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2017年1月

2017.01.31

冬のアルバム

1月31日(火) プチ贅沢なお散歩


冬の樹々は冬芽を被いながら、じっとほころびる春を待っているという。

からっと晴れ上がったよい天気だったので、久しぶりに庄内川を北上する自転車散歩に出かけた。

冬の寒さはあれど、ひだまりを見つけて立ち止まれば、ぽかぽかと心地よい。今日からまた寒さもぶり返すとお天気ニュースが言ってたので、厚着して防寒対策を施したがそんな必要もないほどだった。

こういう日は、庄内川から名古屋駅前の高層ビルがはっきり見えるし、はるか彼方に山頂に雪を頂いた御岳山が、新名西橋の吊り橋の間から眺望できる。
この風景は何度も見られるわけでないのでラッキーなのだ。

この季節といえば、庄内緑地公園のマンサクの蕾がほころび始めていた。「春遠からじ・・・」そのものである。
平日の午前、世の中は「仕事」で動いているので、ジョギングしたり自転車に乗ってる人は、やはり年配の方と相場は決まっている。人出も少ないのは当たり前。

贅沢なことだと思う。贅沢というのは必要以上の金品や物に包まれることを言うが、冬という季節を堪能できるというのもプチ贅沢だと。贅沢な時間だと自分は思うが、これは「時間を持て余す」というのと紙一重の差ではないかとも思う。

明日から2月が始まる。なんとまあ時間も日にちも月も過ぎるのが早いのかと思うこの頃。
のんびりと自転車を走らせていると、この時ばかりは時間もゆったり流れるのである。

【冬のアルバム】
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この雪帽子を冠った御岳がきれいに見られるのは枇杷島橋と新名西橋の間の堤防道。

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「冬来たりなば春遠からじ」、今は辛いときでもいずれは幸せがやってくる。

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自分を撮る、自分を晒す・・・安否確認のようなもので、年に1~2回ほど、それにしても厚着だなぁ (笑)

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堀川の上流、黒川から北上した御用水の冬枯れした桜。川面に延びた枝がたおやかだ。

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2017.01.29

ごちゃごちゃ

1月29日(日) 暮らしの癖

しばらくパソコンから遠ざかっていたら、机の上が資料やら本やらDMやらで、ごちゃごちゃしてきた。

「ごちゃごちゃ」というのは本意ではないので、ファイリングしたりゴミ箱へ捨てたりして、気分刷新と行きたいが、塵とおなじで何もしなくても暮らしているとごちゃごちゃする。

精神衛生上よくない。なにか頭のなかまで未整理で、まとまった思考も遠のいて、思考ばかりか「意欲」とか「モチベーション」といったことにも影響するような気もする。

もっとも、その「ごちゃごちゃ」していると傍目に思われるのを、当の本人はいささかも不都合なことと思わず、てきぱきと処理できる人もいるのは不思議だ。

生活習慣なのだと思うが、意外とそうした身の回りのごちゃごちゃと頭のなかの整理整頓は別問題であって、整理整頓と頭のキレ具合は一致していない・・・という友人が多くいた。

誰しもあるかも知れないが、心機一転とか一念発起してことにあたるときの「儀式」みたいなものがあって、ごちゃごちゃした目の前をきれいに片づける、そこから本題に突入する、というのが癖のようになってる自分である。

すこし綺麗になったので、パソコンも近寄ってきた。不器用なことだとわかっているが、それもまた暮らし方の癖なのだと思う。

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2017.01.24

おもしろい物語

1月24日(火)小説「蒼穹の昴」 浅田次郎


文庫本4冊の浅田次郎「蒼穹の昴」を読み終えて、なかなかおもしろい小説だと思う。

Photo清朝の末期の歴史を背景にした小説で、読み物としては傑作で、ときどき清朝の歴史本を参考にしながら読んだが、歴史と登場人物を小説としてまとめ上げる醍醐味が伝わってくる。

と言っても、読んでいない人にとっては「なんのこっちゃいな」ということになるが、いちいち物語のあらすじを書いても一読したほうが、下手な文章を読むよりおもしろいはずだと・・・

小説の概略を周りの友人に説明したものの、話下手のせいで上手くは伝わらない。むしろ、そういう友人らは、歴史本やエッセイや仕事に関わる本など、そういう類をたくさん読んでいるので、「小説」というのは、やはり「小説」でしかないようで、作り話の領域から引っ張り出すには、自分の能力の限界を超えている。

