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2016.10.14

物言えば・・・

10月14日(金) 朝晩の寒さが増してきた

一日の寒暖の差が増して、「ストーブを出すか?」「いやまだそこまでは・・・」
死刑制度について瀬戸内寂聴さんが発したコメントが問題視され、それにたいして「物言えば唇寒し秋の風」と語っていました。

発言の全体を読めば、誤解されたものだと思われるが、「物を言う」ということには、さまざまな反応が立ち返ってくるのがこのご時世だと、つくづく思う。

それでも、物を言うことが出来る立場、というか物を言うことで、社会が敏感に応じるのは全体から見ればほんの僅かで、そうした部分がまるで「社会全体」かのような錯覚になってしまうのは、マスコミやジャーナリストの影響大だから、とりわけそういう仕事に携わる人の責任は大きいということなのだろう。

物こそ言わないが、世の中には実に豊かな批評性や感受性を持っている人が少なくない。

福祉の関係でアンケート集約の仕事を依頼された。
無記名の障がい者関係のアンケートへの回答であって、こういうものは、無記名、自由回答という点で、日頃の思いが文字通りストレートに反映されている。

人は40人50人と集まると、およそ一つの集団となって、個々の思いというのはかき消されそうになるものだが、個々の回答の一つ一つの言葉を丁寧に拾ってみると、そこには一行の短い文章であっても、その人の「思い」というものが滲み出ている。

ビッグデータとかマスメディアとか最大公約数ばかりが論じられる社会になって、ともすれば個人の意見や思いが軽んじられがちになる。
けれども、このかき消されそうな「たった一人の思い」の言葉に接すると、実に多くのものを学ぶことができる。

もっとも、そうしたものに敏感になれるかどうかが問われるわけだが、少なくとも注目されることばかり意識している「メディア文化」にはない、真実味を感じることができるのだ。

さて「物言えば唇寒し秋の風」とは、物をいえばあとで後悔することが多く、ましてや人の悪口を言えば自分自身がいやになるという意味だ。

「口は災いのもの」という意味もあるだろうが、寛容なき現代は「唇寒し」などと感じるよりも、ますます口角泡を飛ばし血気盛んとなることが多そうだ。
ふだんは物を言うことも、言う機会も少ない人たちが、短い文章で綴る「回答」というものに見え隠れする人生そのものの喜怒哀楽。

どんな立派な演説よりも、どんなに人に知られた事柄よりも、その「暮らしの真実」から発せられるものの価値に、どうも自分は魅了されているのである。

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