2017.11.16

歳時記カレンダー

11月16日(木) 恒例の・・・

今年もあとひと月半ほどで終わろうとし、喪中葉書がぼつぼつ届き始めた。

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こうして、何やら「来年」のことが話題になりはじめ、あっと言う間に一年が過ぎ去っていく。
なんとまあ過ぎ去る日々の早いことか。
カレンダーも今月を含めあと二枚になった。文具店にはしっかりと来年のカレンダーが陳列されている。
もう何年も同じカレンダーを使い続けているのが、この「歳時記カレンダー」で、数枚飾られる他のカレンダーは貰い物ばかりだ。
二十四節気七十二候の暦の表示に季節を感じ、月の満ち欠けに日々を思う。
11月19日は「一茶忌」のようだが、そうした故人の日を見て何かを思う。
たかだかカレンダーだけど、一年のうつろいの日々と照らし合わせながら見るカレンダーとして、すっかり定着した。
もっともカレンダーに限らず、日記とかスケジュール手帳とか、毎年これという同じものを使い続ける人も少なくない。
新しいものが世にでて、日々革新される日常のあれこれ、感動や発見やこころ踊る出来事も楽しいものだが、「変わらないこと」というのもいいものだと思う。

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2017.11.15

和太鼓の響き

11月15日(水) シンプルな音がいいです

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【右端がNさんとTさんの打つ姿、ほれぼれするなぁ~】

過っての福祉職場の友人Nさんから和太鼓の演奏会の案内をいただいてカミさんと出かけた。
和太鼓の打ち下ろす響き、笛や三味線や、そうしたシンプルな音色が伝わってくる。
バチを打つNさんとTさんとは、いろいろあった仕事仲間の時代に、お世話にもなった。
あれから何年経ったのか。和太鼓の練習をしていると聞いた頃に見た姿とはずいぶん違って、太鼓を打つ姿も堂々として、力強さも感じる。
子育てしながら練習に励んできた成果は、素人感覚の自分にも十分伝わってきた。
「一生懸命」ということの素晴らしさに、なんとなくほっこりする日だった。
・・・と三日遅れのブログなので、日曜日の話である。
特に決まったテーマもなく、日々の事柄を綴り、それも遅れがちに、ときどき更新になり、それでも続いていることの意味は。
SNSはTwitterやfacebookや、最近はInstagramといろいろあるが、最新のリアルタイムな情報を欲することもなく、誰かとのネットの会話に楽しみをもつこともないので、時々の今を綴ると言う意味では、やはり「日記」の部類なのだろう。
そういうところが「ブログ」にちょうどいい立ち位置になっている。
つまらぬことを書いて、まあ、これって「今を生きてる」存在証明ほどでしか過ぎないが、「SNS疲れ」が言われる現代では、一人自分に向かって書くのもいいものだと思っている。


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2017.11.11

とある土曜日

11月11日(土) 風邪か?健忘症か?

なんとなく咳がでて、風邪の兆候かと思うが、こういう時はちょっと寒い戸外を自転車で走る。11月ともなれば陽の落ちるのもはやくなり、4時をまわれば帳も降り始める。
まだ少し閉館時間には間に合うと図書館に向かう。
3冊ほど物色する、どうしても借りたいと思ってた一冊はみあたらないが、まっいいか。
さてとカウンターに行きかけて「しまった!貸出カードを忘れてしまった」と気が付く。
抜き出した本棚の元の場所に戻し、そそくさと図書館を後にするのも虚しい。
昨日まで娘と孫たちが三泊していた。自転車に乗るのも三日ぶり。
孫の時間に日常がセットされ、異次元のような日々になると新聞もテレビのニュースもおちおち見たり読んだりできないから、なんとなく甲高い泣き声や話し声が部屋中を駆けめぐる。
そういうものも、今だけだと思えばアリガタイことだと思う。
さて風邪かと思った体調も帰宅したら何ともない・・・
「スーパーで駅弁売ってたから『飛騨牛弁当』これ夕食」、作る手が抜けたと喜ぶ妻、まあどうということもない土曜日、寒さも増してきた。

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2017.11.01

秋らしい日々

11月1日(水) 紅葉も少しづつ山から里へと下りて来る

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【庄内緑地公園のサイクリングコースにて】

自転車で庄内川の堤防をのんびり走り、およそ5キロほど離れた庄内緑地公園に向かったのが昨日。
昨日も今日も雲一つない青空が広がり秋らしい日だが、すぐに冬将軍がやって来るという。

いつものように、IPODのフォークソングを聞きながら、何をするわけでもなく、ただただ一人でのんびり走っていると、遠くの山並みが見えたり、台風で増水した庄内川が、それでも穏やかに流れている。
変わり映えのしない景色だからこそ感じる安堵感。変化しないことの平穏さ。