・・・が、いくつかの実務書やエッセイやそういう本はそれはそれで、現実を知る上ではとても貴重だと思い、「こういう本が良かった」と紹介されれば、メモしたり取り寄せたりしながら読んでいるが、やはり小説の方がおもしろい。

もちろん、おもしろくない小説もある。おもしろくないものは残らないというだけなので、消えて行く。
しかし、人によっては小説なんてと思ってる人も少なくない。「物語」なので、それよりも現実に即したものの方がはるかに知識欲を満たしてくれるのも事実だろう。

どちらがどうかとは言えないが、小説ってのは読む人の想像力を豊かにさせてくれると自分などは思っている。想像力なんて何か特殊なものじゃなく、あれやこれやの事実、人間もふくめたものの再構成ってことだろうか。

小説。歴史のなかの人々、現実というものの隙間を埋めるには、これほど楽しいものはない。いやいや、長編を読み終えた!という自己満足という自分にとっての楽しみもある凡人だ。

読み終えて、西太后、李鴻章、高宗乾隆帝、宦官、科挙、紫禁城などなど、登場する人物と情景が生きいきと描かれているので面白いと思う「蒼穹の昴」だった。

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2017.01.19

毎日、毎日・・・

1月19日(木) ふと、感心すること。

毎日が同じような毎日で過ごしていて、気にもしなくなったことが、ふと「そうだなぁ~」と気づかされることもある。

散髪屋にほぼ二か月ぶりに行った。めんどくさいので髪など伸びなきゃいいのにと思ったりもするが、伸びなきゃ伸びないで、これはまたこれでちょっとつまらないような気もする。

今週はほぼ毎日、予定が入っている。
退職した身としては、毎日ともなると、洗濯は帰宅してからだなぁ~とか、それはそれで気にもかかる。
「毎日、毎日は辛いものだ」などと、散髪屋のご主人に、いつものように他愛もなく話をする。
他愛もない話だけれど、「いやいや、みなさん毎日、毎日仕事に行ってますよ」とご主人。

いやぁ~、なんだか「はっ!」としました。定時に出勤して、定時に帰宅して、いや残業もして、勤めとはそういうものだが、何年も経つとそんな普通のことを、心のどこかで忘れてしまうものだ。

こういう暮らしに慣れると、もうフルタイムの仕事はできなくなる。ボランティア仕事ごときの不定期な予定など、申しわけないほどなのだろう。

あらためて「勤め人」は凄いと感心してしまう。一日8時間ほど、コツコツと何十年も働き続けるのは、普通の生きる術だとしても、毎日毎日それだけ働き続けるというのは、やはり凄い事だと思うのだなぁ。
なのに「働けど働けど我が暮らし・・・」大切にされてないんだ。


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2017.01.17

鍵のその後とシクラメン

1月17日(火) 今年は春から縁起が良い


リビングの出窓の赤いシクラメンの花のつきが良くない。例年ならばもう少し数も多く咲くものだが、このシーズンは水も肥料もしっかり世話しているのに・・・。
と嘆いていたら鉢一杯に広がった葉の裏に芋虫が潜んでいて、美味しそうな芽を食べていたようだ。可哀想だがつまんで田んぼの畦に捨てたのが12月。
義母宅の薄紫のシクラメンはきれいに花をつけている。同じ時期に買って一鉢もらったものだが、花の一生も咲くところによって違ってくるもの。

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その義母から電話が入った。「お父さん、たしかカギを無くしたって言ってたでしょう、今日鉢を傾けたらポトンと落ちたので見たらカギだけど、これそうじゃない?」
「おどろき、桃ノ木、山椒の木~」って、これは亡き母親の口癖だが、なぜそんなところからひょっこり出て来たのか、青天のヘキレキの出来事だった。

モノには道理があり、因果関係があり、起こりうる事柄にはそれなりの理由があるはずというのが持論のようなもので、シクラメンが咲かぬのは芋虫の仕業だし、とんと暮らしぶりが良くならないのも為政者の悪策につきる。

ただ、どうしてもカギの所在がわからないのは納得できなかったが、それがどうしてまた義母宅の鉢植のなかから出てきたのだろうか。

義母宅を訪ねて不在だったので帰った、その時にポトンと落としたのだ!というのが周囲の事の顛末の解釈だけど、もう一つ腑に落ちない。
日差しも届いて鉢を表にでもだそうとしなければ、植え替えの時期まで静かに眠ってしまっていたのだから、こりゃあ春から縁起が良い。

