」なるものにのって、股の間から天橋立を覗いてみると、おお、けっこう幻想的な風景が広がってるなぁ~と、子どものようなハシャギ。

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【股のぞきしてみる】

昨年、イグ・ノーベル賞を受賞した東山教授のいう「小さく、縮む」効果か、絵画的な平たんな風景に見えるのである。
まあ、昔から「天橋立股のぞき」が風習としてあった訳が頷ける。

というわけで、あちこちタイムスケジューに追われることなく、ゆったりと珈琲なども飲んだりして、さて山を下りて車で帰るばかりの「天橋立」旅であった。

ゆったり、のんびり、仲良くが旅の楽しさである。

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2017.05.10

舞鶴引揚記念館

5月10日(水) 兄弟旅をした話 ①

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♪母は来ました今日も来た この岸壁に 今日も来た
 届かぬ願いと知りながら もしやもしやに もしやもしやに ひかされて
 
 「又引き揚げ船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない。この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか・・・」 (岸壁の母)

第二次世界大戦後のシベリア抑留からの引き揚げ船、まだかまだかと帰らぬ息子を待ち、引き揚げ港であった舞鶴港に来ては涙する「岸壁の母」の歌。

亡き父と母が満州開拓団員として満州とシベリアから引き揚げた話を聞いた子どもの頃に、この歌は耳にしていたが、舞鶴港の岸壁に立つ母の切ない歌だと知ったのは、後のことだった。

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【展示室の入口:シベリア抑留写真】

ここに「舞鶴引揚記念館」があると言ってたのは、当時一歳で母親と開拓団村から引き揚げてきた長兄だった。
5月の渋滞するGW明けを待ち8日、9日の両日、すぐ上の兄とこの舞鶴の引き揚げ記念館を訪ねることにした。

名神高速道路を兄の車に同乗して昼頃には着いた。
展示は一時間ほどで見終えられるほどの規模と聞いてたが、シベリア抑留に関する展示もあり、父と母の足跡の一部でも分かればという思いだった。

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【臨時招集令状:戦争末期は染料も不足し「赤紙」も赤くはない】

興味深い展示品も数々あった。「赤紙(臨時招集令状)」、抑留中の服装品や道具」、「援護局発行の証明書」などなどは、父と母の当時を思い起こす品々で、戦争の歴史の記念館はいくつもあるが、いっそう身近なものだった。

兄と展示を見ながら、数少ない母の残した言葉を思い出していたら、記念館の「語り部」の方から声をかけていただいた。

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【大陸日本築け若人の義勇軍募集ポスター、辛くなる標語】


展示の品々の説明も初めて聞く話もあり、こういう説明はありがたい。新しく知り得たこともいくつかあった。
昭和21年末の母の引き揚げ船が着いたのは、ここではなく実は舞鶴西港だったと思われること。
引き揚げに使われた船は「V型」と言われる船舶だったこと。60万人余の引き揚げにはさまざまな船が必要だったという。

引き揚げ者は舞鶴市内で「引き揚げ証明」と食料券を受け取り数日滞在した。父母は出身地の信州へは京都経由して帰郷したと思われる。

当時の舞鶴市は爆撃の被害が比較的少なく、引き揚げ者への親切な対応を可能としたそうで、この舞鶴で幼児を抱えた母は安堵の思いだったのだと思う。

引き揚げ者の身元不明の遺留品など、現在も何万点も厚生労働省に残され保管されているというお話で、照会すれば何らかの手がかりがあるかも知れないと説明いただき、後日資料請求の手紙を出そうと思う。

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【白樺日記:命がけで思いを綴ることの意味・・・】

「白樺日誌」という世界記憶遺産登録資料が展示されていた。
紙の代用で白樺の樹の皮に煤を水に溶かしたインクを空き缶の尖った先をペン代わりに、日々の生活や歌を綴ったものだった。

検閲や統制をくぐり抜けて持ち帰られたと言う。極限下でも人間は知恵と工夫で、自由な意思表現を残すことができるという、圧倒される存在感があった。平和であることの尊さを身に沁みて感じた。

そういえば昼飯は記念館内にあるカフェで、自分は「引き揚げうどん」兄は「海軍カレー」を食べた。とくに「これ!」ということもなかったが、こういう記念館でそれらしい名のついたものに、雰囲気だけは旅気分といえた。

