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2014年10月

2014.10.29

類は友を呼ぶってこと

10月29日(水) 時事

黄金色に輝いていた田んぼの稲刈りを子どもたちが楽しそうにやっていた。
すっかり収穫を終えた後に肥えた土が顔をだし、また来年も田んぼが存続することを願ってやまない都市農業。

今日は寒い一日で、ストーブが恋しいほどだった。
「ストーブを出そうか」と思うが、まだそこまで踏み切れない秋の深まりだ。

知人が「最近テレビのニュースをつけると、妻が『腹立たしいのでつけないで』と見せてくれない・・・」と言っていた。
嫌なニュースばかりが目立つ。
原発再稼働の動き、またぞろ「政治と金」にまつわる話、右肩上がりの値上げラッシュ・・・、いろいろあるが、そういうものがジワジワと目に見えないストレスの元になる。
沖縄の知事選で基地反対の首長が選ばれて、ガツン!と。

「お代官さま、例の件については、なにとぞ・・・これはほんの気持ちの菓子折り(金子)でございまする、へへへ」
「越後屋、おぬしも悪じゃのう・・・ひひひ」

という水戸黄門の世界が、姿と装いを変えて繰り広げられてるにすぎない。
もちろん黄門さまが助けた貧しい町民たちはというと、これも100年以上たっても、基本はかわらない。
黄門さまのようなヒーローはいないし、Newヒーローを待望するのも悪い癖だと思う。

要らないものが多すぎる。「政治と金」に関わっては「政党助成金」はもうやめたらいい。
これほど無駄で憲法違反の税金の使い方はない。

・・・というあれこれは、もう勉強して真実を見抜く力を養うことに尽きるが、悪代官には悪徳商人がつきまとい、群れを成して権勢をふるう者たちの集団ができあがる。
これは「類は友を呼ぶ」ということだろう。

この「類は友を呼ぶ」というのは、似た者同士は自然に寄り集まるという意味。
政治の世界は顕著であって、「金で人心を引き寄せる」のは当たり前とする思想集団がつくられ、一票を嘘とペテンでかきあつめる。

が、そういう世界だけじゃなくて、普通の暮らしや仕事の中でもやっぱり「類は友を呼ぶ」ってことが多い。

功名心の強い人には、そういう人たちが、権勢欲の強い人にはやっぱりそういう人たちが、自己中心には自己中心の集団が形作られる。
集団といってもグループばかりじゃなくて、個々の人の集まりにもあるだろう。

お互いに見えないところで惹きあうようなもので、ある時は共同して意志を発揮し、ある時はお互いを補完物のように支えあうように思われる。
なので、やっぱり正義とか真実とか価値観とかも、その集合体の正義、真実、価値でしかない。

そういうものが社会の大勢を占めるようになれば、マイノリティなどどこかに吹っ飛んでしまう。
「みんな違ってみんないい」はずなのに、多様性なき社会になっちゃうんだろうな。
これも息苦しいことだと思う本日なりぃ~。

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2014.10.27

黒髪、白髪、まだら髪

10月27日(月) 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也 (芭蕉) 

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 何年かまえにママチャリに乗って名古屋から大垣まで走ったのが、自転車で遠出するきっかけになったもので、その大垣の堀のそばに松尾芭蕉の記念碑が建っていた。
芭蕉の「おくのほそ道」の終着点が大垣、それでは「おくのほそ道」を読み返してみようと思いたった。

自分の読書なんて、だいたいそんなもので、思いつきから始まって、次から次へと流れているようなもので、これも旅のようなものだろうか。

「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」。月日は永遠に旅する旅人ごとく、行き来する年もまた旅人のようだ・・・ふと、人生というものを見つめなおしてしまうのも、秋の木の葉が色づく頃のセンチメンタルな気分がなせる業だろうなぁ。

