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2015年4月

2015.04.30

春の琵琶湖、湖北サイクリングの記録

4月30日(木) 鶏足寺から余呉湖へ(4月29日)

Photo

新緑の季節になりました。
29日(祝)サイクリングの記録写真を載せようとおもいます。これで何回目となるのか?
田舎の道を無心でペダルをこぐ、田植えの季節となりトラクターが苗を植え、蛙の声も、ひばりの囀りも聞こえます。

新緑の木漏れ日も優しい色合いで、タケノコもタケノコを猿でしょうかかじった残骸も、鯉のぼりのはためく風景も、ああ、日本の季節だな!と感じさせてくれます。
そんな風景が自転車に乗って流れて行きます。

風景を絵としてとらえる人もいます。
僕は風景を物語だと思っていつも見てるような気がします。

仕事に疲れた身と心をリフレッシュさせようと、傷ついた恋心を癒そうと・・・まあ、それだけではないけれど、何かを心に描きながら、きっと自転車を走らせてるのだろうと。

民家があり、人がすむ集落があり、田を耕し、作業トラックが行き交う。
日本のどこにでもある風景のなかに、人の暮らしがあり、人の生きている証がある・・・そんなふうに思いながら、自転車を走らせるのが、とても面白い。

JR河毛駅からレンタサイクルも利用して鶏足寺へと向かい、そこから余語湖へと足をのばした湖北サイクリングでした。

しかし、いつも思うのは、こういう昭和の香りがプンプンするサイクリング。
新幹線も飛行機も比較的簡単に利用でき、遠くへの旅、外国への旅へと、旅行のスタイルが変化している時代に、なにもワザワザ脚力だけで自転車を走らせる「不便さ」を求めなくてもよいものだけど、それでもこんなサイクリングに何かを感じて参加してくれるのでしょうか?

そんなわけで、ただ自転車を走らせ、ただコンビニの昼食を食べ、ただ(きっと疲れを必死でこらえて)ひたすら走ってる写真、そこから眺める風景の写真、そんなものに、ちょっと「ここち良さ」を感じてもらえれば、記録写真もいいものだと思うのです。

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JR北陸本線 河毛駅前にて(出発地点)
予定していた「長浜サイクリングターミナル」が3月末をもって閉館していたので、急遽レンタサイクルのある河毛駅が出発地点となった。

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田植えの季節です
都会ではなかなかお目にかかれない田植え風景。日常であっても非日常の風景というちょっと懐かしさと寂しさ?

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田園のなかの道を走る
ひばりの囀り(さえずり)は聞こえるけれど、視力も衰えた?僕には指さされても見えない哀しさ(笑)

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緩やかな傾斜の村道?
鶏足寺へと向かう穏やかな坂道、このあと急な坂道が待っているとは誰も知らない。
♪~知らない町を歩いて(走って)みたい~♪。僕の自転車走りの好きなところです。

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不思議でおもしろい風景
木立のなかの上り坂一本道。みんなエンヤコラ~と押して歩いている。この坂を上がったところに鶏足寺が待っている。

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たけのこ
竹林のなかのタケノコ。道に喰い荒ざれた残骸があったのは、猿が食べ残したものか?
野生の証明である、自然の風景である。

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鶏足寺前の参道にて昼食
紅葉の新緑のトンネル、木漏れ日がハーハー言いながら上がってきた体には優しい。
戸外で食べるものは、ほんとうに何でも美味しいと感じられるものだ。

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弁当
まあ、誰でしょう、一人群れから離れて(笑)、と言ったら叱られるが、ここが木陰で座りやすいと・・・

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一路、余呉湖へと自転車を走らせる
自転車のハンドルに取り付けていたデジカメが振動で落下した!
万事休すかと思われたが、どうにか無事だった。高級カメラでなかったから良かった。

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余呉湖での記念写真の前に・・・
例によって画像は小さくしているので、顔はわかりにくいはず、はずではあるが、雰囲気はつたわると思う。

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余呉湖の三脚カメラ
Uさんがタイマーをセットして記念写真。向こうの余呉湖は一周5キロほどか?30分もあれば回れるのだが、誰も走るとは言わない。(走ってもいいんだけど・・・なぁ~)

