堀川 :橋のある風景

  • 19 堀端橋より名古屋城を
     名古屋の歴史を物語る「堀川」の現在を撮ってみた。  清流の戻る日が待ちどおしい。

堀川:桜のある風景

  • 74 庄内用水元杁樋門
     4月上旬の桜が満開となった休日  「堀川」端の桜のある風景を撮ってみました

2020.05.21

素直に自転車が嬉しい

5月21日 風景は心象風景

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およそひと月半ぶりに自転車で庄内緑地公園とその河川敷を走りました。
晴れた空が広がりロード脇の草の匂いが新鮮でした。
至近距離で眺める自宅付近の風景とは異なって解放感がいっぱいです。
そういえば出がけにメダカに餌を与えると、ちゃんと指に触りに寄ってきました。
プランターの野菜も少しづつ成長しています。
コロナの影響も大きい春から初夏への季節のうつろいです。
この先のコロナ禍はどうなるのかという思いも胸にしまって、久しぶりの自転車散歩でした。
公園の人出はぼちぼちです。
自転車を走らせる人もみかけられました。
いつもの公園と河川敷の風景は、いつもどおりの風景でした。
そのいつもの風景が広がるサイクリングロードで風を感じて走りました。
雑草のなかに名も知らない花も咲き、ときどき蝶々も舞っていました。
思いますね。
風景は心象であって、その心象をつかまえて、ああ気持ちがいい!
と、そう思う日はそういう心象風景になるものです。
あたり前ですがときどき忘れがちになります。
どうも写真にしてしまうと、つまらないものになってしまいそうです。
ああ、しばらく前に降った雨が今はここまでやって来て庄内川の水量はたっぷりでした。
この水が周辺の田んぼへと用水になって注ぎ込まれます。
ここはとても気持ちのよい風景が広がっています。

2020.03.24

ちらほら

3月24日 名古屋城をぐるりとサクラ観察

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名古屋城と名城公園をぐるりと自転車で巡ってみた。
まだまだ桜はちらほら開花したていどだが、ところどころ陽当たりのよい枝はまあまあ咲いている。

そんな木の下では人出もある。
家族連れの親子がちょっと早い花見のシートを広げていた。
風がでて少し肌寒い。
全体として言えるのは若い方々、親子連れが多く、コロナ疲れを癒すかのようだ。

今日の中日新聞の記事に「外出控えすぎ「虚弱」の恐れ」というコラムがあった。
高齢者は新型コロナに感染すると重症化しやすいが、外出を控えすぎると「生活不活発」による健康への悪影響が心配されるというもの。
感染予防はしかりして筋肉を維持することが大切だという。
二週間寝たきりでいると七年分老化するのと同じくらい筋肉量が減るそうだ。

人混みの感染リスクのある場所は避けて、郊外の公園の桜を眺めるのは、むしろ高齢者には適している。
「巣篭り」も適切なバランスを保ったほうがよさそうだ。

2020.02.06

ひだまり

2月6日 リハビリ自転車

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朝起きると外気温は3.5度を示していた。
この冬一番の寒気がやってくるという天気予報どおりで、日中も5度台以上には上がらないだろう。
北風が一段と冷たい。
とはいえ、この寒気のあとには、春の兆しがみえて来るというから、寒さもここ数日か。

寒い日を承知で庄内緑地公園へ自転車を走らせる。
少し腰の痛みもひいて体調は上向き。
今週からリハビリの間隔もあけ、薬の回数も減って順調になった。

ゆっくりと走る。腰に違和感がでないか試しながら、いわばリハビリ自転車というわけだ。
陽当たりの良いひだまりを選ぶ。少し建物の影にはいると、途端に寒い。
寒さは筋肉を硬直させる。

「腰骨をたてる」というのがスポーツ自転車の乗り方の基本で、なるほど、腰骨をたてて少し前傾の姿勢は腰痛には良さそうだ。

毎年思うのだが、2月という季節は公園を訪れる人も少ない。
そんな寒い季節に寒風吹く公園など、普通は敬遠するが、その人の少ない公園をのんびり走るのが楽しい。
寒い冬場は健康でありさえすれば、自転車にはもってこいの季節だと思う。

ひだまりのベンチに腰をおろし、持参したお茶をのみ一服する。
このひだまりで「ぼんやりするひと時」は至福の時ともいえる。
そういう日常のしがらみや背負った余分な荷を忘れさせてくれる。