公園のさくらの葉もすこしづつ色づき、濃尾平野のここまで、秋の色がやって来ている。
どことなく寂し気な心持になるのは、若かりし頃に聞いたフォークソングの歌詞のせいか、一人で自転車を友に走っているからなのか。

やはり、秋という季節がそうさせるのか。
どちらにしても、こういう雰囲気のなかを誰と話すこともなく、ただ、のんびりと走り、ただ、昔のことを思い出したり、人生は傷つきやすいものだとか、いやいや、人生は多様性に満ち溢れているとか・・・
つまり、今を生きていることを無条件で受け入れることができる穏やかさともいえる。

自転車というものがもたらしてくれる、ある意味「至福」な時なのですね。

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2017.10.29

雨中の宮参り

10月29日(日) 初宮参りと七五三

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二週続けて季節遅れの台風となった週末。〇歳と三歳の孫の初宮参りと七五三で出かけた。

雨の高速道路、名古屋高速道路と知多半島道路を乗り継ぎ目的の神社に向かう。
雨の日の運転は辛い。視界が効かないのでスピードも控えめになる。
神社に着く頃には空もようも少し小止みになって、せっかくの晴れ着がと心配したが、ラッキーである。

〇歳の下の孫は無垢のドレスにくるまれ、上の孫は晴れ着に花飾りの髪が可愛い。
昔からの風習。正確には初宮参りは生後30日くらい、七五三は11月と言われてるから、二人の祝いを一気にしてしまおうという、合理的な方法で、それも現代。

神事、風習といったものも文化として考えれば、神も仏も信じない自分などは、ただただ無事に成長してくれれば何も言うことはない。
「老いては子に従え」とはよく言ったもので、子に孫が生まれ、そうして社会生活を始めたら、親面はどこかで引っ込め、ニコニコしていればいい・・・。

子どもが無事に成長しにくかった昔、童謡にある「この子の七つのお祝いに・・・」とあるのは、七歳になって初めて人の社会に加わることを祝う意味だったが、それも現代からすれば、ちょっと不思議なことだろう。

しかし、女の子というのは綺麗な晴れ着を身にまとうと、ぱっと華やかになる。何枚か写真を撮ると、そんな華やかな上の子ばかりになってしまう。
1人目の子は写真もいっぱい、オモチャもいっぱい、周囲もいっぱい目をかけられるのに比べると、下の子は親の子育て経験値も増え、ほどほど感もでてくるなかで育つ。
どちらが良いと言うわけでもないが、それぞれの環境のなかで、それぞれ歩んで行くのだろう。

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2017.10.25

冬の兆し

10月25日(水) めだかの養子縁組

一昨日の23日は暦でいう二十四節気「霜降」の日だった。「秋気が去って冬の兆しあり」という。
暦は季節を先取りするものだったが、もう秋の季節が短くなって、あっという間に冬がやってくる。暦どおりではダメでしょう。

台風と総選挙が日本列島を駆け抜けて行った。政党政治の劣化というか政治そのものが、どこか庶民と違うところで数の論理ばかりが先行するように思う。
日本国民の半数近くの人が「政治」が身近なものでない現実。数字というのはマジックだと思えてならないが・・・。

台風と選挙で一色に染まる日本列島だったが、庶民は庶民で小さな我がごとに日々を過ごしている。
めだかが二匹になったと思ってた先日、四匹がいるのを確認できた。
鉢の底に深く潜行して晴れる日を待ち望んでいたのか?政治に対する日本国民の意識と同じような気もするが、それはさて置き、六匹ほど妻が知人からめだかをもらい受けたので十匹ほどになった。

もう産卵期は過ぎて、さてこの冬を無事過ごせるかである。「冬来たらずば春遠からず・・・」ふむ、ちょっと早い言い回しだ。

10日ほどブログも更新しない間に、雨と風を避けながら北側のワンルームの建築が進んでいる。
基礎にひと月、構造体にひと月、早いものでその変化が面白い。工場で作った造作物をあっという間に現場で組み立てる。昔の湿式の現場作業と雲泥の違いがある。

もっかの自分の関心事はその「壁のパネルの色」である。
願わくば「明るい色」にして欲しい、反射光で部屋の明るさが違ってくる、がとやかく言う立場でもない。

考えてみれば、建築主は思い思いに建築物を建てる。ピンクのド派手な壁の色や蛍光色の壁の色、いろいろな思いで建てるがその地域性みたいなものに溶け込む・・・ということは別問題のようだ。
もっとも住宅会社の均一な家が良いともおもわないが、要は自分の家であり地域の景観であり、家はその住む人の思想が全面的に表れるのだろう。

