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2018年5月

2018.05.30

新緑ハイキング

5月30日(水) 京都「哲学の道」周辺へ

日曜日に友人らと9名で京都の新緑ハイキングに行った。
過っての福祉職場の仲間たちと、こうして出かけられることに感謝し、退職して社会の接点も減るなかでは、ある意味、安否確認・近況報告会のようなものかもしれない。

五月新緑の季節、木々の若葉が輝き、老い行く目にはとてもやさしい。
旅に出て、旅ではなくとも皆スマートホンやデジ・カメを手にし写真を撮りまくっている。
「こんな構図がいい」とか「これは珍しい」とか、インスタ映えするものを探すに余念がなさそうだ。

撮った写真をどうするか?LINEで友達に送る、フェイスブックで「いいね」をもらう、インスタグラムで公開する・・・それも「いいね」(笑)
皆がどんどんと摂りまくればいいと思っている。
カメラやフィルムが高価時代から一億総カメラマンの時代になって、あれこれ理屈を言う暇もなく、みな「芸術家」になった。

そうして撮った写真をスマホやハードディスクに仕舞い込むのはもったいないので、もう一度見返すぐらいの愛情は欲しい。

風景をみて写真に収めるけれど、人の手が加わり現実の風景ではない・・・と思うので、加工された風景だと思う。
絵を描くことや俳句をひねることや小説で描写することとほとんど違わない。

などと持論をのべたてても失笑を買うだけだが、ただ一つ「時代が映り込んでいるか?」ってことをいつも気にする。
パッと「平成の今」を撮れば時代なのかというとそんなものでもない。
今という時代を生きている自分の感情が映り込めればいいなぁ~と思う。

というわけで、もっとも嫌われるおじさんの第一位は「くどくどモノを言う人」らしいので、このへんにして「新緑ハイキング」の写真もアップしてみる。

「目に青葉・・・」というだけの写真ですが。

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名古屋(新幹線)➡京都➡銀閣寺➡哲学の道➡永観堂➡青連院➡京都(新幹線)➡名古屋 
8キロほど散策したと思う日帰りハイキング。


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2018.05.29

ホテイアオイの花

5月29日(火) 今年も咲いた

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何事もなく無事に暮らせれば・・・
何かをしなければ、退屈な日常に埋没してしまいそうだなどと、若い頃ならば思いもしたが、「何事もなく無事で暮らせたら・・・」という思いが、理解できる歳になった。
めだか鉢のホテイアオイに花が咲いた。
そりゃぁ花ぐらい咲くもんだ!珍しくもない。
「奇をてらう」ような物や出来事や行動はほとほと疲れてしまうものだと・・・普通でよろし。

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2018.05.26

旅のかたち

5月26日(土) はてさて何処だろうか?

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【とある湖の島】


今週は観光バス旅行社の企画に乗っかって「ミステリーツワー」に行った。

当日まで行き先が分らないのが売りの例の企画だ。
旅はいろいろあるが、特別に「行きたい旅」でもなく、ただただバス旅程と添乗員の説明に従って連れて行ってもらう・・・

ところが意外と参加者も多く、こういう旅の顔ぶれは「高齢者」「おばちゃん」「夫婦連れ」とほぼ相場は決まっている。
「母の日の・・・」と冠がつき、ということは、買い物と食事とお花畑がメインになる。

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【とある風景】

日々変わり映えのしない日常から、ちょっと目先が変わり、孫や家族にお菓子などのお土産を買い込んで、ちょっとだけ美味しい食事をして・・・

まあ、こうなると余計な旅についてのうんちくや理屈は不要になる。
主体性なき旅の醍醐味なのだ。(笑)

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【とあるバラ園】

ごく普通の庶民はごく普通の「観光バスツワー」でも、十分に楽しめるのが、セレブとはまた一味違う旅ということだと思う。

とりたてて風光明媚な観光地でなくてもいい、旧所名跡でなくてもいい。いやいや、名の知れた観光地でもよいし、定番の観光地でもいい。

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【とある風景】

まだ見たことの無い風景は、純粋単純に喜べばいいと思う、他人に自分の身を委ね、「はい、集合は〇時〇ふんです」と指示され、まるで土産物店と親密コラボしたような目的地。

