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2013.02.11

錯覚

2月11日(月) とある日の堀川風景

052

 ファックス電話機のディスプレが映らなくなったので、買い替えた。
 10年以上は使った。ので、元はとれたと思いたいが、50年~60年と長もちする商品は巷には少ない。

 古いものへの穢れの意識は拡大再生産する商業社会が作り上げた虚像だと思う。
 その壊れた電話機に付いていた写真たてに3枚の昔の写真が入っていた。
 3枚も重ねてあったのか!と見ると、30年前にスキーに出かけたときの妻との写真、20数年前に幼児だった子どもと自分の3人で布団の上で撮った写真、なぜか成人式の妻の写真だった。

 横から覗いていた娘が「お父さん若いはねぇ~」という。
 当たり前だ、親も子も歳をとる・・・「とる」のは親で、子は「成長する」ということだが。
 「そうか歳をとったものだ」と鏡の前で、髪も細くなりシワもある自分の顔を見る。

 自分の顔をまじまじと見ることもあまりない。
 朝、髭を剃るために鏡に向かうが、あれは髭剃り後を見るくらいだ。
 それに比べると、妻や娘は出勤前の数分ほどは毎日、自分の顔を眺めている。

 肌艶が良いとか悪いとか、日々の変化を気にしながら鏡に向かっているが、日々の変化は僅かなものだろう。
 忘れた頃に、愕然と気が付く「人生は年齢を重ねるものだ」と。
 その点、ほとんど気にしない僕などは、一年に一度くらい「ああ、歳を重ねているのだな」と思うくらいなので、20数年前の自分の写真を見る方が愕然とするのだ。

 若かったなぁ!と。
 しかし、歳と向かい合うよりも、今、どう生きるかというほうが、永遠のテーマだと思う。
 老うごとに豊かな人生が過ごせるならば、死ぬまで若い!ということだと思う。

 さて、とある日に自転車散歩で撮った堀川の一枚である。
 夕日がビルを黄金色に染めている。
 堀川も歳を重ねた。
 過っては尾張の商業交易の重要な水路だったのが、今は大きなビルに囲まれて、行き交う船もなく静かに佇んでいる。

 水の流れがないせいか、水面は鏡のように風景を写している。
 忘れ去られた孤独な老人のように、穏やかである・・・と、言いたいが穏やかさばかりが高齢者の特徴でもない。
 ひとつ、天地がひっくりかえるような、パワーも見せてもらおうじゃないかと。

 そうなんです、この写真は天地が逆、誰も気が付かない、よく見ればわかるが。
 老かいな堀川の姿・・・してやったりである。(笑)
 
 

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コメント

おおお、この堀川写真はスゴイ!!
まるでCGの未来都市に見えます。

投稿: マミケン | 2013.02.12 12:46

上から2/3に橋を置くと空が広く見えて、まさか天地逆には思えないのが錯覚ですね。
鏡のような水面は水流がないから、その分ほんとうは水も濁るんですよね。
堀川に遊んでもらってるようなものです(笑)

投稿: ちょっと一休み | 2013.02.13 00:04

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