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2015.09.06

眼鏡をわすれた話

9月6日(日) 日記

他愛のない話だけど、先週末の花の金曜日、久しぶりに昔の職場の方々と飲み会があった。
・・・と書いたけど、金曜日って週末になるのか?「花の」なんて今でも言うのかな?
まあどちらでもいいのだが、どちらでもよくないのに「・・・いずれにしても」っていう国会答弁の話しぶりには、事の本質を避けてるように聞こえてならない。

という金曜日に飲み会があった。
もう退職して4~5年も過ぎてるが、年に数回会って話すのは、在職時の、あ~でもない、こ~でもないという会話になる。
嫌な思い出話よりも、感謝した思い出話が多いのは、人間関係が良好だったからだろう。
厳しい職場環境ほど、みなに支えられたことの方が記憶にのこるものだ。

そういう話とともに、身内の親の介護や自身の健康の話なども、歳を重ねるごとに増えて行く。
ひとしきり時間も過ぎ、「ではまたいつの日か」と散会して、おのおのの暮らしに戻って行く。

職場という、人と人との出会い。
一億余人のそれぞれの人生のなかでの巡り会いの不可思議さだと、なんだかほろ酔い加減も手伝って、しみじみ思う。

などという感傷も、地下鉄に乗った頃にはどこかに吹き飛んでしまった。
「しまった眼鏡を店に忘れてきた!」
眼鏡がなければ見えないから気がつくのが普通の眼鏡暮らしの人。
ときどき必要に応じてかけたりはずしたりしてる自分などは、もう何度となく同じ失敗をやらかしている。

読書も新聞も自転車にも眼鏡は使わないが、それでも乱視がひどいと思う時に使ってるので、眼鏡が生活になじんでいないのだ。
いっそ老眼も進行して、眼鏡なしではしっかり見えなくなれば、眼鏡を忘れてしまうということも無くなるのだろうが・・・「いずれにしても」不便なことである。
さっそく、連絡して翌日取りにゆくことになった。まあ、めでたしめでたしという話。

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コメント

老眼鏡は全部で5つくらい持ってます。1つだけはちゃんと眼鏡店で検眼して作った(閉店セールで2500円)。その他はみんな100円ショップとかディスカウントショップで小型携帯メガネ2500円くらいである。家ではポイントごとに眼鏡が置いてある。50歳くらいまで「眼鏡生活」がなかったから、けっこうどこかに忘れたこともあります。

投稿: マミケン | 2015.09.07 13:12

乱視用の眼鏡を二つ持ってます。一つは普段用でもう一つはスポーツ用です。
眼鏡店で検眼したとき、乱視も近視も老眼も微妙に混ざり合ってるといい、結局「ほどほど」に見えるものを作ってもらいました。
はっきり見え過ぎるのも頭が痛くなるし、そもそも眼鏡って邪魔くさいから嫌いなんですね。

投稿: ちょっと一休み | 2015.09.07 22:25

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