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2015.08.31

ほんの少しの幸福論

8月31日(月) 秋の気配もぼちぼちと・・・

朝晩はすっかり涼しくなりました。
あの息をするだけで汗がほとばしり出た夏の暑さもすっかり忘れてしまった最近、人間は、いや私はなんともまあ忘れっぽい!

夕方、自転車に乗ってごくごく近所を散歩します、ほんの数十分の自転車散歩。
見慣れた町、見慣れた辻や民家、変わり映えのしない風景でも、新鮮に感じられるものです。

神社の樹木の木の葉が風になびき、夏の青々として輪郭の鮮明な景色も、どことなく淡い感じがするものです。
自然がすくなくなった都市。
ほんの少しの「秋の気配」がないものだろうかとキョロキョロと眺めてみるものの、やはり見慣れた町と見慣れた棲家には、目をみはるものはありません。

それでも、このたかだか数十分の自転車で巡るご近所さんという風景には、たしかに季節のうつろいを感じるものです。
体を通り抜ける風が違います。
町全体の輪郭もちょっと淡く感じ、何よりもペダルを漕ぐ自分自身が、少し前の夏の暑さに辟易していた頃と違います。

きっと、幸せというのは、そんな、ごくごく僅かな「季節や風景のうつろい」を、肌身に感じられるということではないでしょうか。

【97歳の幸福論-ひとりで楽しく暮らす、5つの秘訣 笹本恒子】

Img024図書館で借りた、普段はあまり読まないような本ですが、97歳というお歳と幸福論という言葉に、妙な刺激をうけて読みました。

家、インテリア、食事、身だしなみ・・・読み、書き、仕事に恋。
97歳にして、こうした暮らし方はとても興味深いものがあります。

人生の半分を過ぎた頃から(人生を何年と考えるのかによりますが)、自分の終着点を感じることも増え、引き算のような人生を思い描くことが、暮らしの端々にでてきます。
知らぬうちに「老い」を肌身に感じ、生きることにちょっとだけネガティブになったりして・・・

まだまだこの先の人生も捨てたものではないと思いつつ、老い先短いか?などと、こころのどこかでは、葛藤するものです。
病気や忘れっぽさなどの話が、周辺の人々との話題で増えてくると、いっそう「俺はあと何年生きるのだろうか?」などと考えてしまうものです。

97歳の幸福論。
暮らし方も趣味もずいぶん自分とはちがうのですが、それでも、こういう本を読んでいると、とても楽しくなって、ははは、またまだこの先、何十年も楽しく暮らして行きたいものだと、思えてくるから面白いです。

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コメント

父が97歳で亡くなりましたから、考えさせられます。無趣味な父は、実家や施設でもあまり楽しそうには見えませんでした。

確かに老後はお金のことばかり考えると、落ち込むことばかりですね。「明るい展望」なんか全然見えないし・・・

でも生き生きと生きている老人を見ると、僕たち老人初心者は励まされますね。

投稿: マミケン | 2015.09.01 12:57

NHKだと思ったのですが「老人漂流社会」という番組を見ました。
少ない年金暮らしに介護、その担い手で子どもと同居しても、年金も雇用もままならない、二人での生活は困窮をきわめるというものでした。
「子どもがいれば老後は・・・」安泰どころか共倒れの危機ということでしょうね。
4割近い非正規労働者、汗水流して働けば普通の暮らしができると学んだ私らの世代ですが違ってきました。
「自己責任」で問題を解決できるはずがないのに、公的な保障(社会保障)が放棄される現代社会ですね。
老後、一人親世帯、非正規雇用、虐待・・・ある意味政治の貧困だとおもうのですね。

投稿: ちょっと一休み | 2015.09.02 10:42

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