さて、そんなここ何日間といえば「孫の守」に出かけたりする合間をみて、「めだか鉢」の防寒防雨の鉢蓋つくりに四苦八苦して、透明のプラ板を二重構造にしたものを作り上げた。
なかなかの出来だと自画自賛するのは誰も褒めてくれないから(笑)

自転車のバックのショルダーベルトの変更、プラスチックを外し「Dカン」を取り付け、脱着を容易にするもの。「Dカン」は380円、ネットで注文し、これもなかなかの出来になった。
まあ、こういうマニアックなことは写真でも撮れば説明の必要もないが・・・。

なかなか天候が不順だと晴れた日には用事があり、雨の日は暇になるなど、思いどうりにはならないものである。
思いどうりならないと言えばカープファンにとっては残念なCS結果となった。ぶっちぎりのペナントレースの勝利が短期決戦のCSで・・・、なんとなく寂しい秋の暮れである。

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2017.10.15

歩く

10月15日(日) 三日坊主でいいじゃない

夕食のヒレカツとキャベツのサラダとスープをゆっくり食べ終わる頃に窓の外の雨もほとんど降りやんだ。

「糖尿病なので歩こうか!」と、いや正確には「糖尿病予備軍なので」だが、すこし秋も暮れかけた戸外歩きをする。3キロほど。

昨日も同じように「さあ糖尿病なので・・・」とカミさんと連れだって5キロほどの道を歩いた。
キンモクセイの甘い香りがしてくるが暗くて花の香の所在がわからない。
昼間なら気にもならない工場に灯がともり、工場の中の機械類や車などが目にはいる。

先週は所用もあって2時間半ほどの距離を歩いている。
もっとも休憩なしに歩き詰めると、さすがに足も痛くなったが・・・

自転車一辺倒の暮らしに「敬老パス」のおかげで、地下鉄、JR、名鉄、あおなみ線と電車に乗る機会も増えた。
列車だけでなく市バスも一時間に1~2本と少ない時刻表にあわせて利用するようになった。

昼間の利用者はお年寄りが多い。「敬老パス」を改札にタッチするとランプが点く。
少し気恥ずかしさがあったが近頃ではやっと慣れた。
そして「歩く」ことも以前よりは増えた・・・「糖尿病だから」というのが口癖になっている昨日今日である。(笑)

明日も歩けば三日目になるが、あいにく雨模様となりそうで、そのまま休憩になるのか・・・。
カミさんに「三日坊主どころか二日坊主だなぁ~」と言えば、「三日坊主でいいじゃない、三日で休んで、また始めて、また三日坊主でも」と。

ほどほどに力を抜いて、焦りもせず、ストイックにもならず、そうして知らぬ間にじわじわと「糖尿病対策」になればいいってことか。

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2017.10.10

生活習慣病

10月10日(火) 糖尿病検査と注射

7月に受けた人間ドックで「糖尿病の疑い」の結果がでて、10月初旬に再検査をした。
糖分たっぷりの飲み物を飲み、一定時間経過後の血液検査で、4回もの採血をした。
つまり4回も注射を打たれ「ちょっとチクッとしますからね~」と優しく針を刺してくれたが、どうみても注射は痛い。

ブスリと腕に刺す瞬間は見ないことにしてるが、「私はしっかり見るわ」と妻が言う。
もっとも、そういう気丈な患者には看護師さんも緊張するらしいというが、本当か。

血糖値の数値が良くない結果がでてから、足がしびれるような気が、眼圧が上がって視力異常が出た気が、食後の気怠さが半端ない・・・と。
あれもこれも「糖尿病」の症状だと言い続けていたら「まったくもう、暗示にかかりやすいんだから~」と笑われる。

自分の体の症状についてはほとんど自信もなければ自覚に乏しい。
それをして「暗示にかかりやすい」ということらしい。
若い頃献血をした時、なぜかふと針が血管を突き破り全身大量出血して失血死するんじゃないかと妄想した挙句、くらくらとめまいがしたことがあるが、あれからどうもトラウマのようだ。

暗示にかかり易いから「癌の告知はされない方が身のためだ」と本気で思っている。
もっとも「暗示」といっても政治とか宗教とかそうしたものの「暗示」には滅法強い自信はある。

さて、その再検査の結果を聞くために今日は通院をした。
血糖値は標準より高い。血糖値を下げるための肝臓からのインスリンはそれなりに分泌されているが、血糖値が下がるのが緩やか。
肝臓も一生懸命頑張って仕事をしているが、いかんせん緩やか。

つまり100%の糖尿病予備軍には違いないが服薬治療するほどではないらしい。
血糖値が上がらないように食事量と摂り方の改善が必要、筋力を増やす運動も必要、年に数回は血液検査をすべし。

「糖尿病の要観察者」ということになるが、高血圧、糖尿病といった成人病とは無縁な人生だっただけに、いやはやなんとも。
そういえばこの春から夏にかけて自転車に乗ることも減り、やはり運動量そのものが落ちてきたから・・・ここは一念発起して!!清く正しい一票とともに、清く正しく健全な生活習慣を作らねば。(笑)

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2017.10.04

あ~ぁ壊滅!