散髪に行って黒髪にちらほら混じっていた白髪が一挙に増えた。
何のことはない、この何年か散髪時に軽く染めていたものを止めたので、白髪が浮き出てきたわけだ。
こんなに白髪が増えていたのかと我ながら驚きもしたが、髪も人生のそれ相応に白くなり、細くなり、抜け落ちるものが自然の摂理ということだろう。
幸いにして、抜け落ちることはなさそうだから、どこまで白髪になるのか見ものである。

人の髪の毛も見た目で雰囲気が変わるものだ。
某国の政治家など黒々とした髪をなでつけているが、若々しくエネルギッシュに見せるためだろうし、黒く、赤く、銀色だって、そういう「見た目」がおしゃれに映るものだ。

白髪というのは自然なことだけれど、これはただぼうーぼーと手入れもせずに伸ばしていると、無精ひげのそれと変わらないので、意外と面倒なものだ。

髪の毛も人生というやつを旅すろ旅人のようなもの、ナチュラルな黒髪から、彩りを入れたり、そして最後には白髪にたどりつく。ある意味人生を歳を、もっとも感じさせてくれる「長い友だち」ってことですなぁ (笑)

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2014.10.21

赤子と老犬の日々

10月21日(火) 夢の世界
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小さな赤ちゃんがいるだけで、家の中は雰囲気が一変し、その赤ん坊中心の華やいだ暮らしになるものだが、それも先週までで、また普通の暮らしに戻った。

物言わぬアイドルです。
小さくて華奢な命がまわりに与えるものの大きいこと。
もう一人というか一匹の老犬も、これもアイドルです。
視力が落ちて地面スレスレまで顔を下げ背をまるめた姿で散歩するので、近所では珍しがられ、誰からも声をかけられます。

「おいくつですか?」
「18歳を超えました」
「頑張ってるね」

暑い夏を超えることができたので、もう一年は生きられるでしょう。
足腰が弱り、超スローな散歩になり、晩年ぐらいは自由なままでいいと思うので、何度も座り込みながら、ヨロヨロ好きな方向に行かせている・・・

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いつもは何処へという意思が感じられない散歩だが、今日はリードも付けず歩き出すと、もう決まってるかのように角を曲がり、学校の脇を通り、いつものペースで信号に向かう。
まるで見えないラインが引かれてる道を、青信号が「待ってたよ」と言わんばかりに交差点に入り、相変わらず地面に鼻をくっつけてヨロヨロと歩いて行く。

おいおい、リードも飼い主もいなくて一人でどこに行くんだ?と、あわてて後を追うが赤信号に阻まれる。
交差点の向こうは町内の秋祭りの真っ最中で、踏みつぶされそうになりながらも、ひたすらのろのろと歩き続けている。

ここで見失ったらもう探すのも大変だと、必死になって追うのだけれど、人混みの中を、誰も老犬の存在など気にならないのか、奇妙にすり抜けて行く。

見失ったら大変だ。
帰巣本能などもうずっと昔にどこかに置いてきた老犬だから、どこに向かっているのか見当がつかない。
追いかける自分を邪魔するように、老若男女の群れが膨らんで、ほとんど前も見えなくなる。

あたりの屋台の傍にでもいないかしらん?と、探せど探せど人影ばかりである。
見失ったのである。
しばらく探し回って、ほとほと疲れた頃、両側に並ぶ屋台の一直線の道のはるか向こうに、ノロノロと歩いている犬の姿を見つける。

ふだんならば歩くことも出来ない距離なのに、それでもひたすら先へ先へと歩き続けている。
どこに行く気なのだろう?・・・・

目が覚めた。もちろんポン太は玄関で寝そべっている。
変な夢だった。深層心理の表意ならば、なにを物語っているのか。

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2014.10.14

アサガオの話

10月14日(火) 台風一過です

台風19号が日本列島に沿って北上した昨日、みなさまご無事でしょうか?
002ご無事というよりご無沙汰ですってほうですが。

台風の進路コースの図をみていつも思うのは、東宝映画のゴジラが日本に上陸する・・・ジャジャジャン、ジャジャジャン♪っていうメロディ。

まあ、ジャジャジャンと聞こえるのは自分だけかも知れないが、台風にも名前がついていて、もちろん「ゴジラ」って名前は聞いたことがないが、この19号は「スズメバチ」って名前だった。
ずいぶん大きなスズメバチだ。

