2017.07.15

人間ドック

7月15日(土) 忙しかろうが暇だろうが日々は過ぎて行くなりぃ~

孫の世話に追われパソコンを開くのも久しぶりだが、ネットを見るだけならばスマホとかタブレットで事がたりる。

起動し立ち上がる速さはPCの比じゃない。もっともアンドロイドなどはその初期は遅いしフリーズするしで、今とは雲泥の差だった。

というわけで、少し時間とれたのでキーボードをたたいている。
「孫の世話」と書いたが、孫の相手をして遊んだりしてるだけじゃなくて、掃除や洗濯や昼飯や・・・、一人よりも二人、二人よりも三人と家族の人数が増えた分、洗濯は通常の倍々、埃だってやたら増えるわけで、ただただ孫の相手をするだけならば少しは気楽だけど・・・

ボランティアの活動もしばらく猶予をもらい、調整をして昨日は「人間ドック」を受診した。
この2年ほど医療機関とはご無沙汰していたが、いよいよ妻の健康保険の被保険家族から外れることとなるので、最後の「被保険者」としての受診となった。

検査機関で検査用の衣類に着替えて順番を待つ。みな同じような検査服で待合所に並ぶ姿は当然のこととはいえ、なんとなく不思議な光景のように思える。

病人ではないから暗さはないが、検査結果によっては問題があるかも知れない・・・と、きっと誰彼なく思っているに違いない。見えない不安とでも言おうか。

ごくごく普通に尿検査、心電図、胸部X線、腹部X線、エコー、血液検査などを終えたが眼圧と眼底カメラ(だと思ったが)がちょっとおかしい。視力・聴力項目数値は歳相応なものだったが、眼圧と眼底カメラがうまく測定できない。何度も繰り返した結果、ちょっと首を傾げながら「いいでしょう」と・・・
こういう測定者の「?」という表情を目ざとく見つけて、もしかして~もしかして~♪
「眼」のなかに何か異常でもあるのだろうかと、いやいや目を酷使してきたツケがやってきて、行く々々は「異常~!」ってなことになって、読書も禁止!などと、まあ不安ってやつは、どこまでも増殖するものである。

後日検査結果が送付されてくるが、どうぞ歳相応の衰えは我慢するとして、通院とか入院とか手術とかは勘弁してほしい。
病院は普通人を病人にしてしまう!と言ったら言い過ぎだけど、あまりお世話にはなりたくないものである。

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2017.07.05

保育士みたいなもの

7月5日(水) 三輪車と孫と・・・

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個人的な感想として言えば、写真ってものを撮って、その写真の被写体と自分がどう関わっているかという、ある意味「物語」がある写真が、まあ好みであって、そこに「物」や「風景」があったとしても、個人的なものではなくて一般化された対象物であるならば、それは自分の好みではない。

三輪車が乗り捨てられて、これは孫が実家帰りした時のお散歩用にと購入したもの。
ただの三輪車で機能や形などどうでもよく、こいつに乗れば数百メートルは「散歩」できるという、子どもにとっては秀逸な乗り物で、大人にとってもご機嫌な孫のキコキコ姿に気を良くするという代物。

三輪車というのは実に子どもが、ある意味「家庭」から脱出する夢のような現実の乗り物だと思えてならない。

娘の二人目の子が生まれ、親子で実家帰りしている。さぁ~てえへんだ!
0歳クラスと2歳クラスの保育園と化した我が家では、自分はさしずめ二人目の保育士のごとく、一日が過ぎている。

近所の公園まで午前中は「遠足」し、午前だけでは足りないのか午後も近所をぐるぐる。
保育園ならば、広い園庭や遊戯室などがあるものだが、狭い我が家では、やはり狭すぎる。

雨の日も「雨傘」がお気に入りときたもので、傘をさしてお出かけ・・・昨日も車に気を付けながら800メートルは一緒に歩いたが、これも幼児の体力勝負で、疲れると「抱っこして~」と。

抱っこするのも60肩に重くのしかかるが、寝てしまうと、もう13キロの幼児の体重がただでさえ重い、とてつもなく重い。

そうして子どもの相手をしながら、洗濯をしたり昼食の用意をしたり、いやはや体力勝負になるが、下り坂を転げるように体力の低下を余儀なくされるこの歳、かたやそんなことなど「忖度」するわけのない「孫」のあれこれへの興味は一日尽きることがない。