10月4日(水) 月見上げれば十五夜の輝き

今日は十五夜だったわねぇ~運転してて見られなかったわぁ~と妻。
月を見上げて何かを思うなど、暮らしの中から遠のいた。
ススキと月見団子も。

気が滅入ってしまう。あ~ぁ、とため息が漏れてくる。
20匹以上が泳いでいためだかの稚魚が3匹まで激減した。

数ミリほどだから鉢底に横たえてしまったのだろう見当たらない。そればかりか成魚も今朝5匹までになって、壊滅的なめだかの生育状態になってしまった。

きっと孫に話したら「めだかさんお空に行ったんだよね」と言うだろう。
今夜の十五夜はとてもきれいだから、丸い月でゆったり泳いで遊んでるのだろうか。

一昨日は激しい雨が降り、急激に気温も低下した。
厳しい環境下で体調も壊したのか、それとも飼育方法にどこか間違いがあったのか・・・

「自然淘汰、サバイバルに生き残らなければ・・・、我が家のアロエは大雪にも耐えて今があるのよ。めだかも強くなけりゃだめよ」
いやはやごもっとも!などと滅法強気な妻だが、そのくせ自分の仕事では弱音を吐いている。

ホームセンターやペットショップで売られているめだかだから、清流の川底などで強く生き抜いていためだかとは違うのか・・・

成魚も稚魚も強いのから弱いものまで、個体の違いはあろうが全部来春まで生かそうと。
一匹たりとも死なせるまいと、意気込んだはずがこの様なので、めだかも産卵して自然に死ぬのは致し方ないとしても、やっぱり、あ~ぁ!なのである。

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2017.09.25

彼岸花三景

9月25日(月) そうだ彼岸花を見に行こう!

こういう書き出しだけど「嘘」です。急に思いついたような言い方だが、今週の予定と天気をみると今日しかないだろう!というわけで、自転車で庄内緑地公園へ向かった。

■自生する彼岸花(一景)

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用水脇や堤防にしっかりと紅い彼岸花が咲いていた。新名西橋の堤防道にも咲いていて、吊り橋の赤いロープとのコラボが面白かった。
数年前はもっともっとあちこちに咲いていたが数も減った気がする。

少し前に一面彼岸花の写真が新聞に載っていた。
実物は壮観なんだろうと思うが、自生する僅かな彼岸花もいいものだと。
つまりなんだねぇ~貧乏性の自分には、そこらに自生する彼岸花が似合ってる。(笑)

■曼殊沙華という名前(二景)

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本当は僕は彼岸花とよぶよりも曼殊沙華という名前のほうが好きだ。
死人花とか捨て子花とか幽霊花とか、ちょっと可哀想な別名もあるらしい。

つげ義春の漫画に「紅い花」という作品がある。高校生の頃に好んで読んでいたつげ義春。
その赤い花は彼岸花ではないけれど、そういう暗いイメージが彼岸花を見るたびに思い出す、暗さや妖艶さや貧しさや・・・曼殊沙華。

とはいうもの、青い秋空の下に咲く彼岸花は、頭の中のイメージとは違ってけっこう咲き乱れているものだ。

■5歳の記憶にある彼岸花(三景)

信州の田舎から出てきた数年後の5歳の頃の記憶。母が墓の前で泣いていた。あれは母方の祖父母の墓まいりだったと思う。

きっと暫くぶりの故郷への墓参りだったのだろう、その日の夕方小さな店の座敷で知らないおじさんに買ってもらったブリキの自動車で遊んでいた自分を覚えている。

しばらく墓の前で泣いていた母。まだ小さい自分は何故そこに自分がいて、母が泣いていたのかわからなくて、ただその辺をうろうろしていた。そこに彼岸花が咲いていた。

それは遠い記憶なのであとから彼岸花が追加されたのかもしれないし、彼岸花という名前ももちろん知らなかった。

墓の前で母が泣いていた=彼岸花。ある種の暗いイメージであるとともに、どことなく「優しさ」もあわせ持った5歳の頃の記憶にある彼岸花。
いやはや歳を重ねると昔を思い出すことも多くなるわい(笑)

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