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2013.09.10

アドレス帳

9月10日(月) 一人消し、二人消し・・・

 もう手紙を書くこともほとんど無くなってきた。
 手紙じゃなくてもメールやケイタイで要件が伝わる時代だから、電話番号とメールアドレスがあれば事足りてしまう。

 住所は年賀状ぐらいのものだろうか。
 その年賀状も昨年も、年賀状印刷ソフトの住所を年末の締め切り間際に慌てて修正するぐらいだ。
 紙ベースのアドレス帳は、もう何年も前に作ることもなくなってしまった。

 スマートホンを買い替えて、前のアドレスをバックアップして、何度か機種変更するたびにバックアップしてきた。
 そのアドレス帳に残っている名前の一覧をじっくり眺めてみると、何年も音信不通の古い名前がスクロールする。
 職場が変わるたびに、増え続けた「名前」が消されることもなく、アドレス帳の中では「友人・知人」のまま残っている。
 

 住所も電話もメールアドレスも変更されているかも知れないし、今さら連絡することもないに違いない。
 手を加えることなく来たアドレス帳から一人消し、二人消し・・・そうして消し続けると、半分以下になる。
 半分以下に減ったアドレス帳をパソコンに痕跡のように残っている住所録と突き合わせると、異なったアドレスが浮かび上がる。

 はて、どちらが正しいのやら?どちらが最新のものなのか?
 電話をかけたりメールを送ったり挨拶の葉書の一つも出せば解決するけれど、出すほどの交友があるわけではない。

 ある時代の、ある時期の自分の人間関係を古びた写真のように写しているアドレス帳にほかならないが、もう現実の中では虚構の交友録でしかないと・・・
 そう思うと、さらに一人消し、二人消し・・・そうして、今自分が生きて関係する人たちだけが残る。
 消しながら、懐かしい顔も浮かんでくるが、その顔は昔の面影のまま歳をとっていない。

 新しく追加された名前や電話やメルアドもある。
 古いものと新しいものが交錯しながら、今の自分に関わる人たちのアドレス帳となった。
 この先、歳をかさねるごとに、アドレス帳も増えるよりも減るばかりだろうと思う。
 何だか自分の人生とアドレス帳が重なっているように見えた。
 
 
 
 
 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

アドレス帳、確かに全然交友のない人も並んでますね。
その存在確認が僕の場合唯一年賀状なんですが・・・

現在の友人はひとりひとり大切にしようと思いました。

投稿: マミケン | 2013.09.11 09:50

名前を消去するのはちょと淋しさもありますね。
なんだか自分のいる世界が小さくなって行くような気がするのです。
退職して交友も減って社会が小さくなっても、心の中はいつまでも大きく広くいたいなぁと思うのです。

投稿: ちょっと一休み | 2013.09.12 01:08

気づけば年賀状を書く季節ももうすぐ。
年賀状ほど自分の交友関係を思いっきり認識させるものはありませんね。一人友人が増えれば一人は疎遠になる。自分は人付き合いのキャパが大きくないので仕方がないなと思います。
でも、同じ年代なのに、今なお友人を増やし続ける人を見るとやっぱりうらやましいです。

投稿: feliza | 2013.09.25 22:17

そうか、もうすぐ年賀状の季節なんだと言われて気が付きました。
元旦に届く年賀状の束は毎年薄くなっています。退職して社会関係も狭くなるとよけいにですね。
以前職場で年賀状の注文があって、何百枚も注文する方も見えました。素直に凄いなぁと思い、きっと意識して人との付き合いを努力してるのだと感心しました。
まあ、僕もけっして上手い方ではないので、今いる友人を大切にして、それできっと先細りして、最後にはほんの一握り(笑)
きっと孤独な老後だろうなと腹を決めて、それでも日々充実していればいいのかなと思い、さて最後の一握りとして残り続けるのは、あいつかこいつかと、宝探しをするように予想するのもちょっと愉快なことだと思いませんか?

投稿: ちょっと一休み | 2013.09.26 00:35

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