委ねる、お願いする・・・なんともまあ心地よいものか(笑)

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【とある自転車の風景】

というわけで、「ミステリーツワー」のはずが、ミステリーでもなかったが、「行くまでがミステリーなのよ」という妻と、参加者の流れに乗って、人混みにまぎれこみ、そうして高齢者、おばさん、シニア夫婦の団体に溶け込み、土産も買って、写真も撮って・・・そんな日帰りの旅となった。

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2018.05.19

借りる本、買う本

5月18日(金)「君たちはどう生きるか」(原作:吉野源三郎)
図書館に本の返却に行く。
二週間で6冊が借りられるが、最近は妻から「軽めな本」をと所望されアガサクリスティーの推理本をも含めて借りている。
今日は浅田次郎本の在庫を見ながら、少し軌道修正して吉川英治の「新・水滸伝」を借りる。
しかし活字を追うというのは歳とともに「厄介な」作業になるもので、集中力とかモチベーションとか・・・、ちょっとだけ「努力」という気持ちも必要になるが、我慢して読んでいて、突然パッと何か本質めいたものが見えることもあり、そういう時は嬉しくなる。
まあ、図書館で借りる本は無料なのでありがたいとはいえ、最近の人気本はほとんど見当たらないが、古くても新しくても、その本質のようなものは時代が変わっても、それほど大きな違いはないように思われる。
今年になってこの半年ほどで書店で購入した本は数冊だけで、それも娘との待ち合わせ時間の合間に新聞記事や広告などで知り買った本ぐらい。
そのうちの一冊が「君たちはどう生きるか」(原作:吉野源三郎)であり、200万部ほど売れているベストセラー。

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店頭の目立つところに平積みされていた。
何がそれほど多くの人を読ませているのか、読んでいる世代は若者だろうか、というのが率直な思いであった。
漫画半分、活字半分の内容で、タイトルの真面目さが今流ではないが、それもそのはずで原作は80年ほど前に出版され、時代背景としては日中戦争が始まり軍部の暴走が始まろうとするころの話である。
主人公コペル君と叔父さんが交わすノートのやり取り、自分を、友だちを、社会をどう見るのかという、そんな内容の作品であり、コペル君は浦川君という「貧しく」「いじめを受ける友だち」との関りを通して、いろいろ気付いて行く。
そんな成長の足跡をしっかりと「ノート」の中でいっしょに考えて示唆してくれるのが叔父さんというわけだ。

人生の半分以上が過ぎた世代、シニア世代にとって「君たちはどう生きるのか」という問いかけがどういう意味を持つのか・・・
今さら「どう生きるのか」と自問するよりも、過ぎてきた経験値や知識の多さをよりどころに、分かったような自己解釈を処世術の糧とすることのほうが一般的である。
そういう「老い」とともに頭をもたげる「思い込みの解釈で人生を説く」けれど、ほんとうは確信を得られない世代にとって、新鮮な「疑問」永遠の「疑問」なのが「どう生きるのか?」ということだと思う。
漫画という装丁が「読みやすさ」を求める若者や、けっこう真剣に生きることに悩む若者世代に読まれ、何十年と人間をやってきても「どう生きるのか」のう問いに答を出しあぐねているシニア世代にも、やはり「覗いてみたい真実」のような魅力になって、200万部も売れているのだろうか。
友人のOさんは原書を図書館に取り寄せているという。私より先輩世代のTさんはいち早く読んだと言っていたのでけっこう知る人は知る本のようだ。
あれこれ解釈することや知識を競うよりも、社会や人との関りのなかで、何をどう考え、いかに真実を求めて行くのか。

「つまらぬ知識」や「頑固な思い込み」「独りよがりの自己プライド」などが邪魔をして、「新鮮な気付き」という感覚も薄くなりがちである。
物事を広い視野でよく考えて自分の道を見つけなさい!と、残りの人生も多くはない自分に言い聞かせる今日である。
老いも若きも、考えさせられる一冊にちがいない。

