« 今年も、また・・・ | トップページ | 連続テレビ小説 »

2016.10.01

葬礼と自分史

10月1日(土) 秋空の気配なしだなぁ~

10月になった・・・
なったと言うのに一向に天に突き抜けるような秋空がやってこない。
先月は三日と晴天が続かず、予定のサイクリングも中止になって、なかなか思うようにならないのが季節というものか。

妻の親戚筋、つまり伯父さんの通夜に参列した。83歳で一人暮らしだったという。子どももいたが、病気になるまえまでは、自前で暮らしていたという。

戦前、戦中生まれの世代の人は、現代人に比べどこか生きる力が強いような気がする。食べ物も大気もストレスも、さほど人体にはよろしいとは思えない暮らしを続けてきた戦後世代が、それほど長生きできるとは思えない。

通夜の喪主の挨拶のあと、短いが生前の若い頃からの写真が映し出された。
妻の親戚筋で交流もほとんどなかったが、その年々に撮られた写真には遺影とは違う姿が見られ、当たり前のように人は歳を重ねることを身に沁みて感じる。

人は死して無に帰すとはいえ、その人生を誰がいつまで記憶に残すのだろうか。
簡単にケイタイで写真を撮ることができる時代になって、想い出や記念の写真が昔以上に多く残り、遺品となる時代である。

過っては何冊ものアルバムに貼りつけていた。自分史を作るというのも面白いものだと思う。その手間暇は生きてる間の作業となる。

膨大な写真のなかの自分史には、人には言えぬことも、人に伝えたいことも、いろいろあるだろう。

そういうものを最後の仕事にするというのは、ごくごく普通の人生にもあってよいと思う。
もっとも、それを誰が、どう見るのかは別の問題で、簡単に過去の遺物になるか、貴重なご先祖さまになるかは、当の本人は知らない話だけれど・・・

葬儀。若い頃と歳を重ねた今と、感じることがずいぶん変わるものだ。
ある意味、人は他人の死を通して、自分の終末への準備をするようなものだと思う。

|

« 今年も、また・・・ | トップページ | 連続テレビ小説 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 今年も、また・・・ | トップページ | 連続テレビ小説 »