シクラメンの世話係は自分なので、我が家と義母宅のシクラメンが同郷のよしみで連絡をとりあって「恩返し」という道理でひょっこり手元に戻ってきた・・・上手い解釈だ(笑)

と、モノには道理があると言うわりには、「縁起、温情」かつぎをしてしまうのは、カギもさることながら愛用のキー袋が戻ったのが嬉しいからだなぁ。

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2017.01.12

心の「ひだ」

1月12日(木) 浅田次郎の短編小説を読んでいる


週末には雪が降りそうだと天気予報が伝えいる。しんしんと寒さが骨身に堪える日は暖かい部屋で心まで暖まる小説を読むのも一つの過ごし方だと思うが。

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浅田次郎の図書館本、ブックオフの百円本、続けて読んでいるので、このまま文庫本化されてる小説を全部読んでみようかと、正月に思った。

しかし、読むのが遅いのでどれだけかかるのか。
最近は「何か読む本ない?」と妻からせがまれ、浅田次郎を中心に手元の小説を渡しているが、倍以上のスピードで読み終えるので「速読」だと思う。寝ながら読書の専売特許を奪われた格好になっている。

速読というと浅田次郎が面白いと言ってたYさんは年間100冊は読むと、3日に一冊の計算で通勤中とかに読むという、それにしても凄いものだと感心する。
本が好きでたくさん読んでいる人とは、どことなく話が合うことも多い。

浅田次郎の小説は時代小説の市井の人情話に通じるところが多い。内容の幅の広さは読んでいて飽きないが、もう一つ言えば「人の心のひだ」に敏感な作家ってところだろう。

「心のひだ」なんて言うと抽象的でわかりにくいけれど、知識とか技術とか論理とか感情とか・・・そういうもので言い表せない人の心の微細な部分に焦点をあて、小説として成り立たせているという気がする。

だから、自分が理解できる感覚を超えた面白さ。まあ、言うならば自分が理解できる感覚、解説できる感覚なんて、面白みに欠けるのである。理解を超えたものに出会う面白さとでもいおうか。

仕事をしていた頃、知識が豊富で行動力にとみ、判断力も自分よりずっと優れていた女性がいたが、その彼女に「ああ、彼女には『心のひだ』を理解できないからなぁ~」と言ってた先輩がいたのを思い出す。
それ以来「心のひだ」を理解しようとするのが、人との関係の中心ごとになった。

小説ってのは、そうした「心のひだ」が何たるものかを教えてくれる。分かったようで分からないのが人の心とその揺れ動き。分からないのは当たり前で、人はこれでもかというほど多様な存在なのだから。分かったつもりで自分の領域で納得しているよりも、分からないものにふれあう・・・良質な小説、読み物はとても楽しいのである。

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2017.01.11

鍵(かぎ)

1月11日(水) この憂鬱さは・・・

数日前から玄関のカギが見当たらない。革の袋に自転車のカギとあわせて二つ入れていたがどこを探しても出てこない。玄関をカギで開けたところまではあったはずだが・・・

カギもだけど革のカギ袋はお気に入りだったので、こちらの方も惜しい。
紛失物はさほど多い方ではない。年に数えるほど「ない、ない、ない」と大騒ぎするが、手順を追って「らしき場所」を丁寧に細かく捜索すれば、ほとんど解決できていた。

・・・が、今回は少しばかり厄介なことになった。鍵箱、ポケット、部屋中をまるで迷探偵のように探しまくるがどこにもない。まるで突然理由なく消えてしまったようだ。
ここ数日「おかしいなぁ~」と、ほとんど関係ないところもひっくり返したりと憂鬱な日々である。

この憂鬱さは「理由なき消失」による。
落としてしまったのなら理解できるが、ある日突然訳もわからずなくなってしまうことによる。つまり、ある日突然恋人にフラれ、目の前から消えてしまうのに似ている。
恋人が理由も告げず去って行く恋はしばらく尾を引くもので、理由が分れば傷心はするけど痛手は少ない。忽然と無くなる鍵・・・・なんとなく似ている心境だなぁ。
 

