2017.11.19

小さな旅の自転車(ブロンプトン)

11月19日 輪行すればけっこう遠くまで行ける

週末の18日(土曜日)は琵琶湖方面へのサイクリングの予定だったが天気予報は雨。
雨を見こして事前に中止となったが、皮肉にも前後の日は晴れだった。
今年は雨や台風や仕事などで計画が中止となる一年で、週末ごとに雨の日も多かった気がする。

晴れの日は、晴れているだけで嬉しいものだ。自転車など晴れていてこそだから。
雨を避けて金曜日に名古屋から瀬戸市まで35キロほどを走った。
兄らが住む瀬戸市は名古屋からは緩やかな上りとなる。
広い濃尾平野は起伏が少なく平たんな地形とはいえ、やはり東部方面に向かうと「上り」となる。
列車や自動車で行き来すると気にもしないが、自転車ではよくわかる。

庄内川の右岸にそって北上し、西区、北区と進み、守山区からはいわゆる「龍泉寺街道」を志段味方面に進む。
昔は一車線の道路も整備され今は町並みがすっかり変貌している。
志段味中学校付近から尾張旭・瀬戸方面に進むと紅葉の木々が道の両側をおおい、愛知県森林公園に続く。

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【森林公園でちょっと一休み】


昼飯はどこかの店に入るつもりが、自転車の鍵を忘れたので、途中のコンビニで「おにぎり」を買い、森林公園でちょっと淋しいが、秋の空を眺めながら昼飯となる。
今日は兄宅に資料を届ける予定もあったが、電話すると不在とのことで、ポストに投函する。
マイカーならば一時間ほどで着くところを、3時間ほどかけて、のんびり来たわけだ。
晴れた日だからこその「一人自転車サイクリング」で、申し分のない一日。

帰りは名鉄瀬戸線に自転車を担いで「輪行」する。
平日の学生さんたちがぼつぼつ下校する時間でもあったが、電車は空いており座席の横に自転車を置く。
折り畳み自転車の面目躍如である。

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【こんなに小さく畳むと自転車とは思えないなぁ】

35キロを半径で円周を描けば、名古屋から北は岐阜市、西は桑名市、南は半田市あたりまでの直線距離となる。
ずいぶん遠くまで行ける距離になる。
しかし思ったのは行きの上り道を電車の輪行にして、帰りの下り道を自転車にしたら、もう少し楽なサイクリングになったかも知れないと。

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2017.11.06

自転車で写真遊び

11月6日(月) 楽しくなければ遊びじゃない!

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趣味というよりもスポーツというよりも健康増進というよりも、自転車は遊びの世界だと思うのですね。
その自転車に乗って「小さな秋」はないもんじゃろか?とか、果たしてこの道はどこに通じてるのかとか、つまらんことを思いながら、近頃やっと青い空の日が続く短い秋の日を堪能する。
モノを買うこともないので、清貧を余儀なくされている(笑)わが身には、出費もすくない。

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東西南北。西側には庄内川や新川といった川があり、どうも走る機会が少ないので、どうしても地形に疎くなる。
ということは、知らない路地とか、まだ「未開の道」とか市街地から外れるほど、けっこう興味心をくすぐるものがある。

昨日は自宅からそれほど離れていない小さな公園を走っていたら、木々の色づいた風景にちょっと一休み。
紅葉など「たんなる枯れ葉じゃん!」と言ってた〇〇ちゃんを思い出す風景。
秋の色がこんな、なんでもない公園にもあるというごくごく普通のことに嬉しくなる。

そういう下準備があって、今日は掃除に洗濯に家事労働を早めに済まし、暖かい緑茶を水筒に詰め、いざ出陣ってわけで・・・

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旧美濃路街道から清須城へ、もっともこれは展示館だから現存する城ではないが、やはり織田信長の「清州」なのだと、まあ、そんなことを思いながら走る。
新川沿いを南下してみた。
過っての津島街道の分岐点の道標などもあった。きれいに整備されてはいるが、道標そのものは天明八年(1788年)当時のものだろうが、風雪に耐えたとはいえ文字は判読しがたい。
こういうものにちょっと立ち止まるのがおもしろい。

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川沿いの道というのは、どこまでも、どこまでも走り続けたくなるもので、途中に萱津神社などもあり、新旧交ざった民家があるのも、なかなかおもしろい。
白壁の土蔵と古い民家ばかりであれば、現代では「町並み保存地区」間違いないだろうが、そんな都合のよい町ばかりあるはずがない。

