2017.06.12

港町、敦賀市サイクリング

6月12日(月) 自転車旅のアルバム

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梅雨入りしたがジトジトと鬱陶しい雨の日がない。自転車に乗る身にとってはありがたいが・・・

昨日の日曜日(6/11)友人ら5人で福井県の敦賀市へサイクリングに行った。
サイクリングというよりも、ポタリングというのがふさわしいが、「ポタリング」なんて認知度が低いので、誰もがわかりやすいサイクリングと書いている。

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まあ、のんびりと観光もかねて自転車に乗る一日を楽しむ。行き先も思いのまま気の向くまま、美味しそうな昼ご飯とおしゃべりなどが、旅の友である。

こういう気ままな観光自転車もどきなサイクリングであるがゆえに参加者もアバウト。
自転車は移動手段ではあるが、楽しくペダルをギコギコしてこそ、そこを外せば、単なる「軽車両」でしかない。

敦賀市は日本海に面する港町。貿易と交流の町の歴史は鉄道の町でもあるようだ。
日本海で最初に鉄道が敷かれた町の駅舎を模した鉄道資料館、杉原千畝で知られる「命のビザ」遠くシベリア鉄道を経て着いた日本の港が敦賀港、そんな「敦賀ムゼウム」資料館もある。

そんな昔の歴史を知るのも楽しいし、そんな港町、敦賀湾にそってアップダウンをする海岸道を自転車で走るのも、これまた楽しいものである。

「若い時から自転車が好きだったのですか?」と聞かれ、「いやいや50代になって、それまでのマイカー通勤から、ある日突然自転車通勤に変え、それ以来・・・」などと話しながら走る自転車。

自転車に乗り始めて、自転車を通じて知り合った人たち。知ってはいたがほとんど話もすることがなかった人たち・・・これも自転車が結ぶ縁というものか。
もう速く走ることも少なくなって、ゆったりのんびり過ごす自転車旅になった。あと10年は元気でペダルを漕ぎたいものだと思っている。

【自転車旅のアルバム】

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【敦賀の駅前に車を停め、自転車で・・・】

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【杉原千畝の資料館】

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【敦賀湾を見下ろす。原発やミサイル・軍事力展開も嘘のような穏やかさ】

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【金崎宮から眺める敦賀港】

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【気比の松原:松林を走る自転車】

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【日本海へとつながる浜辺、水がとてもきれいだ】

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【なんで「メーテル像」が・・・漫画家松本零士の出身地?ではないらしいので町起こし?】

 

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2017.06.06

菖蒲が見事だった日

6月6日(火) 久しぶりに庄内緑地公園自転車散歩

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来てみたら庄内緑地公園の菖蒲が見ごろだった。
高齢者施設のお年寄りたちが、車椅子できれいに咲いた菖蒲の花々を愛でていた。
郊外にでて、花に親しむひと時は、ほんとうにほっこりする時間に違いない。

午前中は家事にいそしみ、昼は残り物の食材でチャーハンなど作り、天気も良く暑くも寒くもない気候に感謝して、ヘルメットにサングラスにお茶も用意して、スポーツ自転車を走らせて庄内川の堤防道をギコギコ。
二つほどの急坂も元気に上がる。この坂が上れなくなった時が自転車散歩の終焉だろうと心に誓ってるが、そうしてやって来た庄内緑地公園の菖蒲の美しさだった。

自転車を走らせるのは健康によいというのは当たり前のことだが、身体を使う心地よさと実は心の健康にも大きく寄与している。

どこそこに何かをしに行くという、そういうものではないところに、実は心の解放感がある。
ただただペダルをギコギコし初夏の風を体に感じる。
「目的」や「目標」なんてものに縛られていては解放感は味わえない。「何も無い」ことに自己充足感を持てるかどうか・・・散歩というのはそういうものだろう。