語り部の方の名前はお聞きしなかったが、この方も母と子で引き揚げされたとおっしゃっていた。引き揚げの話は子らよりもそのお嫁さんに案外話している場合がありますよと。

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戦争体験者が少なくなって、戦争を知らない世代がほとんどとなり、こうした話を聞く機会も減って、語り部の方のお話はとても貴重で感謝いっぱいだった。

記念館での見学を終え、兄との記念写真も撮り、川を挟んだ向こうにある「復元引揚桟橋」を見学に行く。

復元桟橋なので当時の桟橋は湾の奥にあったらしい。水深が浅く引き揚げ船は湾の途中まで、そこから小型船に乗り換え、懐かしい日本の地を踏むことになったようだ。

舞鶴港は昭和20年の第一船の入港から昭和33年の最終船まで、昭和25年以降は唯一の引き揚げ港として、60万人余の引き揚げ者を受け入れ、その内に私の両親とまだ幼かった長兄がお世話になったのである。

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【復元引揚桟橋:たしか「こころ旅でもここを訪れていた】

桟橋から見る風景は穏やかそのものだった。その湾内に「引き揚げ船」が停留し、そこから小型船に乗り息子を抱いた母の帰還する安堵の眼差し、この桟橋に立つとそんな錯覚も不思議とは思えない光景なのである。

「舞鶴引揚記念館」を見学するという目的は終えることができた。厚生労働省への資料請求の方法も教えていただいた。短い時間だったが「語り部」の方のお話も伺えた。充実した旅だった。

今回は舞鶴まで来たのだから、ついでに日本三景の一つ「天橋立」まで足をのばし、のんびり一泊旅にする予定なのだ。 (つづく)








 

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2017.02.14

レトロ旅 ②

2月14日(火) じゃぁ鎌倉へ行きますかぁ

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【江ノ電 長谷駅】

前回の続きのレトロ旅です。
旅の朝はどんなに疲れていても早起きできるのは不思議なもの。宿泊したビジネスホテルは平日とあって客も少ない。そのおかげで予約したよりも広いファミリー向けの部屋に変えてくれたが、二人では広すぎて落ち着かない。貧乏性なのだと思う。

朝食をすませ、妻のスマートホンの路線案内に従って横浜から鎌倉へと向かう。東京も横浜も地面にぎっしりと隙間なく住宅がひしめいている景色が列車の窓から見える。ほんとうに「ぎっしり」とマンション群も並ぶから、いやはやなんとも・・・

一つ路線を乗り換えて鎌倉駅に着く。途中から修学旅行だろうか学生さんたちも乗り合わせなかなか賑やかな車内だった。
駅からほぼまっすぐにのび鶴岡八幡宮への道を歩く。「小町通り」と看板にあるが、まだ両脇の土産物店は閉まっている時間だった。
学生さんたちは楽しそうにおしゃべりに余念がない。修学旅行なんて目的地なんてどうでもよくて、その道々のハシャギ具合が楽しいのは、今も昔もかわりない。

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【鶴岡八幡宮】

境内で木の枝を伝うリスがいて、スルスルと私のズボンから肩越しまで這い上がってきた。リスも人馴れしている。もっとも「なんで、私のところには来ないのよ~」と家人のブツブツも聞こえたが。
しかし、なぜに源頼朝はここに鎌倉幕府を置いたのか・・・ここより北の大東京は、そのころは大いなる田舎だったからなぁ~、などと他愛もない話をしながら歩くのも楽しいのは、修学旅行の学生さんと同じ。

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【長谷寺】

「江ノ電に乗る」というのが目的の一つ。狭い路地のような線路を走る「江ノ電」は、何かわからないが風情がある。線路わきには民家の門があって、なかなか面白いものだが、電車は乗るよりも、走る姿を眺めるほうが、きっといいのだと思う。

鎌倉駅から長谷駅まで、そこで降りて「長谷寺」に向かう。学生さんたちもいる。少しづつ外国人の姿も増えてきた。
昨年の梅雨時、鎌倉の長谷寺のあじさいを見たいものだと話だけは出たが、話だけで終わった「長谷寺」である。
2月という時期は中途半端な季節、それでも折々の花が咲いてはいたが、なんだっけ。