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新しくもあり古くもあり、さまざまに混在するのが現代の町なんだろうと、遠くに見える名古屋駅前の高層ビル群を眺めながら思う。
自転車に乗って走るというのは、歩くのとも車で眺めるのとも違った「別の」ものが見られるということなんだなぁと、そう思う。

次はもう少し先まで、知らない路地や知らない民家の立ち並ぶ道を走ってみようと思った今日である。25キロ走ったが、時速10キロ前後のゆるゆる自転車の日だった。

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2017.10.01

自転車専用レーン

10月1日(日) シンプルで安上がりで、なかなかベターだと思う!

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今日は用事で区役所まで行く、もちろん自転車で。
役所の「日曜窓口」の日だったので、普段は窓口も混むが、ほとんど待ち時間がなかった。

本来は平日に来れない市民のための「窓口」だから、平日に行ける自分などは「おまけのサービス」のようなものだ。
経済の活性化?あらゆるものが24時間365日の不夜城と化す傾向にある。

しかし、そこで働く人は健康で文化的に暮らす環境から、家族生活もバラバラの時間になり、「一家団らん」も遠のき、健康的でいられるのか・・・。
便利さを追い求めるのはいいが、結局自分の首をしめることにならないだろうか?

そんな訳で区役所を後に、少し遠回りをして自転車を走らせていたら、自転車専用レーンを発見した。
これはいい、シンプルな自転車専用レーン。以前はなかったのでいつ作られたのかと思う。

市内の伏見あたりある幹線道路の「自転車道」は柵に囲まれた立派なものだし、高架が走る江川線道路の「自転車道」は歩道を整備し、そこにを「自転車道」としている。

こうした歩道上の「自転車道」や車道に鉄柵で分離した「自転車道」はものすごく立派で費用もかかっていそうだが、この写真の自転車専用レーンは車道にペンキで記しただけのものなので、経費の節約になっている。

自転車レーンは多大な税金をつぎ込み立派でなくとも、公道をペンキで表示し、車と自転車をすみ分けシェアするという、至ってシンプルなものでいいと思う。
自転車マークと矢印で右側通行の違反自転車との接触もなさそうだ。
車の違法駐車の防止にも役に立ちそうだ(事実、この先のレーンのないところでは車が違法駐車していた)。

ただ残念なのはレーン自体が数百メートルで終わってしまうことだ。
この道が比較的車道幅があるために設置したという意図はわかるが、市街地であっても、こうした公道の自転車と車の「すみ分け」の発想が基本じゃないかと思う。
費用(税金)をかけない自転車の走る道(レーン)ならば、もっと増やすこともできるのではと思うのだなぁ。

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2017.06.12

港町、敦賀市サイクリング

6月12日(月) 自転車旅のアルバム

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梅雨入りしたがジトジトと鬱陶しい雨の日がない。自転車に乗る身にとってはありがたいが・・・

昨日の日曜日(6/11)友人ら5人で福井県の敦賀市へサイクリングに行った。
サイクリングというよりも、ポタリングというのがふさわしいが、「ポタリング」なんて認知度が低いので、誰もがわかりやすいサイクリングと書いている。

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まあ、のんびりと観光もかねて自転車に乗る一日を楽しむ。行き先も思いのまま気の向くまま、美味しそうな昼ご飯とおしゃべりなどが、旅の友である。

こういう気ままな観光自転車もどきなサイクリングであるがゆえに参加者もアバウト。
自転車は移動手段ではあるが、楽しくペダルをギコギコしてこそ、そこを外せば、単なる「軽車両」でしかない。

敦賀市は日本海に面する港町。貿易と交流の町の歴史は鉄道の町でもあるようだ。
日本海で最初に鉄道が敷かれた町の駅舎を模した鉄道資料館、杉原千畝で知られる「命のビザ」遠くシベリア鉄道を経て着いた日本の港が敦賀港、そんな「敦賀ムゼウム」資料館もある。

そんな昔の歴史を知るのも楽しいし、そんな港町、敦賀湾にそってアップダウンをする海岸道を自転車で走るのも、これまた楽しいものである。

「若い時から自転車が好きだったのですか?」と聞かれ、「いやいや50代になって、それまでのマイカー通勤から、ある日突然自転車通勤に変え、それ以来・・・」などと話しながら走る自転車。