返却期限の迫った図書館本の読書も遅々として、自転車散歩など論外中の論外というわけで、私めの気力と体力も、この小さな「悪魔」には勝てないという今日この頃なのである。



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2017.06.27

自転車健康法

6月27日(火) Happy Birthday
 
めでたい日である。しばらくは賑やかしく忙しい日々になるだろう・・・

今日は15キロほど、まだ走ったことのない路地を選んで自転車を走らせる。
梅雨の合間をぬって、ほどよい感触、ほどよい負荷、限界の数歩手前の「ほどよさ」がいい。
一昨日、半日ほど研修会場ですごし、誘われて慣れぬ豪華な・・・とはいえ普段よりはであるが、昼食を摂ったあと、少し小雨の中を帰宅した。
なんとなく体調がよろしくないと思ったら、腹痛と嘔吐に見舞われた。

この季節だから熱中症のような症状で、昨日はプチ絶食を試みる。胃も腸もすっかり空っぽにして、ほぼ正常に戻った今日は自転車健康回復法というわけだ。
歳のせいとは思いたくないが、どうも意識と体が微妙にズレてしまうところに、やはり年齢を感じざるをえないのである。

ただ、そういう時に自転車に乗って、少し汗をかく程の運動が、健康回復に効果があるという、万人に共通する方法ではないが、自分には絶大なる効果をもたらす。
夏に向かう季節だからか自転車通勤をする姿が増えてきた。
仕事に疲れた日など、気分を変えるにはとてもいい。

疲れた身体をほんの少しだけ上回る体力の消費が、疲れそのものを取り除くという、不思議な関係なのである。



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2017.06.20

図書館のある暮らし

6月20日(火) 図書館はとても有難い公共施設です

明日は西日本の太平洋側は大雨になるという。
梅雨に入って本格的な降雨、植物には恵みの雨だろう・・・ということは、明日が返却期限となってる図書館本は今日返さねばなるまい。

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自転車にとっては雨は大敵だから。
区の図書館は大変お世話になっている。冊数こそ県や中央図書館には及ばないが、限りある蔵書のなかから手にするのは、「目的の本」というよりも、たまたま見つける本の面白さがある。

最後のごぜ「小林ハル」さんや、伊藤礼さんの自転車エッセイ、杉本苑子さんの時代小説、間宮健司さんの「名古屋散歩」等々・・・、目的のない図書館棚の、いわば散歩のなかから見つけ出した優れもの(自分にとってはだが)というわけだ。
一冊の本から、思いもかけない嗜好や思想やいろいろと広がって行くものである。

こうした本をとりそろえ蔵書として貸出するのは、やはり図書館司書という方々の力によるところが大きいと思っている。

限りある冊数の区の図書館が質の高い蔵書を棚にならべて貸し出ししてるからこそ、単に売れ筋、評判の良い、ベストセラー本とは、また違った文化を提供してくれていると言える。

本屋に並ぶ本とそっくりそのまま同じでは、面白くもなんともないものになってしまう。
というのが、最近増えてきた「委託化」にあたって願うことでもある。

さて今日はまだ本格的に読んだことの無い松本清張の短編文庫本二冊、メダカ飼育がらみで一冊、取り寄せ本の精神医学本一冊を借りた。
まあ、こういう本の借り方は、ある意味「図書館散歩」だと僕は思っているので、いつまでも質の良い文化の香がする、そして本を読むのが楽しくなる区の図書館であり続けて欲しい。

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2017.06.18

日めくり

6月18日(日) 父の日

梅雨の曇り空、今年はカラ空梅雨か?と聞くと、曇り空もなんとなく悪くない。

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「父の日」である。母の日よりも認知度は低いというが、この世知辛い世の中、子どもが元気で暮らしていてくれるのが一番のプレゼント。

最近はカレンダーはあっても日めくりのある家庭は見かけなくなった。子どもの頃の家には近所の酒屋か米屋かの名前が入った「日めくり」があった。
毎日一枚破るのが日課ならまだしも、忘れた頃に何枚か破り捨てていた、そんな意味をなさない日めくりの記憶である。

「今日は何日か」退職して日にちの感覚がにぶると、月のカレンダーを見ても用を足さなくなる。
そんな時はスマホを起動させ「ああ今日は18日の日曜日か!」となるから可笑しい。
勤務してたころは「何日か」よりも「今週の予定は」「今月は」と、書類には「日付」は必須項目だったので、今日が何日かなどは意識しなくてもよかったものだ。
ついでに西暦と元号が入り混じって??となることも。