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田園に泳ぐこいのぼり
ちっちゃくヒラヒラと泳いでいるのは鯉のぼりの群れ。風もあって気持ちよさそうに泳いでいるのを見ながら「漕(こ)いでいる」13台の自転車・・・帰路の風景。

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走行ルート
概ね34.7キロが実走行距離であった。
春の一日、きっとみんな筋肉痛になったと思うのだが・・・お疲れさまでした。

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2015.04.23

パンク修理も趣味のうち

4月23日(木) 自転車メンテナンス

4月前半のぐずついた天気が嘘のような晴天の日が続いていると、もう厚手の服は洗濯して衣装替えしてもいいだろう。
・・・というほど衣装持ちでもないが、天気が良いというだけで気分も爽やかになる。
健康維持も兼ねて、晴れた日はできるだけ自転車に乗って、戸外の空気を胸いっぱい吸い込むようにしている。

久しぶりに自転車がパンクした。
別にいつものことなので驚きもしないが、散歩ていどならば修理工具も予備チューブも持たないので、しかたなくUターンで戻ることになる。
まあ、準備もしていないときに限って、こういう目に遭うものだ。

原因不明のチューブの亀裂。
そういうもんだ!自転車のタイヤもチューブも消耗品なので、予備チューブと取り替え10分で完了したが、何ごとも「塞翁が馬」ってわけで、世の中何が起きても不思議はないと思っていれば、それほと喜怒哀楽にいちいち付き合う必要もない。

こういう心情は若い時から持ち合わせていたわけではなく、歳とともに身についた。
これをして、人間が丸くなったというべきか、角がとれたというべきか、いやいや、溢れんばかりのエネルギーがなくなった、ギラギラした感情も必要なくなった、と考えるべきか?

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ギクシャクした職場の人間模様の話を聞くにつれ、道理を説いて、あるべき道を諭しても、なかなか人の心というものは、長く生きているほど変わることは難しい。

自分で気がつけばいいものだが、きっと思い込みの強い「正義感」や「負けず嫌い」の闘争心が、自分を見つめることを拒否しているのだろうと想像できる。

ギラギラした感情。
そういうものは若い頃の自分にも思い当たる節があるので、仏のように説教をたれるのもはばかられるが、いやはや人の心というものはやっかいである。
・・・という心情は「泣いたり怒ったりしたら負けです どんな結果でも笑顔でいる人が勝ちです」という言葉に通じる。

今日も良い天気だった、明日も晴れそうだ。ニコッ!

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2015.04.22

こいのぼり

4月22日(水) 歳時記 ②

中村図書館の北側の「太閤池」に「こいのぼり」が泳いでいた・・・?いや、風もないおだやかな日なので、吊るされていた。

もう、そんな季節になってストーブを終おうかどうしようと悩んでいる日々、鯉といえば評論家筋では優勝候補に挙げられていた「カープ」がなかなか「鯉の季節」に程遠く、快晴の青空ユニフォームのドラゴンズが予想を覆す大健闘!

おもしろくもないニュースばかりの中で、プロ野球の贔屓(ひいき)球団の快進撃に、ちょっと笑みのこぼれる幸せ感だけど、人生の幸せをプロ野球に見出していていいのだろうか?
まあ、これも小さな幸せだから良しとして・・・

イベント行事のように図書館通いをしていると、これといって読みたいと強く思う本もないときがある。
一生には読み切れないほどたくさんの本があるけれど区の図書館では蔵書も限りがある。
そういう図書館の活用は、限られた本のなかから選び出す、というのも借り方としては面白いものがある。

ほとんど知らない作者、知らない世界、そういう本を手に取って、「ふ~ん、読んでみようか」という、気負いや高揚感とはかけ離れたところで、何冊か借りる。

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例えば、黒田杏子さんの「暮らしの歳時記」(岩波書店)などは、何冊か借りた「俳句本」のうちの一冊だけど、当然、初めて知る作者だから、面白いかどうかは知る由もない。

