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2015.11.24

シクラメンの旅路

11月24日(火) 窓辺に今年もシクラメン

007

出窓に今年もシクラメンの鉢植えがやってきた。義母から頂いたもので、一つは我が家、一つは娘の宅、一つは義母宅、赤・ピンク・紫とそれぞれである。

去年もこの窓辺にシクラメンが咲いていた。花期を終えときどきやって来る孫が葉を引きちぎったりしていたので、外の花壇に植え替えたら、今年のこの季節に白い花が咲いている。
屋内の鑑賞用のシクラメンなので、この冬の寒さにもち堪えられるかどうかである。

植物の生命力、生きとし生けるものの命。

002命といえば、夏に花壇の植え替えで牡丹を中央に移動させた。
根付くかどうか心配していたら葉は枯れ、枝は息絶え絶えで、もうこれまでか思った。
それでも、もしやどこかに命が脈打ってるかも知れないと、来る日も来る日も水をやり肥料をやり、せっせと世話をしていたら、数本の枝の内のいくつかに芽が出現した。
枯れ萎れてはいなかった!とわかったときは感動もの。狭い花壇に命を宿した境遇には同情するが、その生命力には嬉しくなる。

歳を重ねると植物への思い入れが強くなる。
若い頃は草木や花などはほとんど眼中になかった。だから花の名前も知らなくて、さほど知らないことに抵抗もなかったものだ。

不思議なものである。庭先の鉢植えに水をやるのはほとんどが高齢者と相場が決まっている。まれに花好きの奥さんだったりすることもあるが。
花を枯らさずにせっせと世話するには余裕も必要で、忙しい現代人は知らぬ間に枯らせてしまうということもある。

お年寄りの花の世話好き。花を枯らさずに命を全うさせようとするのは、四季折々の花の美しさに心なごませるのもあるけれど、自分の命の有様を、花たちに投影しているのではないかとさえ思われる。

水をやり肥料をやり、命ある限り咲き続けて欲しいという花への願いは、穏やかに生き続けたいという自分の思いと、どこか似ている。

さて今年のシクラメン。どこかの園芸農家で育ち、花屋に出荷され、我が家と娘と義母宅にやって来て、その行く末はどうなのだろう。
精一杯生き続けて、穏やかな花を咲かせ続けて欲しいものだと思う。

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コメント

僕は花の世話が下手で、花屋さんから買ったり、貰った花を「生きながらえたこと」がありません。まぁ水も肥料もやりませんから、サボテンくらいしか我が家では生きながらえないでしょう、きっと。

投稿: マミケン | 2015.11.25 08:46

日課のように毎日々々水やりをしていると、ほんの少しづつの成長が分るようになります。成長だけじゃなくて萎れ具合などもわかります。
観察なんだと思うのです、そうしているうちに、それが生きてるってことだと思うようになり、それがまた楽しい。
人も動物も植物もみんな同じなんですね。

投稿: ちょっと一休み | 2015.11.27 00:23

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