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2017年5月

2017.05.28

新緑ハイキング

5月28日(日) 高雄・清滝川ハイキングで心の洗たく

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5月27日の土曜日、京都の高雄・清滝川の東海自然歩道ハイキングに行った。
昔の職場仲間から声をかけていただき、11名の日帰り旅。
8時前の新幹線こだまで京都駅へ、そこから市内バスで高山寺へ行き、ここを起点に高雄・清滝川に沿ったハイキングコースで、終着は嵐山というもの。

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【指差す先は刹那・西明寺かな】


この季節、目に飛び込んで来る新緑が心地よい。昨日の大雨が嘘のように晴れ上がりハイキング日和の1日だった。
20代から70代までの過っての職場の友人という顔ぶれは、歩きながら笑顔、話しながら笑顔・・・屈託のない初夏の香りが爽やかな新緑の間からこぼれ落ちる。

清滝川の清流に沿って山道を歩く。少々の上りもあれば下りもあり岩場に足をとられないように気を付けながら、視線は日差しに輝く青葉へと向けられる。
京都の洛西、市内から一歩踏み込めば、こうした自然があるという、これも京都の魅力の一つに違いない。

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【木漏れ日も青々として】


初夏から夏にかけて「目には青葉山ほととぎす初鰹」なんて江戸っ子が好んだ俳句の情緒も思い起こされる季節。
ほととぎすではなくてウグイスが鳴いていた。それよりもカジカ蛙の鳥の声かと紛う鳴き声に「ああ、これがカジカの声なんだ」と妙に感動もする。
ここらにはオオサンショウウオも生息するらしい。
目には青葉 山カジカガエル 握り飯 なんちゃって、語呂が悪いなぁ(笑)

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【杉木立の中をハイキング】


おおむね10キロのハイキングコース。京都駅で仕入れたコンビニ弁当も木漏れ日の下で食べるのは、それはそれでおいしいものだ。
午後の3時前には嵯峨野に着く。小洒落た茶処で清涼の一服、冷たいトコロテンわらび餅を胃におさめて、祇園寺を拝観する。

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ところてんわらび餅も美味し】


若い娘さんたちは元気だが足が痛いと、年寄りたちは足腰の痛さを隠して平然そうに(笑)。
退職して6年を迎えるが、年に数回とはいえ、こうして一緒に一日ハイキングが出来るってのも不思議な縁だしありがたいものである。

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【嵯峨野の古民家保存地区】

 

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2017.05.25

図書館で本を借りる日々

5月25日 晴耕雨読といきたいが・・・

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【2週間で四冊、遅読の身には辛い、貸出延長になるなぁ】

いつも利用している区の図書館の民営化の話がでてるようだが詳細は知らない。公共施設の民営化が時代趨勢となってるが、はてさてどうなのか?
民営化が全てを解決する魔法の杖じゃあるまいし、はたして市民の文化よりも「経営」を優先した図書館へと変貌しないのか・・・ちょっと危惧する。

あいかわらず小説といえば浅田次郎で、もっか「天きり松 闇がたり」の第三冊を読んでいる。粋な老侠盗の松蔵が語る人情物語、登場する親分、兄ぃ達との秘話、生き様は悩める現代人にも通じる「何か」がある。

図書館で最初に一巻と二巻を借りて読み終えたが、三、四巻がなかなか棚にならばない。ちょうどブックオフで三巻が100円コーナーにあったので購入、四巻目がやっと図書館の棚に並んだ。
同じように楽しんで浅田次郎を読んでる人もいるのだなぁ~と、ちょっと親しみも持つ。

ところで「取り寄せ」という方法があるがまだ利用したことがない。
知り合いの方から面白い心理学の本を紹介していただいたが、いつもの図書館には蔵書がなく他の図書館にあることがわかったので、これは「取り寄せ」を利用するチャンスだと思ってる。

本も自宅の本棚がいっぱいになり、ダンボール箱に詰め込まれてる。これ以上「本を増やしてどうする!」ってわけで、極力買わない、増やさない、処分する・・・
ますます図書館を利用する機会が増えそうだ。

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2017.05.23

涼しい話

5月23日(火) 暮らしあれこれ

ちょっと前にスーパーでメダカを8匹ほど買った。大きめの鉢に水草とともに飼っている。
赤メダカという種類でのぞき込むと一斉に水草の下に隠れる。「♪そ~っと覗いてみてごらん」と歌にあるように、そ~っと観察しないと姿を現してくれない。

