« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »

2019年2月

2019.02.25

夢うつつ

2月25日(月) かぜ薬

咳と淡がひどくて市販の風邪薬を服薬していたが、長引いた。

かぜ薬は飲むと眠くなる。毎食後服用して、食後の眠気と相乗効果でうとうと・・・
夢うつつとでも言うのか。

かぜには静養が一番といわれているので、布団にもぐり込み借りてきた「髪結い伊三次捕物余話」の文庫を広げる。

が、途中で眠くなる。文字を追いながら情景を想像して、知らぬ間に勝手に文章を作っている。
ので、はっと目覚め、そんな文章はどこにもないのに気づき、妄想の賜物だと知る。

こんな調子で、昼間っから寝込んでいると、体力も必要以上に温存され、夜の眠りも浅くなる。
ゴホン、ゴホンと自分の咳で目が覚め、少々寝汗もかいているので、着替えをし、咳止めのトローチを口に含むと、昼間の惰眠があだとなり眠むられなくなる。
健康的ではないが、また読み続きの本を手に取り、朝が白々と明ける頃に、本格的に眠りに入る。

妻は医者に診てもらえと言うが、「たかが咳と淡」と自己回復力に身を委ねる。
重病人でもないので、毎日の家事と所用は怠りなく済ましている。
ただ、めっきり外出が減り、その外出も徒歩で買い物をするほどで、白いマスクがこれほど似合う日々も人生初めてかも知れない。

おかげで「髪結い伊三次捕物余話」は残り一冊となった。

| | コメント (2)

2019.02.16

行きつ戻りつ・・・

2月16日(土) ふたたび「髪結い伊三次捕物余話」の話

Photo

寒かったり少し寒さがやわらいだり、季節が行きつ戻りつしながら春に向かっている。
文庫本「髪結い伊三次捕物余話」(宇江佐真理)を半分ほど読みえたところで、残りの四冊ほどを図書館の取り寄せで申し込んだ。

こういうシリーズ本は最初から読むのが普通だが、ちょうど真ん中あたりから読み始め前後しながら、やっと第一作の「幻の声」にたどりついたわけ。
頭書からこのシリーズを読んでみようとは思っていなかった。たまたま手にした「我、言挙げず」に心ひかれ、そこから始まった。
本を読むときは、だいたいそんなもので、その出会いがまるで人に会う、再会するようなものだと思っている。

小説の面白さを宇江佐真理さんは、「小説とは人間の人生を描くものである。部分的にせよ全体的にせよ、百人いれば百通りの人生があり、ひとつとして同じものはない(「雨を見たか」文庫本へのあとがき)」
と書いている。
小説の面白さを端的に表している。自分自身の人生など幾通りの人生の一つでしかない、しかし一つでしかないがゆえに大切にしたいと思うのである。
豊かな人生の物語、自分では経験することもない人生を「物語」を通して知る、そうしたものに共感したり、とまどったり、切なく哀しく思ったり、あるときは勇気というものに触れたり・・・

なんとまあ多様性を内包した芸術だこと。さて、これからシリーズ初めに戻って、コツコツと読み始めようと思う。まさに行きつ戻りつ「髪結い伊三次捕物余話」シリーズを楽しむわけだ。

| | コメント (4)

2019.02.08

冬空と自転車

2月8日(金) 季節を感じるということ

堤防道は北風が強い。7度だろうという気温も体感的には5度を下回る。
寒波も予想され、雪が舞うという天気予報もあるが、なかなか春の訪れはこない。
庄内緑地公園の「マンサク」が季節の節目と思い自転車を走らせたが、ほんのちょっと蕾が綻びかけているほどだった。
「梅は咲いたか、桜はまだかいな~♪」口ずさみながら、頬にあたる風が冷たい。
夏の暑さや冬の寒さが年々厳しく感じられるのは、地球の気候のせいなのか、それとも自分の耐える力が落ちてきたからなのか。
幸いに公園に行くルートの二つの坂は自転車を降りることなく上りきれたので、まだまだ人生を上る余力はありそうだとニコッとする。
冬は寒い。寒さのなかに心地よさがあったり、めっきり減った人の姿もの公園も、冬枯れした木立を眺め、持参した暖かな水筒か漏れる湯気が冬らしい風景。
こうした何気ない冬の日を「飽きもせず」感じ、ときどき雲間から射し込む陽の、なんと暖かなことか。
冬の自転車は人が言うほど思うほど季節にふさわしくない事はない。
20キロほど走る。走りながら季節を感じ、感じる力があることに幸せを思うのである。

| | コメント (2)

2019.02.04

洗濯機が壊れる

2月4日(月)立春

突如、洗濯機が動かなくなる。
洗濯、すすぎ、脱水の洗濯のとちゅうなので衣類には洗剤も残っている。
コインランドリーは一度しか使ったことがないので、ここはカミさんの援助も頼んで、いそいそと出かける。
修理に二日ほどかかると連絡が入り、しばらくの辛抱だと。

簡単操作だが、初物は何事もむずかしい。
一番小さな洗濯機にワンコイン(500円)を投入して思うのは、自前ですればもっと経済的だと思うが、一人暮らしの若者とか忙しいされリーマンにとっては便利なのだろう。
洗濯機500円、洗剤100円、柔軟剤100円しめて700円の洗濯コースになる。

「形あるものはいずれ壊れる」家電品は10年もてばいいほうだ。
そういえば昨年末には給湯器が壊れ、蛍光管も不安定になり、目覚まし時計も知らぬ間に動かなくなった。
この次はエアコンと冷蔵庫とテレビが崩壊予備軍になっている。

「家」を維持するにも維持費がかかる、税金も毎年かかる。
家が財産と言われた時代は終わったような気がするが、オール電化の家など10年先にあちこち出費が一挙に押しよせてきたりして。
「コインランドリー500円、毎日洗濯する私の家事労働の対価は500円かぁ?」
「水と電気代込だから、自家洗濯家事500円じゃあないわよ」と。

年金生活者となって、物事の金銭感覚が小さくなった、吝嗇家になったような、貧乏性になったような・・・
金は天下のまわりもの・・・などと、悠長なことも言ってられない時世である。

| | コメント (2)

« 2019年1月 | トップページ | 2019年3月 »