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2018年4月

2018.04.28

開き戸(とびら)

4月28日(土) ありそうで、やっぱりあった話

二階の北西角の三畳半が自分の部屋となっている。納戸のようなもので、それでも窓を二か所つけてるのは風が通り抜けるようにとの思いから。
本、パソコン、かばん、道具類など我が家では一にを争う、もっとも雑然とした部屋になっているが。

図書館本の返却のために、少し大きめの鞄をとりに行き、入り口の戸を閉めた。
ここまでは特に普通のことだったが、なにかパタンと倒れた音が聞こえてきて、いや~な感じがして、やっぱりいや~な事が起こった。

入口の戸は部屋側への「開き扉」になっている。およそ半畳が扉の開閉部分。
ここに折り畳み脚立を立てかけたのが数日前のことで、この脚立が倒れ完全に扉を塞いでしまったから大変、しまった!。

おまけに二階なので窓から入ることも出来ないし・・・
ご近所さんで廊下に面したトイレの前に立てかけた台が倒れて開けられず窓から出たという話を聞いたことがあったが、これは一階だからかろうじてセーフ。

日本の古来の家屋は現在のように部屋を個室化することもなかったので、引き戸が一般的だった。引き戸の利点は開き具合で調節して風を通すことができる。
ちなみに個室化すべきトイレや風呂は内側開きにしない。というのも中で倒れたら戸が開かないので救出困難になるから。

そんなわけで閉館時間も迫っていたので、もやもや困惑しながらそのままとりあえず図書館に行ったが、こういう日は弱り目に祟り目で、借りたい本も貸し出し中。
やれやれどうしたものかと・・・厄日である。

倒れた脚立がピッタリサイズで戸を塞ぐというのも出来過ぎた話だが、悪い予感というのは当たるもので、当たらないのは宝くじと懸賞応募。

二階までの長~いハシゴをどこかで借りて、はたまた扉を破壊するか、あるいは「開かずの間」にしてしまうか(そんなのは出来んよなぁ)

思い悩んだところで、扉の下の隙間が1センチあるのに気が付いた。ここにモノサシを突っ込んで、ぐいぐいと押すと、ほんの数センチ開いた。
屋根裏部屋から細い金属棒を探し出し先端をL字に曲げて、隙間から四苦八苦しながら、脚立を引き上げる。
文章にするとそういうことだが、汗だくになりながら格闘すること一時間弱。
やったぁ~!、天は我を見放さず!神は賽銭分のご利益を下さる!(笑)

日頃の行いが天罰を招いたのか、はたまた窮地をすくったのか、開き扉にはご用心という、ありそうで、やっぱりあった話。つるかめ、つるかめ。

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2018.04.27

うす紫の藤棚の下で~♪

4月27日(金) 津島市・天王川公園の藤棚

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うす紫の藤棚の下で~♪という歌詞を御存じなのは昭和の世代。
「女学生」って歌なんだけど、清楚なイメージがあった、あの頃はやっぱりあの頃でしかない(笑)

さて、愛知県津島市の天皇川公園の藤が見ごろを迎えている。
この季節といえば街路のツツジも鮮やかで、ひときわ目を惹くから、自転車を走らせるには心地よい街角。

天皇川公園までおよそ18キロ、自転車散歩としゃれ込む。市町村でいえば名古屋市、あま市、津島市の3市町村をペダルきこきこするわけで、できるだけ路地を探して走る。
電車を使えば名鉄津島駅からも徒歩で行けるし、自動車なら30分もかからない。

「シブロク」、「藤の花」と「自転車」の割合、つまり「花見4自転車6」というのが充足感になっている。もっともこんなのは季節や行き先で変わるのだが、自転車に乗って花見遊山という、忘れられてしまった昭和の風情といったところか。

藤棚の花の長さは1メートルほど、池にそって300メートルほどの藤棚に、文字通り「うす紫の藤棚に~♪」というわけであるが、平日のことお年寄りのご夫婦とか、老人クラブとかの賑わいで、もちろん「女学生」の姿など見当たるはずはない。(笑)

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2018.04.22

よもやの・・・

4月22日(日) 熱い!暑い!