今朝、そんな台風の強い風にさらされても、まだしっかりと「アサガオ」の花が花壇に咲いていた。
アサガオの花期って7月から9月ごろのはずだけど、8月ごろに花をつけ、この10月にもまだ咲いてるのは?

花壇からツルが延び、境界をまたいで隣のフェンスにからみだしたので、「すみません、せっかく咲いてるのでフェンスを貸してくださいませんか」とお断りの一言で、生き延びた幾つかの花。

「花泥棒は泥棒にあらず」と昔の人は言ったものだが、「花の越境は紛争にならず」と・・・、これは今勝手に自分が思ってるだけのことだが、目をつぶってくれる、おおらかな隣人の優しさに感謝するところ。

たかが「アサガオの花」だけど、諍いになることもある世知辛い世の中だから、ちょっと和みの「向こう三軒両隣」の地域なのかもしれない。

と、こうして「アサガオの話」をしていたら、「あれねぇ、アサガオじゃないかもしれないよ」と妻が言う。
アサガオの種をまいたことないらしいので自生したのか?小さな種が風で運ばれたのか、鳥が運んできたのか・・・
たしかに、この数年は咲いてた記憶もないし、その前も。
どちらにしても生命力があることに違いがない。台風にもめげなかったし。

さっそく花図鑑で「アサガオ」の頁を開く。
もうアサガオという確信は一挙に崩れ、調べてみたが、ヒルガオ科のアサガオから、ヒルガオ、ヨルガオ、サツマイモ属のなんとか・・・実に種類が多い。

「葉の形がちょっとアサガオとは違うよね・・・」と言う妻の一言から、もう迷宮入りの難問題になってしまった。
人間だって種族や人種や顔かたちがさまざまでも「人」にくくられる。

たしかに朝咲いて昼前ごろには萎んでいるからアサガオでよしとしたいが、そんな「アサガオ話」をよそに、敷地も柵も関知せず、台風にも負けずに咲いてる姿はいじらしい。

たくさん咲いてる花のなかで、たった一つの花を思うことの素晴らしさを、サン=テグジュペリの「星の王子さま」は語っていたが、そんなアサガオである。
それにしてもこの花は一年中咲くのか?そうだとしたら、9月には咲き終えるからとお断りしたお隣さんに謝らなくっちゃ・・・

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2014.10.06

十三夜(後の月)

10月6日(月)革端切れで作る携帯ポーチ ②

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写真にするとただの点にしか見えないが、今日は十三夜。
台風一過のちょっと肌寒い夜空に輝いているが、どことなく寂しげな月といえる。

こんな変わり映えのしない日々、綺麗とも素晴らしいとも言えない写真を撮って何になる?
何にもならないので、ブログ遊びの材料になってるだけで十分かも。
日々の充足感ってやつは、つまらない事をつまらなく思わないってことだと思う(笑)


赤子抱く腕の温もり十三夜 (by一休み)

こういう五七五も、そう詠んだ自分がそこにいるというだけ。
まあ自己満足の五七五を口ずさんで十三夜の月を眺める秋。
ごくごく普通の人がいて、普通の暮らしをして、普通に何かを生産する、その普通の暮らしとかけ離れたモノを飾り輝かせて出来上がるモノは、なんだか真実味が感じられない気がする。