財布に1500円ほどの小銭を入れて、結局何も使うことがなかった。節約といえば聞こえが良い、貧乏臭いといえば当たらずとも遠からず。
自転車に乗って20キロほどの散歩をしたことになるが、金には換えられない、初夏の街角の風物詩を堪能できる。

ちょっと気も心も晴れ晴れとしたいときは、庄内川の川の流れと走り、ちょっと人混みが恋しい時は車や人の往来の激しい騒音を聞きながら走る街角。
ふと見つける看板の文字に目をとめたり、最近は同じような建売住宅が増えたなあと思い、その玄関先の紫陽花の花に目をやる。

ゆっくり人生を歩むというのは、そういうことだと・・・何もないような日常に、ふと人の生きている姿を見つける。僕はとても満足しているのだ。



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2017.05.05

自転車を軽くする

5月5日(金) 「60肩」と自転車 ②

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【懐かしのジャイアントMR4F(夕日の当る公園にて)】

立夏、GW真っ只中。高速道路で家族サービスのお父さんお母さん、渋滞で大変だと思いますが、そういう苦労もあとから楽しい想い出になるなら、災い転じて福となる。

案外、物事ってのは一つの事がらの内に肯定も否定も含まれ、そうして本質が分ったり、新し境地に至ったりするもの。

60肩に悩まされ、これをいかに克服するか・・・まあ、無理らしい。
無理なことは諦める。アンチエージングという言葉がある、老化に抗するってことだが、抗するよりも、いかに付き合うか、言い換えるならいかに自分らしく老いるか、と言うことだと。
60肩も経年劣化する肉体も、うん、楽しくそれなりに処方する方法を見つけなくては。

で、自転車の話。こういう趣味の話も芸術の話も突き進んで行くと、それ以外の人からすると「凝り性的変人」となるのが普通なのだと思う。
これが良いとか悪いとか個性があるとかないとか・・・どうでもいいことで、普通の見地からは乖離しているって事実だけは、己の腹におさめて「趣味です!」と、少々へりくだって言うのが自分らしさとしての表現かな。

で、自転車の話を続けると、60肩に悲鳴をあげながら自転車を持ち上げるため、筋力アップやコツコツストレッチ、己を鍛えるには体力も気力も歳相応に減退してきた。

もう諦めるのが最上の処方箋なので、発想法を転換することにした。つまり「60肩」にふさわしい自転車にする。己がダメなら自転車が変われ!という、超ポジテブ思考。

自転車はいったい何キロほどの重量か。一般論としてスポーツ自転車10キロ前後、ママチャリ20キロ弱、今流行の電動サイクル30キロ弱というのが相場のようで、重さ6キロという超軽量化志向の方もいれば、鉄の塊のような重い実用車好みの方もいる。
折り畳み自転車は構造的にも重くなる。小さなタイヤの軽そうな折り畳み自転車が実は17~18キロもし、ママチャリと変わらないことも珍しくない。

普段の自分の自転車の重量を測ってみたら、13キロ前後になっていた。ちなみに体重計に乗って計測し自分の体重を差し引くって測り方だ。
しかし、この13キロ前後の重量は「走る」には良いが「担ぐ」には重い、まして「60肩」にずっしり食い込むと、悲鳴どころか悲惨とも言えるのだなぁ~。

世のその道を見極めた方は、爪に灯を点す覚悟で50グラム、100グラム、チタンにカーボンにと努力を重ねているということらしいが、そこまでするには財力が乏しい。

初めてスポーツ自転車を買ったときに「軽い自転車が欲しい」と店員さんに言ったら「軽い自転車よりも軽く走れる自転車を買いなさい!」と。
なるほど、目から鱗の金科玉条として拝聴したけれど、今は60肩に耐えられる「重量」が差し迫った課題の老の身。

財力無し、筋力後退、貧乏暇なしというよりも、貧乏だが暇だけはある、頭は悪いが知恵だけはあるに違いない。

わずかな知恵を絞って・・・そうだ余計なものを全部取ってしまえ!
泥よけ(フェンダー)、スタンド、鍵、サドルバック、リアライト、アタッチメントなどなど、重いサドルは安価な軽いものに交え、出来る限りの基本構造というシンプルなものにしたい。

