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2014.02.08

積雪

2月8日(土) この冬初めての積雪だった

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灯油の巡回配達車が、雪やこんこ、あられや、こんこ~♪とスピーカーを鳴らして雪の舞う町を通って行った。
慌てて妻に「雪やこんこが行くので灯油ポリ出して置いて~」と携帯連絡をする。

このあたりの地域は「雪やこんこ~」と「垣根の垣根のまがりかど~」と歌う巡回車が来ている。
「降っても、降ってもずんずん積もる~♪」今日のような雪の日は、この歌の情景がピッタリあてはまるほど、ずんずんと降りやまない朝だった。

「雪」と「たき火」。童謡で巡回車を知らせるってのは、お年寄りには実によくわかりやすいし、お年寄りだけじゃなくて、誰もがなんだかホッとなごやかになる曲だなぁと思う。

雪の舞う中を愛犬の散歩に出る。
老いたとはいえ我が家の犬は昔から雪が好きだ。
まだ人の足跡も車の跡もついていない、真っ白な雪の上をゆっくり歩く。
雪の匂いをたしかめてるように思われるのだ。

足の肉球の跡が点々とついて、おもしろいので写真を撮ってみた。
四季の風情が少なくなった昨今なので、一面雪景色というのは、わかりやすい季節感であり、山間とちがった平野部の積雪は、やはり非日常の色だ。

犬も楽しいに違いない。
人間もちょっとなにかしら楽しく感じられるのだが、週末の降雪で通勤の混乱から逃れられたサラリーマンにはラッキーだっただろう。

さて即興で俳句をひとつ。
初雪に肉球残せし老いた犬 (by 一休み)
ははは。

別人作曲だった音楽家のニュースはちょっと衝撃であった。
ちょうどNHKの特集番組を見て、世の中には音の聞こえない不自由を乗り越えて作曲している人もいるのだと、クラッシックなどよくわからない僕は率直に思ったものだ。

音楽を作ることとその作曲家の生き様は紙の裏表のようなものだと思うが、だからと言って、自分が理解できない音楽芸術を「素晴らしい」とは言えないし、人から素晴らしいと言われても、よくわからない。

ただし、人として障がいを受け入れて作曲する姿は、これは凄いと思うのが普通で、曲が解らないのに「だから感動の音楽だ」とは、僕は言えないということだと思う。
評論家が絶賛しているから素晴らしいとは思えないのである。

つまり、聴く側にとって、自分にとって「素晴らしい」かどうかだけであって、「垣根の垣根の曲がり角~♪」のほうが素晴らしいと思えば、僕にとっては「たき火」の曲のほうが、芸術音楽となるだけだ。

商業主義の社会というのは、自分の理解を超えた分野でも、知っていなければ話にならない・・・という雰囲気を醸造するが、余計なおせっかいである。

自分の頭を飛び越えて、他人の批評を盲信して「素晴らしい」と感嘆符!をつけたところで、それは感動と感嘆符!の流行にほかならない。
総じて芸術なんて、自分の理解がどうかという領域からしか出発しないものだと思う。

自分の頭から離れたところで、あれこれを批評していると、こういうニュースによって、まるで自分の評価する音楽が裏切られた・・・という思いに晒されるのだろう。

だから俳句をひねって、下手な句には、下手な自分という良さ、今、があると思えばいいのだと思う本日なりぃ。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

私も一つだけ長い長い曲を聞きましたよ。重々しい曲でした。そして何かのインタビュー記事には、聴覚障害があるが、絶対音感があるから頭の中で作曲演奏できるとありました。我が家に来てもらっているピアノの調律師さんから、「絶対音感がある人はオーケストラの曲を一度聞いただけで主旋律だけでなく全てを五線譜に落とすことができる」という話を聞いたのを思い出していました。まあ、事実は小説より奇なり。なぜか松本清張の小説を思い出しました。題は何だったかな?

投稿: 杉山 | 2014.02.08 23:19

被爆者二世、音のない世界(聴覚障害)そういう作曲者の固有の属性が曲とかぶって、神秘なものに映ったのでしょうか?
NHKの番組を見て音楽はわからないので、もっぱら聴覚障害を持った方の生き方という点だけに僕は興味を持ちました。
真偽のほどはよくわからないが聴覚障害が詐症だとしたら、障がいに向き合って生きてる障がい者の方を裏切ることになる。
宗教じゃないけれど、そういう人のもつ属性に盲信的になるのは、知名度だけで政策を問わずに首長を選ぶ構造とよく似ている。
人間の文化のほんとうの進歩は、盲信、追従から自分自身が自立することと不可分だなぁ~と強く思いました。

投稿: ちょっと一休み | 2014.02.09 21:06

絵で言ったら「ピカソの絵です」と言ったら絶賛していた人が「子供の絵です」といったら、「な~~ンだ」と苦射し出す。そこには「自分の感性」はない。「肩書きが何か?」だけしか見ない日本人が見えます。

逆に言ったら、ピカソの絵なんか何も分かっちゃいない。「ピカソの絵のどこが好きですか?」と聞かれても具体的に何も言えない。素直に「こんな絵、ちっとも分かんねぇ」とも言えない。何となく「世界的芸術だから、分かった振りだけでもしたい」そんな思いが見え見えである。

分からない絵は「ちっとも分からねぇ!!」と大声で言いましょう!!それが本人のためです!「偉い評論家が絶賛していたから」それはいい絵ではないのですよ。

「あなたはその絵が好きですか?嫌いですか?」人は絵を見てそれだけ答えられればいいんです。そこに専門的な知識など邪魔なだけです。

投稿: マミケン | 2014.02.12 15:45

これだけ情報が多い社会だと、絵も音楽もいろんな批評・評価が氾濫して、鑑賞するまえに「答え」が用意されてるみたいなものですね。
これって授業や試験と同じですね。
何か「正しいもの」が用意されてて、いつもそこから自分の考えが何点なのかと気にするようなものです。
そういう固定観念のとりこになると、すっかり自分の感じ方に自信が持てなくなります。そうすると「模範的」な評価に追随して、そうすることで自分も安心する・・・という構造のように思われます。
ときどき思います、馬鹿で阿呆で間抜けな人生のどこが悪いのか、みんな立派な人になりたがって、「正論?」を追い求め、他人への批判だけ、ヘイトスピーチのように過激になっている・・・そんな気がします。

投稿: ちょっと一休み | 2014.02.12 23:28

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