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2013.06.02

我田引水

6月2日(日) 蛙がゲロゲロ鳴き出した


2013019

 ここ数日蛙のゲロゲロと鳴く声が開け放した窓から聞こえてくる。
 田んぼに水が引かれ、いよいよ田植えのシーズンが到来して、土の中で眠っていた蛙も起きだした。
 都会の田んぼは珍しいけれど、毎年この季節がやってきて、蛙の声を聞くとホッとする。

 田舎ならばあたりまえのことだが、季節感が薄れて行く都市生活者の残り少ない潤いである。
 庄内川から用水を通って引き込まれている水である。
 透き通った水底にタニシもいる。もうすぐみずすましもスイスイと泳ぎだすだろう。

 こういう風景をいいものだと、たかだか小さな田んぼだけれど、貴重な自然だと思っている自分がいる。
 「歳をとったということかしら」と妻に言われる。
 円空仏の話や田んぼの話をしていると、高れい者特有の話題だと思われているようだ。

 そうかも知れないし、そうでないかも知れない。
 若者にとっての自然はどこまでも紺碧の海であり、白き残雪をいただく高い山々、そういう風景なのだろうか。

 手ごろに自然にふれることが出来る時代になった。
 バスツアーで富士山登山さえ容易になって、もう日本中探しても観光客が来ない自然などほんの僅かしか残っていないのだろう。

 自然にふれあおうと行く野や山や海のハードルが下がり、どんどんと自然から離れて行く。
 それでも、時間に追われ季節感も薄れて行く都市生活者にとって、都市からかけ離れた自然というだけで、日頃の閉塞感やストレスから解放されるというものだ。

 「田んぼに水が引かれ、蛙が鳴き始めた」などと言っても、そこには何があるのだろうか。
 ただただ毎年繰り返される6月の都市農業の風景でしかない。
 昨年も、一昨年も、その前も・・・なんの変わりもしない「田んぼと蛙」の営み。

 そういうものに気持ちがゆくよりも、生活スピードが速くなり、都市自体が潤いを失くして、自然にふれあうには、都市から出て行かなければならなくなったということか。
 でも、ほんとうにそうだろうか。

 このゴチャゴチャした都市、ビルと車の排気が渦巻く都市、不夜城のような人工灯が24時間輝き続ける都市。
 うんざりするほど潤いのない暮らしだから、だからごく些細な自然の姿を探す。
 変わり映えのしない単調な暮らしに、せめて自分の感覚だけは新鮮でいたいと希望する。

 朽ちかけた片隅のアパートの玄関横にあじさいの花を発見する。
 ひび割れたアスファルトの割れ目から、雑草が不屈の精神を見せている。
 こういう時代だからこそ、意識して都市の暮らしのなかの潤いに目をやる、自転車に乗って・・・
 「自転車に乗って・・・」やっぱり「我田引水」と謗られるかな(笑)
 

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