子どもの頃に友だちの乗っていた自転車のキラキラ輝く装飾品が眩しかった思い出があるが、自転車も車も家もみな同じで、どんどんと物欲にまみれ、本当は必要もない「物」に己の欲望を投影し膨らんでゆく。

シンプルなものから遠ざかって行くのが人生ならば、人はつまらぬものをたくさん背負いすぎて生き難い人生を歩むに等しい。

とまあ、そういう発想は自転車にも当てはまるわけで、サドルやシートポストやペダルやアクセサリーの類、いろんなモノをチェンジしてきたこれまでを、60肩を契機にシンプルにする。

余談だが、密かな思いとして65歳の誕生日を迎えたら、僕は日常生活の「物」にまつわることをシンプルにして行こうと考えている。
もう自分の記憶と感性と知識だけで十分で「物」から何か新しいことが生まれるとは思えないのだ。

とはいえ、霞を喰って生きる仙人のようなことは不可能なので、「必要最低限」という道標をどうにかして見つけ出して行きたいのである。
余計なものを取り外し、軽量なものに交換し、必要最低限に絞り込んだ自転車を持ち体重計に乗ったら、ほぼ11キロ弱にまでなった。少しは贅肉が落ちただろう。
 

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2017.05.03

移動する「60肩」

5月3日(水) 「60肩」と自転車①

「40肩」も「50肩」も経験することなく「60肩」に悩まされている。
自転車を走らせるのに問題はないし、孫を抱き上げるだけならそれも問題ない。

「60肩」で困ってると友人に話したら、最近卓球のラケットを握ってないでしょう!と言われ、ふむ、長年卓球というスポーツでコツコツと筋力を使ってきた、その部分の筋力低下が「60肩」の要因にあるのか?

ところが不思議なことに「60肩」の痛みというのが、日々変化する。
右肩を前方から横に伸ばすと「痛っ」となる日、今度は上方に片手を上げると痛む。
ある日は背中に回すと、はたまたある日は下にぐっと力を込めると・・・どうも決まった角度だけが痛むのではなく、日々「60肩」の痛みが移動しているらしい。

困ってしまってわんわんわわ~ん♪の日々が続いているが、歳のせいや加齢などとは認めたくない。整形に通院するほどでもないから、やはりここは持って生まれた自然治癒力を信じている。
というか、困難はあれこれ悩むよりもまず実践が肝要なので、自転車に乗るにはまあ問題なしと・・・。

ところが、少し前傾のスポーツタイプのハンドルに重心をかけても、さほど苦にならないが、自転車を持ち上げるときに「痛っ」となるのだ。
玄関に設置したポールの上下に二台の自転車が掛けてあるが、その上段の収納時に問題が出てきた。

つまり「輪行」時に肩にストラップをかけて持ち運びするのに不都合じゃないか・・・
自転車は乗るもの担ぐものというコンセプトが崩壊してしまう、旅の自転車というスタンスが瓦解して、無趣味でなんの楽しみもない「老後」が迫って来る~(大袈裟です)

というわけで、次は「自転車を軽くするの巻」に続くのだぁ~♪


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2017.05.01

雷雨と自転車

5月1日(月)湖東、彦根市から豊郷町(中山道)をサイクリングした話

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【旧中山道を走る】

自転車で走るということは、天候に左右され、突然の激しい雷雨に見舞われたりするのは、ままあるが、雨宿りするところがあれば幸運なことだ。

4月29日のGWの初日、友人ら6人で琵琶湖の湖東、彦根市から豊郷町まで、かっての中山道を走った。
ほぼ直線の片道13キロほど。近所をふらふら自転車散歩すると同じ距離だが、そこは「中山道」、ところどころに旧家の白壁土蔵や古い町並み残っていた。

