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2013.10.25

凡庸な日々

10月25日(金) つまらないことにも幸せを感じるという気持ち

 台風の影響で雨模様の日が続くと、自転車で気分転換の散歩もままならない。
 自転車で近所を走るというだけで、おかしなもので「気分」が一変する。

 なんてことのない日常を送っていても、まあ、どこかに不安な気分の材料には事欠かないが、ことさら沈殿した泥をかきまぜて濁らせるようなことは、あえて避けたいという気持ちがはたらくもの。

 そう思っても、日々のニュースや人間関係には「刺激的」なことも多く、凡庸な日々であれという思いと現実は大いに違うということだろう。

 ・・・であるが、毎日の変わり映えのしないあれこれ、家事だ、買い物だ、という事柄には簡単に埋没することもできるもので、そういう日々は、ワクワク、ドキドキ感もいっしょに埋没する。

 人の日常の気分って、ややこやしいものだ。

 よく聞かれる「毎日、何やってるの?」という話題にふれて、洗濯やってます、昼飯作りました、掃除やりました・・・と、そういうことばかりが日常性とは思えないが、そういう、つまらないことのなかに「何か」を見つけたりする暮らしはいい。

 たとえば毎日の洗濯に使う洗剤が二つ三つ予備がそろっていればどことなく居心地がよい。
 同じようにトイレットペーパーだって、冷蔵庫の卵だって一段あるいは一列そろっていれば、じつに些細なことだけど幸せ感を感じる。

 小市民的なつまらないことだけど、生活実感っていうのは、そういう暮らしじゃないかと思うので、特別なイベントなどなくても、それで心の隙間風がふと穏やかなそよ風になることだってある。

 便利になると生活実感というのは苦労が減るぶん無くなってしまうような気がする。

 時間を節約して、そのぶん趣味やスポーツを楽しめる、自分の時間が確保できるというのは、忙しく働く勤労者にとっては大切なことかも知れないが、楽しいことでも嫌なことでも、日々の一つ一つに充足感が得られているのか、生活実感を味わうことができるのか・・・ということが、ほんとうは大きい。

 愛犬の散歩道でもう亡くなったがお気に入りの犬(愛犬ポン太の彼女犬)の飼い主さんと出会い、よく段差に怖がる老齢犬ぶりの話をした。

 ときどき玄関でウンチをしてしまう堪えられない歳。
 玄関に敷いてあるスノコの段差に足をとられる歳。
 失禁対策で新聞紙を敷いてるが、これがインク油のせいかツルツル滑るし踏ん張れない。

 という話をしていたら、カーペットの下に敷く銀色の保温シートが良いという。
 水洗いもでき保温も効き滑りにくいというのでホームセンターで買い求めた。

 ダンボール3枚、保温シート2枚で厚さは2Cmほどで、スノコより段差も少なくなった。
 犬に聞いたわけではないが、ちょっとだけ快適な玄関暮らしになったと思う人間の方の充実感。

 日々、特別な何かを求めて暮らさなくとも、ほんの些細な日常のなかにある、ほんの些細な幸福感。
 キレる高れい者の割合が増えているというが、足元の「へ~、そうなんだ、なるほど、おもしろい」といった日常の感覚が鈍くなってる、しいていえば生活実感が希薄になってる結果ではないかと思ったりもする。

 凡庸な日々、その凡庸さを見つめて、そうしたものが文章にできればそれもまた楽しいことだ。

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コメント

公園で朝、愛犬を連れた人とすれ違う。軽く挨拶を交わす人もいる。時々、その人が一人で歩いていると「誰だっけ?」と戸惑う。どうも僕は人の顔より、犬の顔をメインで記憶しているようだ。

投稿: マミケン | 2013.10.31 14:57

よくわかる気がしますねぇ。
僕もポン太の散歩で会う人は犬と人間のセットで覚えています。
挨拶はいつも犬の話題になりますが、どこの誰なのかさっぱりわからない方も少なくないです。
でも、それでちょっとした会話ができてしまいます。
犬がいなければ、きっとこの先話すこともないかと思うと、よろよろ歩くポン太が取り持つ縁なのでしょうね。

投稿: ちょっと一休み | 2013.10.31 23:53

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