だからカレンダーはそれだけでは用を足さなくなる。毎日が「休日」というのはそういうことで、予定のない週は「高齢者生活」そのもの (笑)
父の日を前に「何か欲しいものは」と娘から聞かれた。即座に「日めくり時計が欲しい」と。
いたって堅実な妻は「そんな散財させなくても、気持ちだけで何もないよ」と言えばいいのにと言う。

もっともなことだが、義父への「父の日」のプレゼントは何にしようと毎年悩むという。
そうであれば、素直に「欲しいものはこれ!」と伝えた方が正直であるし、貰えば嬉しい。

というわけで、自分の部屋用に「日めくり」が飾られ、「今日は18日、日曜、仏滅、気温27度、湿度49%」と表示されている「父の日」である。

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2017.06.16

めだかのストレス

6月16日(金) めだかの飼育、その後

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国会中継を見ていて、なんともまあ権力者の驕りの姿、真摯に「真実」をあきらかにする姿勢の無さに、ストレスさえ覚える。
家にひきこもってテレビを見ていた一日。書類の整理や資料請求の準備や手紙を書いたり予約したり、落ち着いた一日を過ごすはずが、心かき乱されると・・・

さて、めだかの飼育を始めて、その後である。
水槽に気持ちよく泳いでいたはずが、なぜか4匹ほど死んでしまった。
カルキ抜きした水道水の水替え、酸素補給、適度な餌、環境維持には万全を期したはずだったが・・・
それでも死なせてしまった。水槽という周囲から見える環境がめだかにとってはストレスだったのかと思い、残っためだかを元の睡蓮鉢に戻してやった。

あじさいの傍の睡蓮鉢は酸素補給はとくにない。ときどき水を替えて朝晩5分ほどで食べきれる餌をやる。
稚魚は丸い網輪で成魚とは区別している。水草の下にじっと隠れてなかなか顔をださないが、ここ数日は餌やりに睡蓮鉢を覗くと少しだけ顔を見せる。

金魚よりも耐性があると思っていたが・・・やはりストレスのように思われる。
人間でもいつも監視されて見られていたら、病気になってしまうに違いない。
自由な意思で普通に暮らせるのが一番なのだ。

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2017.06.08

バナナの話

6月8日(木) バナナスタンドを仕入れる

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バナナスタンドがあるとは聞いてたが、そんなもの「おまけ」のようなものと思っていた。
気温も上がって冷たい飲み物が美味しい季節になり、生バナナジュースを作ることが多くなった。

いたってシンプルにバナナと牛乳をミキサーにかけ、そのままコップに入れておしまい。
しかしバナナという奴はなんでこうも傷みやすいのかと、バナナジュースを飲む機会が増えるにつけ思うこと。

ジュースの作り手はもっぱら自分で、風呂上がりに「バナナジュースを飲むかね?」、朝の一杯に「バナナジュースを飲むかね?」、何というか凝りだしたらこの先、飽きるまで続くような気がする。

バナナも安価になり、栄養もしっかりとれるので、晩酌とかはあまりしない我が家にとっては、やはり風呂上がりの一杯というわけだ。
というわけで、最近はバナナが切れることなく買い置きされ、冷蔵庫ってわけにもいかないから・・・バナナスタンド。

Amazonで喜び勇んで注文したら「バナナスタンドなんてスーパーに売ってるよ!」ときたもんだ。
知ってるならば今まで何故に使わない!

ああ、バナナが高額で珍しい時代を生きた私としては、たかがバナナでも買った以上は美味しくジュースにするのは必然的な作法・・・なんちゃって。
もっとも、あれこれ食することに興味をもちだしたここ数年のことだけど。
「バナナジュースを飲むかね?」と、押し売りのように聞き、「もらうわ」という返事に、今日もふぁふぁふぁ・・・と満足しているだけなんだが。

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2017.06.05

初夏の風景 祭り

6月5日 尾張西枇杷島の祭り(2017年)

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夏がやって来たんだなぁ~と、つくづく思うのです。それも他の夏祭りよりもちょっと一足早い祭りと花火がここの祭りだからでしょう。