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【旧中山道を走る】

とはいえ、こうした旧街道の風景も新旧織り交ぜた街道となり、交通量も少なくない。
そんな地方の街を自転車で走ると、非日常の世界になるのは、サイクリングというものの面白さかも知れない。

この中山道は宿場でいえば高宮宿から愛知川宿の間、鉄道では彦根駅から数駅ほどの距離なので、のんびり走るにはお手頃な道といえる。
もっとも天気が良ければの話で、この日は全国的に大気が不安定、午後からは激しい雷雨もあると天気予報は伝えていた。

近江商人の町である。古来の東西の経済交流の要所の地となれば、そうした経済人にまつわる旧跡もいくつかある。

豊郷小学校旧校舎群という「白亜の教育殿堂」。町出身の古川氏が私財を投じて建てた、立派な小学校、現在は福祉施設の拠点になっている。
ここだけ当時としては別世界のような学校だったのだろう、いやはや立派な建物。

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【伊藤忠兵衛記念館横にて】

しばらく街道を走ると伊藤忠、丸紅の創始者の伊藤忠兵衛記念館がある。なるほど、近江商人の系譜だったとは、知りませんでした。
生家にまつわる遺品や暮らしぶりを、館の方が説明してくださった。

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【伊藤忠兵衛記念館:釜戸】

走れば腹が減るものだ。この先に酒蔵見学ができるカフェ?食堂?お店があるとパンフレットで〇塚さんが調べてくれたので、そこで昼飯をとることにする。

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【金亀酒蔵祭り】

期日限定で「酒蔵見学」の催しもある、なにやら楽しそうな企画で、酒ロールのスイーツもあるというじゃありませんか。
で、へこんだ腹とは裏腹に、期待に胸膨らませ・・・、味噌サバ定食、酒麹のふしぎな一品、福引、酒蔵コンサートなどなど予定外の楽しい昼時となった。

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【味噌サバ定食】

ここまでは順調だった・・・が、がである。
突然の雷鳴、大粒の雨、豪雨に身動きがとれなくなる。
駐輪場に停めた自転車もヘルメットもずぶ濡れ状態。ああ、雨中に漕ぎだすには嵐の中を進むに等しい。

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【豪雨に自転車も濡れる】

腹もふくれたので、腹をくくって、嵐の過ぎ去るのを待つこととなった。
サイクリング途中に雨に遭遇することも少なからずあったが、これほどの激しい豪雨はいつ以来だろうか。

しばらく待機する。

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しばらくというよりも雨模様を気にしながら、ひたすら天気の回復を願う。
こういう時間は、過って同じ福祉の仕事をしていた友人らなので話題には事欠かない。
どれほど過ぎたのか、天気が回復したので、また降り出されてもかなわないと、急いで帰路につくと、あれまあ~先ほどの豪雨が嘘のように、晴れ上がったのでした。

終わりよければ全てよし!という中山道の彦根から豊郷町のサイクリングでした~♪

総走行距離 26キロ
曇り時々晴れ、後豪雨、後晴れ・・・

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2017.04.27

ふたたび、朝ドラ「ひよっこ」

4月27日(木)谷田部みね子の自転車姿

有村架純の演じる谷田部みね子が田舎道を自転車通学する姿が好評のようだ。
その自転車を高校卒業を期に妹に譲るというのが今日のシーン。
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この女優さん「ビリギャル」でも庄内川の堤防を金髪で自転車走らせていたので、自転車がとてもよく似合うと思うが、ひいき目かもしれない。

もっとも女子高生という存在そのものが自転車とマッチするのか。セーラー服にモンペにぽちゃり姿で快走するシーンはなかなか絵になる。

このちょっとクラッシックな自転車が当時と同じかと疑問視するむきもあるが、ピンクの部分カラー色とかリアキャリアがアルミ(だと思うが)などは、鉄全盛期のこうした自転車とはちょっと違うだろう。