東京から栃木県の小さな町に疎開し、過ごした子どもの頃の暮らしの経験が、俳句を見る心のよりどころになっている・・・といった、エッセイと季語にまつわる「俳句」を紹介してくれる。

俳句、俳句にとどまらず「文芸」というものが、暮らしの感じ方、感性とでもいうか、そういうものの中から生まれるものだと、あらためてよくわかる。

時代を超えて、生活のなかから見出し生まれる感受性を大切にしなくてはと思いながら読んだが、世の中の流れの速さに埋没してしまいそうな気持ちを、ちょっと正してみたくなる、心の洗われる一冊だった。

Img018もう一冊、「モロッコ幻想物語」ポール・ボウルズ編(岩波書店)。
地中海を挟んだスペインの南、北アフリカに位置するこの国の口伝えの物語のいくつかをボウルズにより聴き書き編集した文学であるが、日本の地から出たことのない自分などは、異国の世界の物語といえる。

口承の文学作品というのは、たしかに日本の小泉八雲の小説などと同じところにあるわけで、どことなく神秘的な香りがする。

ところで、これを読んでいるうちに、どこかで出会ったような気がしたのは、外国の生活感などほとんど無縁な自分にとっては、不思議なことであった。
それで思い出したのが、小学校の頃に図書館で借りて読んだ「世界の童話、民話集」の中で想像した中東の国々の物語世界。

時代や地域は異なるとしても、そういう原風景が物語として脈々と生きているのだと思う。
そういう、まだ幼い自分が読んだ民話や童話の世界を想いおこすことができただけでも、ちょっと嬉しい本であった。

本の読み方は人それぞれなのである。そのそれぞれの思いや感じ方を大切にして行きたいものだ・・・などと、書いていること自体が、ある意味「自分にとっての歳時記」なんだろうと思う今日このこのごろなのだぁ~~

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2015.04.17

吉野山

4月17日(金) 吉野山(奈良)の千本桜を見に行った話(4月15日)

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桜の名所と言われる「吉野山の千本桜」。
下千本、中千本、上千本・・・かろうじて上千本の桜が申し訳なさそうに少し咲いていた。

しかたがない。
毎日が日曜日なのは自分、仕事の都合で4月の中頃までは休みもとれないカミさん、という制約もあって、一か月以上前にこの日と決めていたから。
桜が散るのを待っていてくれるはずもない。

「桜はねぇ、咲きはじめも満開も散りぎわも葉桜だって、すべてがいいものですよ」と岩倉市の五条川の桜の樹の下で露天を出していたおじさんが以前に言っていた。
そこまで達観したさくらの鑑賞には修行がたらないので、やはり満開の吉野山のさくらを見たかったものだと・・・

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子どもの頃、兄たちと百人一首をやったものだが、そのなかの一つにあったのがこんな歌。

朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪 (坂上是則)

明け方の月明かりの庭を眺めると雪と見紛ってしまったという意味だけど、それが吉野の里、ここは古くは天皇の離宮があったところなので、静寂でどことなく平安貴族の浪漫の香りがしないでもない。

まあ、そういう吉野の里であり、修験者の山であり、下、中、上と山肌に桜が賑わい、山頂に向かって、桜の開花が進んでゆくと想像するだけで、実に嬉しくなってしまうものである。

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今年は3月に暖かい日が続き、桜も例年よりは散るのも早かった。
たっぷりと歩く時間があって、ひたすら上千本の桜はどうだろうか?と思いながら歩く。
満開の時期ならば、それはそれは素晴らしいのだろうと散り終えて桜の枝を眺めては、想像力を働かせると・・・

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元々は、のんびり桜の遊山のつもりだったので、葛湯とさくら餅を食べたり、葛うどんを食べたり、珈琲でティータイムを過ごしたり、ああ平安の浪漫とはかけ離れた「たません」を食べたり、持ってきたおやつを食べたり、柿の葉寿司を食べたり・・・
食べて歩いて、食べて歩いて一日が過ぎて行った。

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朝は小雨が降っていたけれど、昼ごろからは晴れ間もでて、のんびりしたハイキングとなった。
しかし、今年の花の見ごろは、ぐずついた天気の日が多く、天気図とにらめっこをする日ばかりである。