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2018.05.17

椅子の再生

5月17日(木) あじさいの季節もやってきた・・・

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近所の方や掃除用品レンタルの方に「きれいなお花が咲いてますね」と声をかけられ、「花は妻が選び植えて、自分はもっぱら散水係なんですよ~」と返答している。
その花の一つがこのあじさいで、少しずつ花が開いてきたって・・・「ガク」なんだけど。

10年以上前から戸外に放置されていた「椅子」の木製部分が朽ち果てて、いつ粗大ごみに出そうかと思っていたところで、もったいないから作ってよ!とリクエストがあり、ホームセンターで木材を購入し、「再生」を試みる。

木と鉄でできた椅子の鉄部分は錆びついて、ボルトが外れない。

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しかたなく鉄鋸で切断してみたが、これが案外やっかいな作業となった。
木材、ボルト、工作時間など手間ひまをかんがえると、新しい椅子を買った方が簡単だし、お洒落な椅子もあるということだが・・・

一年365日、何をして生きて行くのか。
暇を埋めるように「何か」を探して生きて行くのは本末転倒なことだと思う。
生活というのはとても実利的なもので、家事でも掃除でもやることには事欠かない。

椅子一つ再生するのに二日ほど要したが、まだ鉄錆をどうするかが残っている。
「もったいない」という立派な精神とはちょっと違う。ただ生活を実感する暮らしの作業というだけだ。

「暇だよねぇ~」と言われそうだが暇ではない。
暇なんて誰しもあるもので、どんなに有意義で文化的な時間であっても、充足感がともなわなければ、やっぱり暇な時間の潰しでしかない・・・



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2018.05.15

タニシのお掃除屋さん

5月15日(火) めだか日誌 (絵のない絵本ふうに)

セリちゃんのおじいさんは大きな町のはずれに住んでいます。

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ときどき遊びに行くと「いっしょにめだかに餌をあげようか」と嬉しそうに話します。

まえに飼っていたワンちゃんが死んで、次におじいさんの家にやってきたのがめだかです。
おじいさんの家は小さい家ですが、めだかがいるのはとても大きな鉢のお家です。

少し前にお母さんと妹とおじいさんの家に行くと、めだかのお友達がいました。
タニシというそうです。
なんだかカタツムリみたいです。

おじいさんの家の近くには田んぼが3つありました。
でもお家がどんどんできて、今では1つしか残っていません。
その田んぼの水路にタニシがたくさん暮らしていて、7匹ほど獲ってきたそうです。

タニシはめだかと仲良しなので、いっしょの鉢に入っても喧嘩はしません。
めだかの糞や苔をタニシが食べてくれるので、ちょっとだけ鉢の水がきれいになりました。
タニシはおそうじ屋さんなのです。

小さなめだかの子どもが生まれていました。
おじいさんは「めだかが大きくなったら、大きいばあちゃんとセリちゃんにあげようかな」とニッコリしています。
でも「生きものはダメよ」とお母さんは反対です。
生きものをお世話するのはとてもたいへんだそうです。


・・・ってな具合で、昔はそこらへんにごろごろいたタニシですが、いまではネット通販で売っている時代になった。
田んぼがあると、こうしたタニシやザリガニやあめんぼも身近に見られます。

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2018.05.05

自転車の季節

5月5日(土) 138タワーから大垣城をめざしてサイクリング

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昨日は久しぶりに友人らとのサイクリングでした。

GW中ともなると高速道路は長蛇の列で、まあ、どこもかしこも渋滞、混雑。
それでも家族で休暇利用となるとGWになってしまうのが「バカンス」とは程遠い日本の「大型連休」・・・こんなに頑張ってる、働いてる、日本の労働環境って!