・・・が、雰囲気はよく出ている。昭和39年の卒業式の日から逆算すればみね子は昭和21年生まれ。
時代が違っても、自転車に乗る女の子の姿はほれぼれするし、「セーラー服に自転車」とは、なんたる乙女チックなのだろうかと思う。(まあ、そういう趣味の嗜好はないが)

ところで、自転車好きの私としては、ドラマが始まってから気になっていた自転車。
いや、正確に言うと、こういう自転車はとても疲れるので私はほとんど乗らない。

なので、そのハンドル前の通学鞄を取り付けた「フロントキャリア」に興味深々だった。
最近は籠タイプが主流のママチャリ、どんなタイプかと悩むほど気にしていたら、世の中には同じ疑問を持つ方もいて、折り畳める「ウイングキャリア」だろうと・・・
ふむ、たしかにそうと思われるが昭和39年の当時に存在したか疑わしい。

ともあれ自転車やそのフロントキャリアに注目するマニアック志向、そういう楽しみもある朝ドラであり、自転車以外にも注目できる品々がけっこう多いのだなぁ~。

※写真はネットに掲載されたものからお借りしました。

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2017.04.10

桜と名古屋城

4月10日(月) 名古屋城へ桜を見に自転車を走らせた話

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あちこちの街角の桜が満開だが、カラッと晴れた日が少ない。
それでも、どことなく賑やかな街角が日本の春の季節を象徴している。

桜と自転車のコラボは、これほど情緒のある風景はないだろうと、自転車好きの自分としては、誰彼となく吹聴したくなる。
それで、吹聴したのはカミさんというわけで、昨日の日曜日の午後、天気予報を信じて自転車をギコギコ。

気象予報の精度は子どもの頃よりも格段に向上している現代。てるてる坊主に願掛けしていた子どもの頃が嘘のようだ。
まあ、そうした予報の進歩を「味気ない」という気もしないではないのは、科学技術進歩の裏に「軍事技術」という、恐ろしい目に見えない背景があるからとも言える。

というわけで、名古屋城まで裏道を走る。あちこちの桜も満開で賑やかしい。
入場料500円を払って城内に。イベントも開催され人出も多い。
晴れ間のこの時間だからなのか、もっとも外国人の方の言葉も聞こえて来るから観光なのだろう。

名古屋城の木造化の話もでている。
たしかにコンクリートの城よりも木造のほうが、どことなく情緒はあるもので、何年か前までは木造の城、犬山城や彦根城には「羨ましさ」を持っていた。
・・・というのが率直な思いだった。

歴史的な建造物を戦争によって消失したという歴史、いやそれ以上に明治期の全国各地の廃城がなければもっと多くの当時の姿の城が残っていたはずだという思いだった。

ひと月ほど前、現在のコンクリートの名古屋城が作られた経緯を知った。
二度と戦争によって燃えてしまわない名古屋の城として、市民からの浄財をつのって、現在の燃えないコンクリートの名古屋城が作られたという話だった。

なるほど・・・戦争という悲惨な過去がゆえに出来上がったコンクリートの名古屋城、お年寄りや障がい者がエレベーターで上がり名古屋市を一望できる城、戦後復興と市民の思いを象徴する名古屋城。
それは一つの名古屋という街の歴史的遺産という事ができるのだと思うと、膨大な費用を費やして木造化することよりも、現存する「戦後の思い、名古屋の街のコンクリートの名古屋城」も、それはそれで貴重な文化財だと思えた。

文化は人の暮らしと共に作られて行くのだと思った名古屋城と桜の風景。

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【石垣と堀と桜】

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【花見の観光客と名古屋城】

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【堀川と桜並木】



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2017.04.05

桜と自転車と・・・

4月5日(水)五条川(岩倉市)の桜は7~8分咲きかな

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桜の開花が遅れて、週末が満開。その週末は花を散らす雨模様。
雨に打たれる桜も風情があるが、自転車にはちょっと辛いので、五分か七分咲きかと思いつつ出かけることにした。

