« 梅雨入り | トップページ | 勘ちがい! »

2018.06.13

新・水滸伝(吉川英治)を読み終える

6月13日(水) こつこつ・こつこつ読書

ほぼひと月ほどかかって吉川英治の「新・水滸伝」を読み終えた。

Photo_2

寝る前の時間を使って読む、ストーリーを忘れて前に戻りなどして少々苦労する。
長編ものは忍耐も必要とするが、図書館本はネットで貸出延長ができるので、ほぼひと月ほど借りられるのが有難い。

もっとも面白いから続けて読める。これが解説本や知識本のつまらない本なら、忍耐どころか途中放棄となるに違いない。
小説は「つくり話」なので、知的好奇心から外れるのだろうけれど、どんな「本」であろうと読み手が何を感じ取るかが問題。

案外、いろいろな知識の詰まった本よりも、人の心の奥底の「心情」、社会と人間との関りについて知る・・・という意味ではこれも「知識本」なのかも知れない。

「つくり話」という概念が小説への壁になってるようにも思う・・・歴史本は真実で小説はつくり話だというが、真偽よりも人間の本質に迫るという面白さだと。
 
というわけで、新・水滸伝。中国の宋朝の時代というから1100年代ころの話。
ある宮廷将軍が108つの魔が封じ込められた開かずの祠を開き、この邪星妖星が人の世に飛び散り宿るという、まあ伝奇小説らしい始まりで、この108の魔星の一つ一つが人間になぞられ「梁山泊」という水郷地帯で一大勢力をかたちつくる。
 
脛にキズ持つ、あるいはなんらかの犯罪の過去を持つ、いわば社会からの「はみだし者」「漂泊者」「アウトサイダー」などなど、そうした者たちが「梁山泊」に集うという話が水滸伝の話の中心になっている。
 
官の腐敗と民の貧困が社会の常道である時代、こうした事への憤りから任侠、義侠、情と恩など尊び悪政をただす活躍を行う。
まあ、日本の水戸黄門の印籠的「世直し」に似てはいるが、お上による人情・正義話と、お上とは反対の側からの「世直し」の違いはある。
 
史実的には「宗史」などに、こうした民衆蜂起などの歴史があったと書かれていて、この時代には各地で頻発したらしい。
こうした話が民衆の中で語り継がれ、時代が流れるなかで「水滸伝」という物語として結実したようだ。
 
法よりも財と暴力が社会を支配していた時代に、こうした世には受け入れられない人々、漂泊の人生を余儀なくされた「はみ出し者」が、悪政により腐敗した官を正す痛快さが、人々の中に底流のようにあったということだ。
 
物語の一つ一つには艶恋沙汰や義憤や間抜けさといった俗社会のおもしろさがある。
その面白さはいつの時代でもある管理された社会や「世の常識」にどことなく違和感をもつ人々、それを「はみだし者」というならば、そうした人々の理解されざる、理解を超えた真実のおもしろさだと思うのだが・・・

|

« 梅雨入り | トップページ | 勘ちがい! »

ちょっと読書感想」カテゴリの記事

コメント

「水滸伝」は横山光輝版で読んだ。恥ずかしながらマンガであるが、原作を読んだ人には面白いと思える。「三国志」も横山マンガで読んだが、その「単純化」は「鉄人28号」のロボットのデザインを思わせる。
手塚治虫はある意味「横山光輝にはかなわない」と言っているが、雑誌「少年」でも人気は常に2番だった。エンターテインメントとしてのマンガに徹していて、どこか「マンガを越えてしまう」手塚マンガとは、「存在の意味」が違ったのである。僕は「手塚と並ぶ別の天才マンガ家」と思っています。

投稿: マミケン | 2018.06.14 12:24

一番は原典を自分で訳して読むのがいいが語学力がありません。(笑)
訳者によってずいぶん変わるのでしょうが、「源氏物語」の最初の方を瀬戸内寂聴訳で読んだがしっくりいかず、こちらは与謝野晶子訳のほうが面白かったですね。
微妙な違いは小説だから感じとることが出来るのだと・・・

投稿: ちょっと一休み | 2018.06.20 23:30

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 梅雨入り | トップページ | 勘ちがい! »