2019.08.15

終戦の日

8月15日 感受性

台風10号の接近が伝えられ、風にとばされそうな植木鉢を避難させ、自転車やエアコンカバーをビニール紐でくくる。
窓を閉め、熱中症にならぬように28度にエアコンを設定する。
洗濯した衣類の部屋干しは一挙に湿度があがるので熱中症もどきになる。
凄まじい強風ではないが、歩くには気を遣う強風なので、今日は外出はできそうにない。

8月15日、日本の軍国主義が敗戦とともに崩壊した日。
戦争への思いはいろいろあるが、別の意味で、自分にとって、西暦と元号を突合させる起点となっているのが1945年8月15日。
1945年と昭和20年という具合に置き換えて数える。昭和と平成と令和を生きてきた者がなせるワザかも知れない。

暇の退屈しのぎにスマートホンで記事を読んだりしていた。
短い文章でときに感情的に断定し他の意見を否定するような記事や文章も少なくないのがネットの記事。
選択する幅もせまく、新聞のように好むものも好まないものも関心のあるなしに関わらず、少しだけ「考えること」の手助けとなっている媒体のほうが好きであるが、それも今の時代の流れには沿っていないかも知れないが。

「あいちトリエンナーレ」の賛否が云々されているこのところである。
いろんな人が発信しているが、ちょっとおもしろい記事を読んだ。
ネットの記事ではなかなかお目にかかれない長い文章であり、いろいろ考える手助けになった。
督あかりという方の「あいちトリエンナーレの分断に思う・・・」というもので、この筆者の方は良くはしらない。
さまざまな考え方があってよいものだと思うし、意思表示されることは素直に尊重されるべきだ。
ところで、この記事中で紹介されていた茨木のりこの詩にちょっと心が動いた。

孫引きで申しわけないがこんな詩である。

ばさばさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりをおこたっておいて
(中略)
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

よく知られた詩のようで、いま一度あらためて、中略なく全部を読み返してみた。
時代と関わろうとする人の感受性の問題に、はっ!とさせられる詩だった。

 

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2019.08.03

ねぎ

8月3日(土)家庭菜園もどき

こうも暑いと朝晩はともかく気温もぐんぐん上昇する昼時は喉越しのよい麺類がついつい増える。
昨日もソバを喰ったが、まっ、今日もソバにするか!と。
けっこう前に九条ネギを買ってきて、根っ子の部分を植木鉢にさしておいたら、これがけっこう成長する。
20センチほどに延びたので収穫して、ソバの薬味にしてらちょうど良かった。
ほんの遊び程度の「プチ家庭菜園もどき」というわけだが、土地を耕し、畑をつくり、食する野菜を育てる。
そういう醍醐味の数百分の一でしかないが、自分で植えた野菜を自分で食べるっていうのが「普通」であって、土地がなくても「プランター菜園」に勤しむ方の、楽しみの気持ちがほんのわずかではあるが理解できた気もする。
食べること、着ること、住まうこと・・・そうした暮らしの在り様に、できるかぎり自然であり、謙虚であり、そして清貧。
なんだか衣食住のあれこれがわずらわしく思える時、金さえ出せば何事も済んでしまうと思える時・・・きっと精神が病んでいる兆候なのだと思う。
メダカとアサガオの次は「プランター菜園」かなぁ~と思う貧乏庶民の叶えられそうな夢か(笑)

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2019.08.02

来た!来た!暑い夏が真っ盛り

8月2日 酷暑

耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び・・・今年もこの暑い夏を乗り切らねばならない。
少々の打ち水や、風鈴の音色や、扇風機の風といった、昭和の風情では、この酷暑を乗り切るにはいささか心もとない。
もう我慢せずにエアコンをかけて、外の日差しと熱風を遮断する。
この暑さのせいか睡蓮鉢のメダカも数匹死んでしまっていた。
エアコンをかけ、ますますヒートアイランド現象に拍車をかけるのは承知だが、熱中症になるよりはましだろう。
なんだか「水分をこまめに補給し、日中は不要な外出をさけて・・・」といった、対処療法のような「夏の過ごし方」を繰り返し注意喚起されても、そんな自己責任ぐらいで、なんとかなるレベルではないような気がする。
地球温暖化が身近な「季節感」として身に沁みる。
春夏秋冬、日本の四季は素晴らしい!!とは思うけれど、長い梅雨の後に酷暑がやってきて、ほんとうは「季節のせめぎあい」という、その情緒すらどここに行ってしまった。
エアコンがなければ生きて行けないという現実の日本の夏である。
クーラーすらなかった子供の頃、部活では水は飲むな!と訓示された精神論、暑いけれど我慢もしていたあの頃、もう遠い過去のものになった。
環境の激変が人的な行為によるならば、自然な都市環境を目ざしたり、CO2を削減したり、自然エネルギーを活用したり、人が普通に暮らせる住環境を人間自身が見つめ直す・・・といった抜本的な手立てを講じなければ、人間は暑さや寒さをしのぐ為に「地下生活」を強いられるのではないかと、SF物語のようなものが、なんだかじわじわと迫ってきているように思えてならない。