まだ蕾も多く、これから満を持しての開花となることだろう。
桜の蕾というのも、しっかり観察すると、けっこう可愛いものである。
硬い殻を破り、これから一挙に咲きほころうとする姿は、人に例えるならば17歳とか18歳とか、そんなところで、一世一代の大仕事をしようとする、まさにその瞬間。
こういう擬人法を「寓話」というのだろうか、イソップの寓話は好きではないが、花にたとえる人生の一コマは面白い。

写真を何枚か撮ったが、ただ漠然と撮った風景は、ちょっと面白みに欠ける。何か意図するものが隠れた「一コマ」というのが面白い。
人の嗜好は複雑多岐なもので、写真にもそういうものが表れるのだと信じている。

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2017.01.31

冬のアルバム

1月31日(火) プチ贅沢なお散歩


冬の樹々は冬芽を被いながら、じっとほころびる春を待っているという。

からっと晴れ上がったよい天気だったので、久しぶりに庄内川を北上する自転車散歩に出かけた。

冬の寒さはあれど、ひだまりを見つけて立ち止まれば、ぽかぽかと心地よい。今日からまた寒さもぶり返すとお天気ニュースが言ってたので、厚着して防寒対策を施したがそんな必要もないほどだった。

こういう日は、庄内川から名古屋駅前の高層ビルがはっきり見えるし、はるか彼方に山頂に雪を頂いた御岳山が、新名西橋の吊り橋の間から眺望できる。
この風景は何度も見られるわけでないのでラッキーなのだ。

この季節といえば、庄内緑地公園のマンサクの蕾がほころび始めていた。「春遠からじ・・・」そのものである。
平日の午前、世の中は「仕事」で動いているので、ジョギングしたり自転車に乗ってる人は、やはり年配の方と相場は決まっている。人出も少ないのは当たり前。

贅沢なことだと思う。贅沢というのは必要以上の金品や物に包まれることを言うが、冬という季節を堪能できるというのもプチ贅沢だと。贅沢な時間だと自分は思うが、これは「時間を持て余す」というのと紙一重の差ではないかとも思う。

明日から2月が始まる。なんとまあ時間も日にちも月も過ぎるのが早いのかと思うこの頃。
のんびりと自転車を走らせていると、この時ばかりは時間もゆったり流れるのである。

【冬のアルバム】
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この雪帽子を冠った御岳がきれいに見られるのは枇杷島橋と新名西橋の間の堤防道。

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「冬来たりなば春遠からじ」、今は辛いときでもいずれは幸せがやってくる。

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自分を撮る、自分を晒す・・・安否確認のようなもので、年に1~2回ほど、それにしても厚着だなぁ (笑)

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堀川の上流、黒川から北上した御用水の冬枯れした桜。川面に延びた枝がたおやかだ。

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2016.12.06

名残惜しむ紅葉かな

12月6日(火)初冬・大津・坂本サイクリングの話

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今日の朝飯は「卵かけごはん」、これを味付け海苔で巻くように挟んで食べる。いやはや何とも質素なことだが、味付け海苔だけは義母さんからの特注品。
思えば外食もほとんどしない、喫茶店も自前の珈琲で済ませてる。旅行、今年は日帰りの自転車などで、遠くに旅することもなかった。

ストイックな節約生活でもない、ただただ「質素な暮らしぶり」のような気がする。
食べて寝て仕事(労働)をする。単純明瞭な生活感覚がその人の人生観をも形作るのだと思うので、何億も稼ぎ出すセレブや生活感のあまりない暮らしは、それに似合う「人」となる。
庶民の台所事情は暮らしの基本にあるのだと、今更ながら思う今日この頃。