公園を我が物顔で占有するのはカラス。カラスは寒くないのだろうか・・・
二時間ほど18キロほど庄内川沿いも走るが、腰も足もけっこう快調である。
まだ、それ以上の距離はちょっと自信が持てないので、暖かくなるのに合わせて少しづつ。
家に閉じこもって悶々と過ごすよりも、やはり戸外で過ごすのが気持ち良いのである。

2019.12.06

初冬の公園風景

12月6日 自転車さんぽ日記

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この一週間でいっきょに冬到来、寒さが増した。
日差しも厚い雲に遮られ、おお寒い寒い。
自宅前のマンションの影が延びめだか鉢を覆う、可愛そうに、この季節はめだかにとっても寒い寒い。

少し寒いが…と何回「寒い」と書いたかな、自転車に乗って庄内緑地公園に出かける。
冬の公園は人出もまばらで、これぐらいがちょうど走りやすい。
走りながらいろいろ考える。思考の整理にはけっこう自転車というアイテムは合うものだ。
イチョウの落葉が道をおおう。桜の落葉のひときわ赤い色が目立つ。
指先が寒さでビンビンするし、今日は風もある。

今朝がた見た夢の意味を考える。
仕事をしていた頃の夢だ。もう何年も経つが年に一度ほどは見る職場の夢風景。
まっ、いいか。

どこをどのように走ったのか、今日はGPSを付け忘れたのでよくわからないが、狭い路地を走り、民家の二階の壁に飾られた立派な「屋根神様」を見つける。

尾張地方の独特の屋根神信仰。
円頓寺の「四間道」の屋根神は良く知られているが、一般の民家に祭られるものはわずかしか残っていない。

なんだか得したような、ご利益にあずかったような、そんな自転車散歩だった。

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2019.11.30

晩秋の尾張すいどう道

11月30日 そぶえ町の黄葉を見に自転車で散歩

春のさくらも秋のもみじも見頃の選択がむずかしい。
「まだ早い、いやもう遅い・・・」
人様に媚びることなく、その命を一生懸命に全うしている。
だから花に会おうとすれば、人が花に合せなきゃならない。

毎年、この季節に決まってそぶえ町のイチョウを見に行く。
昨日の金曜日、自転車で片道14キロほどをのんびり走る。
名古屋から一直線に延びた尾張すいどう道、昔は「尾張サイクリングロード」と言ってたようだ。
この道を今年も走る。
去年もそうだったが「クリスマスソング」を聞きながら(流しながら)。

少し肌を刺すような冷たい風と水道施設の埋設道ながらの自動車も走らない道。
きっと自転車に乗ってイチョウの黄葉を見に行くという行程が好きなんだと思う。

「何時に遠足に出かけるの?」と出勤する妻がいう。
ああ、まさしく遠足なんだと思う。
途中のコンビニで昼のおにぎりと菓子を調達する、子どもの頃の遠足の再現に違いない。

今年は自転車で走れたが、来年や再来年はどうだろうと、毎年「これが最後か?」という気持ちがどこかにある歳。
何も新しいことに挑戦したり、新しい旅に出かけることも必要はない。
今続けている「楽しい」と思うことを、コツコツと淡々と続けてこそ、一年一年の積み重ねがあり。
・・・そう、その後に人生の終焉が待っている。
と思うが、ちっとも寂しいこともなく、悲しいことも嘆くこともない。
きっと、来年は二人でこの道を走るに違いないし、そういう生活環境が待っている。

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【尾張すいどう道】
右端に映る一直線に延びた道。田や畑が広がり閑散とした素朴な風景。
遠くに見える山並みは養老の山並み。

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【もみ殻】
もう季節は晩秋なので刈り入れも終え脱穀したもみ殻が山のように積まれている。
たかだか名古屋から10キロ余に都会では見られない素朴さが心をなごませる。

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【祐専寺のイチョウ】
お寺の横で大鍋で拵えた具だくさんの「豚汁」が売られ、冷えた身体を温めてくれる。
この地域のイチョウはこの寺が真っ先に黄葉すると教えてもらった。
不思議なものだと思うが、近所の学校の桜も毎年一番先に蕾がほころぶ木が同じだった。

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【イチョウの倒木】
倒木から枝が延びイチョウの葉が立派に黄葉している。
「頑張っている!」と言うことか、はたまた「頑張らなくていい、それぞれのイチョウの木」ということか。
ごちゃごちゃと理屈をならべるよりも、この姿が自然そのものを言い表していると思える。