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2015.04.09

のどかな春の風景

4月9日(木) 歳時記って ①

手元に角川文庫の「合本俳句歳時記」がある。
五七五と詠もうと思う時に季語の意味を一応調べるのに使っているけれど、その序に「歳時記は日本人の感覚のインデックス(索引)である」と詩人の寺田寅彦の言葉が引用されている。
たんなる季節を表わす言葉以上に、言葉の中に込められた感情、感覚、イメージそして人間の暮らしの趣があり、それを短かい17文字に文学として表現する。

日々暮らし、日々見、聞き、語り、体験する全てのことがらを、新鮮に感じ取る、そういう暮らし方をしていなければ、どこかに転がり、手垢のついた、、そういうもの以上に、膨らんだイメージなど生まれてこないのだと、まあ、そんなことを思う。

「地道にコツコツと・・・」。
夢というものはきっと地道にコツコツとした生き方の向こうへと繋がっているのだろう。そういう意味では、人に見られる、見せることもなく地道に生きて行く人生にも、夢はあるもの。

【桜も散りはじめ】

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寒の戻り、花の雨・・・さくらも散りゆくばかりでもない、輝くような白さを自慢していたさくらもどことなくくすんだ色合いになったその枝に、新緑の季節を思わせる葉が顔を覗かせはじめた。
雨間の青空に過ぎ去るものと生まれるものの、ちょっと素敵なバランス。

【菜の花畑】

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今年も庄内緑地公園に菜の花畑がお目見えした。
鮮やかな黄色い花がひときわ目を惹き、春らしい雰囲気をだしている。

春らしいというのは、のどかで穏やかで少し寒の戻りもあるけれど、たしかな「始まり」、新学期があり、新人の入社があり、夢や希望に満ち溢れた季節。
これは、幾つの歳になっても、またリフレッシュして生きて行こう!そんな雰囲気だと思う。

【自転車改造】

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10年ほど前に買ったMR4F(ジャイアント)という名前の自転車。
通勤に輪行にとあれもこれも出来ると欲張って買った折りたたみ自転車だったが、通勤には別の自転車を使い、ときには「壁紙」のように壁にかざり、たまにお散歩に・・・

一本バーハンドルを雨の日の工作でドロップハンドルに改造した。
もうずっとドロップハンドルばかりに慣れていると、T字のハンドルが苦になってしかたない。

手持ちの部材とブレーキレバーを取り寄せて、苦労のうえの仕上がりだった。
子どもの頃、ラジオの部品などが捨てられずにとってあったが、あれは親の「もったいない」という気質がそうさせていたのか、そういう材木や釘や金物や部品などを使って修理するのが普通の時代だったのか。

どちらにしても、そんな気質は知らぬ間に受け継がれている。

【堤防の道端にて】

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庄内川の右岸左岸には堤防道が続いている。
市内を迂回する信号も少ない道なので、けっこう頻繁に自動車が行き交う道。

その道端に「のげし(たんぽぽ)」が咲いている。
車の排気ガスにさらされながらも、くじけることなく毎年のこの季節には黄色い花をつけている。

こういう道端には、吸い殻やビニール袋など意外とポイと捨てられているものだから、見ようによっては掃き溜めの中の春の花ともいえる。残念だけれど・・・
でも、そんな環境の中でもひときわ目を惹く黄色い花。

【歳時記って】
日々の暮らしのなかにある、見えるものも、見えないものも、自分の中にどう映るのか。
その映り具合が新鮮であったり、おどろきであったり、なごませたりと、そういう気持ちのありかたを、言葉にして、文字にして表現できたらいいと思う。

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2015.04.07

あさりの酒蒸し

4月7日(火) 旬のもの

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海辺に近い親類筋の方からあさりをいただいた。旬の生の食材はできるだけ早く食するに限るのだが、はて?どうしよう。

最近のこの時期は仕事でカミさんの帰宅はもっぱら夜遅い日が続いている。
自分で調理しなくてはならないが、したことが無いのが「あさり」。
メールでどうしよう?と聞けば「簡単、簡単、酒蒸しか味噌汁にすればいい」というが、初めての調理は苦手なものだ。