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2019.07.12

梅雨の晴れ間

7月11日(木)久しぶりにパソコンの前に座って・・・

長い梅雨時も先が見えてきたが、この先に暑い暑い夏がやって来ると思うと、ぐずついた曇り空も捨てがたい。
梅雨の晴れ間は案外過ごしやすいし、予定した日が晴れていれば、ちょっと得した気分。
6月の「梅雨の晴れ間」に京都の洛北のお寺巡りのサイクリングに行ったし、毎年楽しみにしている尾張西枇杷島の祭りと花火も、雨が避けてくれた。
なんだかんだと忙しいような暇なような日が続き、あれよあれよという間に夏がもうそこまでやってきた。
しばらくパソコンから離れていたら、パソコンの調子が悪い。
Windows7の時代の代物をバージョンアップして使っているから、ずいぶんと物持ちがよいが、その分「起動」も遅いし、文字変換も遅い。
もっとも、文章を作るという作業から遠ざかって、頭を使うという論理的作業も遅々としている。
相変わらず「宇江佐真理」の小説を、これも遅々としているが文庫から単行本に移って読んでいる。その合間に浅田次郎なんかも読みながら。
あまり人に本を紹介することもないが、宇江佐真理の「髪結い伊三次捕物余話」の話をした方から、「読みましたよ、あなたと話をした後のような余韻があります」とメールをいただいたのが、なんとなくどんよりとした日々のなかの「晴れ間」のような心持となり、うれしいことだった。
まあ、小説から何を読み取るのかは人それぞれではあるが、この本はおもしろい!という読書レビューは頭に残っているもので、宇江佐真理という作家も、実は自分で見出したのではなく、Tさんという方の読書レビューがきっかけだったが...
小さな花壇のユリの花が咲きだした。紫陽花はもうとっくに咲いている。
アサガオのグリーンカーテンつくりは半分ほど成功し、半分は萎れてしまっている。
メダカは食欲旺盛で泳ぎ回り餌の時間には指先がふれるほどに近寄ってくる。
そういえば、小さなトノサマガエルの訪問があった、この梅雨の季節はいつもやって来る。
一日を充実した日になるようにと、洗濯や掃除や片付けや、花の世話や買い出しや・・・目新しいものは何もないけれど、生活のあれこれに勤しんで過ごす日々というのは、それはそれで幸せな日々といえる。

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2019.05.18

庭とか花壇とか

5月18日(土)花の名札をつける

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【アサガオがぼちぼち咲き始めたので期待も大きいグリーンカーテン】

自宅の南側に花壇がある。
庭はというと駐車スペースに占領されて無い。
季節の花々は花壇植えされ、それでも足らないので植木鉢やプランターを置いて「土」を確保するしかない。
「もし広い庭があったら花も木も野菜も出来るのに・・・」と妻はいつも残念がっている。

娘がマンション暮らしから戸建て暮らしになった。
郊外の比較的土地もゆとりがあるので南東側と西側が庭になっている。
狭小の住宅住まいからすれば、燐家とは連ならない空間の広さは羨ましくなるほどだが、妻などは「庭があるなら花々をたくさん植えられるのに」と思っている。

住む地域や土地に制約されるのが暮らしというもので「住めば都」の例えのように、今ある環境に順応し季節の花を楽しんでいるのが現状だ。
「花がきれいですね」とときどき所用で訪れる方から褒められると「いやぁ~カミさんの花壇で自分は水やりの世話人ですから」と答えるが、近所は花壇のある家も多くないので、褒められれば「カミさんの花壇」ではあっても嬉しいものだ。
だから、せっかくの庭をコンクリートで固めてしまうのも、放置するのももったいないことだと・・・
しかし、いったい今の我が家にどんな花が植えられてるのか?正確に知らずに毎日水を撒いているので確認してみた。
端から、おもと、アロエ、こでまり、クレマチス、カサブランカ、牡丹、あじさい、ウノハナ、門柱前の花壇にはカーネーション、星桔梗、ラベンダー、日日草、ミヤコワスレ、南天などなど。
他にはジャスミン、スモークツリー、スイセン、シクラメン、ライラック。
今回確認のため妻に聞いて知った花というとイソトマ、ゼラニウム、サフィニア、スカビオサ、デルフィニウム、アッツザクラなどで、アサガオはグリーンカーテン仕様・・・