さて、革端切れで作った次のモノは、携帯ベルトポーチ。4
袋詰め端切れが500円とか750円とか、あとはクラフト用の手縫い針と麻糸とホック金具があれば出来る。

携帯など機種変更すればポーチも合わなくなるもので、実用的には自分で作るのが一番だし、そのうちまた作り直せばよい。
今回は型紙を作ってみたが、マチ、縫いしろなど、寸法というのは誤差が生じる、何度か修正して、ほぼ収まりの良いものとなったが、「恰好が・・・」というのが妻の批評。
厚み、色、ありあわせの材料、端切れを選ぶのでしかたない。
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とはいえ、既製品との決定的な違は、モノとその入れ物の関係に満足感を味わえるところだと思う。
実はメディソンバックもこの携帯ベルトポーチも9月に作ったが、特にこのポーチは愛着の湧く代物で、けっこう重宝して毎日使っている。

自分で作るのは実に楽しいのだなぁ~、「作る、創る」ということは、楽しくないときは無理してやらなくても、そのうちやりたいと思う時期がくるのを待てばいいと思う今日この頃。

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2014.10.05

メディソンバック

10月5日(日) 革ハギレで作ってみる ①

地上波テレビ映画で「アバター」を放送していたのでついつい観てしまった。
2154年の地球から何光年も離れた星パンドラで繰り広げらるお話のあれだが、この星に住む先住民族ナヴィと地球人の交流が中心だけど、ナヴィという先住民を見ていると、アメリカ先住民族・インディアンの姿を彷彿される。
もちろん、星の鉱物資源を狙う地球人は騎兵隊ってところだろうか。

西部劇はテレビドラマで子どもの頃よく観ていた。
「ライフルマン」とか「名犬リンチンチン」とか「アニーよ銃をとれ」というのもあったと思う。
こうした西部劇で登場していたのがアメリカインディアンという先住民族で、腰に皮袋を下げて何やらいろんな物が入ってた・・・というおぼろげな記憶があった。

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で、この腰に下げた袋を「メディソン・バック」といい、煙草や動物の骨とか大切なものを持ち歩いていた、ちょっとシャーマン的な雰囲気があって、きっとバッファローなどの皮で作っていたのだろう。

「皮の袋」というシンプルな入れもの、大切に思う物を入れるバック。
レザークラフトの素人としては、一度挑戦してみたくなるのが、メディソンバックだ、と思い込んだら作ってみようと・・・

まず、入れるものを考える。財布、デジカメ、いろいろ。
本来ならば型紙を作りサイズを計るものだけど、アメリカ・インディアンの人たちはそんなことはしなかっただろう、現物から大雑把に形を切り取る。004

ちなみに、希少な生き物から、やれミンクだジャガーだアルマジロだといった皮をとり、人間の嗜好のために作られる高級毛皮など、どうなんだろう・・・
食肉に供された家畜としての牛、「たべさせていただく」感謝とともに、その皮も使わせてもらう、というのが人と生き物の生きるための関係のようにも思う。

だからベジタリアンでもないし、余分な殺生は好まないし、やはり「ありがたい」という気持ちで革として利用する。
牛革の端切れを縫い合わせてベルトループの紐を取り付けただけだが、それなりに出来上がった。

端切れを使うのは、それほど大枚を投じなくてもできるからで、その分店頭に並ぶ皮革製品とは見栄えも出来栄えも劣るし、なによりも素人作り。
その劣る部分が自然で良い、シンプルで良い、メディソンバック本来に近いと、都合の良い解釈をして、薬草や骨などのシャーマン的雰囲気のもの一つぐらい入れれば、さらに良いのかも(笑)

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2014.10.03

小さな手

10月3日(金) ぷにぷにの小さな手

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生後1か月余のかわいい手。
手の写真など撮る機会も人生そうはない、ミルクを腹いっぱい飲んで、もごもごと何か掴もうとしている一瞬の手。

ぷにぷにとして、手首にはくびれた皴の線があって、この手がだんだん成長して行く。
いろんなものを握って、クレヨンも握るだろう、本も握るだろう、ラケットを握ったり、そのうち恋人の手も握るのだろう・・・

