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2015.12.08

風景から見えるもの

12月8日(火) 名古屋駅 2枚

002

師走に入り、人混みであふれる名古屋駅に行った。
所用であったが、こういう雑踏のなかで思うのは、駅というのは国籍も性別も年齢も、それにさまざまなマイノリティを持った人も、別け隔てなく行き交う。

人の多様性の見本市のようなものが都市の駅に違いないと思う。
高島屋の入るノッポビルの二階からしばらく行き交う人の景色を眺めていた。「師走」という先入観が、何か行き交う人がみな足早に見える。

こういう人混みに嫌悪感を持つ人もいる。その騒音のような人声が癇に障る人もいる。
障がいを持つKさんなど、こういう人の群れ事態に拒否感を表わすだろうし、知らない人ばかりでも、賑やかなところがいいと言ったのは、一人暮らしをしていた高齢のFさん。

人は人の群れのなかで孤独にもなり、安心感を持ったりもする。

名古屋駅は好きなところである。
人の流れにあわせて駅のコースを歩いていると、切符を買う列のちょっとウンザリ顔や携帯宣伝のコスチュームガールの疲れた笑顔、アジアのわからない言葉で会話する二人連れ、名古屋に観光で訪れた団体客の興味津々な様子・・・
それらに混じって、ほとんどが、表情も薄くただただ通り過ぎる乗客と買い物客の人々。

そうした人の暮らしが、ほとんど見えないけれど、たしかに暮らしがあって、それは自分とは無関係に過ぎて行く。
そんなことを想像しながら人の動きを見ていると、生き生きとして見えるものだ。
ただ、生き生きと見えない日もあるが、それは自分のほうに、何か重い荷を背負っているときなのだ。

003

駅前の再開発で名前だけ昭和の雰囲気を残した「大名古屋ビルヂング」が高層ビルとして建て替えられた。

この名古屋駅前の高層ビル群をときどき写真に収めているが、楽しいとも素晴らしいとも近代的とも絵になるとも思えたことはほとんどない。

それでもときどき写真に撮ったりする。撮るたびにこうした「箱のなか」で一日の何時間もを費やして働く人がいる、その人たちの喜怒哀楽がキラキラと反射する窓ガラスを透き通して見えるように思えるときもある。

そういう人々が写らないかと思うが、写るはずがない。
硬い無機質のコンクリートとガラスの塊に遮られる。

建築物に何を見るのかは人それぞれであるが、街の風景、駅前の風景、人の息遣いが感じられない建築物はどんなに装飾的であっても、近代的であっても自分はどうしても好きになれないと思ってパチリと撮っている。

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コメント

名古屋駅の写真、国際空港に見えました。駅は新幹線が来ると「つまらなく」なりますね。まるでみんな「東京」になるみたいです。みんなの「思い出に残る駅」は「そのまま保存して欲しい」なぁ・・・「効率化など2の次」で・・・

東京の田園調布駅は新しい駅舎は隣の地下に作り、古い駅舎はそのまま地上に保存しています。まぁ小さな家みたいな駅舎だったからできたのでしょうが・・・・ははは

投稿: マミケン | 2015.12.09 09:14

名古屋では一昔前は栄地区が繁華街で名古屋駅周辺は一歩劣っていた(何が劣るかわかりませんが)けれど、今ではこちらの方が盛んです。昔の駅裏(駅西)のちょっと裏町的雰囲気も今はなくなって、もうすぐリニア新幹線も計画されています。
もうこれ以上過密な都市などいらないと思っています。
だんだん人の住む街ではなくなって、それでも人が集まる街・・・面白味のない街に変貌して行きます。

投稿: ちょっと一休み | 2015.12.11 00:42

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