自転車に乗り始めて、自転車を通じて知り合った人たち。知ってはいたがほとんど話もすることがなかった人たち・・・これも自転車が結ぶ縁というものか。
もう速く走ることも少なくなって、ゆったりのんびり過ごす自転車旅になった。あと10年は元気でペダルを漕ぎたいものだと思っている。

【自転車旅のアルバム】

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【敦賀の駅前に車を停め、自転車で・・・】

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【杉原千畝の資料館】

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【敦賀湾を見下ろす。原発やミサイル・軍事力展開も嘘のような穏やかさ】

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【金崎宮から眺める敦賀港】

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【気比の松原:松林を走る自転車】

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【日本海へとつながる浜辺、水がとてもきれいだ】

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【なんで「メーテル像」が・・・漫画家松本零士の出身地?ではないらしいので町起こし?】

 

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2017.06.06

菖蒲が見事だった日

6月6日(火) 久しぶりに庄内緑地公園自転車散歩

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来てみたら庄内緑地公園の菖蒲が見ごろだった。
高齢者施設のお年寄りたちが、車椅子できれいに咲いた菖蒲の花々を愛でていた。
郊外にでて、花に親しむひと時は、ほんとうにほっこりする時間に違いない。

午前中は家事にいそしみ、昼は残り物の食材でチャーハンなど作り、天気も良く暑くも寒くもない気候に感謝して、ヘルメットにサングラスにお茶も用意して、スポーツ自転車を走らせて庄内川の堤防道をギコギコ。
二つほどの急坂も元気に上がる。この坂が上れなくなった時が自転車散歩の終焉だろうと心に誓ってるが、そうしてやって来た庄内緑地公園の菖蒲の美しさだった。

自転車を走らせるのは健康によいというのは当たり前のことだが、身体を使う心地よさと実は心の健康にも大きく寄与している。

どこそこに何かをしに行くという、そういうものではないところに、実は心の解放感がある。
ただただペダルをギコギコし初夏の風を体に感じる。
「目的」や「目標」なんてものに縛られていては解放感は味わえない。「何も無い」ことに自己充足感を持てるかどうか・・・散歩というのはそういうものだろう。

財布に1500円ほどの小銭を入れて、結局何も使うことがなかった。節約といえば聞こえが良い、貧乏臭いといえば当たらずとも遠からず。
自転車に乗って20キロほどの散歩をしたことになるが、金には換えられない、初夏の街角の風物詩を堪能できる。

ちょっと気も心も晴れ晴れとしたいときは、庄内川の川の流れと走り、ちょっと人混みが恋しい時は車や人の往来の激しい騒音を聞きながら走る街角。
ふと見つける看板の文字に目をとめたり、最近は同じような建売住宅が増えたなあと思い、その玄関先の紫陽花の花に目をやる。

ゆっくり人生を歩むというのは、そういうことだと・・・何もないような日常に、ふと人の生きている姿を見つける。僕はとても満足しているのだ。



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2017.05.05

自転車を軽くする

5月5日(金) 「60肩」と自転車 ②

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【懐かしのジャイアントMR4F(夕日の当る公園にて)】

立夏、GW真っ只中。高速道路で家族サービスのお父さんお母さん、渋滞で大変だと思いますが、そういう苦労もあとから楽しい想い出になるなら、災い転じて福となる。

案外、物事ってのは一つの事がらの内に肯定も否定も含まれ、そうして本質が分ったり、新し境地に至ったりするもの。

60肩に悩まされ、これをいかに克服するか・・・まあ、無理らしい。
無理なことは諦める。アンチエージングという言葉がある、老化に抗するってことだが、抗するよりも、いかに付き合うか、言い換えるならいかに自分らしく老いるか、と言うことだと。
60肩も経年劣化する肉体も、うん、楽しくそれなりに処方する方法を見つけなくては。

で、自転車の話。こういう趣味の話も芸術の話も突き進んで行くと、それ以外の人からすると「凝り性的変人」となるのが普通なのだと思う。
これが良いとか悪いとか個性があるとかないとか・・・どうでもいいことで、普通の見地からは乖離しているって事実だけは、己の腹におさめて「趣味です!」と、少々へりくだって言うのが自分らしさとしての表現かな。