先週の終末「尾張西枇杷島祭り」に妻と出かけました。昔は子どもらと親子で行ったものですが、歳を重ねてここ数年は夫婦のみの夏祭りになりました。

からくり人形のある山車と旧美濃路街道の両側の屋台と花火大会が楽しいのですが、毎年のことで珍しい風景ではなくなりました。
それでも、その日の午後に花火の空砲が「ドカン」と聞こえると、なんとなく楽しくなるので、「では行こうか!」となるものです。

山車は5台あるようですが、3台までは見ることができました。
年々人出が増えてるように思えるのは、名古屋市内の矢田川花火がなくなって、浴衣などを着て夏を楽しむことが減ったからなのでしょうか。

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人出が多く、狭い旧街道を人が流れるような混雑ぶりで、まあそれは大変です。もっともそれは昔からで、そういう人混みもここの祭りの特徴だと・・・整然と作り上げられた祭り会場ってのは情緒があまりありません。
祭りというイベントには違いないのですが、自分のなかでは夏を告げる祭りとして、ある意味、季節感のある日常生活の風景になったように思います。

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いつもならば混雑を避けて花火は帰り道、枇杷島橋あたりから眺めたりしていたが、今年は庄内川の堤防に二人して腰を下ろして見ることにしました。
打ち上げ場所に近いと花火の大輪はいっそう大きく見えるものです。こういうのも初夏の風景としてはいいものです。

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世の中の流れはだんだん速くなり、新しいものにばかり目を奪われがちになる最近です。変わらないこと、毎年同じこと、変わり映えのしない地域の風情に、心穏やかになるのも、それはそれで心地よく、また来年も再来年も変わりなく続いて欲しいと思う日本の初夏の風景だと思うのです。

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2017.06.03

初夏の風景 田植え

6月3日(土) 今年も子どもらの田植え風景があった

小学生たちによる田植えを見ることができた。
田お越しされた田んぼに用水から水が引かれ、待ちわびたかのように蛙が合唱をはじめ、そして毎年の風物詩となった「田植え」が行われた。

一列になり泥だらけで一生懸命に苗を植える子どもらの姿は、なんとも微笑ましい、見ている自分には、ありがたい風景である。

賑やかな黄色い声がはずむひとコマ、楽しそうな雰囲気を撮ったが、こういうブログに載せる写真となると、どうしても制約されるので、そこが残念なところである。

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2017.06.01

めだかの飼育

6月1日(木) めだかを水槽に移す

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【水槽のガラスに自転車が写り込んでしまった(笑)】

戸外の睡蓮鉢に入れていためだかを玄関の下駄箱の上に移した。めだか8匹ほどならば小さな水槽で大丈夫だろう。

実は睡蓮鉢の水草に卵が産みつけられ、ほんの1~2ミリほどの稚魚が誕生していたので、放置すれば大人のめだかに喰われてしまう。

ホームセンターで水槽、床砂、ろ過装置などを買い入れ、稚魚はビンに分ける。
たかだか一匹80円くらいのめだかに水槽ですかぁ~、睡蓮鉢で十分なのに!というのが妻の反応だが、けっこう元気に泳ぎ回っているし、稚魚はまだ小さく目を凝らして探さないとわからないほどでも、5~6匹は泳いでいる。
水草の根に卵が産みつけられてるのをみると、いったいどれほど増えるのか・・・

もう20数年ほど前に金魚を飼っていた。子どもが夏祭りの金魚すくいで獲ってきたものを、丁寧に世話をして長く生きていた。水替えや藻の繁殖を抑えたり、けっこう大変だったが、その金魚に比べればめだかは環境適応力に長け鑑賞魚としては飼いやすい。

日本の川や田んぼに生息するめだかなので、珍しい金魚よりもシンプルなわけだ。
生き物を飼う。可愛いねぇ~と見る分には良いが、元気で長生きさせるには、それ相応の世話が必要になる。

犬でも猫でも小鳥でも、可愛がるだけじゃだめで、ほんとうに幸せに生きるには人間の愛情を込めた世話が不可欠だ。
ほんの小さなめだかでも、人と一緒に暮らすということを肝に命じて、それなりの世話をすることになった。

さて卵が孵化し稚魚が成長し、いったいどれほどの「めだか環境」になるのやら。こういう小さな魚が元気よく泳ぐ姿を見て、やって来る孫はどんな感想をもつのやら・・・大人も子どもにとっても「命」とのふれあいだと思う。

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