さて、名古屋から名岐バイパスで一宮138タワーへ、これは自転車を積んで車で行ったのですが。

Img_0102今回は諸般の事情で5名の自転車仲間サイクリングとなりました。

最近はご結婚やご出産や、あれやこれやで参加の方も少なくなってきたが、自転車にはとてもよいこの新緑の季節です。
ウグイスなども歓迎の鳴き声をあげ、若葉の新鮮さも目の保養です。

一宮・木曽三川公園の138タワーから木曽川、長良川、揖斐川を超えるルートです。

途中の豊臣秀吉が一夜で築城した「一夜城・墨俣城跡」に寄り、終着点はこれまた関ヶ原合戦で石田三成の本拠となった「大垣城」という、戦国時代ロマン。

何がロマンなのかよく分からない私ですが、織田・豊臣・徳川と時代の権力者を輩出した「愛知県」ならではの、どこかしこにある「戦国ロマン」というものです。

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しかし、GPSで走行ルートを振り返ると、東西一直線の往復43.89キロになっています。
レンタルサイクル利用の参加者もいて、片道20キロ強はやっぱり「しんどい」。

まだスポーツ自転車など知らなかった頃に名古屋から旧美濃路街道を走り大垣まで行ったが、駅前の駐輪場に一晩置き、翌日取りに行き戻ったのを思い出します。
ママチャリの限界距離だとつくづく思うので、一晩すぎた今日は筋肉痛に苛まれているのではないかと・・・

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【墨俣城、ほんとうは「砦」のような城だったとか!?】

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【川に挟まれた輪中の大垣城は石垣まで洪水の痕があり、城下は一面水没と】

ともかく「心地よい疲労」(だと言うことにして)のサイクリングは久しぶりでした。
自転車は遠くまで走ってこそわかる「良し悪し」なので、買い物自転車ママチャリも、それはそれで良いし、電動自転車もありでしょうし、そういう自転車の世界に、ちょっと値ははるけれど、軽く走れる自転車(スポーツ自転車)というのも選択肢にあってよいと思うのです。

40キロ、60キロ、80キロ・・・、100キロの壁を越えたことはないけれど、自転車の世界というのは、自動車に勝るとも劣らない「優れた発明品」だと思った新緑のサイクリングでした。

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2018.05.02

心情を読む

5月2日(水) 浅田次郎の小説の世界

GW真っ只中だが雨。
雨にめだかの稚魚がやられた反省から雨除けには気を付ける。
メダカ鉢の上に透明なアクリル板で屋根を作った。
至れり尽くせりである、妻は少々呆れ気味だが、稚魚数十匹が早く成長して欲しいと願う気持ちは同じようだ。
というのも、もう少し育ったらひとり暮らしの義母宅に養子に出す予定だから。

もっぱら小説は図書館で借りる浅田次郎の本であるが、区の図書館の文庫本「あ」行「浅田次郎」のコーナーは読み尽くし、少々大きいが単行本を借りたりしている。
小説を読むことだけならば「文庫本」がベストである。

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「日輪の遺産」は戦時中に日本軍が戦後復興の軍資金として隠匿した財宝をめぐる物語である。マレーシアの山下大将の隠し資金の話は何かの記憶があるが、それが密かに終戦間際に日本国内移送され隠されたというが、真実は知らない。
それをめぐる当時の女子学生たちや軍人の過去を解き明かすという物語。

「輪違屋糸里(上下)」は江戸末期の京都を舞台に「廓」世界で生きる花魁「糸里」と新選組の隊士らが繰り広げる一時代の物語。

浅田次郎の小説のおもしろさは「人の情」の結びつきであり、登場する個々の「人」の心情がとても豊かに描かれている。
単純な構図のなかに「人物」をあてはめる小説ほどつまらないものはない。筋立てだけで読ませる小説は読後感がすぐに失せてしまう。

しかし、人の心のありようとか心の気味というか・・・複雑な心情というのは奥が深い。
いったい、それらがどれほどのものかと考えると、たぶん日常の生活経験のなかだけでは、さして深く考えたり気付いたりすることは少ないと思える。

情の深さ一つ例えても、浅くもあり深くもあり広くもあって、そうしたものの奥へ奥へと入るには、想像する経験値としての小説はもってこいだと思う。
文字であるという制約がゆえに、視覚や聴覚では想像できない、頭の中の(心の中の)想像力が試される、というのも小説のおもしろさだと思っている。

上記の文庫本は返却して現在は単行本「月島慕情」(これも浅田次郎の短編集)を読み始めた。まだまだ読んでない小説も探せそうだが重いので仰向け読書には不向きだなぁ~。

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