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2013.05.29

傍線

5月29日(水) 梅雨入り、晴耕雨読の季節になったなぁ

 横書き文章の強調に使うのはアンダーライン。
 日本語のような縦書きの場合は、傍線(サイドライン)というが、傍線もアンダーラインも混同して「傍線」と思い込んでいた。
 何気ない日常にも思い違いが多くて、僕のような書き流しの人間には校正者が必要だろうなぁ(笑)
 思い違いといえば、室生犀星の故郷を歌った詩がある。

  ふるさとは遠きにありて思ふもの
  そして悲しくうたうもの
  よしや
  うらぶれて異土の乞食となるとても
  帰るところにあるまじや
  ひとり都のゆふぐれに
  ふるさとをおもい涙ぐむ

  都会にでて暮らす日に、遠く生まれ故郷を懐かしく思う。故郷とは都会にいるからこそ郷愁にかられるものだと。
 そういう歌だと思っていたけれども、「うらぶれて異土の乞食となるとても 帰るところにあるまじや」という部分を、よく読んでみると、どうも郷愁だけの詩ではない。

 自分が生まれ育ったふるさとには、郷愁をさそう昔があった。
 そんな昔を過ごしたふるさとは、愛しい父母の想い出もあるだろうが、辛く哀しい想い出もある。
 複雑なふたつの愛憎のはざまで故郷を歌った・・・ということだ。

 図書館で借りた本を読んでると時々誰が書いたのか傍線がふられている。
 じつに様々な箇所に傍線が引かれ、図書館本だからこれはルール違反だろうとも思うが、それよりもなぜこの箇所に傍線を引くのだろうということである。

 ちょっと違うんじゃないのかと思うと、傍線が引かれていることよりも、その箇所のほうが気になってしまう。
 たしかに人の思いはそれぞれあるが、こういう傍線ひとつでなんとなく書き込んだ人の問題意識が分ってしまうというものだ。

 遅々としてページが進まなかった「歓喜する円空」をやっと読み終えた。
 円空の人生がおおまかに分ってくる。
 独特な木仏の写真を見ていると、この円空という人の仏教への思いや慈悲の気持ちが込められている木仏だということがよく分かる、たしかに優しい仏の顔にみちあふれている。

 ということだが、僕は別の個所に傍線のかわりに付箋をはった。付箋はまこと読書アイテムとなっている。
 80歳をこえた著者の梅原猛のこういう箇所に付箋をはった。(返却時にははがすが)

 『80を超えた。そのような老人にも春があるのである。私はまだ花を咲かせたい。学問の花、芸術の花を咲かせたい。学問や芸術はしょせん遊びなのである。遊びのない学問や芸術はつまらない。作者が無心になって遊んでいるような学問や芸術でなくして、どうして人を喜ばせることができようか。』

 円空という人の仏像制作の心のありようであり、梅原猛という人の人生論だと思う。
 無心になって遊ぶ、真摯に生きることに喜びを見出す・・・人生はなんとすばらしいことだ!というわけである。

 

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コメント

確かに作者が楽しんでいる絵は見ていて楽しくなるものですね。逆に苦しんで描いている絵は見ていて苦しくなるような気がします。

投稿: マミケン | 2013.05.30 09:56

文章も同じですね。
楽しかった、良かった、感激した・・・ほんとうにそうなのかは、行間ににじみ出てるような気がします。
大変だね、頑張ってね、良かったね・・・感情のこもらない文章もありますし。
表現することの難しさだと思うのですね。ほんと難しいなぁ~

投稿: ちょっと一休み | 2013.05.30 23:52

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