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2013.04.09

自慢と愚痴

4月8日(月) どうも明るい話題に乏しいなぁ~

 近所の小学校の入学式があり、日の丸が掲げられた校門の「〇〇小学校入学式」と書かれた看板を背景に二組の家族が記念写真を撮りあっていた。
 おめでたい話である、というか風景である。

 入学式には父親と母親がそろって参列する家族、母と児の家族、どうみても高齢のおばあちゃんに付き添われた家族・・・さまざまな家族模様が見られるが、子どもにとってはもう一つ広がる社会への門出というわけだ。

 この時代の家族、学校、社会を見ると、子どもにとっては厳しいものだろうと、晴れやかな入学式のはずなのに、そう思えてしまう。
 「元気で明るく健やかに伸び伸びと」よく言われる当たり前のことだけど、当たり前に子どもたちが育ってほしい。

 さて「人の話の90パーセントは自慢話と愚痴だと思え」と著名な作家がテレビで話していた。
 おそらく著名な人だから著書あたりでその意味を書いてると思うが、読んだことがないので僕は知らない。

 「自慢と愚痴」だからどうなんだ、ということだが、この考え方はおもしろいと思った。
 おそらく話だけじゃなく文章や表現するもの全てにあてはまることかも知れない。

 「自転車で50キロを走り桜を見てきた!」というのも自慢話の口に入るだろうし、「旅に行って感動した」といったものも、やっぱり自慢話の類だろうと思う。
 いやいや、その当人は「そんな自慢話じゃない」と本気で思ってても、聞き手にはそう映る。

 不思議なもので、人は歳を重ねるほどに「自慢話」がやたら増えてくる。
 「当たり前(だと思う)話」が、当たり前を超えた自慢話になって、それを聞く若者は辟易するのだろう。
 上手くオブラートに包んで話せばいいものを、直球ストレートに言うので、うんうんと頷く顔とは裏腹に「なにさ、自慢なの」と思われ、良くても「へぇ~、そうなんだ」というだけ。

 愚痴のほうはどうかというと、こちらは案外変化球の勝負が多そうだ。
 愚痴が言葉になる瞬間から、実はもう愚痴などどうでもよくなって、ほんとうに怒り心頭の愚痴というのは、石橋をたたいて渡るほどに、相手を選び言葉を選ぶように思う。

 いずれにしても、たしかに人の話のほとんどは「自慢話と愚痴話」が大勢を占める。
 だからどうだというのだ!は・・・ここではそれは問題にしない、そういう話は「会話の技術論」になっちゃうから。

 昔、知人の寿司店の主人と話をしていて「いやぁ~なかなか聞き上手ですね」と言ったことがある。
 実に話の核心をついた会話が続き、ついつい本音話をしてしまう。
 けれども、ピシャリと言われた「会話を話し方の技術でやってたらボロがでますよ、聞き上手じゃぁないんですよ、本音の話ですよ」と。
 
 自慢話と愚痴はどちらにしても話の大部分である!というのは、いったい何だろう。
 これは話しかける力のようなもので、自分のことを知ってもらいたいという思いの強さだろうか。
 歳を重ねるごとに自慢話が増えるのは、愚痴が増えるのは、それはそれで一つの表現力とも思う。

 社会関係が希薄になると、勢い人と話したくなって「あれはこうだ、これはああだ」と自己主張も増幅する。
 そうすることによって何となくちょっと落ち着いて行く。

 これは愚鈍なことだろうか?
 僕はとてもよい事だと思えてならない。
 人は大いに自慢話をすればいいと思う。
 おそらく自慢話や愚痴は、人に理解してもらおうというよりも、自分自身に納得が欲しいからであって、そうして自分と向き合うことで、明日への活力になればいい。

 ただ間違っても、それが相手に受け入れられるかどうかなどと思わないことだ。
 人は自慢話だね・・・と聞くものだから。
 本音というものはちょっと違う次元にあるようにも思う。

 などと書いてる僕も「こう考えてるのだ!」という自慢話(自慢にもならないが)のようなもの。
 そういう自分の表現でしかないのだと自分で納得すればいいだけ。

 自慢でもしなければ、愚痴でも言わなければ、人は振り向いてくれないと思ってしまうと、行きつく先には「頑固じじい」の世界が待っている、「高齢者クレーマー」の落とし穴があると思うのだ~。
  

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コメント

なるほどなるほど・・・確かに「人と話す」と言う行為は「自分と話す」部分が半分以上しめるのかもしれませんねぇ・・・

投稿: マミケン | 2013.04.09 09:52

人と話してて面白いなぁ~と感じる時。
知らない知識をいっぱい知ってる事よりも、その人の感じ方や考え方が個性的なとき、僕は「この人はいいなぁ~」と思ってしまいます。
まあ、これも表現力ということかも知れませんが・・・

投稿: ちょっと一休み | 2013.04.09 23:38

「話したい」人は、私も知識を持っている人より、視点が違っていろいろと気づかせてくれる人。そして元気が出る人。話をよく聞いてくれる人ですですね。

投稿: feliza | 2013.04.15 09:54

felizaさんお久しぶりです。
僕なんか人からいろんなことを教えてもらうことの方が圧倒的に多くて、じゃぁ自分はと考えると、どれほどなんだろうと測り兼ねるところですね。
それでも人間関係が成り立ってるのならば、それも一つの在り方なのかなと思っています。
ありがたいことだと・・・。

投稿: 一休み | 2013.04.16 00:07

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