もう狭い花壇と植木鉢に押し込まれて、さながら都会の狭隘な住居で暮らす我が家に似ているので、ちょっと笑えてくる。
大輪の牡丹やクレマチスやあじさいの花(ガク)など大ぶりの花はそれなりに見応えがあるし、ジャスミン、ライラック、ラベンダーなどのほのかな甘い香りは季節を感じさせてくれる。
しかし小さな花壇と植木鉢では花も育ちにくいのかほどほどのサイズ、枝切や蔓切りしされて身の丈以下に収まっている。
数年前までは「花の名」は何も知らなかった。
せっせと花いじりする妻に「どこが楽しいのかな」と疑問の視線だったが、とにかく水枯れしないようにと日々世話を始めて知る花の名も少しずつ増えた。
そこで20種類ほどの花のつ一つに名前を書くことにした。せっかくだから名前も覚えて愛でるのも楽しいことだと。

植物の命を身近に知ると、人間のいろんな人工的な造作物とは違う自然の営み、枯れたり萎れたりふたたび意気揚々と輝いたりという、なんか人間の傲慢な暮らしぶりを顧みることができる。
使い古された言葉「コンクリートジャングル」の中にあっても自然と向き合う事はできるものだと教えられた気もする。
さて、娘の庭の話に戻すと、以前は畑地であったので雨の日にはミミズも蛙もやってくる。
肥えた地所ならでこその雑草も芝の中にのびる。
そこの地域は畑もまだ残る土地柄なので、マンションとは違い、蚊も蠅も蜂だってやってくる。
「虫は嫌いだ!」と嘆いているので「虫が嫌いな奴は中心街のマンションにでも住むべきで田舎暮らしは不似合いだ!」と、ついつい嫌味な言葉がでてしまうので反感を買う。
どうも反感を買う人生を反省せねば。
「せっかくの庭だからねぇ、虫も生きてるからねぇ、嫌わずに慣れるように努めないとねぇ」とでも優しく言うべきか。
とはいえ、人は自分の都合に合わない環境を嘆くが、その環境に合せて自分の住み方や暮らし方を変えて行くというのが自然との向き合い方だと思っている。
せっかくの「お庭」だから手入れをし、そこに命ある花とか食生活の一部になる野菜などを拵える。
そんな暮らし方ができたらいいなぁ~と常々語っているのが妻で、そこは価値観を共有出来るけど、不便な田舎には住みたくないとも。
やや矛盾してるが……

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2019.05.12

太閤祭(名古屋中村区)

5月12日(日) 母の日

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この週末、中村区の太閤祭が開催されていたので義母に声をかけて3人で出かけた。
出がけに「まあ、お揃いでお祭りですか!いいですね」と近所の娘さんが笑顔で言っていた。
「お揃いかぁ」義母と娘(妻)が腕を組んで、後ろから自分も歩く、たしかにお揃いの光景である。
80歳を超える義母だが、いたって健康で、目は良し、耳も良し、口も達者。
背筋もシャキっとしてるが、転んだら大変なので娘(妻)が腕をとる。
祭りの会場の参道は、やたら食べ物の屋台ばかりで、高校生あたりが大人びたメイクの背伸びをして友達らと繰り出している。
そういう祭りが現代の祭りの姿で「太閤祭」という名前からの風情はあまりないが、この人の混み具合は昨年以上だった。
おそらく妻も義母も祭りが楽しくて行くというよりも、娘と一緒に腕を組んで出かけるというのが楽しいのだろう。
毎年のこと、稲荷寿司と巻き寿司を娘の家族にと拵えて用意してくれる。
今年84歳になる義母である。
まだまだ元気そうだし意志の強さも持っている。
その昔はこの母(義母)を娘(妻)が乗り越えるのは大変かな?と思ったこともあったが、歳とともに親子の関係は自然に落ち着くものである。
どうも母と娘というのは「夫」とか「婿」という立場の自分には理解しがたいものがある。
娘自身が母となり、なかなか自立しがたい母と娘の関係に、同じ道という「同志的感情」が生まれ、その瞬間に娘というのは、母親を乗り越えるのではないのかと思う。要するに親が愛しく可愛く思えてくる瞬間である。
父親と息子というのはこれとはまた違った自立のしかたをするもので、そもそも共依存関係も発生しにくい。
もっとも、父であれ母であれ息子や娘であっても、経済的な自立がなかなか難しいのも、格差が広がる今日の姿ではないだろうかと思う。

