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2019年6月

2019.06.04

曇り富士

6月4日(火)日本平から富士山を眺めた話

Photo_11

一週間ほど前の話を書いている。
もっとも三人目の孫が生まれ、娘と孫たちが実家帰りしていたので、ブログ更新も・・・何日ぶりだろうか。
で、5月の末に友人ら12人ほどで静岡県の「日本平」というお山と久能山東照宮、こちらは徳川家康が埋葬されているところだが、歴史のうんちくはどこかの本にでも書いてあるのでそちらを調べるとして・・・
「新緑のハイキング」の名目だったけど、新幹線、バス、ロープウエイと乗り継ぎ、ハイキングとうよりも「友だち旅」。
で日本平の頂上にある「夢テラス」という展望台から眼下に駿河湾と清水港があり、その景色の前方には雄大な富士山...
あいにくの曇り日でくっきりはっきりの富士ではなくぼんやりと。
デジカメでは富士の稜線すら撮れず以外なことにiPhoneのカメラでやっとどうにか写っていた。
古いデジカメだからかな、最近のスマホのカメラの優秀なこと。
しかし、富士山というのはとてつもなく雄大だと改めて思い、あの裾野の広がりはそんじょそこらのお山ではお目にかかれない。
眺めているだけでいいもので、たしかに神々しさとか存在感とか思う。
「お山」や「巨木」が信仰の対象たりえるのは、古来から変わらないその存在感にありそうだ。
不変、変わらないということの持つ意味だろうか。
人が創ることのできない自然の産物であり、何万年前からか知らないが日々流転しているような人間の暮らしとは比較できない存在。
「お山」信仰の神々しさってそういうことかなぁ~、神々が宿る富士山、ちょっとだけ納得してしまう。
そんな事を思いながらカシャとカメラで写したり、富士の絵を描いたりなんてのは、人間の勝手な行為でしかなくて、変わらないものは変わることなく、ただただそこにあるということかな。
日本一のお山とか、富士の根雪の白さが素敵だとか、稜線が素晴らしいとか・・・いろいろ説明しても、なんだかつまらない気がしてくるから不思議だなぁ。

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