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2019.05.13

江戸の夢

5月13日(月)時代小説の面白味

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図書館から好んで借りている宇江佐真理の時代小説、もっぱら文庫本なのでとうとう棚の本が尽きてしまい、いよいよ単行本へと手をのばした。
ついでにエッセイ本「見上げた空の色」も今読んでいる。
「江戸情緒」と言われる風情は今の大都会東京にはないのだろう。
400年前の江戸時代の姿を残す建造物などは見られるが、情緒を感じるよりも観光都市の名所であり、そこから昔の姿を想像するにはちょっと無理がある。
むしろ映画やドラマの中の一つの風景の方が、江戸情緒を思い起こしやすいのだろう。
とはいえ、宇江佐真理の描く深川あたりの情景を当時の古地図などと見比べながら読むと、少しだけ情景も膨らむ。
そんな江戸時代の情景を思いながら、登場する町奉行や同心や商売人などが闊歩し話が展開されるのを、小説の醍醐味だと楽しんでいる。
宇江佐真理さんは言う「江戸時代から我々が学ばねばならないこと」は「人間の生き方にほかならない」と。
小説を学問と思う心意気はともかくとして、その学ぶべき「江戸時代」の情緒って何かと考える。
小説には「なさぬ仲」「割無い仲」の人々がけっこう登場する。
「なさぬ仲の母と娘」血のつながらぬ親子関係だったり、「割無い仲の男と女」理屈ではどうしようもできない男と女の情愛。
昔から今日に至るまで、市井の人々の持つ感情であり、心の在り様はきっと変わらないのだろう。
もっとも人間関係が希薄となったと言われる今、血縁なき家族の姿も珍しくないし、熱愛が突出するほどの関係を冷めた目で見る人も少なくないような気がするが・・・
情緒というのは人の感情をさすと思う。
恋愛感情に悶々としたり、なさぬ仲の家族に悩んだりというリアルな暮らしを経てきた人にとっては、小説のなかで描かれる人間関係にちょっと救われる気持ちになるのではないかと。
小説を読み終えたあとに残る清々しい気持ちは、宇江佐真理という作家の人間関係にたいする心の広さが深味としてあり、それが読後感として残るのだと思う。
そういうものを支えているのが江戸の町々の風景の描写であり、そこで暮らす登場人物の個々の心情である。
頭のなかで江戸の町々を思い浮かべ、人物が意気揚々とあるいは喜怒哀楽を持ち生きている姿を想像する。
映画やドラマで見る情景の裏側の人間模様とでも言えるだろう。
「糸車」はそうした江戸情緒を想わせる一つの作品であるが、作品を読み終えて改めてこの絵をみると、なるほどと納得するものがある。
絵だけを見ていても通り一遍の「小間物の行商をするお絹と町方同心持田」の町人と武士の姿でしかないが、自分の心情を登場人物に投影して読んだ後に見る絵はなかなか感慨深く、まるで生きているような二人に見えるものだ。
しかし歳を重ねると「感動」という気持ちも薄れるのは、自分の心持もあるが情緒なき社会の世情によるところも少なくない。
気持ちを新たにしたり感動したり爽やかさに心が動かされたり、時には落涙したり・・・若い頃には純情に反応した心持が、こうした小説を読むことで再び新鮮に味わえるのはなんと倖せなことだろう。
「江戸の夢」はどなたかの解説の中で宇江佐真理さんの小説は私たちを「しばし江戸情緒の夢に誘ってくれる」と言ってた。
まったくそうだと思うのだな・・・

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コメント

池波正太郎さんが「江戸のきりえ地図」を買ったのは証券のサラリーマンをしている時だった。ボーナス分の値段だったそうな。でもそれによって、頭の中に「江戸の町」ができてしまった。だから「角を曲がってどこに行く」感覚で書けたといいます。●今、江戸地図と現在の東京地図を比較した本がけっこう出ているもんですね。

投稿: マミケン | 2019.05.15 13:48

宇江佐真理さんもそうですが時代小説作家の方々は「江戸古地図」をしっかり頭に入れて書いてるようですね。
凄いのは宇江佐さんは生まれも育ちも北海道の函館市で東京に住み暮らしたことはないのですね。
「古文書を調べるのは苦にならない」と言ってましたし、食卓台を書斎代わりに原稿を執筆していたと聞いて、ほんとに時代小説が根っから好きでたまらなかったのだと思います。

投稿: ちょっと一休み | 2019.05.18 22:12

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