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2013.09.08

断捨離(だんしゃり)とエンディングノート

9月8日(日) 日記

 011

 雨のち曇りの日曜日、朝ポン太に犬用のレインコートを着せ散歩に出る。
 先日計測したら700メートルの散歩に40分かかっていた。40分も雨に打たれるのは可哀そうだと思うが、頭隠して尻隠さず、尻尾が下がってる時は不安や疲れがでている時だと思う。
 それでも犬は散歩が好きなようで、最初の30mほどは元気に飛び出して行くが持続しない。

 雨降りの日曜日だったので、少し物を減らそうと、鞄、書類、家電品などを処分した。
 鞄などは、かって自転車通勤してた頃のリュック、メッセンジャーバック、ポーチなどを大量に処分した。
 もう使わないだろうとわかっていても、「もったいない」という僕らが育った時代に刷り込まれた生活様式が、物を溜めこむ習慣となって、気持ちを切り変えるのをためらわせる。

 まだ使えるが使わない物を思い切って切り刻むと、執着心も一瞬に解き放たれる。
 捨てることの爽快感は、物に執着しているという後ろめたさから、物理的に心を軽くさせるのかも知れない。
 いわゆる「断舎利」ともいえるが、断舎利は物を捨てる行為でもあるが、物との関係を刷新することなのだろう。
 ただ「捨てる」ことに意味を見出すだけならば、きっと次に「新しい物」を買い、同じ習慣を繰り返す羽目になると思う。
 物との関係を見直すのことにあわせて生活を見直すが本意なのじゃないだろうか。

 ボランティアで行ってる障がい者作業所でエンディングノートを作ることになり一冊購入した。
 人生の終焉に向かうときに備えて、自分自身の事、家族の記録、親族や友人の連絡先、預貯金や負債、葬儀や墓のことなどを記録する、いうならば残された者へのメッセージと言える。
 もちろん、今すぐどうのというわけではないが、人生ってやつは必ず終焉する時がくるわけで、そこに向かう今の自分の状況を整理することだろうと思う。

 50歳を超えた頃から、何となく「残りの人生はどれくらいだろう」と思うことも増えた。
 いやまだ先のことだと思いながら、退職を契機にして、少しずつ「人生の終わり」を身近なものに感じ始めた。
 人は「死ぬこと」を現実のものとして受け入れ始めると、生きてる今が大切に思えてくる。

 「断舎利」も「エンディングノート」も、死ぬことへの準備じゃないかと思うし、そういうものを現実感として受け止めて、そうして「今を悔いなく生きる」ということだとも思う。
 2年前の東日本大震災を目の当たりにして、普通に暮らせる大切さを実感し、人が人らしく生きる事に何物にも代えがたい幸せを実感した。
 以前とは違う価値観をあの日を境にして強く思うようになった人も少なくないと思う。

 「あと何年僕は生きるのだろうか?」何年でもいいや、ひとりの幸せが多くの人の幸せに繋がるような、そんな生き方を、今もこれからも続けたいものだと思う。

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コメント

犬のレインコートって初めて見ました。かわいいですね。

僕は物を捨てられず、散乱しております。一休さんを見習い、少しずつでも捨てていかないと、ゴミで溢れかえってしまうなぁ・・・

投稿: マミケン | 2013.09.09 10:15

物には想い出がありますからねぇ~、ほんの小さな巾着一つでも「これはあの時の・・・」という具合です。
買って一度も使うことなく、そのうち使うからと思って、それっきりという物もあって。
しかし、思い切って処分してみると、これが意外に爽快感なのです。
こういうもったいない買い物は二度としないぞ!という反省、贖罪なのかも知れません。
物と人の距離感みたいなことだと思うのです。

投稿: ちょっと一休み | 2013.09.09 23:56

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