友人のKさんから頂いた茗荷(みょうが)を鉢植えして、はてさて芽がでるものかと思いつつ、世話をかかさずやってたら、芽が出て20センチほどまで成長した。どんどん伸びて、どんどん大きくなって「茗荷」が収穫できるだろうか?もっと大きなコンテナ栽培にしないとダメなのか。

植物を観察していると、生命力という不思議な力を感じる。妻の職場で誰も世話しなくなったランの鉢植えを貰って来たのが昨年のこと。「ほんとうに咲くのかな?」と思えるほどの「瀕死」のランにとうとう花がついた。一つ二つ三つ・・・まだまだ咲きそうだ。水が絶えて枯れないように、小まめにコツコツと世話をしていた私の手柄話。

花の命といえば、窓辺の赤いシクラメンが元気に咲いている。俳句の季語では冬の花だから、もうすぐ季節外れの花になるのだろう・・・と思いつつ、天気のよい日にちょっと陽にあてて置いたらぐったりしてしまった。
あわてて日陰に一晩置いたら、元気を取り戻した。もうすこし花知識を仕入れないとダメだと反省。あわや「シクラメン殺し」の犯人になる寸前だった。

しかし、ここ数日気温が30度に近く、人間も「暑さ」に衣類も夏仕様となった。パソコン部屋もなんだかゴチャゴチャして、見るからに鬱陶しい限りなので、思い切って改造することにした。
「スッキリ!」するために壁面の一画に木製の棚をDIYで完成させ、あれこれ飾られていたモノを取り外したら、白い壁が出てきた。といっても築13年ほどにもなると「白い」というよりは「うっすらベージュ」っぽいが、それでもちょっとは涼しい部屋になる。
飾るという行為はどうも歳月とともに膨れ上がる宿命のようで、冬の間はまだ気にならないが、少しずつ夏の暑さが忍び寄って来ると、「暑苦しさ」と同義語になる。

というわけで、木材と電動工具や資材で床一面、パソコンにも木屑が埃かぶり、しばらく近寄れなかったので、ブログ更新も久しぶりということ。
もっとも、GWに改造着手する予定だったのが、なんともまあ「孫の遊び相手」を余儀なくされ、延び延びとなったということでもあるが・・・

さて、粗大ごみ、分別ごみ、不用品の処分・・・、コツコツと人生の軽量化への道を歩み始めたという今日この頃なのだぁ~♪

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2017.05.12

天橋立

5月12日(金) 兄弟旅をした話②

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【展望台から眺める天橋立】

舞鶴引揚記念館から40キロ弱ほど離れた天橋立に旅の宿をとった。向かう途中の「赤れんが博物館」に立ち寄る。
ベルリンの壁とか万里の長城とか珍しいれんがの展示があるが、興味のある人には唸らせるものがあと思うが、すこしマニアック過ぎて頭がついて行けない。
とはいえ、知らないこと知らないものを見るのはシニア世代には頭の体操としてはとてもいい。

30分ほどで博物館を出る。高速は使わずに一般道を車で走る。
舞鶴市から宮津、天橋立は自転車で走るのもよいと思っていたが、けっこうなアップダウンもあり、くねくねと道もつづら折りで、ここを自転車で走るのはちょっと無謀そうだ。

日本三景の一つ「天橋立」は初めて来る観光地。宮島、松島と並ぶ名所だが、観光客でひしめきあうほどでもない。GW明けの平日とはいえ、きっと東京ディズニーランドとか東京スカイツリーとかいった「テーマパーク」に観光客の足は向くのだろう。

景色・風景もそれはそれで見応えがあると私はおもうのだけど・・・20年ほど前に兄は一度この「天橋立」に来たというが、それほどのものはなかったと。
宿のホテルに荷物を置き、「美味い海鮮丼」でも食べに出たが、午後の5時過ぎには人出もなく店も閉店しているところが多い。

松林に立つ「天橋立」を少し歩く。学校を終えた学生さんの通学自転車に出会う。なるほど通学路にもなっているのだ。こういう風景はどこにでもある海岸線の松林。
日も暮れようとする松林のなかに与謝野晶子の歌碑が建っていたが内容は忘れた。

