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2016.01.08

南向きの部屋の暖かさを知る

1月8日(金) 何も置かない飾らないということ

南向きの部屋の暖かさ。
同じ家の中にいるとは思えないほど南側の部屋は暖かい。
日中の日差しが部屋の温度を上げて、これまでの北向きの部屋とは格段に違う。
住居内の引っ越しである。

壁には何も飾らないので、白い壁紙が「壁紙らしく」むき出しになっている。
昨年末からプチ「断舎利」よろしく、どんどんと「モノ」を処分して、捨て始めるとこれまで捨てられなかったモノも・・・一念発起の決断 (笑)

キャラクター人形が忘れられたように埃をかぶり、使いもしない(だろう)モノが鎮座していた。
一年暮らしていると一年分のモノが蓄積し、その凹凸が埃を溜めこむ。
モノに囲まれた暮らしからおさらばして、何とかシンプルに暮らせないかと思っている。

必要なモノを必要なだけ置く。
心もきっとそうなんだろう、余計な心の荷物を背負い込むよりも、自然体で必要なことだけを素直に感じる・・・そんな生き方に努めたいものだ。

ベッド二つだけが置かれた南向きの部屋で、ゴロリと仰向けになって、本を読む。
今年はそんな暮らしを目標に、モノから離れる暮らしをしたいと思っている。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

昨年、実家で両親の本を片っ端から縛って処分しました。ほとんどなんの躊躇もなく。はぁこんなに残されると子どもが大変というわけで、自分の本・衣類など、かなり処分しましたが、こちらは躊躇が入って疲れます。そのうち、一気に捨てられないのに、気持ちのエネルギー割くのも馬鹿らしく思えてきて、子どもが躊躇なく処分するのをあの世から見るのもあり、と、中断中なんです。

投稿: 杉山 | 2016.01.09 15:55

ははは、自分のモノはなかなか捨てられないですね。でも、不思議な事に「えい!」と処分したあとの爽快感と「つまらないモノを買ったものだ、もったいない」という罪悪感の両方があります。
良寛和尚が住んでいた五合庵はほんとうに何も無いに等しい暮らしだったようですね。
清貧の極地とでも言うか、そういう心境に近づきたいと思うのですが、暮らしの美学か思想の問題か(笑)

投稿: ちょっと一休み | 2016.01.09 23:38

いろいろ「捨てようか?」と思いましたが「まてよ」とヤメました。これはこれで「いいんじゃねぇか」と。

「蓄積」が「自分」なのかもしれない。「蓄積で死にそうになったら」その時初めて「捨てようか」と・・・

「絵」とはそういった「蓄積」の「表現」でしかないのですよ。

投稿: マミケン | 2016.01.12 09:38

「殺風景な部屋だね」と思われる程度が理想的・・・現実はそうはならないし、妻などは真逆なので、そこは攻防戦(笑)
本なども読んだら片っ端から処分して何も残さない・・・これも現実の葛藤がある。
まあ、いろんな考え方があるのがいいし、納得した暮らし方が出来ればいいんですね。

投稿: ちょっと一休み | 2016.01.12 23:51

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