4月にしてこの気温、このまま季節がすすめば、この夏はどうなっちゃうんだろうと思わずにはいられない今日この頃。

中日対広島の三連戦、よもやの三連勝。断トツで優勝予想が一番、戦力も一枚も二枚も上の広島。

対する中日は断トツ最下位候補、戦力も足りないと評論家の折り紙付きだから、3つも勝つなんて誰も予想だにもしなかった。

対戦前は5連勝中の広島、5連敗中の中日というのも・・・どうして連勝できたのかわからない。
外国人選手の活躍があったとはいえ、総合的には「不利」の二文字。

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そこで思い出すのは、あの野村克也監督の名言「負けに不思議の負けなし、勝ちに不思議の勝ちあり」
考えてみればプロ野球をこういう観点からとらえる面白みなのだと思うのですが、その道で長く飯を喰ってきた人というのは奥が深い。

ついでに何かのCMで今年のドラゴンズは?と問われた、落合元監督の「外国人選手がどれくらい数字を残すかじゃないですか・・・」これも分析力。

まだまだ始まったばかりのプロ野球、ニンマリしたりニヤケタリするのも、断トツ最下位候補チームのファンだからこそ味わえる、予想がひっくり返る愉しさなのですね。(笑)

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2018.04.16

パブロフのめだか(笑)

4月16日(月) めだか日誌

「めだかを飼ってるよ」と、知り合いに言ったら「ああ、近所の老人も最近飼い始めたらしい、歳とともにめだか好きになるのかな?」と返って来た。

一人暮らしの高齢者、犬や猫を飼う人も少なくないが、世話が大変だし、自分の残りの人生を数えてペットを飼うか考える。その点、めだかならば、そこまで考えなくて良い、老後の楽しいお友達ということか。

「パブロフの犬」の話はよく耳にする。
簡単に言うといつも一定の条件下で餌をやると、条件反射的によだれを出す、という意味だったと思う。

4月になり暖かな日が続き、めだかも睡蓮鉢で元気に泳ぐようになり、腹に卵も抱え始めたので、餌は少し多めに与えている。
コンコンと鉢のふちを叩くと10匹全部が寄って来る・・・
というのを、何日も繰り返していると、パブロフの犬ではないが、コンコンという音だけで水面に上がって来るようになった。
パブロフのめだかである。

概ね20度を超える日は元気に泳ぐ。卵を抱えて泳ぐのだが、10匹のうち6匹はメスのようで、まだ少し小さいのを除くと、オス対メスの割合は6対3で、さながらハーレムのような様相と言えるが、ハーレムもどきがめだかにとって幸せかどうかは分からない。

ついでに、メスがかかえる卵は受精卵かどうか・・・
これは疑問があったので調べたら、暖かい日の朝の早い頃に、卵を抱えたメスをオスがヒレで抱え込むように受精するらしい。
なんとなく可愛げがあると思うが、早朝らしいので見たことはない。見られたくもないか!

生き物は花であれ魚であれ動物であれみんな面白いと思う。
庭のボタンが大輪を咲かせたが、ここ数日で見る影もない姿となり、チューリップも赤いのは散り終え、ピンクのものが、もうすぐ散り始めそうだ。

なかなか芽が出ないとやきもきしていた茗荷が四つほど芽をだした。狭い花壇を占領する紫陽花の葉がますます我が物顔で成長している。

物、人が作り出す「物」よりも、人の意志に関係なく咲いたり生まれたり死んだりする「生き物」のほうが、よほど好きである。
こうした趣向というか嗜好というのは、その人の自然観に基づくものだろうか。

どんな立派な「物」であっても、生き死にする「命」のダイナミズムには及ばない・・・
そうした「生きとし生けるもの」への関心は、とりもなおさず「自分の生死」と向き合う姿に重なるような気がする。

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2018.04.13

哀しみと優しさの向こうに・・・

4月13日(金) アニメ「火垂るの墓」

亡くなられた高畑勲監督のアニメ「火垂るの墓」がテレビ放映されていたので見てしまった。

30代の頃に初めて見て、それ以後毎年8月の敗戦記念日前後に放送されているが、この時期の放映は珍しいのは高畑勲監督の追悼のいみがあるのだろう。

自分の時代にあわせて、このアニメへの思いも変化があって、若い頃には戦争への憤りが、平和への思いが強く喚起される作品だった。

涙なくしては見られないのはいつも同じ感想で、家族でこのアニメを見て、娘なども涙をこらえながら見ていたものである。

人間の哀しみや悲しみ、親子兄弟の人間愛、戦争がもたらす悲劇、もうそういうものが、じわじわと心の内に広がるわけで、今は漫画とかアニメとかいろいろ作品が生み出されているのだけど、人の心のなかに理屈を超えて感情というものに訴える作品は、僕はこの作品が傑出していると思っている。

とくに「哀しみや悲しみ」という人間感情が時代を超えて共有できるのは、やっぱり技術とか技巧とかいった理屈では言えないもののように思われる。
「哀しみ」という感情も自分の時代の変遷によって変化してくる。

戦争への憤りを強く思った頃、人の、とくに「せつこ」に代表される、いたいけない子どもの生と死への憤り、そうして今では、この哀しみと優しさの向こうに、いったい何を見るのかと。

ただただ悲惨で哀しい物語だけでは言い表せない、なにか人間感情の奥深さのようなものに、共感を覚える。
それと同時に、もう見るのが辛いなぁという気持ちも、いっそう大きくなってくるのは、70数年前の時代の哀しみが、時を経て今でも地球上のどこかで繰り返されていることに、愚かなり人間社会、反省無き人間社会、とため息がこみ上げて来るからなのかも知れない。