長谷寺を出て「オルゴール館」のような店に入る。こういうオルゴールとかガラス細工というのが妻は好み。まあ、あまり自分には理解できない嗜好の範疇だが、客は誰もいない。
そそくさと出る。客がひしめき合うのもなんだが、誰もいないというのも居づらいものだ。

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【鎌倉の大仏】

鎌倉の大仏があるのは「高徳院」ここは懐かしい。修学旅行の記念写真を撮ったばしょでもある。クラスがまとまって記念写真におさまったという懐かしさ、もちろんモノクロ写真の時代である。

昼は駅までの途中にあった「海鮮丼」の店に入る。私は海鮮丼、妻は・・・「ケーキセット?まだやってないのですよ」生ものNGの妻は紅茶だけ。「悪いねぇ~、江の島に着いたら、美味しいものを食べ直そう」。

長谷駅から江ノ電に乗り江の島にむかう。湘南の海が広がる。七里ガ浜が見える。
ブラボー!!と言いたいところだが、曇り空、暗雲も広がり始めている。それでも、このくそ寒い季節というのにウインドウサーフィンをする御仁もいらっしゃる。
さすがに湘南の海!ということは間違いないし、かっては若者だった私らも、それなりに雰囲気は楽しめた。

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【湘南海岸 七里ガ浜】

江の島駅を降りたころから、雪交じりの雨となる。江の島までの道のりを震えながら歩く。
とびが食べ物を狙ってます、注意と看板が目につく。たしかにとびが弧を描いて頭上に。
「とび」「とんび」?、「とび」も「とんび」も同じなんだろ?「とんび」だろう?
まあ、だいたい旅にでて、交わす会話なんて、そんな他愛のないことだが。

「えぼし岩があるはずよ」と妻が言う。烏帽子に似た岩らしいが、どうもよく分からないが、サザンの歌に出てくるらしい。
「ふ~ん」、まあねぇ、ミーハー旅がしたいと言ってた君だから、えぼし岩ねぇ・・・

「江ノ電サブレ」お土産に一つ買う。
寒さも増してきた。湘南モノレールで大船駅・横浜・新横浜へと乗り継いで、新幹線で一路名古屋へと戻るだけである。
旅をしめくくるように、行きには曇りでまったく見えなかった富士山が車窓から少し見えたのは幸運だった。「ねえ、ねえ、ほら雲がかかった富士のお山が見えるだろう!」

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【新幹線の車窓から】

番外編
大東京。首都、文化の中心、少なからず東京という街は、地方都市からすれば何かわからないが特別なところに思われる。
何がと言われるとはっきりはわからないが、もし自分流に「東京の魅力」というものを考えると、これだけは魅力と思うところがあるとしたら、好きで読んでいる小説の舞台は、やはり東京が多い。

「はとバス」のガイドさんが「銀ぶら」の語源について、「若者たちが銀座をぶらぶら・・・」そのひと昔前の時代、物書き、作家らが少し暇にまかせて、銀座でブランデーを嗜む、ということが「銀ブラ」だったと話してくれた。

もう今はそんな情景などありはしないだろうが、小説の端々にでてくる東京の街、地名というのは、どことなく文化の香りがするものである。コンクリートばっかりなのに。

※お上りさん写真はだいたいこんな写真を撮るだろうと載せました、ツッコミ不要です(笑)

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2017.02.12

レトロ旅 ①

2月12日(日) 「お上りさん」

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【大東京駅】

地方に住む者が大都会に行ってみたいというカラカイの言葉であるが、その「お上りさん」を2月9日、10日に夫婦でしてみた。
折悪く、全国的な寒波と雨まじりの雪となった二日間。それでも日頃は旅なんて縁もあまりないので、雨であろうが雪であろうが二人で行くことに意味があって、さほど関係なかった。

アラスカのオーロラを見に行く、外国の観光地に行く・・・、大東京だって今日びはスカイツリーや東京ディズニーランドである。
「はとバス」に乗てみようか、鎌倉の「江ノ電」に乗ってみようか、「ミーハー旅」をしてみたいという、今では「死語」のようなレトロな観光地巡りをしてみたいというのが、妻の勤続○○年の祝いでもらった旅行券の使い道となった。

