« こうえん、こうえん行く | トップページ | 風邪の連鎖 »

2016.11.13

わたくしの写真考

11月13日 記念写真もずいぶん溜まったなぁ~

320
旅やサイクリングの記念写真を壁に飾っているが年々その数も増えてきた。
長く生きてると記念の写真も増えるのは普通のこと。もっとも自分で撮ったものはほとんどなくて、友人が撮ったのをCDでもらっている。
あの時行ったのは何処・・・誰がいたっけ・・・アルバムにしまうよりも、少しだけ楽しい。

「写真考」などと書いたが、大袈裟な話でもない。カメラの技術などほとんど知らない。
自分で撮るものはほとんど風景とか自転車とか(笑)、そういうものなので、自分は写っていない。
友人らが気軽にSNSに旅の写真をアップして、その旅先の風景など綺麗なものも多いので、見ているだけで楽しくなる。みなカメラマンなのだと思う。

最近スマートホンのカメラ機能を知った孫がしきりにカシャカシャとシャッターを切る。自分の足先だけ写ってたり、半分顔の欠けた案山子だったり、名カメラマンぶりだ。
そういうふうに、撮った写真には撮った人の心理(無造作であっても)が働くもので、現実の一コマを切り取る写真は、その段階で現実から離れて一つの「画像」となり、物語にもなる。

ビルディングの写真があれば、何を撮ろうとしているのか、花の写真があれば何を撮ろうとしているのか、風景の写真は何を撮ろうとしているのか・・・
僕は写真を眺めるとき、その一点だけを見つけ出そうとしているような気がする。

記念写真は「その日、その時」の記録を焼き付けているし、「物」を撮れば、その物の状態を写しておくということに他ならない。
それは、それでいいのだと思うのだけれど、風景などを撮って、それがいつもと同じ風景だったとしても、良い出来栄えだと思う日も、ダメだなぁと思うときがある。
同じ風景でも同じに見えないのは、カメラという機器を操作する側に違いがあると思う。

何枚も撮って何枚も見比べてたった一枚のお気に入りがあればいい。
被写体などなんでもいいような気もする。所詮カメラの写真など、現実には勝てっこない。
現実を撮ろうとしても、現実はカメラには収まりきらないのが普通で、いわばある種の虚構だと思うと、であるならば、そこに写るものは撮り手の心情しか残らない。
だからこそ、丁寧に必死に撮ろうとする気持ちになる。

綺麗なものを撮ろうとする心や風光明媚な風景のすばらしさを撮りたい心や人の笑顔を嬉しく思う心や・・・
そういうものが強ければ強いほどに、やっぱり写真には表れると思うと、何枚も撮った写真の中で、そういう写真が一番心に残るのだと思う。
もっとも、それが人に伝わるかは別の問題だと思うが。

手軽に写真を撮ることが出来るようになった。その便利さが単なる記憶の記録でハードディスクにしまわれるのは惜しいと思う。
写真が人生の一枚になるように、自分にとっての「かけがえのない一枚だ」と、そう思えるような撮り方、見方ができるのが、写真の醍醐味だと思う。
なかなか難しいのだが・・・

|

« こうえん、こうえん行く | トップページ | 風邪の連鎖 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「誰でも写真が撮れる時代だからこそ難しい」とプロカメラマンの友人が言った。「今や写真はメモだ」と僕は言った。「写真がなくても残る思い出」とは何なのか?

投稿: マミケン | 2016.11.14 11:57

先日、近所のバス停の時刻表を写真に撮り重宝しているが、文字通り「写真はメモ」になりました。
論・考なんてものは多々あるもので、わたくしは自分の写真も他人の写真も、そう見てるということに過ぎません。
思い出は写真にしかのこらないというよりも、写真もその思い出の一つにはなるでしょう。みな「肉眼カメラ」で風景や想い出を記憶するものだと・・・

投稿: ちょっと一休み | 2016.11.15 22:02

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« こうえん、こうえん行く | トップページ | 風邪の連鎖 »