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2018.04.09

転ばぬ前(さき)の・・・

4月9日(月) 転ばないように

Photo
【庄内緑地公園の菜の花】

先日のこと、80歳を超える妻の伯父さんの見舞いに義母と行った。
一人暮らしなので近所の人がなんだかんだと、お世話してくれているそうで、この日も病院に来てくれていた。

高齢化社会となり一人暮らしや老々介護や孤独死も言われ、地域の人間関係があってのこうした、ある種の共同が成立している。

さて、その入院の原因はというと、転んで背骨を骨折したという、つまずいて尻もちをついた拍子に骨折となったらしい。

転倒してついた手を骨折する、肩を脱臼する、鎖骨を折る・・・、身近にも「骨折」の話はすくなくない。
「転ぶ」という危険性は自転車に乗る機会の多い自分にとっては他人事とは思えない。

もう「若くない」のだから、ここは一つ「転ぶ」ことが及ぼす日常生活の一変、他人様のお世話になる可能性を重々、肝に命じる必要がある。
骨がもろくなる、筋力も衰える、バランスも悪くなる・・・ほんのちょっとの段差にもつまずく。
あるある、それに似た事柄が。

段差といえば、もう一人の伯父さんの晩年は、自転車に乗って歩道の段差の衝撃で骨折し、歩行がままならなくなった。
たかだか歩道の段差でも来る衝撃、こうしたことは感覚的に「他人事」でしかなかったが、これからは用心するにこしたことはないと思う。

まだまだ、そんな歳でもないとは思うが、過信が命取りにもなりかねない。
転ばぬさきのなんとか・・・


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2018.04.06

味噌ラーメンを喰いに行く

4月6日(金) 暇人の暮らしぶり (笑)

今週はカレンダーに予定が入っていなかった。
空白の日付が嬉しくなる。

「何もする予定がない!」という解放感の心地よさ、マグロなどの回遊魚は泳ぎ回っていないと生きて行けないというが・・・何かをしていないと暇に押しつぶされてしまう、という心境にはこれまでなったことはない。

というわけで、そうだ味噌ラーメンを喰いに行こうと思いついた。
これをして「暇人」ととらえるのかどうか?ただ「味噌ラーメン」を食べるために、市バスの時刻表をしらべ、名古屋駅へと足を運ぶ。

美味いラーメン店はちょっと油っぽい店内と相場は決まってるが、以前からここの味噌ラーメンは自分には合うと納得しているラーメン店である。
インスタ映えするような写真もアップしない。
味についてとやかく講釈もたれない。

ただ言えるのは、「敬老パス」のおかげで30分弱の市内観光もどき路線バスからの風景を楽しみ、途中予期せぬ市バスの運転手と乗用車のプチトラブルに遭遇し、そうして、ごくごく普通の「味噌ラーメン」を求めた旅(笑)

ごくごく普通の日常、何か特別の催しを訪ねるわけでもなく、普通の暮らしに充足感を持てるのかどうか…有閑ではないが「暇人の極意」とはそこにある気がする。

ちなみに「愛知県人=味噌好き」という県民気質が言われているが、味噌カツ、味噌おでん、味噌煮込みうどん・・・八丁味噌も美味いものだ。
八丁味噌で作る牛スジのどて煮(みそ煮)などは、娘と婿からは「美味い」と高評価を得ている私めの数少ない得意料理でもあるが、ふむ、料理などと言える代物でもないか。(笑)

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2018.04.04

やれやれ・・・

4月4日(水) 球春

プロ野球もやっと始まった。

いやもう3月から始まってるが、ズルズルと黒星を重ね、先発ピッチャーはことごとく打たれるわ、打線も打てないわ・・・

という、もやもやした試合が続いていた中日ドラゴンズが、やっとかめ(やっとのこと)で白星を勝ち取ることができて、ホッとしている。
なので、他の11球団とは違って、今日が「球春」の始まりぃぃぃ~♪

思い入れが強ければ強いほど、連敗するほどに気落ちし、ボロボロやなぁ~、なんでやねん~、などとなる。
普段の暮らしがちょっと下降線だと、その気分をますます下降させる負け試合。

もっとも、これも逆に連勝とか活躍する選手が現れたりすれば、なんとなく「もやもや」していても、回復剤となるから、おもしろい。

ほどほどなプロ野球ならば、そこまで気にしなくていいから、それぐらいの距離感でいたいものだが、小学生の頃から一途に応援してきて体質のように沁み込んでいると、そうならないところが痛いといえば痛いし、心地よいといえば心地よい。

もう理屈ではない地平でプロ野球を堪能している最近なのであります。

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