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2015.12.15

幼な児

12月15日(火) つれづれに思うこと

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久しぶりに旧友の職場を訪ねた。
カウンター越しに来訪を告げると、昔見ていた同じ笑顔に会えた。
カウンターの向こうは現職、こちら側は退職した身。どちらもいろんな苦や楽が混在して今を過ごしている。

数日の間、孫がやって来て、しばし子守などしていると、成長の跡もよくわかる。1歳半。

次々と新しいことも覚えて行く。
テレビ台の引き出しからカセットテープを取り出す、電灯のスイッチの入り切りを飽きるほど続ける。
台所の開き戸がお気に入りなのか、蜂蜜ビンを持ちだす。壁に飾った亡き愛犬を指さし「ワンワ」と言葉になる、もっとも動物らしきものはみな「わんわ」であるが。
ゴミ箱に「捨てる」のもお気に入りで、目を離すと「おもちゃ」も入れてしまう。

親のしぐさを真似てモップを引きずり、洗濯カゴからパンツや靴下を手渡してくれる。
もっとも、モップも洗濯物も意味することは理解していないだろうが。
幼な児のしぐさのあれこれである。

「児の可愛さ」は自然に近いふるまいにあると思う。「ダメ!」と言われれば大泣きし、OKがでれば途端に笑顔となる。
眠くなれば不機嫌になるし、欲しいものを口に運べば上機嫌だし、「上手だね~」と褒めればやっぱり笑顔になる。

あたりまえのことだけれど、そのあたりまえのことを、いろんな欲に塗り替え、包み隠し、「らしさ」を身にまとうのが自分たちだ。

そうして自然体の姿からどんどん離れ、、どこか本当らしさが欠けて行く・・・成長とはそういうものだと言うかもしれないが。

児の遊ぶ姿を見て、実はそこに欠けてしまった自分を発見し、なにかしら心が洗われる気持ちになることが、「児の可愛さ」じゃないかと思う。

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コメント

「子供」には「人間本来の姿」があるのではないか?漫画家水木しげるさんは「そんな大人」だったみたいですねぇ・・・彼の「生きるための7カ条」は面白い。「なまけものになりなさい」みたいなことが7つ。「なまけず勤勉に」と言う文部省とは180度違った考えだ。

彼はある意味「国家に殺されかけて、1%の幸運で助かった人」ですから、93歳まで「死んだ戦友たちが守って」いたのかもしれません。「水木、俺たちのことを描け!」と。

投稿: マミケン | 2015.12.16 08:43

水木さんの戦争漫画を読んだことがありますが、あのタッチのマンガでも、物凄くリアリティを感じ、あとでラバウルでしたっけ、戦争で片腕を失ったことなどを知り、なるほどリアリティがあるはずだと思いました。
子どもにある自然性みたいなものを良寛さんも見ていたのでしょうね、だから托鉢にでてそのまま子らと日がな一日毬つきができてしまう。
それも含めて宗門から外れた良寛さんが辿り着いた仏の道だったんだと、そう僕は思えてなりません。

投稿: ちょっと一休み | 2015.12.18 00:42

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