朝、ぐずついた天気のなか7時少し前の新幹線に乗り東京駅を目指す。昨夜買ったチョコレートや菓子のたぐいを鞄に入れるのは修学旅行のそれに等しい。新幹線も何年かぶりなので、そういうところも「お上りさん」情緒で悪くはない。
東京には2時間もかからない。「あんまり早く着いてしまうのも情緒がないわね」と妻は言うが、もう今はゴトゴトと数時間かかって行く列車の旅など、どこにも走っていない。

「はとバス」で観光地巡り。なんとなくレトロな香りがする。大東京の観光名所、東京タワー、浅草の浅草寺、隅田川の舟下りというのが本日のご予定。
これに国会議事堂とか皇居とか入れば、その昔に行った修学旅行のコースそのものだけれど、べつに「どこでもいい」のが今回の大東京観光地巡りだ。

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【はとバス】

しかし、大東京というのは平日の朝、出勤時間でもあり人が多い。鉄道も網の目のようで迷う。「はとバス」乗り場にもすんなりと行けないのは、これも「お上りさん」。
これだけの人が迷うことなく、当たり前のように流れていく景色は、とても住んでみたくなる街とは思えないが、それも地方に住む人間の感想だろう。
もっとも、若者たちは大都市も地方も関係なく、情報を熟知し、あっという間に慣れるのだと思うが・・・

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【東京タワー】

高層ビルが乱立するので東京タワーから見下ろしても、さほど高さを感じない。修学旅行で来て上った何十年も前の記憶では、高い鉄塔だと痛感したものだったが。
曇り空、午後には小雪になるだろうというのが天気予報。視界はさほどよくはないが、それでも大東京のゴチャゴチャしたビルや1000万人も暮らす密集度はよくわかる。

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【浅草寺・雷門】

浅草の浅草寺の「雷門」からスカイツリーの下方だけが見えるが、その上は霞がかかってよく見えない。せっかくのスカイツリーの観光客は一寸先は霧だらけだろうと思う。
中国語と韓国語が四方八方から聞こえてくる。土産物売り場は「日本的文化?」着物や忍者や、それとなく外国人向けのものばかりなので、こういう観光地も外国人向けであって、きっと東京に住む人はさほど来ないのだろう。

妻がカンザシをひとつ買う、自分への土産のようだ。僕は欲しいものなどないので、ひたすら後をついて歩くぐらいだ。
疲れたので、参道わきのレトロな喫茶店に入る。コーヒーが500円、相場の値段なのだろうか、喫茶店文化は間違いなく名古屋の方がいい、だいたい100円は安い。

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【隅田川(日の出桟橋と観光船】

雪交じりの雨が降り出して寒い。観光客をよけながら隅田川の観光船乗り場に向かう。
「隅田川舟下り」というのだが、期待したほどの情緒もないのは後部座席のエンジン音の喧しさと、降る雨のせいだろうか。いくつもの隅田川にかかる橋や川の両側の蔵前、両国、浜離宮などなどガイドさんの説明も切れ切れに聞こえてくるが、まあこんなものか。
「情緒」などというものを期待するほうが間違っている。
聞き覚えのある大東京の地名にふさわしい高層ビルや橋が天井の透明の窓を流れて行く。ふむふむ・・・と、30分ほどで日の出橋桟橋に「とおちゃこ!」

大東京観光巡りはこれでおしまい。「はとバス」のガイドさんが「コンクリートジャングルと言われる東京にも、浜離宮やそうした緑もあり、それなりの四季があるのですよ」と言ってたのが印象に残る。
地方から来て観光地を駆け足で巡ると、四季とか情緒などの欠片も見られないが、ここに住む人々には、それなりの季節もあるのだろう。ふむ、まさしく「お上りさん」らしい感想だ。

今日はこのままJRのなんとか線に乗って、横浜のホテルに行く予定だ。
すっかりスマホの路線乗り換えアプリを使いこなせるようになった妻が時刻を調べる。
地図はからきし苦手なはずで、一体全体、大東京のどこらに居るのかさえ分からないが、目的地への執念はすばらしい。

言われるがままに、ついて歩く、ついて電車に乗る・・・というのも楽しいものである。
なんたって「勤続○○年の祝い」費用は妻が用意したもの、「はとバス」の観光費用はささやかな自分からの祝い。

