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2012.11.26

あの頃の歌を思い出して

11月25日(日) 「嫁に来ないか」 


 1976年にリリースされた新沼謙二の「嫁に来ないか」という歌をふと思い出した。
 あの頃、僕はなにをしていたのだろうか、あまり思い出したくない記憶やぼんやりした情景が歌詞とともに甦ってくる。

 時代は学生運動が終焉を告げ、ある種の倦怠感が若者たちに芽生え始めていたように思う。
 それでも、限りなき成長という名の日本経済はバブル時代へと突入してゆくわけだ。
 若者たちの素朴な感情やエネルギーを社会の隅に追いやりながら・・・

 夢や希望というものが現実の前で、いとも簡単に崩れ去る脆いものだと知った若者たちが、この70年代を経てどこに向かったのだろうか。

 作詞:阿久悠、作曲:川口真、歌:新沼謙二。
 ひとつの素朴で純情な結婚観は、時代が変わってもこころの底に静かに流れているような気がしてならない。
 と、そういうふうに思うのだが、めまぐるしく時間が過ぎ、必要もない感情が生きる条件のようにへばりついてる時代は、結婚も「活動」というスタイルを必要とされているのだろうか。


 嫁に来ないか ぼくのところへ
 さくら色した 君がほしいよ
 日の暮の公園で ギターを弾いて
 なぜかしら忘れ物している気になった
 しあわせという奴を 探してあげるから
 嫁に嫁に来ないか
 からだ からだひとつで


 朝のNHK連続ドラマ「純と愛」を見ている。
 本音で生きようとする純と人の顔を見れば心も見える愛(いとし)が「からだひとつ」で結婚したが、この「嫁に来ないか」の雰囲気とはずいぶん違っている。

 それはそうで、人の心が読めるとはずいぶん大胆な設定、そればかりか奇妙な家族と奇妙な会社の人物像が、超現実離れしているから、ドラマの空想世界としては実に面白いと思って見ている。

 しかし、顔を見れば心が解ってしまう愛や、嘘や腹黒さにはに嫌な臭いを嗅ぎわける(愛の妹)といった存在を、僕は必ずしも虚構の設定とは言い切れないものだと思っている。

 感情が豊かで、人の気持ちに心をよせることに敏感であればあるほど、人とのコミュニケーションには苦しむことが多いものだから。
 人の気持ちに敏感だということは、素晴らしいことであると同時に疲れることでもある。

 心の病というものが、現代病と言われるのは、こうした社会の人間関係を人為的で意図的なものに置き換えて、人と人との差別化を拡大した結果、心優しき人々を病人に仕立て上げたものだと思えてならない。

 淋しい社会だと思う。
 人の「肩書き」「地位」「知識」「貧富」「能力」・・・さまざまな人にまつわる属性を一切剥ぎ取ってごらんなさい。
 そこに残るのは人間性という自然物にすぎないから。
 だから「からだ、からだひとつで結婚しようよ!」という、素朴な心情が宝石のように輝いてくる。

 とはいえ、そんな青臭い結婚観は通用しないと思う人が多いかも知れない。
 しかし結局、人はどのようにつくろっても、所詮はドクロに皮をかぶって意志を持った人間で、だからこそ、どんな人も同じ価値を持っている。

 知的障がいを持つ人たちと、そうでない人と何が違うのか!
 心の病を持つ人とそうでない人と何が違うのか!
 金持ちと貧乏人と、能力の高いひととそうでない人と、技術や知識を持った人とそうでない人と・・・、見せかけの違いに惑わされ、そうでない人の気持ちに心を寄せることができるのか。

 人と人を比較したり差別化をはかったり、そういうものばかり追い求めるのはやめて、「同じなんだよ」と優しく語りかけることができれば、それで気持ちが楽になる人も少なくないのに。 
 

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コメント

僕は現在午前5時から東京・江東区・木場公園10.5キロのジョギングをしている。でもそれは口実で、実は毎日すれ違う人々との挨拶が主体なのだ。3周も走れば、200人からの人々とすれ違う。自転車で後ろからくる人も含め、すれ違う犬までも含め、毎朝挨拶をしている。挨拶の返還率は2~3割ということだろうか?

面白いので、僕は旅先でも同じことをする。千葉の富津では地元の人々の返還率が良かったから9割だったかなぁ・・・友人の住む山の中、那智勝浦も同じくらいだった。衝撃的だったのは友人家族が住む西オーストラリアの地方都市バンバリーでは10割だった。

友人にそう言うと「返事をしないなんて信じられない。ここでそんな奴がいたら、単に『変な奴』と扱われるだけだ!!」僕はその挨拶返還率が人間の「幸せ度」と比例していないか?と考えた。つまりは都会では「周りはすべて敵だから信用するな!用心しろ!」と教えられて育っている。そんな社会が「幸せ」であるもんか!!たとえ世界で指折りの経済力を誇示しているにしても、その山頂にいる人は「いつ人に足を引っ張られるか分からないと、毎日不安に怯えているに違いない。

投稿: マミケン | 2012.11.26 15:38

こんばんは。
僕も犬の散歩のときに挨拶しますが、だいたいは返ってきます。
「犬の散歩=悪い人ではない」って具合なのか、見知らぬ人への警戒心は、子どもにも「知らない人には気を付けなさい!」と教育されてるくらいだから、もう都市部では共同体の意識はほとんどなくなったのでしょう。
地域のコミュニケーションってのは、何か役職をやったりボランティアをやったり、そういうことよりも、きっと普段の暮らしのなかで、ごくごく普通のことをすることだと思いますね。
みんな警戒心ばかり発達しているけれど、ちょっとスキがあるぐらいの方が人間らしいなぁと思いました。

投稿: ちょっと一休み | 2012.11.26 23:19

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