そんなわけで、数少ない日帰りの旅、「旅」というにはおこがましいが琵琶湖の湖南の大津市から坂本までサイクリングに出かけた。旧友ら5人の顔ぶれである。
もちろん、車に自転車を積んで相乗り。もっとも堅実な旅費であり、もっとも堅実な初冬の楽しみともなる。

大津港の駐車場に車を停め、湖西の坂本へと走る。琵琶湖の周回のなかでは風景が一番楽しめないところともいえるが、5台の自転車でトロトロと走る心地よさは、案外どこでも同じなのかも知れない。

日吉大社を目的に10キロほど、帰路では三井寺に寄ろうかというのが当初の予定だったが、ここでOちゃんが「比叡山延暦寺には行ったことがない」と、急きょ比叡山ケーブルに乗り坂本駅から山頂の延暦寺に行くことになる。

生憎の曇り空、いつ降り出してもおかしくない空模様。それでも、琵琶湖と堅田の町が展望できた。堅田といえば一休和尚の暮らした町でもある。

「京都のお寺は参観料が安くない」との話題となったが「参観料じゃないお布施(参拝)だ」と、とある某所の住職が力説したという。収益事業じゃないというが・・・ふむ。

延暦寺の1200年の歴史、消えることなく灯り続ける「不滅の法灯」、長い歴史の中には信長の延暦寺攻め皆殺しの歴史もあった。

この季節、紅葉も終盤ではあったが思ったよりも残っていた。名残を惜しみつつ紅葉も最後の「悪あがき」などと悪罵を口にしつつ目の保養である。
普段は「人工物」ばかりが目に飛び込む暮らしなので、人間にはない樹々や山々の姿に、ちょっとホッとするのである。

雨がふりそうで帰路を急ぐ。「腹が減った!」という泣言は聞き入られず、昼飯は大津に戻ってからということになる。(結局、3時過ぎの昼飯というこれまでにない行程になった)

比叡山の麓からの帰路は下り坂になる。頑張って登った分だけ「人生下り坂が最高」が待っているという、当然の帰結。

途中で「近江神宮」に寄る。「ちはやふる」のポスターもあちこちにあるが、なにこれ?
アニメとか少女漫画は読んだことがないので「なにこれ?」
全国各地から高校生が参加して競技かるたが催されれその会場が近江神宮だと。
「青春漫画」なんですねぇ~、知らなかったのは自分だけのようでした。

ここも紅葉がきれいだった。七五三の晴れ着のお子さんや、巫女さんとか、神社ならではの風景が見られたが、神社とお寺・・・お寺のほうが風情がある、というか権力との距離感、庶民感覚としてはお寺だと思うが、その寺も生臭坊主が権力と癒着した時代もあったし、二者択一にはならないか。

話は戻るが有原業平の和歌では「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれなゐに水くぐるとは」で「ちはやぶる」は「神」にかかる枕詞だという。
「神代」は神話の時代の意味。屏風の絵を見ながら有原業平がこの歌を詠んだというらしいが、絢爛豪華な貴族社会のこと。

百人一首は子どもの頃兄らとよく遊んだので幾つかはそらんじることができるが、「ちはやぶる・・・」は記憶の欠片もなく、坊主めくりの「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」、「あちゃぁ~蝉丸引~ちゃった」というほうが、子ども心には記憶に残っている。

追伸:帰路の名神高速道路は事故渋滞に巻き込まれ予定よりも大幅に遅れる、自転車に乗ってる時間の何倍も・・・晴れのち曇りのち雨のち渋滞。

【写真あれこれ】

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【坂本・堅田の街並み、曇り空琵琶湖大橋はぼんやりと】

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【カミさんの自転車後姿、いつも同じ服装だなぁ】

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【比叡山ケーブル駅に向かう、上りは辛い】

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【ケーブルカーの車窓から・列車のすれ違い】

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【彩どりの鮮やかさと紅葉】

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【巫女さん(近江神宮にて)】

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【七五三の振袖がかわいらしい児ども】

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【行程は28キロ、うち自転車は往復20キロのサイクリング】




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