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【横浜 中華街(関帝廊】

夕方には横浜のホテルに着く。横浜の中華街に雨の中繰り出す。ここは二人とも初めて来た観光地なので、地図をたよりに歩いた。中華なんとかも食べた。あとは、ホテルにもどり寝るだけである。明日は鎌倉に行こう!ということだ。
旅。行ってみたいところというのは「住んでみたい」と思えるところだと常々思う。
どんなに風光明媚な観光地でも、どんなに有名なところでも、「住んでみたい」と思う場所には勝てないのである。

※お上りさんフォトなので、誰しもツッコミはいけません(笑)

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2015.11.17

旅情

11月17日(火) 御嶽山麓と大正村

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【牧尾ダム湖】

昨晩降り続いた雨も今日は上がるだろう。
旅先で雨にたたられたら、せっかくの旅も台無しだと、普段より少し早目の宿の朝食を済ませ、まだ朝もやの残るデッキに出ると、視界を遮る霧の間に樹木の黒い肌が浮かびあがる。
なんとも言えない山麓の朝は、とても幻想的である。

出発までの少しの間に靄にかき消された御嶽山を背景に記念写真を撮る。
もう何回撮ったことだろうこの場所で。
記念写真も、年々顔ぶれも変わり、いや同じ顔ぶれも歳も重ねて変化して行く。
歳月の過ぎ行く早さを思い、それでも今年の顔はやはり今年の顔である。

三台の車に分乗して深まりゆく秋の御嶽山麓の細い道を右に左に体を揺らしながら下って行く。
雨も少し上がり始めた。
山肌をおおう木樹はすっかり紅葉に染まり、その色合いの美しさは都会の街路地の申し訳なさそうな紅葉とは格段に違う。
山麓の秋のうつろいは一枚の絵のように、車の窓ガラスのキャンバスに映し出される。

耳を刺すような気圧の変化は、たしかに車が1500メートルの高地から降りているのを感じ、眼下の山並みにかかる雲も、わずかづつだが上へ上へと昇る。
中腹の牧尾ダムが山から注ぐ水をせき止め、湖の表情をしている。
静かな水面に御嶽山麓が逆さに写り、まだ上がりきっていない雲が、柔らかな真綿のように浮かんでいる。
どこか遠くの外国に来たような風景。静寂に包まれた朝のひとときである。



週末に友人らと御岳山麓と岐阜県恵那市にある「大正村」へ行った。
標高1500メートルの御嶽山麓の宿はさながら合宿の雰囲気であり、翌日に大正村を見学したが、大正時代からの古民家が残り、そこに当時の建築物を移築したもので、いわゆる現代の区画されたテーマパークとは少し雰囲気が違う。
懐かしい大正時代の雰囲気であるが、もう「昭和時代」しか知らない面々なので、きっと懐古譚を語れる人もいないし、大正と昭和の雰囲気の区別も怪しいのである。
一々あれこれと写真を載せても切がないし、あまり面白くもないので、そういうのはパンフレットや旅の情報紙に譲るとして、気に入った写真だけ何枚か「おまけ」程度にアップしてみます。

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【車座になって・・・昔の修学旅行のような合宿のような。ぼかし写真】

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【記念写真風景 御岳山は見えません。ぼかし写真】

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【大正村資料館 民家の三階建ての蔵だったのでしょう】

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【自動自転車】
 おもちゃ資料館の未来の自転車の絵ですね。エンジンでプロペラを回して前に進むようですが、大正時代です、子どもの夢の乗り物です

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【大正時代の自転車】
エンパイヤ号と言うらしい。ほぼ100年前の時代に発売された自転車の構造が今のそれとほとんど変わっていません。

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【銀幕のスターたち】
大正村の初代村長が高峰三枝子さん、二代目が司葉子さん、そして現在は竹下景子さんです。ちょっと懐かしい映画ポスターと俳優さんらが飾ってありました。

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2015.06.30

梅雨どきの旅

6月30日(火) 生駒山の紫陽花ハイキング

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【あじさいの散歩道】

梅雨のこの季節、ちょっと出かけるとなると、空模様とにらめっこになる。
雨が降る・・・かも知れないし、梅雨も一休みしてくれるかも知れない。

そんな梅雨どきは、しとしと雨にうたれる紫陽花の咲く古寺や、小京都の古いたたずまいの喫茶店などで、格子越しに行き交う旅人を眺めたり・・・。
そういう旅ならば、梅雨の季節のちょっとした情緒だと思う。

