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2013.07.04

明治は遠くなりにけり

7月4日(木) 乃木希典大将と祖父

 明治どころか昭和も遠くになりました。
 気が付けば平成25年の現在、昭和の終わりに生まれた息子や平成に生まれた娘にとって、昭和という時代すら記憶に乏しいのだろう。

 その昭和より昔の大正時代は亡き両親が生まれている。
 先日父方の叔母が亡くなって葬儀のために長野に出かけました。
 88歳だったというから大正14年の生まれになる。母方の兄弟はずっと以前に亡くなり、父方の7~8人いた兄弟、僕からすれば叔父叔母にあたるが、その最後の叔母さんというわけです。

 当然だが親の代の親類縁者は皆亡くなって、葬儀の参列もその子どもたちや孫たちがほとんどだった。
 だから、昭和も遠くなり、大正はもっと遠くなり、明治という祖父の生まれた時代はもう誰も知らない時代だといえる。

 少し前から司馬遼太郎の時代小説「殉死」と「坂の上の雲」を読んでいる。
 「殉死」は、日露戦争の英雄と語り伝えられている乃木希典大将を主人公にした物語で、おそらく父の時代には憧れの陸軍大将だったのだろう。

 「坂の上の雲」はNHKの歴史ドラマで放送されたが、当時はほとんど興味もなく見ていない。
 文庫本で8冊という長編の2冊目を読み終えたところだが、正岡子規、秋山兄弟という松山出身の若者を中心に、明治維新後の日本の歴史や文化がおもしろい。

 司馬遼太郎という人の小説の魅力はどこにあるのかと最近思うのだが、当時の日本という国の思想風土や文化状況がふんだんに作品に盛り込まれているところだと思うようになった。
 おそらくテレビドラマなどではこうした詳細な状況は割愛されてしまうだろう、そういうところに本当のおもしろさがあって、想像力を駆使すれば政治も経済も文化も、かなりリアルに知ることができると思う。

 明治維新、文明開化、富国強兵と武家社会が崩壊してまがりなりにも文明国家へと変化して行く日本、時代の変遷は箇条書きの年譜では知ることの出来ない歴史があるのだと考えさせられる。
 しかし、「坂の上の雲」は長編小説です、読み終えるのはいつになるのだろうか(笑)

 叔母さんの葬儀は東に南アルプスの連なるV字谷の天竜川の流れる飯田市の町で行われました。
 この先この風景も見る機会も少なくなります。
 親の世代が絶えて子の世代となるといろいろな地方に暮らしも分散化されて、冠婚葬祭もまた分散化されて行くわけです。

 久しぶりに会った同じ年頃のいとこと話をすることが出来ました。
 その話のなかで祖父(つまり父方のおじいちゃん)の話題となって、明治生まれのこの祖父が乃木大将の部隊の兵員として日露戦争に参加したということ知りました。

 肉弾戦といわれた203高地の攻防などで知られる日露戦争は明治37年に開戦されています。
 戦争はいつの時代にも人が人を殺傷するのですから、地獄のような様相だったに違いありません。
 僕は小学校に上がる前に郷里を一家で離れたので、この祖父の記憶はわずかしかありません。

 いとこの家にときどき来ていたという祖父は、この乃木大将の部隊で日露戦争に従軍したときの話をしてくれたと言います。
 勇ましい戦争の話ではなくて、この明治の時代に行われた日露戦争の生々しさが孫(いとこ)に伝わったということです。
 戦争の恐ろしさをこの祖父の話を聞いて身に沁みたといとこは言います。

 司馬遼太郎の「殉死」を読む限りでは、英雄乃木大将の軍人としての知略は無能をきわめたようで、後に明治天皇の後を追い殉死に至るヒーローとは違う人物像になっています。
 ともあれ、祖父がいて父がいて僕がいて、日露戦争に従軍した祖父、満州開拓団員として中国、シベリアへと行った父と母、日本の近代史とともに親族の系譜があると思うと、平和の尊さを今一度考えさせられます。

 小説の中で登場した乃木希典大将が現実の系譜のなかで繋がったというわけです。
 「やはり、そういう戦争の悲惨な姿は語り継がなければねぇ」と久しぶりに会ったいとこと僕の共感でした。

 そういえば、明治は遠くに・・・という句は「降る雪や 明治は 遠くなりにけり」 作者 中村草田男ですね。
 
 

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コメント

5年くらい前だろうか、母方の田舎で葬儀があり、姉兄と3人で茨城の田舎に行った。高校3年生の時、スケッチで何日か泊めてもらって以来だから、親戚の人々の顔ほとんど覚えていない。こうして田舎との繋がりもだんだんなくなって行くのだなぁと、その時思いました。

投稿: マミケン | 2013.07.05 09:47

親の兄弟が多いと必然的にイトコも多くなります。いとこ会なるものもあって、泊りの宴会も数回ありました。
ところが妻の方はというとイトコも数人ぐらいです。
田舎という農耕的協調文化で、そういう風土が血縁を作っていると僕は思っています。
顔や名前を覚えられるのもいとこまででしょうね。

投稿: ちょっと一休み | 2013.07.05 23:43

母方祖父は職業軍人で日清・日露にも行ったと聞いています。祖父のまたがっていた軍馬が被弾したこともあったそうです。祖父宅でなまなましい戦争の写真を見た覚えがあります。祖父は軍歌を嫌って、沢山の戦死した部下を思って涙してました。私たちの親の世代までは戦争抜きでは語れない人生ですね。もっと語り継がなくてはと思いますが語り継げる人がもう80代・90代ですからぎりぎりですね。敗戦時大陸の軍隊は真っ先に逃げたという話もありますが祖父の属してした部隊は在留邦人が引き上げるまで現地に留まったと聞いております。

投稿: 杉山 | 2013.07.07 18:29

親も祖父も戦争の時代を経験していて、ほんの少し前までは戦争は普通のことだった、そう考えると戦後68年、平和であることの方が不思議なことですね。それだけ見ても憲法9条がいかに意味のあるものかがわかります。
あの太平洋戦争の末期、関東軍はソ連の参戦を満州開拓団には知らせず、前線を南に移動させ、開拓団員を遺棄しました。根こそぎ動員で残されたのは年寄りと女性と子どもがほとんどで、「悲惨な逃避行」と言われた所以であるわけです。
軍隊は在留邦人の命と財産を擁護するという口実で他国に出て行くけれど、どうも怪しいものです。くわばら、くわばら・・・

投稿: ちょっと一休み | 2013.07.08 01:31

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