後で知ることになったが、天橋立は上空から、山の上から眺め、その全貌を知って、なるほど「これが天橋立なのか」とわかるのである。

海鮮丼の旗の立つ店に入る。ちょっとした魚卸のような小さな店で、まあここしかないから、当たりかそれとも外れか・・・どちらにしても店が開いてないからしかたない。
なかなか新鮮で美味しい海鮮丼で、お値段と相談しても当たりだった。

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【ホテルの庭の松と天橋立】

兄弟でこうして旅の宿に来ることもそれほどない。この歳になって少し人生の余裕ができて時間だけは追われることもないからか。

夜遅くまで、とりとめのない話をして思うのは、兄弟というのはやっぱりどこか似ているところがある。学校を卒業してそれぞれの家庭を持ち、それぞれの環境のなかで何十年と生きて来たわけで、生活習慣も考え方もそれぞれではあるが、どことなくよく理解できるのである。まあ、兄弟というのはそういうものなのだろう。

朝。天然温泉の朝風呂に入り、近頃ホテルでは定番の朝食バイキングを食べ、近くの展望台に上がることになった。

モノレールで数分の天橋立ビューランドである。昨日はよく晴れていた空模様も今日は曇りなのだが、それでも「絶景」である。
晴れていればもっと遠くまでしっかり眺望できるのでちょっと残念。

「股のぞき台」なるものにのって、股の間から天橋立を覗いてみると、おお、けっこう幻想的な風景が広がってるなぁ~と、子どものようなハシャギ。

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【股のぞきしてみる】

昨年、イグ・ノーベル賞を受賞した東山教授のいう「小さく、縮む」効果か、絵画的な平たんな風景に見えるのである。
まあ、昔から「天橋立股のぞき」が風習としてあった訳が頷ける。

というわけで、あちこちタイムスケジューに追われることなく、ゆったりと珈琲なども飲んだりして、さて山を下りて車で帰るばかりの「天橋立」旅であった。

ゆったり、のんびり、仲良くが旅の楽しさである。

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2017.05.10

舞鶴引揚記念館

5月10日(水) 兄弟旅をした話 ①

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♪母は来ました今日も来た この岸壁に 今日も来た
 届かぬ願いと知りながら もしやもしやに もしやもしやに ひかされて
 
 「又引き揚げ船が帰って来たに、今度もあの子は帰らない。この岸壁で待っているわしの姿が見えんのか・・・」 (岸壁の母)

第二次世界大戦後のシベリア抑留からの引き揚げ船、まだかまだかと帰らぬ息子を待ち、引き揚げ港であった舞鶴港に来ては涙する「岸壁の母」の歌。

亡き父と母が満州開拓団員として満州とシベリアから引き揚げた話を聞いた子どもの頃に、この歌は耳にしていたが、舞鶴港の岸壁に立つ母の切ない歌だと知ったのは、後のことだった。

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【展示室の入口:シベリア抑留写真】

ここに「舞鶴引揚記念館」があると言ってたのは、当時一歳で母親と開拓団村から引き揚げてきた長兄だった。
5月の渋滞するGW明けを待ち8日、9日の両日、すぐ上の兄とこの舞鶴の引き揚げ記念館を訪ねることにした。

名神高速道路を兄の車に同乗して昼頃には着いた。
展示は一時間ほどで見終えられるほどの規模と聞いてたが、シベリア抑留に関する展示もあり、父と母の足跡の一部でも分かればという思いだった。

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【臨時招集令状:戦争末期は染料も不足し「赤紙」も赤くはない】

興味深い展示品も数々あった。「赤紙(臨時招集令状)」、抑留中の服装品や道具」、「援護局発行の証明書」などなどは、父と母の当時を思い起こす品々で、戦争の歴史の記念館はいくつもあるが、いっそう身近なものだった。

兄と展示を見ながら、数少ない母の残した言葉を思い出していたら、記念館の「語り部」の方から声をかけていただいた。

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【大陸日本築け若人の義勇軍募集ポスター、辛くなる標語】


展示の品々の説明も初めて聞く話もあり、こういう説明はありがたい。新しく知り得たこともいくつかあった。
昭和21年末の母の引き揚げ船が着いたのは、ここではなく実は舞鶴西港だったと思われること。
引き揚げに使われた船は「V型」と言われる船舶だったこと。60万人余の引き揚げにはさまざまな船が必要だったという。