で、自転車の話を続けると、60肩に悲鳴をあげながら自転車を持ち上げるため、筋力アップやコツコツストレッチ、己を鍛えるには体力も気力も歳相応に減退してきた。

もう諦めるのが最上の処方箋なので、発想法を転換することにした。つまり「60肩」にふさわしい自転車にする。己がダメなら自転車が変われ!という、超ポジテブ思考。

自転車はいったい何キロほどの重量か。一般論としてスポーツ自転車10キロ前後、ママチャリ20キロ弱、今流行の電動サイクル30キロ弱というのが相場のようで、重さ6キロという超軽量化志向の方もいれば、鉄の塊のような重い実用車好みの方もいる。
折り畳み自転車は構造的にも重くなる。小さなタイヤの軽そうな折り畳み自転車が実は17~18キロもし、ママチャリと変わらないことも珍しくない。

普段の自分の自転車の重量を測ってみたら、13キロ前後になっていた。ちなみに体重計に乗って計測し自分の体重を差し引くって測り方だ。
しかし、この13キロ前後の重量は「走る」には良いが「担ぐ」には重い、まして「60肩」にずっしり食い込むと、悲鳴どころか悲惨とも言えるのだなぁ~。

世のその道を見極めた方は、爪に灯を点す覚悟で50グラム、100グラム、チタンにカーボンにと努力を重ねているということらしいが、そこまでするには財力が乏しい。

初めてスポーツ自転車を買ったときに「軽い自転車が欲しい」と店員さんに言ったら「軽い自転車よりも軽く走れる自転車を買いなさい!」と。
なるほど、目から鱗の金科玉条として拝聴したけれど、今は60肩に耐えられる「重量」が差し迫った課題の老の身。

財力無し、筋力後退、貧乏暇なしというよりも、貧乏だが暇だけはある、頭は悪いが知恵だけはあるに違いない。

わずかな知恵を絞って・・・そうだ余計なものを全部取ってしまえ!
泥よけ(フェンダー)、スタンド、鍵、サドルバック、リアライト、アタッチメントなどなど、重いサドルは安価な軽いものに交え、出来る限りの基本構造というシンプルなものにしたい。

子どもの頃に友だちの乗っていた自転車のキラキラ輝く装飾品が眩しかった思い出があるが、自転車も車も家もみな同じで、どんどんと物欲にまみれ、本当は必要もない「物」に己の欲望を投影し膨らんでゆく。

シンプルなものから遠ざかって行くのが人生ならば、人はつまらぬものをたくさん背負いすぎて生き難い人生を歩むに等しい。

とまあ、そういう発想は自転車にも当てはまるわけで、サドルやシートポストやペダルやアクセサリーの類、いろんなモノをチェンジしてきたこれまでを、60肩を契機にシンプルにする。

余談だが、密かな思いとして65歳の誕生日を迎えたら、僕は日常生活の「物」にまつわることをシンプルにして行こうと考えている。
もう自分の記憶と感性と知識だけで十分で「物」から何か新しいことが生まれるとは思えないのだ。

とはいえ、霞を喰って生きる仙人のようなことは不可能なので、「必要最低限」という道標をどうにかして見つけ出して行きたいのである。
余計なものを取り外し、軽量なものに交換し、必要最低限に絞り込んだ自転車を持ち体重計に乗ったら、ほぼ11キロ弱にまでなった。少しは贅肉が落ちただろう。
 

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2017.05.03

移動する「60肩」

5月3日(水) 「60肩」と自転車①

「40肩」も「50肩」も経験することなく「60肩」に悩まされている。
自転車を走らせるのに問題はないし、孫を抱き上げるだけならそれも問題ない。

「60肩」で困ってると友人に話したら、最近卓球のラケットを握ってないでしょう!と言われ、ふむ、長年卓球というスポーツでコツコツと筋力を使ってきた、その部分の筋力低下が「60肩」の要因にあるのか?

ところが不思議なことに「60肩」の痛みというのが、日々変化する。
右肩を前方から横に伸ばすと「痛っ」となる日、今度は上方に片手を上げると痛む。
ある日は背中に回すと、はたまたある日は下にぐっと力を込めると・・・どうも決まった角度だけが痛むのではなく、日々「60肩」の痛みが移動しているらしい。

困ってしまってわんわんわわ~ん♪の日々が続いているが、歳のせいや加齢などとは認めたくない。整形に通院するほどでもないから、やはりここは持って生まれた自然治癒力を信じている。
というか、困難はあれこれ悩むよりもまず実践が肝要なので、自転車に乗るにはまあ問題なしと・・・。