あじさい寺を目指す予定を変更して、先週末に奈良と大阪の県境にある生駒山に行った。
ここは「あじさいプロムナード」で知られたところで、プロムナードと言われるだけに、くねくねと曲がった散歩道の両脇に25000株のあじさいが咲いている。

天気は曇り、空には怪しい黒雲が広がっていたが、少し降られた程度の一日だった。
忙しい日々の合間の息抜き、命の洗濯、ストレス解消・・・まあ、理屈はいろいろあるけれど、歩くこと9キロほど、道に迷いながら生駒山のてっぺんから大阪市への下り道のハイキングでもあった。

そんなわけで、あじさい写真も撮ったし、弁当も食べたし、峠の茶屋で抹茶のティタイム過ごせたし、けっこうおもしろい一日だった。
ということで、ここからはスナップ写真の展覧会(笑)

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【ガクアジサイ】

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【ミセスクミコ】

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【先行く人・・・花の名前じゃなくて】

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【竹林、都会ではもう見られません】

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【暗峠の石畳、これでも「国道」なのだから驚きです】

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【暗峠の茶店で抹茶をいただいて、コースで唯一の茶所】

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【棚田もあったりして】

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【枚岡山展望台から眺める大阪市街、遠くにあべのハルカスのビルも】

やはりねぇ~、日々のコンクリートとアスファルトの暮らしから離れて、自然の中で一日過ごすのは楽しいものだけれど、ほんとうの自然ってのはもっともっと厳しいものだろうと。
それでも、ぬかるんだ道を歩き、竹林を抜け、雑木林を歩んだ一日は、ちょっとだけ自然に溶け込んだ気持ちになるものだと思う。

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2015.04.17

吉野山

4月17日(金) 吉野山(奈良)の千本桜を見に行った話(4月15日)

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桜の名所と言われる「吉野山の千本桜」。
下千本、中千本、上千本・・・かろうじて上千本の桜が申し訳なさそうに少し咲いていた。

しかたがない。
毎日が日曜日なのは自分、仕事の都合で4月の中頃までは休みもとれないカミさん、という制約もあって、一か月以上前にこの日と決めていたから。
桜が散るのを待っていてくれるはずもない。

「桜はねぇ、咲きはじめも満開も散りぎわも葉桜だって、すべてがいいものですよ」と岩倉市の五条川の桜の樹の下で露天を出していたおじさんが以前に言っていた。
そこまで達観したさくらの鑑賞には修行がたらないので、やはり満開の吉野山のさくらを見たかったものだと・・・

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子どもの頃、兄たちと百人一首をやったものだが、そのなかの一つにあったのがこんな歌。

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 (坂上是則)

明け方の月明かりの庭を眺めると雪と見紛ってしまったという意味だけど、それが吉野の里、ここは古くは天皇の離宮があったところなので、静寂でどことなく平安貴族の浪漫の香りがしないでもない。

まあ、そういう吉野の里であり、修験者の山であり、下、中、上と山肌に桜が賑わい、山頂に向かって、桜の開花が進んでゆくと想像するだけで、実に嬉しくなってしまうものである。

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今年は3月に暖かい日が続き、桜も例年よりは散るのも早かった。
たっぷりと歩く時間があって、ひたすら上千本の桜はどうだろうか?と思いながら歩く。
満開の時期ならば、それはそれは素晴らしいのだろうと散り終えて桜の枝を眺めては、想像力を働かせると・・・

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元々は、のんびり桜の遊山のつもりだったので、葛湯とさくら餅を食べたり、葛うどんを食べたり、珈琲でティータイムを過ごしたり、ああ平安の浪漫とはかけ離れた「たません」を食べたり、持ってきたおやつを食べたり、柿の葉寿司を食べたり・・・
食べて歩いて、食べて歩いて一日が過ぎて行った。

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朝は小雨が降っていたけれど、昼ごろからは晴れ間もでて、のんびりしたハイキングとなった。
しかし、今年の花の見ごろは、ぐずついた天気の日が多く、天気図とにらめっこをする日ばかりである。