引き揚げ者は舞鶴市内で「引き揚げ証明」と食料券を受け取り数日滞在した。父母は出身地の信州へは京都経由して帰郷したと思われる。

当時の舞鶴市は爆撃の被害が比較的少なく、引き揚げ者への親切な対応を可能としたそうで、この舞鶴で幼児を抱えた母は安堵の思いだったのだと思う。

引き揚げ者の身元不明の遺留品など、現在も何万点も厚生労働省に残され保管されているというお話で、照会すれば何らかの手がかりがあるかも知れないと説明いただき、後日資料請求の手紙を出そうと思う。

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【白樺日記:命がけで思いを綴ることの意味・・・】

「白樺日誌」という世界記憶遺産登録資料が展示されていた。
紙の代用で白樺の樹の皮に煤を水に溶かしたインクを空き缶の尖った先をペン代わりに、日々の生活や歌を綴ったものだった。

検閲や統制をくぐり抜けて持ち帰られたと言う。極限下でも人間は知恵と工夫で、自由な意思表現を残すことができるという、圧倒される存在感があった。平和であることの尊さを身に沁みて感じた。

そういえば昼飯は記念館内にあるカフェで、自分は「引き揚げうどん」兄は「海軍カレー」を食べた。とくに「これ!」ということもなかったが、こういう記念館でそれらしい名のついたものに、雰囲気だけは旅気分といえた。

語り部の方の名前はお聞きしなかったが、この方も母と子で引き揚げされたとおっしゃっていた。引き揚げの話は子らよりもそのお嫁さんに案外話している場合がありますよと。

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戦争体験者が少なくなって、戦争を知らない世代がほとんどとなり、こうした話を聞く機会も減って、語り部の方のお話はとても貴重で感謝いっぱいだった。

記念館での見学を終え、兄との記念写真も撮り、川を挟んだ向こうにある「復元引揚桟橋」を見学に行く。

復元桟橋なので当時の桟橋は湾の奥にあったらしい。水深が浅く引き揚げ船は湾の途中まで、そこから小型船に乗り換え、懐かしい日本の地を踏むことになったようだ。

舞鶴港は昭和20年の第一船の入港から昭和33年の最終船まで、昭和25年以降は唯一の引き揚げ港として、60万人余の引き揚げ者を受け入れ、その内に私の両親とまだ幼かった長兄がお世話になったのである。

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【復元引揚桟橋:たしか「こころ旅でもここを訪れていた】

桟橋から見る風景は穏やかそのものだった。その湾内に「引き揚げ船」が停留し、そこから小型船に乗り息子を抱いた母の帰還する安堵の眼差し、この桟橋に立つとそんな錯覚も不思議とは思えない光景なのである。

「舞鶴引揚記念館」を見学するという目的は終えることができた。厚生労働省への資料請求の方法も教えていただいた。短い時間だったが「語り部」の方のお話も伺えた。充実した旅だった。

今回は舞鶴まで来たのだから、ついでに日本三景の一つ「天橋立」まで足をのばし、のんびり一泊旅にする予定なのだ。 (つづく)








 

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2017.05.05

自転車を軽くする

5月5日(金) 「60肩」と自転車 ②

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【懐かしのジャイアントMR4F(夕日の当る公園にて)】

立夏、GW真っ只中。高速道路で家族サービスのお父さんお母さん、渋滞で大変だと思いますが、そういう苦労もあとから楽しい想い出になるなら、災い転じて福となる。

案外、物事ってのは一つの事がらの内に肯定も否定も含まれ、そうして本質が分ったり、新し境地に至ったりするもの。

60肩に悩まされ、これをいかに克服するか・・・まあ、無理らしい。
無理なことは諦める。アンチエージングという言葉がある、老化に抗するってことだが、抗するよりも、いかに付き合うか、言い換えるならいかに自分らしく老いるか、と言うことだと。
60肩も経年劣化する肉体も、うん、楽しくそれなりに処方する方法を見つけなくては。

で、自転車の話。こういう趣味の話も芸術の話も突き進んで行くと、それ以外の人からすると「凝り性的変人」となるのが普通なのだと思う。
これが良いとか悪いとか個性があるとかないとか・・・どうでもいいことで、普通の見地からは乖離しているって事実だけは、己の腹におさめて「趣味です!」と、少々へりくだって言うのが自分らしさとしての表現かな。