ところが、少し前傾のスポーツタイプのハンドルに重心をかけても、さほど苦にならないが、自転車を持ち上げるときに「痛っ」となるのだ。
玄関に設置したポールの上下に二台の自転車が掛けてあるが、その上段の収納時に問題が出てきた。

つまり「輪行」時に肩にストラップをかけて持ち運びするのに不都合じゃないか・・・
自転車は乗るもの担ぐものというコンセプトが崩壊してしまう、旅の自転車というスタンスが瓦解して、無趣味でなんの楽しみもない「老後」が迫って来る~(大袈裟です)

というわけで、次は「自転車を軽くするの巻」に続くのだぁ~♪


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2017.05.01

雷雨と自転車

5月1日(月)湖東、彦根市から豊郷町(中山道)をサイクリングした話

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【旧中山道を走る】

自転車で走るということは、天候に左右され、突然の激しい雷雨に見舞われたりするのは、ままあるが、雨宿りするところがあれば幸運なことだ。

4月29日のGWの初日、友人ら6人で琵琶湖の湖東、彦根市から豊郷町まで、かっての中山道を走った。
ほぼ直線の片道13キロほど。近所をふらふら自転車散歩すると同じ距離だが、そこは「中山道」、ところどころに旧家の白壁土蔵や古い町並み残っていた。

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【旧中山道を走る】

とはいえ、こうした旧街道の風景も新旧織り交ぜた街道となり、交通量も少なくない。
そんな地方の街を自転車で走ると、非日常の世界になるのは、サイクリングというものの面白さかも知れない。

この中山道は宿場でいえば高宮宿から愛知川宿の間、鉄道では彦根駅から数駅ほどの距離なので、のんびり走るにはお手頃な道といえる。
もっとも天気が良ければの話で、この日は全国的に大気が不安定、午後からは激しい雷雨もあると天気予報は伝えていた。

近江商人の町である。古来の東西の経済交流の要所の地となれば、そうした経済人にまつわる旧跡もいくつかある。

豊郷小学校旧校舎群という「白亜の教育殿堂」。町出身の古川氏が私財を投じて建てた、立派な小学校、現在は福祉施設の拠点になっている。
ここだけ当時としては別世界のような学校だったのだろう、いやはや立派な建物。

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【伊藤忠兵衛記念館横にて】

しばらく街道を走ると伊藤忠、丸紅の創始者の伊藤忠兵衛記念館がある。なるほど、近江商人の系譜だったとは、知りませんでした。
生家にまつわる遺品や暮らしぶりを、館の方が説明してくださった。

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【伊藤忠兵衛記念館:釜戸】

走れば腹が減るものだ。この先に酒蔵見学ができるカフェ?食堂?お店があるとパンフレットで〇塚さんが調べてくれたので、そこで昼飯をとることにする。

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【金亀酒蔵祭り】

期日限定で「酒蔵見学」の催しもある、なにやら楽しそうな企画で、酒ロールのスイーツもあるというじゃありませんか。
で、へこんだ腹とは裏腹に、期待に胸膨らませ・・・、味噌サバ定食、酒麹のふしぎな一品、福引、酒蔵コンサートなどなど予定外の楽しい昼時となった。

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【味噌サバ定食】

ここまでは順調だった・・・が、がである。
突然の雷鳴、大粒の雨、豪雨に身動きがとれなくなる。
駐輪場に停めた自転車もヘルメットもずぶ濡れ状態。ああ、雨中に漕ぎだすには嵐の中を進むに等しい。

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【豪雨に自転車も濡れる】

腹もふくれたので、腹をくくって、嵐の過ぎ去るのを待つこととなった。
サイクリング途中に雨に遭遇することも少なからずあったが、これほどの激しい豪雨はいつ以来だろうか。

しばらく待機する。

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しばらくというよりも雨模様を気にしながら、ひたすら天気の回復を願う。
こういう時間は、過って同じ福祉の仕事をしていた友人らなので話題には事欠かない。
どれほど過ぎたのか、天気が回復したので、また降り出されてもかなわないと、急いで帰路につくと、あれまあ~先ほどの豪雨が嘘のように、晴れ上がったのでした。