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2014.09.22

木曽御岳山麓・信州プチ旅行

9月22日(月) やはり修学旅行気分だと思うのですが・・・

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【澄みわたる空、御嶽山麓の朝の一コマ】

秋になり涼しくなると、都会の喧騒から逃れて山麓や田舎の風景が似合うもので、この週末の土曜日と日曜日に、長野県の御岳山麓の宿で一晩すごし、信州伊那のリンゴ狩りに行ってきた。

季節的にはサイクリングだが、車に相乗りして老若男女10名のプチ旅行だった。
過っての職場の面々、今年で3年目になる秋の恒例行事のようなもので、さながら修学旅行気分だったと思っている・・・

生き馬の目を抜くような、伏魔殿のような、ブラック企業のような、そんなサラリーマン職場が少なくない現代の職場実情にあって、昔の職場ではあるが「仕事」を通じて、年齢も隔てた旧友が集う小旅行というのは、ある意味「不可思議」なものだと思う。

午後名古屋を車二台に分乗して御岳にある宿に向かう。
旅館でもホテルでもないちょっと年季の入った宿・・・、なので旅行費用はリーズナブル。
今どきトイレなしの部屋というのも珍しいが、そういうレトロな雰囲気も「修学旅行気分」にはもってこいかも知れない。

さっさと夕食を済まして、真っ暗な夜道を二つの懐中電灯を頼りに近くの展望台に向かうと、新月の空に星が浮かぶ。
目が慣れてくると夜空の星がだんだんと輝きを増してくる。
無数の星が帯になった天の川がしっかりと見えてくる。
都会では運河のような天の川など到底お目にかかれないから、首を直角にして、まじまじと静寂に包まれた山麓から見上げる天体は幻想的でもある。

毎年のことだが、なんど眺めても素晴らしい天体ショーだと思う。
「こういう山麓の夜空を眺めた子どもが、プラネタリュウムと同じだねと言ってた」と誰かが言ってたが、街の灯りやネオンの光が星々を消しているということだろう。

帳も降りて、少し肌寒さも増してくる9月の山麓の秋。
暗闇というが、新月の月明かりの無い世界というのは、ほんとうに真っ暗だ。
「9時から〇〇部屋で宴会~」

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【モノクロで宴会風景、ちょっと昭和の雰囲気のレトロ感(笑)】

職場の話もでる、何でも話になる・・・20代から60代まで、まあ年齢の差はあるけれど、無尽蔵な筋書きのない話が、夜中の1時まで続くのだから、なんとなくレトロな「旅の宿」って雰囲気だった。

二日目。
朝食を済ませ玄関脇のボルダリングの壁に登りたいと誰かが言う。
去年もそうだったが、今年も「登りたい」とチャレンジするのは女性ばかりで元気だ。
女性が元気だというのは世相を反映しているのかな(笑)

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撮影ボードを立てて、恒例の記念撮影。
写真はプライバシーを考慮して少しぼかしてあるので、拡大してもやはりピンボケ。
こういう記念スナップを載せるのもむずかしいが、それでも旅行記には欠かせないってことで、堪忍、堪忍やでぇ~

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【後列、右端が自分、ぼかした方が若く見える?ははは】


所用で先に帰るYさんとJR木曽福島の駅で別れ、車は信州伊那のリンゴ狩り農園へと向かった。
リンゴ狩りなど十数年ぶりになるが、真っ赤な実が重たそうに出迎えてくれた。

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【♪わたしは真っ赤なりんごです~】

時間内は食べ放題というが、それほど食べられるものでもないので、買った方がましだというのは無粋な輩の言だと思う。
おもむろにリンゴの樹からちぎりとり、なんともまあ便利な皮むき器を回し八等分にしたリンゴに手が伸びる。

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【これは便利だ、ついでに包丁片手に苦闘した想い出も剥いてくれる?】


そういうもぎたてのリンゴを味わうという雰囲気がいいのであって、もったいないからたくさん食べようなどと言うのも、粋ではない。

子どもの頃、信州で生まれた自分なので、箱入りのリンゴや梨が送られてきたもので、包丁での皮むきは得意であった。
誰しも一度は挑戦したであろう、どれだけ長い皮が剥けられるか・・・という幼少期を過ごしたので、今はもっぱら果物の皮は剥いてもらって食べることに徹している(笑)