で、自転車の話を続けると、60肩に悲鳴をあげながら自転車を持ち上げるため、筋力アップやコツコツストレッチ、己を鍛えるには体力も気力も歳相応に減退してきた。

もう諦めるのが最上の処方箋なので、発想法を転換することにした。つまり「60肩」にふさわしい自転車にする。己がダメなら自転車が変われ!という、超ポジテブ思考。

自転車はいったい何キロほどの重量か。一般論としてスポーツ自転車10キロ前後、ママチャリ20キロ弱、今流行の電動サイクル30キロ弱というのが相場のようで、重さ6キロという超軽量化志向の方もいれば、鉄の塊のような重い実用車好みの方もいる。
折り畳み自転車は構造的にも重くなる。小さなタイヤの軽そうな折り畳み自転車が実は17~18キロもし、ママチャリと変わらないことも珍しくない。

普段の自分の自転車の重量を測ってみたら、13キロ前後になっていた。ちなみに体重計に乗って計測し自分の体重を差し引くって測り方だ。
しかし、この13キロ前後の重量は「走る」には良いが「担ぐ」には重い、まして「60肩」にずっしり食い込むと、悲鳴どころか悲惨とも言えるのだなぁ~。

世のその道を見極めた方は、爪に灯を点す覚悟で50グラム、100グラム、チタンにカーボンにと努力を重ねているということらしいが、そこまでするには財力が乏しい。

初めてスポーツ自転車を買ったときに「軽い自転車が欲しい」と店員さんに言ったら「軽い自転車よりも軽く走れる自転車を買いなさい!」と。
なるほど、目から鱗の金科玉条として拝聴したけれど、今は60肩に耐えられる「重量」が差し迫った課題の老の身。

財力無し、筋力後退、貧乏暇なしというよりも、貧乏だが暇だけはある、頭は悪いが知恵だけはあるに違いない。

わずかな知恵を絞って・・・そうだ余計なものを全部取ってしまえ!
泥よけ(フェンダー)、スタンド、鍵、サドルバック、リアライト、アタッチメントなどなど、重いサドルは安価な軽いものに交え、出来る限りの基本構造というシンプルなものにしたい。

子どもの頃に友だちの乗っていた自転車のキラキラ輝く装飾品が眩しかった思い出があるが、自転車も車も家もみな同じで、どんどんと物欲にまみれ、本当は必要もない「物」に己の欲望を投影し膨らんでゆく。

シンプルなものから遠ざかって行くのが人生ならば、人はつまらぬものをたくさん背負いすぎて生き難い人生を歩むに等しい。

とまあ、そういう発想は自転車にも当てはまるわけで、サドルやシートポストやペダルやアクセサリーの類、いろんなモノをチェンジしてきたこれまでを、60肩を契機にシンプルにする。

余談だが、密かな思いとして65歳の誕生日を迎えたら、僕は日常生活の「物」にまつわることをシンプルにして行こうと考えている。
もう自分の記憶と感性と知識だけで十分で「物」から何か新しいことが生まれるとは思えないのだ。

とはいえ、霞を喰って生きる仙人のようなことは不可能なので、「必要最低限」という道標をどうにかして見つけ出して行きたいのである。
余計なものを取り外し、軽量なものに交換し、必要最低限に絞り込んだ自転車を持ち体重計に乗ったら、ほぼ11キロ弱にまでなった。少しは贅肉が落ちただろう。
 

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2017.05.03

移動する「60肩」

5月3日(水) 「60肩」と自転車①

「40肩」も「50肩」も経験することなく「60肩」に悩まされている。
自転車を走らせるのに問題はないし、孫を抱き上げるだけならそれも問題ない。

「60肩」で困ってると友人に話したら、最近卓球のラケットを握ってないでしょう!と言われ、ふむ、長年卓球というスポーツでコツコツと筋力を使ってきた、その部分の筋力低下が「60肩」の要因にあるのか?

