堀川 :橋のある風景

  • 19 堀端橋より名古屋城を
     名古屋の歴史を物語る「堀川」の現在を撮ってみた。  清流の戻る日が待ちどおしい。

堀川:桜のある風景

  • 74 庄内用水元杁樋門
     4月上旬の桜が満開となった休日  「堀川」端の桜のある風景を撮ってみました

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2019.08.15

終戦の日

8月15日 感受性

台風10号の接近が伝えられ、風にとばされそうな植木鉢を避難させ、自転車やエアコンカバーをビニール紐でくくる。
窓を閉め、熱中症にならぬように28度にエアコンを設定する。
洗濯した衣類の部屋干しは一挙に湿度があがるので熱中症もどきになる。
凄まじい強風ではないが、歩くには気を遣う強風なので、今日は外出はできそうにない。

8月15日、日本の軍国主義が敗戦とともに崩壊した日。
戦争への思いはいろいろあるが、別の意味で、自分にとって、西暦と元号を突合させる起点となっているのが1945年8月15日。
1945年と昭和20年という具合に置き換えて数える。昭和と平成と令和を生きてきた者がなせるワザかも知れない。

暇の退屈しのぎにスマートホンで記事を読んだりしていた。
短い文章でときに感情的に断定し他の意見を否定するような記事や文章も少なくないのがネットの記事。
選択する幅もせまく、新聞のように好むものも好まないものも関心のあるなしに関わらず、少しだけ「考えること」の手助けとなっている媒体のほうが好きであるが、それも今の時代の流れには沿っていないかも知れないが。

「あいちトリエンナーレ」の賛否が云々されているこのところである。
いろんな人が発信しているが、ちょっとおもしろい記事を読んだ。
ネットの記事ではなかなかお目にかかれない長い文章であり、いろいろ考える手助けになった。
督あかりという方の「あいちトリエンナーレの分断に思う・・・」というもので、この筆者の方は良くはしらない。
さまざまな考え方があってよいものだと思うし、意思表示されることは素直に尊重されるべきだ。
ところで、この記事中で紹介されていた茨木のりこの詩にちょっと心が動いた。

孫引きで申しわけないがこんな詩である。

ばさばさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりをおこたっておいて
(中略)
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

よく知られた詩のようで、いま一度あらためて、中略なく全部を読み返してみた。
時代と関わろうとする人の感受性の問題に、はっ!とさせられる詩だった。

 

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コメント

「今、自分は何ができるのか?」戦後生き残ってしまった人々は「食べる」ことの他に心のどこかにそんな思いがあったような気がします。

自分の親の戦後を振り返ると、親子6人食べるのが精いっぱいの暮らしだったように思われます。まがりなりにも「平和」になり、せめて子どもらが「高校」ぐらいは卒業できるようにと・・・そこに、「生きること」の大半が注がれていたのだったと思います。
生きることは「自分で食えるようになること」もっとも原初的な生きる処世訓だったと今では思うし、そういうものに感謝もしていますね。

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