終わりよければ全てよし!という中山道の彦根から豊郷町のサイクリングでした~♪

総走行距離 26キロ
曇り時々晴れ、後豪雨、後晴れ・・・

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2017.04.27

ふたたび、朝ドラ「ひよっこ」

4月27日(木)谷田部みね子の自転車姿

有村架純の演じる谷田部みね子が田舎道を自転車通学する姿が好評のようだ。
その自転車を高校卒業を期に妹に譲るというのが今日のシーン。
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この女優さん「ビリギャル」でも庄内川の堤防を金髪で自転車走らせていたので、自転車がとてもよく似合うと思うが、ひいき目かもしれない。

もっとも女子高生という存在そのものが自転車とマッチするのか。セーラー服にモンペにぽちゃり姿で快走するシーンはなかなか絵になる。

このちょっとクラッシックな自転車が当時と同じかと疑問視するむきもあるが、ピンクの部分カラー色とかリアキャリアがアルミ(だと思うが)などは、鉄全盛期のこうした自転車とはちょっと違うだろう。

・・・が、雰囲気はよく出ている。昭和39年の卒業式の日から逆算すればみね子は昭和21年生まれ。
時代が違っても、自転車に乗る女の子の姿はほれぼれするし、「セーラー服に自転車」とは、なんたる乙女チックなのだろうかと思う。(まあ、そういう趣味の嗜好はないが)

ところで、自転車好きの私としては、ドラマが始まってから気になっていた自転車。
いや、正確に言うと、こういう自転車はとても疲れるので私はほとんど乗らない。

なので、そのハンドル前の通学鞄を取り付けた「フロントキャリア」に興味深々だった。
最近は籠タイプが主流のママチャリ、どんなタイプかと悩むほど気にしていたら、世の中には同じ疑問を持つ方もいて、折り畳める「ウイングキャリア」だろうと・・・
ふむ、たしかにそうと思われるが昭和39年の当時に存在したか疑わしい。

ともあれ自転車やそのフロントキャリアに注目するマニアック志向、そういう楽しみもある朝ドラであり、自転車以外にも注目できる品々がけっこう多いのだなぁ~。

※写真はネットに掲載されたものからお借りしました。

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2017.04.10

桜と名古屋城

4月10日(月) 名古屋城へ桜を見に自転車を走らせた話

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あちこちの街角の桜が満開だが、カラッと晴れた日が少ない。
それでも、どことなく賑やかな街角が日本の春の季節を象徴している。

桜と自転車のコラボは、これほど情緒のある風景はないだろうと、自転車好きの自分としては、誰彼となく吹聴したくなる。
それで、吹聴したのはカミさんというわけで、昨日の日曜日の午後、天気予報を信じて自転車をギコギコ。

気象予報の精度は子どもの頃よりも格段に向上している現代。てるてる坊主に願掛けしていた子どもの頃が嘘のようだ。
まあ、そうした予報の進歩を「味気ない」という気もしないではないのは、科学技術進歩の裏に「軍事技術」という、恐ろしい目に見えない背景があるからとも言える。

というわけで、名古屋城まで裏道を走る。あちこちの桜も満開で賑やかしい。
入場料500円を払って城内に。イベントも開催され人出も多い。
晴れ間のこの時間だからなのか、もっとも外国人の方の言葉も聞こえて来るから観光なのだろう。

名古屋城の木造化の話もでている。
たしかにコンクリートの城よりも木造のほうが、どことなく情緒はあるもので、何年か前までは木造の城、犬山城や彦根城には「羨ましさ」を持っていた。
・・・というのが率直な思いだった。

歴史的な建造物を戦争によって消失したという歴史、いやそれ以上に明治期の全国各地の廃城がなければもっと多くの当時の姿の城が残っていたはずだという思いだった。

ひと月ほど前、現在のコンクリートの名古屋城が作られた経緯を知った。
二度と戦争によって燃えてしまわない名古屋の城として、市民からの浄財をつのって、現在の燃えないコンクリートの名古屋城が作られたという話だった。

なるほど・・・戦争という悲惨な過去がゆえに出来上がったコンクリートの名古屋城、お年寄りや障がい者がエレベーターで上がり名古屋市を一望できる城、戦後復興と市民の思いを象徴する名古屋城。
それは一つの名古屋という街の歴史的遺産という事ができるのだと思うと、膨大な費用を費やして木造化することよりも、現存する「戦後の思い、名古屋の街のコンクリートの名古屋城」も、それはそれで貴重な文化財だと思えた。

文化は人の暮らしと共に作られて行くのだと思った名古屋城と桜の風景。

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【石垣と堀と桜】

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【花見の観光客と名古屋城】

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【堀川と桜並木】



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