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2016.04.10

買い物依存症

4月10日(日) あの有名なスピーチを思い起こすなぁ

ときどき思うのは、人間なんて本当はとても出来の悪い生き物で、自分の欲望をいかに騙して生きるのかということに四苦八苦しているような気もする。

不器用な人は、うまく誤魔化すことができないので、金銭とか人間関係とか仕事とかの社会の物理的な制約に、泣く泣く我慢しているのかも知れない。
その点、物理的な制約の少ない富者は表と裏の顔を使い分けながら、欲望の赴くままに暮らしている・・・ような気がする。

高度経済成長期を生きた者にとって、車を所有し自宅を購入し外国旅行などして、少しでも物理的に豊かになることが、たしかに幸せなことだと感じて、深い意味を問うことも少なかった。

そんな時代を通過した者にとって、老後社会の不安、経済的にも自立できないかも知れない不安を抱える時代に入るとき、過っての物質生活を豊かさと思い込んだつけがやってきて、きっと「貧しさ」を耐えるのにも、苦労をするのじゃないかと思ったりする。

「物」への飽くなき欲望を満たす方法に苦慮し、過っての「グルメだ、車だ、持ち家だ、外国旅行だ」と、勤勉の理由を見出した時代の残りカスのようなものが、重くのしかかる時代。

今どきの若者たちのうちの相当数が「貯蓄0円」だと蔑んで見てはだめだ。今どきの高齢者が社会の富の多くを持っていると自慢してもだめだ。
老いも若きも二極分化のなかで、清貧を極めなければならない時代に入るから。

だから、あの高度経済成長に浮かれた時代の自分たちの方が、今どきの若者たちよりも多くの苦痛をともなうだろうと想像できる。

こういう問題に明快な回答をしているのが、あの「世界で一番貧しい大統領」と言われた、ウルグアイのムヒカ元大統領だと思う。

貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲望があり、いくらあっても満足しないこと
 
というスピーチ。自問してみると、おおいに自分にも当てはまるスピーチであり、悲しいかな、そういう物への執着心から、自分を解き放つには、あの経済成長神話の時代を生きた者の苦しみの宿命のように思えてならない。

正直者はそういう時代に影響されて生きた過去を真摯に問い直すことから始めなければと思う。
時代に敏感になることが大事だと思うのだなぁ~。 (続く)

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コメント

 日々の生活のなかで、少しの不自由感はあるものの、これといって不自由と言い切れるものはございません。
そうかといって、今の生活に満足しているかと問われれば頭を横に振ります。
いったい何が不足しているのでしょう・・・。
貧しい生活のなかから、物を持つことに情熱を燃やした結果、物という目に見える世界の追求に明け暮れした現代人を作りあげました。

 しかし物に対する欲求は満たしたものの、何とも表現できない不満足感、現代人は感謝の気持ちが持てません。
今の人々の心を言うなれば ”何でも持ってて欲求不満”です。
「身心安楽」という言葉があります。
目に見える世界を身、目に見えない世界を心、身も心も安楽のとき、人は幸福感を意識します。

 今、目に見える世界は豊かですが、目に見えない心の世界を考える時が来ていると・・・。
薬師寺を訪ねたとき法話に教えられました。
これを要約すれば「知足」足るを知るこころ・・・。
  
ずっと前の私の日記です、うまくお話をしていただきましたが、文章になっていませんかも・・・

投稿: 啄木鳥 | 2016.04.11 16:35

今という時代を捉える難しさを思いますね。
ネットの世界の心無い言葉や中傷の数々、心痛の思いのするニュース報道・・・そういうものが溢れんばかりの社会、世界に目を向けても殺戮が繰り返される紛争や戦争・・・
人の心が荒廃しているのではと思えてなりません、人はその昔から心の「進歩」があったのだろうかと疑心暗鬼にもなる最近ですね。

投稿: ちょっと一休み | 2016.04.13 00:08

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