今年の知多半島の伊勢湾側のあさりは不漁だという。
ここ数年毎年潮干狩りに行ってるが、今年の週末は大潮と重なる日が少なく限られているらしい。

その限られた週末も他の用事と重なって行けそうもないので、ひと足先にあさりを食することができる幸せである。

今ではスーパーで簡単に手に入る食材だけど、海辺の暮らしとは縁のなかった農山村と内陸の地方都市で育った自分などは、こうした旬の「海の幸」というのが珍しくて、とても貴重なものに思われてならない。

そう!4月の潮干狩りで獲れたあさりは一年で一番の旬なのだそうだ。
3月から5月にかけたこの季節の大潮は一番引きが強く、引いてる時間が長いので、おいしいあさりがたくさん獲れるという。

さて、頂いたあさりをどうするのか?お義母さんやご近所さんにおすそ分けして、あとは見よう見まねのあさりの酒蒸しに挑戦してみることにした。
スマートホンのレシピを見ながら、砂抜きして、フライパンに唐辛子とあさりを入れ、日本酒を注ぎ、貝が開くまで蒸す。あとは塩などで味付けすればいい!

と、レシピは簡単なのだが、NHKの連続ドラマ「まれ」ではないが「地道にコツコツと」料理などしてこなかった自分は、酒どれくらい?塩は少々?・・・まあ、そういうことになるのである。

世の家族のご飯支度を「地道にコツコツ」している方から見れば呆れる話だと思うが、ふむ、だからこそ今からでも遅くはないので、「地道にコツコツ」と料理にも手を出すほうがいい!と、まあそう思う世代の一人なんだと思う。

適当にやってみた。バターも少々味付けに加えてみた。
食材の生きの良さに助けられて、思ったよりも美味くできた。
今日は他には食べる家族もいないので、一人でぷりんぷりんの塩バターの効いたあさりの酒蒸しを一皿たいらげてしまった。

旬なものを旬のうちに食する、自分で作って自分で食べる。その美味さを伝えることができなかったのが残念である。

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2015.04.05

花と暮らし

4月5日(日) 4月ですねぇ~♪

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腰痛が~雨が~と言ってる間に、花壇のチューリップが先日咲きました。

桜はこの雨で散らしています。
近所の学校から延びた桜の枝のしたを、ビニール傘をさして通ったら、しっかり花模様の傘に変身しました。
散るさくらの儚さと生活感100%のビニール傘の取り合わせがおもしろいので、そのまま「桜傘だなぁ~」とちょっと興に入っていました。

けっきょく、桜見物の一人サイクリングは腰痛のせいで行けず仕舞いとなりましたが、やはり回復力が鈍ってきたのは、歳のせいか運動不足のせいか・・・また、来年があるさ。

さて、そのチューリップ。薄っすらとピンク色。鉢植えしたほうは、もうすぐ、もうすぐ咲きそうですが、こちらはしっかり赤い色をしている。

桜の季節が終わると、いっそう花々たちの賑わいの季節になります。
実は花壇や鉢に植えられた、こうした花に混じって雑草も逞しくのびて来ました。

雑草も植物、命のある身の上なので、「抜くには惜しい」と放置している・・・と言えば、これはヒューマニストを自認する自分らしい言い方だ。

が、ほんとうのところは数年前、雑草だとばかりに引き抜いていたら、「それは雑草じゃなくて、他の花の種子が飛んで芽を出したのよ」とお叱りを受けて以来手が出せない。

例えで雑草のようにと、その性根の逞しさを云々されるが、まことにそのエネルギー溢れる生命力はブロックやアスファルトの隙間でさえ、生きる場所にしている。

春!!抜いても抜いても顔を出す雑草にとっても、春!!
残業続きのカミさんが手を抜いている今こそ、子孫繁栄の春を謳歌するのがいい。

花と暮らし。
四季の花々のその姿かたちに惹かれる人もいれば、ちょっと斜に構えて、その命の物語として捉えるのも、また楽し。

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