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【落葉】
 今年もまた寒い冬が この街にやってくる~♬
クリス・ハートの「毎日がクリスマス」の曲の頭の歌詞。

イチョウの落葉が冬の訪れをたしかに告げているような気がする。
情感や思いといった、人間の心のありようを大切にしたいが、今年もあとひと月。
一日一日を普通に過ごしたいと、そんな気持ちになる「尾張すいどう道」と「そぶえ町のイチョウ」だった。

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【安否確認の小さな自撮り】
まだ自転車で走ってるの?とたまに会う友人にはよく聞かれる。
自転車というのが代名詞のような存在に「そんな立派なものでもない」と思う。
別に健康を意識してはいないが、「気分が良い」の一言に尽きる。
端っこに自分を入れて、控えめな一枚を撮って、元気でござんす・・・と。
もっとも誰かれとブログを伝えていないから、安否確認の意味は薄い(笑)
意味の薄いことを年に数回してるわけだが…普通のことを普通にできればそれがいい。


2019.11.20

短い秋の日

11月20日 ぶらりぶらぶら

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【名古屋城西北隅櫓(重要文化財)】
夏日が長く続いたと思ったら、もう冬支度に追われる最近である。
誰しも思う春と秋が短くなった四季の日本、昭和の子どもの頃の風景はなくなって、季節もかよ!

一日々々を何事もなく無事に暮らせることのありがたさ。
そんな日々が「あのころは平和だった」と回想するような事態にならないことを憂う。

とりたてて悩むこともない。自分のことで悩むことはないが、いろいろと憂うことはたくさんある。
自分が、自分がと自分の知や才や財などにどれほどの意味があろう。
自分のことしか目が向かないということは、その自分自身をさえ理解することはないだろうと思う。

悩み無き秋の日、街の秋はどれほど深まっているのかと名古屋城周辺に自転車散歩した。
ほぼ時速10キロの遅々たるペダルで、これぐらいが散歩には都合がよい。
まだまだ本格的な紅葉の景色は先になりそうだ。

陽だまりを選んで走らせるが、この季節はビル群の道はほとんど日陰になる。
ちょっと寒いが街は薄着の人もいる。
ひといろいろである。

警察車両が場違いのように何台も停車し、警察官も警備にものものしいのはG20外相会議が開催されるからなのか。
穏やかな秋とはちょっと異なる、それでも街の秋。
イチョウの大木がけっこう色づいて、それを外国人の方が写真に撮っている。

歩くこと、自転車を走らせること、そしてなによりも「変わり映えのしない日常」に心から納得し、「充実した日だ!」と楽しく思えるように生きる。
そんなことが幸せだと思う本日なりぃ。

 

2019.10.25

秋、浜松市サイクリング

10月25日(金)まだ走れるなぁ...ほっ!

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「女心と秋の空」などという情緒よりも、雨模様のせいで心持ちも変わりやすい。
朝、晴れていると、短い秋の一日を堪能しなければと元気になって、あれをやり、これもやりと思うが、ポツポツと降りやみそうにない空の日はグズグズしてしまう。

あれよあれよという間に日々が過ぎて行き、知らぬ間に歳だけ重なっている自分を見出す。
困ったもんだ、ふあぁぁ!

一週間が過ぎてしまったが10月20日(日)久しぶりに友人ら6人で秋のサイクリングに出かけた。
よくもまあ続いているものだと、傍からみれば感心するだろうが、友人と会話したり、美味しい昼食を摂ったり、足がつる・・死にそうだぁ、などと顔で笑って筋肉が悲鳴をあげる。
そういう走っている過程が楽しいのである。
こういうのは一人で走る自転車散歩とは、これまた違った充実感ともいえる。

名古屋から自転車を積んだ車で東名高速道路を東に行き、浜松インターチェンジで降り、浜松市が起点。
なにやらイベントが開催され、うん、天気がよいから各地はイベント盛りということか。
徳川家康ゆかりの城「浜松城」を見学するが、思ったよりも小さい城跡であった。
当時のものとしては石垣がその姿をとどめているが、天守閣は再建された展示館となっていた。

いくつもの城が明治期に廃城となり、戦争で消失したり、もったいないような気もするが、さりとて当時の木造建築物を復活再建しても、そりゃぁ「今は今の城」でしかないと思う。

てなわけで、浜松城から佐鳴湖方面に走り出すが、時は昼。
よく知られた「ハンバーグの美味しい店がある」という情報をもとに、たしかに美味しいハンバーグの店で昼食となる。
サイクリング・・・雨が降ろうが槍が降ろうが「食い物」さえ与えれば、人間というのは笑顔になるのだ。

