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2015.01.27

鎧(よろい)

1月27日(火) 「泣き言」について

いろんな考え方がある。
「もう、辞めさせてもらいたいんだなぁ~ほんとに疲れたなぁ~」とSさんのため息交じりの一言。
反射的に口から出ていたのは、励ましと慰めの言葉だったのは、自分の習性のような悪い癖でもある。

理知的で勉強家でへこたれない性格を地で行くようなSさんだが、「重箱の隅を突くような性格だから僕は、ははは」と、ユーーモアも兼ね備えている。

会議の後の、ふとした瞬間の、ため息とも泣き言とも思われるSさんの吐露だ。
「もう出来ない、もうダメだから」と、泣きたくて弱音を吐きたい気持ちになったんだろう。

弱音を吐いて、泣き言を言って、自分には出来ないんだと呟いて、人は後ろ向きだと言うだろうけど、いいんじゃないだろうか。
そういう時も、そういう日もある。
なにも前向きばかりがよいわけでもない、ガチガチの鎧に包まれた不退転の心、ストイックな決意ばかりが素晴らしいわけでもない。

弱音や泣き言を口に出して呟くことができる、そういう人間関係が自分を支えることもある。
不条理を素直に言える素晴らしさ、人間力みたいなもの。

弱さを口に出せることの、なんという人間的な所作だと僕は思う。
泣き言や溜息や己の弱さを言えないのも、辛いものだと思うが、その辛さを鎧で隠している人も少なくない。
そうしなければ自分の存在感をなくしてしまうからか。

不幸せだと思ったら、嘆き、泣くのも人の自然な姿だと思う。また一つSさんの魅力を発見したような気もちだ。人間賛歌。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

考えたら「小説」や「絵画」なんて「泣き言」みたいな物かもしれない。すべての芸術の発露が「不平」や「不満」なのかもしれない。「すべてがハッピー」な奴の文章や絵画なんて「けっこうつまらない」物なのかもしれない。ただ現代社会は、「そんな物を言い合う時間や相手」が極端に少ない。ヘタすると「ネットだけが自分の全世界」なんて人もいるのかもしれない。最後の病床に寝ていた正岡子規はそれでも「自宅の庭」を俳句に詠んでいたそうな・・・

投稿: マミケン | 2015.01.28 12:51

「柿食えば・・・」の有名な子規の俳句を、柿を食べてる子規と背景のゴーンという法隆寺の鐘、そういう情景だと思っていたのですが、結核を患っていた子規、当時は柿の実が結核に効くと言われてたらしいですね。
そういう闘病の背景を知ると、「柿食えば」の柿は季語以上の言葉の意味を持ち、もっと身につまされる句だと知ったのも最近です。
俳句も作者の生き様を映しているし、その生き方のなかで真摯に自分と向き合う「何か」を表現できればいいなと思うのですね。
他者というのは自分と比較する対象ではなくて、自分を映し出す鏡だと、そう思っています。
実は投句のため3句ほど作ったところで、ふと自分は何を表現したいのだろう?と迷い、迷った末に止まりました。
あ~あ、なんだかカラッポの自分を再発見したようで・・・これは泣き言なのです(笑)

投稿: ちょっと一休み | 2015.01.29 01:04

おそらくは「表現」は自分の意図でできる物ではなく「無意識」の中にある。「出さなかった3句」の中に実はあったのかもしれない。「出さなかった」も1つの「表現」ですよ、きっと。

投稿: マミケン | 2015.01.29 14:06

まあ、それなりにいろいろ考えながらいます。
最近、インターネットには、膨大な書き込みがありますね。
何かを言わなければ不安になってしまう、読んで!読んで!見て!見て!・・・何も物言わぬ人々が、それでも淡々と暮らしているのになぁ、と思ったりします。

投稿: ちょっと一休み | 2015.01.30 21:12

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