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2019.05.01

連休

 5月1日(水)孫が来て、年々にぎやかになる

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10連休の前半を終えようとしている。
孫がやって来て、狭い我が家の中が賑やかだ。
もうすぐ4歳と2歳、なんでもかんでも遊び道具にするからおもしろい。
幼児の行動は観察していると、「なるほど」と思うことがしばしばだ。
昨日帰って行ったから、今日は静かさが戻った。
孫は来て良し帰って良し!名言だと思う。
そんな連休中の日に名古屋ドームのチケットをもらったので中日×阪神戦を見に行った。
だけど負け試合。見どころ少ない。
しかし今年のドラゴンズは頑張っている!あのカープよりも上位で試合をやっている。(笑)
4月はAクラスに留まった、この先もワクワクした試合を期待したいが・・・予想最下位チームだからなぁ。

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2019.04.21

生き物たちが意気揚々と・・・

4月20日(土)新緑の季節

桜も葉桜となり新緑の季節となって、花々や生き物たちが元気だ。
気温も20度を超えると100匹ほどのめメダカが水面を泳ぎ回り、それを眺めているだけで楽しい。
チューリップは花びらを散らしたが、大輪の牡丹やライラックやミヤコワスレが咲き、いい香りと彩を見せている。
ほとんど彩のない冬を越し、今年も花や生き物たちが、ちょっとだけ潤いをもたらしてくれる。
義母さんを誘い2キロほど離れた「花屋」に出かけた。
これと言って買う花のない時でも、季節ごとの花々がガーデンに並ぶ。
この季節である。格段に種類も増え、「花いじり」の好きな客も増える。
今年も夏のグリーンカーテン作りに挑戦しようとあさがおの苗を探しに来たわけだ。
品種としては「琉球あさがお」「ドイツあさがお」が目に留まったが、「葉が大きく育つ」と花札に書かれていた「ドイツあさがお」の苗を9つ購入した。
一つ200円弱だったので全部で1800円ほどの命を買って、買ったからには上手に育てようと思う。
昨年は「摘芯」をそれこそ「若い芽を摘む」と躊躇したのが原因で、蔓ばかり上にのびて肝心の「緑のカーテン」にうまく育てられなかった。
「失敗の経験値」こそ物の上手の源だと思うが、めだかも最初は購入した全匹が天国へと旅立って行った。
動物も植物も自然界で共存する生きとし生きるもの。
死なせてなるものか、枯らせてなるものか・・・と、そこに趣味的世界の意味をみいだす。
何に自分の意志を込めるのかという選択も、これまた一つの人生観の選択なのだろうと思う今日この頃なのだ。

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2019.04.06

桜チェック

4月5日 あちこち桜が満開に・・・

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そろそろブログもマメに書こうかなぁと。
「ココログ」がリニューアルされ、使い勝手が変わった。
店舗の商品陳列と同じで、とまどってしまうのは歳のせい?
まっ、頑張ってみようかな。

 

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2019.03.10

土筆(つくし)ニョキニョキ庄内川

3月10日(日) 今年は大収穫だった!

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昨日、花屋さんに行ったその足で庄内川の堤防で土筆取りをした。
毎年義母さんが「土筆取りに行こうよ」とお誘いがあり、明日は雨模様だから今日中に・・・
天気予報が的中して、土筆取りが昨日で正解だった。
私も妻もさほど土筆が好きではないので収穫は義母宅へ、卵とじになった土筆が帰って来るのは恒例のことだが、少し癖のあるあの味には、どうも。

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庄内川の堤防工事があった頃はほとんど姿を消したが、ここ数年は復活してきた。
ビニールの袋いっぱいの収穫に笑顔が、義母さんは満足したと。
都市部では田んぼや小川が減って、土筆もどこにでもあるという訳にはゆかなくなったが、庄内川のここには残っている。

春の風物詩、昔ながらの風物詩、残しておきたい風物詩、いつまで続くやらの風物詩。
こういう遊び心はとても楽しいものだと思う今日この頃、ああ孫にも体験させてやりたいところだなぁ。

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