ところが不思議なことに「60肩」の痛みというのが、日々変化する。
右肩を前方から横に伸ばすと「痛っ」となる日、今度は上方に片手を上げると痛む。
ある日は背中に回すと、はたまたある日は下にぐっと力を込めると・・・どうも決まった角度だけが痛むのではなく、日々「60肩」の痛みが移動しているらしい。

困ってしまってわんわんわわ~ん♪の日々が続いているが、歳のせいや加齢などとは認めたくない。整形に通院するほどでもないから、やはりここは持って生まれた自然治癒力を信じている。
というか、困難はあれこれ悩むよりもまず実践が肝要なので、自転車に乗るにはまあ問題なしと・・・。

ところが、少し前傾のスポーツタイプのハンドルに重心をかけても、さほど苦にならないが、自転車を持ち上げるときに「痛っ」となるのだ。
玄関に設置したポールの上下に二台の自転車が掛けてあるが、その上段の収納時に問題が出てきた。

つまり「輪行」時に肩にストラップをかけて持ち運びするのに不都合じゃないか・・・
自転車は乗るもの担ぐものというコンセプトが崩壊してしまう、旅の自転車というスタンスが瓦解して、無趣味でなんの楽しみもない「老後」が迫って来る~(大袈裟です)

というわけで、次は「自転車を軽くするの巻」に続くのだぁ~♪


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2017.05.01

雷雨と自転車

5月1日(月)湖東、彦根市から豊郷町(中山道)をサイクリングした話

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【旧中山道を走る】

自転車で走るということは、天候に左右され、突然の激しい雷雨に見舞われたりするのは、ままあるが、雨宿りするところがあれば幸運なことだ。

4月29日のGWの初日、友人ら6人で琵琶湖の湖東、彦根市から豊郷町まで、かっての中山道を走った。
ほぼ直線の片道13キロほど。近所をふらふら自転車散歩すると同じ距離だが、そこは「中山道」、ところどころに旧家の白壁土蔵や古い町並み残っていた。

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【旧中山道を走る】

とはいえ、こうした旧街道の風景も新旧織り交ぜた街道となり、交通量も少なくない。
そんな地方の街を自転車で走ると、非日常の世界になるのは、サイクリングというものの面白さかも知れない。

この中山道は宿場でいえば高宮宿から愛知川宿の間、鉄道では彦根駅から数駅ほどの距離なので、のんびり走るにはお手頃な道といえる。
もっとも天気が良ければの話で、この日は全国的に大気が不安定、午後からは激しい雷雨もあると天気予報は伝えていた。

近江商人の町である。古来の東西の経済交流の要所の地となれば、そうした経済人にまつわる旧跡もいくつかある。

豊郷小学校旧校舎群という「白亜の教育殿堂」。町出身の古川氏が私財を投じて建てた、立派な小学校、現在は福祉施設の拠点になっている。
ここだけ当時としては別世界のような学校だったのだろう、いやはや立派な建物。

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【伊藤忠兵衛記念館横にて】

しばらく街道を走ると伊藤忠、丸紅の創始者の伊藤忠兵衛記念館がある。なるほど、近江商人の系譜だったとは、知りませんでした。
生家にまつわる遺品や暮らしぶりを、館の方が説明してくださった。

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【伊藤忠兵衛記念館:釜戸】

走れば腹が減るものだ。この先に酒蔵見学ができるカフェ?食堂?お店があるとパンフレットで〇塚さんが調べてくれたので、そこで昼飯をとることにする。

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【金亀酒蔵祭り】

期日限定で「酒蔵見学」の催しもある、なにやら楽しそうな企画で、酒ロールのスイーツもあるというじゃありませんか。
で、へこんだ腹とは裏腹に、期待に胸膨らませ・・・、味噌サバ定食、酒麹のふしぎな一品、福引、酒蔵コンサートなどなど予定外の楽しい昼時となった。

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【味噌サバ定食】

ここまでは順調だった・・・が、がである。
突然の雷鳴、大粒の雨、豪雨に身動きがとれなくなる。
駐輪場に停めた自転車もヘルメットもずぶ濡れ状態。ああ、雨中に漕ぎだすには嵐の中を進むに等しい。

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【豪雨に自転車も濡れる】

腹もふくれたので、腹をくくって、嵐の過ぎ去るのを待つこととなった。
サイクリング途中に雨に遭遇することも少なからずあったが、これほどの激しい豪雨はいつ以来だろうか。

しばらく待機する。

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しばらくというよりも雨模様を気にしながら、ひたすら天気の回復を願う。
こういう時間は、過って同じ福祉の仕事をしていた友人らなので話題には事欠かない。
どれほど過ぎたのか、天気が回復したので、また降り出されてもかなわないと、急いで帰路につくと、あれまあ~先ほどの豪雨が嘘のように、晴れ上がったのでした。

終わりよければ全てよし!という中山道の彦根から豊郷町のサイクリングでした~♪

総走行距離 26キロ
曇り時々晴れ、後豪雨、後晴れ・・・

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