佐鳴湖はそれほど大きな湖ではないが、その西側のちょっと気持ちも穏やかになるロードを走る。
車もほとんど通らない道は「自転車万歳」なので、サイクリングって最高ッス!となる。

という午後はこの先の浜名湖への一直線の道に入った途端に、自動車が次から次へと走り抜け、脇の自転車は排気ガスと段差と信号に行く手を遮られ・・・こういうコースは耐久レースのようなもので、距離が延びない割に疲れは増すばかり。
浜名湖の先端の弁天島が終点であるが、帰り道も耐久レースもどきが待っている。

いやはや思った以上に疲れたのは環境のせいにして、日頃の鍛錬不足は見て見ぬふりをしようと思った浜松市サイクリングだった。



2019.09.23

コスモスは咲いたが彼岸花はまだか・・

9月23日(秋分の日)自転車を走らせた秋の日の話

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【庄内緑地公園のコスモスもいよいよ見頃かなぁ】

彼岸花は咲き始めただろうかと庄内緑地公園に自転車を走らせたのが数日前のこと。
夏の間は遠出はしなかったので久しぶりの庄内緑地公園だったが、彼岸花はまだのようだ。
それでもコスモスが咲きだしていたので、青い空を背景に写真を撮ってみた。

花はそれ自体は愛でるものだが、花にまつわる話などを知ると、花を見る目も楽しくなる。
コスモスの細い茎から延びたピンクや白い花、この見た目の弱々しさとは裏腹に風雨に耐える強さがあると、人の生き方に模写してみると、コスモスがいっそう愛くるしく思われるから不思議だ。

照りつける日差しがやわらぎやっと過ごしやすくなったここ数日。
冬と夏の間に「春を置いて」夏と冬の間に「秋を置いた」ので、とっても「中途半端」という歌詞の曲があった。
こういう懐かしい曲をイヤースピーカーから流しながら自転車をこぐ。

なにかしなければならない!と自分で自分を追い詰めて、忙しく暮らすのが現代人だとしたら、ただでさえ短い秋などあっという間に過ぎてしまう。
中途半端っていいものだ。もともと生活は中途半端なもので、だから春や秋のように穏やか。
・・・と、自己肯定感を大事にする。

せっかく出かけたのだからもう少し遠くまではしってみようという気になった。
庄内川の堤防から矢田川の河川敷、そのむこうの香流川と、気ままにはしる。

どこかに美味そうな店はないかと探すのが、これまたちょっと遠出の自転車散歩の楽しみ。
美味そうなラーメン店の看板を見つけたのが昼時なので、ここで昼食タイムにする。
「一人遠足気分」を満喫する秋の日である。

計画性のないタイヤの向くまま、いい加減な自転車走りを続けること四時間。
まったく日差しも弱かったにもかかわらず両腕と顔と首回りを日焼けする。
こころなしか目の回りがサングラスで薄焼けとなってるような。
時速10キロから20キロというママチャリと同じ速度で走った38.9キロの道のり。
実に有意義な「無駄な時間」という・・・論理矛盾の幸せなのである。

2019.05.09

中山道・柏原宿サイクリング

5月9日(木)連連休も過ぎて普通の日々に

見上げれば三日月がきれいな夜空、月を眺めながらウォーキングしてるのかな誰かさん。
暇を見つけてすること。
好みの小説をコツコツ読み、めだかの観察と植物の世話、そしてほんの少しの時間をぶらり散歩。
したがって、パソコンをたたくことも少なくなった。書く意欲の減退だとしたら歳をとった証拠だろうか。
自分に向かって書くのを旨としてるから、誰かが「いいね」と言おうが(ブログに「いいね」はないけど)訪問の数の多少など何の意味も持たないと思うが、人それぞれなのでそこに意味を見出す人もいてもいい。
ここが流行の「SNSの価値観」とちょっと違うところだが、ただ、書く意欲や言葉が流暢に出てこないのは困ったもの。
まあ、昔から流暢な文章でもないから、今と昔もそれほどの変化でもないか。

・・・てなわけで、連休もすでに過ぎ「五月病」で辛い人もいるだろうが、そんなに頑張らなくていいし、人生なんとかなるから、辛ければ逃げればいいし、ミスや失敗も人生にはつきもの。
もっともその苦しみに直面すると、そうは思えないが生きていさえすれば、ほんのわずかだけれどもそのうち余裕もでてくる。
生きているだけで素晴らしいと実感できる日がきっとくるから大丈夫。