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【まだあげ初めし前髪の・・・ちょっと違うかな?】

島崎藤村の詩「初恋」にでてくる『まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき・・・ 』って雰囲気がどこかに実ってないかと口ずさみながらさがしていたけれど、ふむ、なかなか無いものである。
よくよく考えてみれば、そんな遠い少年のような心も、すっかりと歳相応なものになってしまった自分がいるということだろう。

よく話した、よく笑った・・・なかなか味わうことのなくなった希少価値のあるプチ旅行だった。お土産はもちろん林檎だった。

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【♪お国は寒い北の国、林檎畑の晴れた日に~、誰も口ずさまないか?】

おしまい。

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2014.05.29

のんびり一日、茶臼山高原と天竜峡で遊んだ話

5月29日(木) 日帰りのバスの旅

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連日30度を超す夏日。まだ五月というのに夏本番のような気候の名古屋。

昨日はのんびりとバスツアーで愛知県で一番高い山、茶臼山高原の芝桜と天竜峡の舟下りの日帰り旅行に行った。

茶臼山高原は子どもたちが小さい頃に行った以来なので何十年ぶりとなる。
標高1415mでも愛知県下では最高峰の山ということは、濃尾平野に位置する愛知県がいかに平地が多いかということを意味してる。

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「天空の花回廊、芝桜の丘」と名がついている。
「天空の・・・」城であったり、公園であったりとなかなか興味をそそるネーミングである。
冬場はスキー場となる高原のリフトに乗り、頂上を目指すとそれなりの眺望もあり、山の良さは高さにあると思えてくる。

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ツアーバスで、ほどほどの料金で、のんびり過ごすにはとても良い。名古屋市からならマイカーで行ける近場だが、駐車場に向かう数珠つなぎとなったマイカーの列を見ると、観光ツアーバスも選びようだと思う。

40万株の芝桜だという。新緑の山の頂の一画がピンク色に染まるという、ちょっと不思議な風景。
一株の根が増えてまだまだ成長する余地があると思うと、この先の数年後にはもっと鮮やかな芝桜の花回廊となるに違いない。

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のんびり日帰りの旅には観光バスがいい。添乗員が案内してくれるし切符も手配してくれる。
自分で計画する旅の楽しみとはちょっと違うが、やはり旅は気分にあわせて、いろいろ選択するものだろうなぁ。

添乗員さんが日系ブラジルの方だった。日本語の文法がちょっと違う(笑)と思いつつも、なんだかその一生懸命さとひたむきな姿は新鮮さを感じる。
流暢に旅案内する日本人添乗員がほとんどだが、こういう「大丈夫かな、頑張ってねぇ~」と優しい気持ちさせられる日系の添乗員さんも、のんびり旅にはふさわしい。

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というわけで、昼食は茶臼山高原の近くのレストランで山菜中心の「春御膳」、おいしくいただきました。
庭先に親子のヤギが睦まじく草を食んでいた、カメラを向けると子ヤギがカメラ目線。都会にはない光景である。

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午後はもう一つの目的地の天竜峡ライン下りという舟遊びである。
長野県飯田市は僕の出生地であるが、天竜舟下りは一度も乗ったことがない。

♪ハァー天竜下れば 
 ヨーホホイノサッサ
 しぶきに濡れてよ

と「天竜下れば」の歌を、女性の船頭さんが歌ってくれる。
崖のように巨岩が両岸にそびえたつ天竜峡のV字谷に澄んだ歌声が響くと、「ああ、天竜川だなぁ~」と思う。

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この船頭さんの言葉には信州訛りがある。
微妙なイントネーションや言い回しに信州弁を感じるが、他の観光客にはあまり違いはわからないかも知れない。
この飯田で生まれた亡き父や母の使っていた言葉を思い出して懐かしい。

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投網なども試みてくれた。
小さな魚が一匹獲れた、普段でもなかなか網にかからないという。

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ブラジルの言葉や信州の言葉・・・人と言葉にはいろんな人生があるものだ。

のんびりした一日だった。
「のんびり」を愉しむ旅は、休憩どきに五平餅を食べたりソフトクリームを舐めたり、目的地がどうであっても、そういうひと時がゆったりと流れる。
それが一番楽しいのかもしれない。

 
 

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