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2016.05.18

暮らしの無駄話

5月18日(水)


田越しされ雨が湿り気を与えたのか蛙の声が聞こえ始めた。
ここらは学校の児童のはしゃぎ声も聞こえる地域、児童の声も蛙の鳴き声も「騒音」になりかねない昨今。ちょっとした音も神経に障るのだろうか?
狭い土地に人が狭隘して暮らす生活が、自分以外の音を遮断したくなる気持ちにさせるのか?神経過敏症のような暮らしが普通になってきたのか。


家の北側は窓があっても少し暗いものだ。子ども部屋を北にとるか南にとるか論の分かれるところだが、居心地のよい子ども部屋は子どもの自立、自活をさまたげるという話を聞いたことがある。もっとも自立や自活を妨げる要因は若者の雇用環境の劣化にあると思うが。
・・・本題に戻る。燐家の壁の塗り替え工事で真っ白な壁に葺き変わった。隣接する西側の窓辺が今までとは段違いに太陽の反射光で明るくなった。採光という点では大助かりである。
もっともこういう話は境界を数メートルで接する都市部の住宅の話であって、田舎では燐家の壁の色などほとんど影響のないことだろうが。


潮干狩りの日焼けあとの両腕がボロボロと皮むくれしている。5月はもっとも紫外線が強く塩水で日焼けしやすい。妻などはしっかり日焼け止めしていたので「日焼け止めクリーム、言ってくれれば」と苦言を。「会話に加わらずにヨソ事してるからよ」と反撃される。毎年自転車で日焼けして、夏は真っ黒になっているので、そのうち皮膚癌を発症して死んでしまうに違いないと自分の末路を想像もしてみる。


「完璧」の完である。プロ野球も始まって中日はそこそこの順位で推移している。そこそこではあるが、毎試合の勝ちを願っているから半分は勝っても半分は負ける。
チームだけじゃなく選手にも全打席をヒットやホームランを願望しているので、3割バッターでも7割は「溜息」になる。我慢することのほうが多いという、当たり前のことが「当たり前」には思えない。
よくよく考えてみるに、物事は良い事も悪いことも、気分の良し悪しも、幸も不幸もだいたい五分五分で推移して行く気がする。その五分五分の人生をすべて思い通りになると、考えるほうが不自然なことだが、そこはプロ野球と同じで全てに「完璧」を、いやそれに近いものを考えてしまう。
裏と表、泥棒にも三分の理、若いころは理屈で断言するのに躊躇しなかったが、歳を重ねて「丸くなる」というのは、中途半端な断言などせず、ものの両面をしっかり考えることだと思うようになってきた。「年の功」とはこのへんの事じゃないかと。


「無駄」の無である。無駄話は好きなので、無駄話のなかに何かしら面白いことが含まれているとなお良いと思う。
井戸端会議とか与太話とか暮らしのなかの話はその程度だと思う。無意味な話のなかに、何かしら意味を見つけようとするのは、どことなく「小説」の面白さを探すのに似てる気もする。なので熱を込めて語るよりも、まあ、そんなもんだ、いろいろあらぁ~な、と。暮らしのなかで自分が楽しめる方法を思い、無駄なことを無駄だなぁ~と自省しながら過ごすのがいいのである。

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コメント

「漢字への思い」ですねぇ・・・「1文字の意味が重い」日本語は素晴らしいなぁ・・・「表音文字」のアルファベットに文句言われる筋合いはない。英語の「A」だけでエッセイ書ける人などいないに違いない。

投稿: マミケン | 2016.05.19 11:22

アルファベットが苦手で、ということは英語も苦手です。
漢字とか熟語とか諺とか、そういうものの方がしっくりくるので使ってるだけです。もっとも使い方もけっこう中途半端で辞書が欠かせないといった暮らしなんですね。

投稿: ちょっと一休み | 2016.05.19 20:42

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