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【中山道・柏原宿】

・・・てなわけでと、てなわけでを繰り返したけど、連休中にサイクリング(ポタリング)に行ったので足跡だけは残そうと思う。
4月29日に、中山道の醒ケ井宿から柏原宿までを友人ら7人で自転車を走らせた。
いつものように自転車を車に積んで、名神高速道を西に走り、米原ICで降り、走りだしの起点は琵琶湖の東「近江母の郷」。
ここから田園風景を抜け、車の多い国道を走り、醒ヶ井から柏原へと向かう。
柏原宿に着いたのは昼時、連休だというのに、宿場町なのに、観光客らしき人影は皆無。
中山道の馬籠宿や妻籠宿のあの観光客と土産物店の並ぶ風景とは人出が180度違うのに驚く。
散策マップがあり史跡標示なども立ち宿場跡の雰囲気は申し分ないと思うが、PRが控えめで遠慮がちなのか?
もっとも、観光地化された喧騒の宿場よりもよっぽど自分は好感を持つのだが・・・


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【清瀧寺徳源院の三重塔】

昼のうどんをすすった後は、地元の人に教えてもらったと「清瀧寺徳源院」という京極家の菩提寺のお寺に向かう。
あまり歴史には疎いが、枯山水の庭園を見据えながら、京極家にまつわるお話を聞く。
聞いてる間に野生のサルたちが庭から山へと駆け上って行く。
お話下さったのはご夫婦で寺の管理と手入れ維持しているという「住職(管理)」の方。
広い寺の管理維持も大変だと知る。文化財を保護して行くのも苦労が多いのがわかる。
落ち着いた庭と三重塔が静寂なひと時だったし、知らない歴史にふれる愉しさもあった。


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【清瀧寺徳源院の庭園(枯山水)】

帰り道は梅花藻が清流に浮かぶ醒ヶ井の街道、(「わくわく街道」と命名されていた)から元来た道に戻る。
途中お土産に「山ウドの新芽」を買う。これはあとで天婦羅にして食べたがホロ苦さがなんとも言えなかった。
さて、すべて順調だったのはここまで。
帰路の途中で友人Oさんの自転車が転倒というアクシデント、ふだんの自転車は気にせず乗るものだけれど、旅先では十分に注意が必要だと反省のサイクリングでもあった。

2019.03.05

ぽかぽか陽気に誘われて

3月5日(火) 庄内緑地公園の春

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天気予報をみながら今日は晴れ、春らしい陽気なので庄内緑地公園へと自転車を走らせる。
体調も良いので自転車を走らせる気が起こるのか、自転車を走らせていると体調も良くなるのか・・・
どちらにしても、まだまだ自転車を走らせることに飽きてはいない。
家事を済ませ、昼少し前に家をでる。
快晴の空を見上げると生きている実感も増す。
自転車の散歩はイベントではないので、どこかで何かを見たり、何かをするという目的はない。
普通の暮らしの延長線なので、ある意味「暮らし方」そのものでしかないが、「何か」をしていないと暇をもてあますというパワーは、どうも自分には不似合いである。

3月、公園のマンサクが季節にふさわしく咲いていた。人出はわずかでとても静寂。
寒い季節の公園は淋しい気もするが、ぽかぽかの春の陽気が淋しさをかき消してくれる。
ベンチに座り冬枯れした木立を眺めたり、早咲きの「フユザクラ」も粋な景色だから、どれほど居ても飽きがこない。

そうだ!久しぶりに自撮りでもしてみようかと思い立つ。
自撮りが好きな訳ではない、どことなくナルシストの行為のように思えるから、自分を撮ることに照れくささがともなう。
なので、年に数回こうしてアップするのは、誰が読んでるかしらないけれど、「今日も元気です!」というサインってわけで、ほんとうは別に自撮りも必要ないかもしれない。

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20キロくらいのポタリングが可もなく不可もなく、身体と頭によい刺激となり、そうして季節が一歩々々春に向かっているのを感じるのが楽しい。

何もすることがない時間(ほんとうはいろいろ用事もある)のある有難さ。
暇は持て余すのほどがいいし、その何もない事に充足感を持てれば、どんな環境でも人生を豊かに暮らせる。
ゆったり生きるにはイベントなき日常生活、平凡な衣食住のあれこれに楽しさを見つけることかも知れないと思う今日この頃。

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