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2013.05.19

前事不忘、後事之師

5月19日(日) 長野県の阿智村「満蒙開拓平和記念館」に行った話

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【満蒙開拓平和記念館:静かな山間のなかに建っていた】


 先週のこと、長野県の阿智村にオープンした「満蒙開拓平和記念館」という施設を見学に行った。

 かって日本の傀儡国家であった「満州国」に渡った27万人の日本の農民を「満蒙開拓団」といった。
 国策として行われた「満州移民」であるが、そのうち長野県からの移民の数がもっとも多い。

 1945年8月、旧ソ連軍の参戦により、日本軍から棄民された多くの開拓団の人々が自決、病死など悲惨な引き上げをたどった歴史は、証言、小説などでもいろいろと紹介されている。
 中国残留孤児の問題が取り上げられたのも、こうした「満蒙開拓団」の悲惨な歴史でもあった。

 戦争の傷跡であり、日本国中が農業農民政策(国策)として行われた「満州移民」だったにも関わらず、こうした「開拓団」に特化した記念館としては全国でも初めてであるという。

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【記念館の中:展示資料撮影は禁止なので入口の廊下だけ、兄である】


 「前事不忘、後事之師」とパンフレットの表紙に書かれていたが、「前事を忘れず、後事の教訓にする」という意味だそうだ。
 このところ「歴史認識」についての議論が取り沙汰されている。いや、議論というよりも過っての日本の侵略戦争への考え方が180度違ったものとして出てきている。

 そういった意味でも、あの「満蒙開拓団」「満州移民」というのが何だったのか、ということを事実からもう一度しっかり見つめてみる大切さなのだろう。
 
 ・・・というのが、僕の問題意識であるとともに、僕の両親は「開拓農民」であったし、母親は「大陸の花嫁」だった。
 幼い頃から「満州」で苦労した話、悲惨な話など、母親からときどき聞いていた。

 父親は終戦の年の「開拓農民の根こそぎ徴兵動員」によって、にわか軍人となり、そのままシベリア抑留となるが、幸いにも父も母も生きて「引き揚げ」している。
 僕の兄弟のうち兄(長男)は「満州」で生まれているので、乳児を抱えて母は生死も分からない父とは別に苦労の引き上げをしたことになる。

 そういう両親の戦争に翻弄された時代を経て、戦後、僕を含めて三人の子が生まれたわけなので、この「満蒙開拓団」という歴史の事実は、僕ら兄弟にとっても、今は亡き父と母の歴史、生き様ともいえる。
 
 今回、すぐ上の兄から阿智村に「満蒙開拓平和記念館」が出来たので行ってみないかと連絡をもらった。
 やはり、兄弟にとっても「開拓団」という親の生きた道には、大きな関心があるわけだ。

 5月の中旬に行く予定をたてていたら、一番上の兄から「記念館」に行ってきたと電話が入った。
 乳児で母と帰国した兄である。
 ひょっとしたら生きて帰ることもままならない、残留孤児となっていてもおかしくない兄にとっても、いろんな思いが強いのだろう。

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【日中友好、残留孤児問題に尽力された山本慈昭氏像:記念館上の長岳寺にて】

 その兄から「開拓団」の名称が分かったとのことだった、いろいろ調べてくれていた。
 親の開拓団の暮らし、引き上げのルート、シベリア抑留の経過、そうしたものの事実を知ることができるのも、まずは、過っての「満州」のどこで暮らしていたのか、「開拓団名」すら不明では漠然としすぎている。

 思えば、親が生きているうちに、こと細かく聞いておけばよかったという思いである。
 そのうちに、しっかりと聞きとりをしようと思いつつ、自分の暮らしに追われて、さてどうだったのか?と思った時には親はもう他界していた。

 戦争の語り部の方々が高齢となり、当時の姿を伝えるのも難しくなってきたという話を聞くにつけ、こういう「記念館」の存在はとても、大きなものだと思うのである。

 図書館で「満蒙開拓」の記録書を何冊も借りて読んでみたが、親から聞いた話とほとんど同じであった。
 親からは聞くことが出来なかった、当時の歴史や暮らしなども、ずいぶんと知ることができたが、「記念館」に展示してある、手記や写真、資料の数々は、丁寧に読む時間があれは、どこかに親の「移民」当時の姿が出ているのではないかとも思われる。

 「歴史認識」というのは、事実を具体的に知ることによってしか、豊かにならないだろうと思う。
 そういう意味で、親のたどった道を、戦争に翻弄された日本の山村農民の生きた時代を、「満蒙開拓団」という歴史を、よく知ることが、今という時代を考えることでもある。

 また、もう一度、勉強しなくてはと思う。


 ※「満蒙開拓団」などの表現は当時のものをそのまま使いました
 

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コメント

満蒙開拓平和記念館が出来たという記事を読んだ時、私も行ってみたいと思いました。大変な思いをしたのだけれど、生活に追われてその体験を引き継ぐことが薄いように思われるのは何故でしょう?

投稿: 杉山 | 2013.05.21 23:03

「満州移民」だけでも27万人の農民が国策として中国に送り出され、400~500万人の「開拓団」を計画されていました。
国が行った農業政策だったのですが、中国人も日本人も多くの犠牲者をだしたにもかかわらず、この「満蒙開拓平和記念館」は多くの民間の方々の尽力があって出来たそうです。
なぜ国が、こういう歴史に真剣に向き合わないのか。
日本はあの戦争への「反省」と総括がきちんとされたうえで戦後の復興があったのでしょうか?
ここらがナチスファシズムに向き合ったドイツとの違いなんじゃないかと。
日本は豊かになったと言うが、大切なことに目が向かないという意味では貧しい国じゃないかと思いますね。

投稿: ちょっと一休み | 2013.05.21 23:54

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