1970年代のフォークソングで、本田路津子(ほんだるつこ)という女性が歌っていた。

♪ 一人の小さな手 何もできないけど
  それでも みんなの手と手をあわせれば
  何かできる 何かできる

この人のデビュー曲「秋でもないのに」も、とてもこころがやすらぐ曲だった。

「命は地球より重い」というけれど、痛ましい殺戮が繰り広げられ、成長した大人が銃器を握るのも手。
それでも みんなの手と手をあわせれば何かできると、やりきれない気持ちをかかえながら願わずにはいられない。

力強く優しい手になって欲しいものだと思う。

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2014.10.01

ゆとりのある暮らし

10月1日(水) 今年のカレンダーも残り少なくなりました
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月日の過ぎるのがなんとまあ早いことか、あっという間に秋、あっという間の2014年もあとわずか。
ゆとりのある暮らしというと、日々の多忙から解放されること。
たしかに「働けど、働けど・・・」ではあるけれど、もう少し別の意味で「ゆとりなき社会」のストレスについて思うことがある。

探していた本をネットで注文した、ちょっと昔の出版なので古本屋には出ていない。
最近のブックオフなど、ほんとうに読みたい古本を探してもほとんどない。

で、さっそく注文して「当日配達」などという、便利ではあるが超スピード社会を象徴するような注文をしたが、当日いつまで待っても届かないので、翌日配送会社に確認すると、お客様不在で配送所に返戻保管されているという。

普通は「不在配達票」がポストに入ってるものだが、それもないので誤配達か?
調査するとのこと、折り返しの連絡があり、配達員のミスで持ち帰ってしまったという。
あまり考えられないミスだけど「厳しく配達員を叱ってくれればいい」と・・・

ミスや失敗は人間社会にはつきものだが、もちろん「これはダメでしょ」というものから「まあ、そういうこともあるでしょ」というものまで様々のものがあるし、それを「許せない!」と怒る人もいれば「しかたのないこと」と許容する人もいる。

ただ、世の風潮は完璧にこなすのが普通で、ミスや失敗は徹底的に断罪すべきものだと、大変に厳しい社会になってきている。

配送ミスは困ったものに違いがないが、結果にばかり目が向いていれば、それが生まれる原因には行きつかないもので、そうしたキュウキュウとしたものが、なんだか仕事も人間関係も全体を支配してるような気がしてならない。

ちょっとの事なら「まあ、しかたないこと」という余裕がなくなって、他人には完璧を求めてしまう。
ひょっとしたら「働き過ぎで疲れてるのか」とか「人員整理で過密労働だろうか」とか「下請け、派遣、パートに無理強いしてるのかな」とか・・・、そんな他人の事情など気にもしなくて、自分のことで精いっぱい。

「失敗から学ぶ」というのは名言だと思う。
失敗やミスは正すことが大切で、成長することに本質があると思うが、いやはや、とことん完璧であるという結果ばかりが、まかりとおる現代になった。

まあ「他人に厳しい輩は、自分に甘い」とも言うし、弱いものが更に弱いものにだけ厳しさを求める。
なんだかそういう巷のモグラたたきのような世相に思えてくる。

人間同士のストレスの中身の多くはモグラたたきだと思う。人間として育つ、成長する、発展するという観点が欠落して、ヒステリーが渦巻けば、自分で自分の首をしめる結果になってしまうんだろうな。

いつの世も、管理社会を支配する人々は、「たたき合い」のしくみ作りに長けているということだと思う最近なのだなぁ。

いろんな人がいる、得手不得手もある、生きてきた時代も思考もさまざま、自分も人もそういう多様性があると心底考えられれば、もっとゆとりのある暮らしになると思うが・・・
人間、ほどほどぐらいがちょうどいいじゃないか。

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