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2017.01.05

ID・パスワード

1月5日(木) 小寒

穏やかな正月から一転して寒さが増してきました。

外はけっこう寒風が強いので、今日は机の回りを整理していた。で、気が付いたのは、あれこれID・パスワードというものが溜まりに溜まっている。

ネット環境があると、ID・パスワードは増え続けるもので、一つを使い回せば苦労もないが、その分悪魔の手にも陥りやすい。

調べてみると50ほどのID・パスワードがある。これを一枚の紙に書き留めて、余白も汚い字で埋まり、紛失したり珈琲でもこぼして判読できなくなると、とてもやっかいなことになる。

ネットで購入する機会も増え、そればかりかPC環境のWI-FIとか、もう暗記することは不可能な領域に達している。

世の中の皆さんはいかがして管理されてるのでしょうかね。生年月日とか電話番号とか、危ないけれど、そういうものだろうか・・・

しかし、こういう契約に関するID・パスワードのたぐい。そもそも自分しか知らないヘソクリとか、ある日ポックリ逝ったら、月額契約の残金請求が来たり、印鑑もわからない通帳が本棚の裏に眠っていて、そのままフェードアウトしたりして。

「終活」の第一歩は、こうした記録整理から始まるのだろうか。慌てふためかないために(残された者が)。エンディングノートは役にたちそうだけど、財産などない暮らしでは意味も薄くなる?

などと年賀状に添えられた「終活」という言葉で、とりあえずID・パスワードは整理しておこうと思ったが、「終活」じゃなくて、単なる忘却防止法か。(笑)

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2017.01.04

仕事はじめ

1月4日(水) また普通の日常がやってきました。

「正月が三日しかないぃぃ~」と嘆きも多い勤め人の妻も出勤した朝でした。

毎日が「正月」のような現役引退した身、扶養される身としては申しわけないと、謙虚な三が日明けの今日です。

とは言え洗濯も溜まったし、あれこれ家事もあるし、トイレットペーパーは切れてないか、洗剤は大丈夫か・・・まあ、それなりの「仕事」はあるわけで、やはり「仕事始め」には違いありません。

こういう「仕事」があることに、ちょっと救われています。
自分以外の人にも「役に立つ」、それがほんの些細なことであってもありがたい。

仕事をしていた頃はそんなことはこれっぽちも思わなかったが、「仕事」という社会のレールから降りて、あの仏文学者のサルトルいわく「自由の刑に処せられる」といった、ちょっと大げさではあるが、そういう心持に出会うと、「仕事」というものの持つ大きな意味も知ります。

まだ初夢は見ていませんが年に一度か二度は仕事をしている夢を見ます。
その夢たるや福祉の職場で少し困った人との会話に、「どうしたものかなぁ~」と悩むほどではないが途方に暮れる夢なので、夢とは言え真剣に苦慮している。
目が覚めていつも思うのはリアルな夢だった・・・と。

頂いた年賀状に「今年の抱負」が添えられ、旅に出る話や家族が増えた話や戦争のない平和な日本を願うことや・・・そうした夢や希望が語られています。
日々の暮らしは淡々と過ぎて行きますが、そうした日常の上に夢や希望や抱負は実現されるのでしょうね。

さて、今年も健康を維持して自転車を走らせることから始めようと思っている本日。

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2017.01.02

迎春 2017年

元旦

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新年を迎えました。
いつも自転車散歩する庄内川の右岸堤防道、正面は赤い吊橋の新名西橋、10年以上も見慣れた風景。

ところどころ護岸整備で変わったが、全体の景色はいつもと同じ。
穏やかな正月です。また今年もブログを書き続けていこうと思っています。

正月の楽しさは「新しい年の始まり」ですが、考えようによっては、リセット感という気もする。
去年の良きことも悪しきこともぜ~んぶリセットして新年なので、ほんとうに楽しいのは正月を迎える前の年の瀬の頃。もうすぐ真っ白な一年がまた始まるのだなぁ~、と思うと、嬉しくなる。

リセット、節目、区切り・・・人生で一番長い区切りは生死だが、これは味わうことができない。だから「一年の節目」がもっとも長い区切りなので、70回か80回かわからないが、とにかく迎えられるのは、ありがたいものだと。

年末から来ていた孫が帰っていった。騒々しいというか賑やかというか、そういうあわただしいさも今日はない。
しっかり自転車のメンテナンスに時間を費やし、初走りで庄内緑地公園に行く。穏やかな一年の始まりである。


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