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2012.11.26

ロックにご用心

11月26日(月) 駄洒落です

 6(ロッ)×9(ク)=54(ゴヨウ)という駄洒落を思いついて、うまいこと洒落たと喜んでるのは、オッサンの特権みたいなものと相場は決まっている。

 鍵のはなしを少し書いてみようと思い、思い返せば僕は「かぎっ子」だった。
 共働きの両親だったので、学校から帰ってもだれもいない。
 鍵は杉の雨戸の隙間に置いておくのが習わしで、なんか得意になって友達に「ここにあるんだ」と喋ったことを親に話したら、翌日から別の場所に変更となった。

 学童保育という放課後の行き場所などない時代、家に帰って朝もらった小遣いをつかみ、駄菓子屋で飴や紙ヒコーキを買って、それで学校に行けば誰かがいた。

 毎月初めは、まだ貸本屋があった時代で、月刊「少年」を借りるのが定期コースになっていた。
 店のおばさんとは顔なじみで、雑誌についてる付録はいつも貸本代と同じ値段でとっておいてくれたので、小遣い程度で、毎月新刊の月刊雑誌を買ったも同然だった。

 昭和という時代はコンピューターもなければ塾もごくごく一部の子らが行ってたほどで、遊ぶことを自分で見つける楽しみがあったような気がする。
 両親の勤めていた町工場はどこにあるかも知ってたし、気まぐれに行って勝手に遊ぶこともできた。

 裕福でない家庭の子どもはみんなそんなものだった。
 だから「かぎっ子」といっても、純粋培養された孤独で家に閉じこもる環境とはまた違っていたし、そういう子ども時代があったのは、農業から都市生活者へと転換した親の決断が、おおむね成功したというわけだ。
 もっとも学校から帰っても親がいない寂しさには閉口もしたが、結果的には自由でのびのびした子ども時代だったことを感謝したのも、大人になってから気づいたのだが・・・
 
 さて、鍵の話しだった。
 午後から「仕事」に出かけ、帰宅して夜も「仕事」の予定があったので、慌てて軽く夕食をとっていたら玄関のチャイムがピンポン~と。

 おもてに顔をだすと、若い女性が立ってたので、これはまた勧誘か押し売りかと思いきや、どうやら違う様子。
 話を聞くと、今日近くのワンルームマンションに引っ越してきたが、鍵も携帯電話も部屋に忘れてしまったと言う。

 で、何が困ったのかというと、このマンションがオートロックで開錠の番号もわからない、管理会社に連絡したいが電話もかけられないから貸して欲しいということだった。
 ことこまかく説明されて、こういう説明をする人に悪人はいないと合点承知して、ポケットのケイタイをどうぞ・・・

 そのままケイタイを手にマンションに向かう女性、おやおやこのまま消えてしまったらとの思いもよぎったが、ふたたびとって返って管理会社の番号が入口に貼ってあるのでそこに電話しますと。

 しばらく管理会社と連絡をとりあっていたところに、マンションの別の住人が帰ってきたらしく、無事一緒に中に入れてもらえたという顛末だった。

 マンションはどこもオートロックになって、不要な訪問者やチラシなどもシャットアウトするようになってきた。
 犯罪防止なのだろうが、もはやマンションというコンクリートの籠のなかに隔離された暮らしのようなもので、地域社会から隔絶された都会の孤島のようなものになっている。

 「秋深しとなりはなにをする人ぞ」と詠った芭蕉の句の「何をするひとぞ」は、隣人がどんな人かもわからないという意味ではなくて、旅先の病床で「ああ、あの隣人は今頃何をしているのだろうか」と気にしつつ、侘しさも併せ持った思いであったが、オートロックに隔絶されたマンションの住人は文字どおり「何する人ぞ」というわけだ。

 オートロックで防犯と安全をはかる、自転車だって盗難予防に2重ロックを呼びかける時代である。
 扉に鍵をかけ・・・いやいや扉だけじゃなくて、心にも鍵をかける時代になったと思うと寂しいものである。

 「ケイタイありがとうございます」という彼女に、「いえいえ良かったですね、同じ地域に住む隣人ですから」と、ついつい言ってしまった。
 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

「いえ、困った時はお互いですから・・・」

寅さん映画で泣いた時がある。それは桜田淳子がヒロインの時。彼女は新潟から修学旅行で上京した高校生。毎年死んだ母に送金してくる男が、まだ見ぬ父と思い、封筒の住所を頼りに訪ねてくるのだ。それが柴又に住む寅さんだった。

「覚えがあるんだろ!!」そう問い詰めるおいちゃんたちに語った寅次郎の話。「もう商売もなにもうまくいかずに、腹を空かせて、たまらず駅前の食堂に飛び込み、時計とコートを差し出して『これで何か食わせてくれ!』と頼んだら『いいんですよぅ・・・困った時は、お互いですから・・』と山盛りのご飯とあったかい豚汁を出してくれたのが、この娘の母親、お雪さんよ・・・何だか俺はそれを食いながら、ボロボロ、ボロボロ涙をこぼしたっけ・・・」

映画の画面に1コマもそのお雪さんは出ない。すべて寅さんの語りである。でも、何もない寅屋の店先でその風景はありありと浮かんでくる・・・これが芸のチカラか・・・

「困った時は、お互いの事ですから・・・」そんな言葉が聞かれなくなって久しい。どこかの総理大臣が「すべて自己責任」と責任転嫁したのはついこないだのことだ。

ブラジルで、日系1世が孫に、美しかった故郷の山や海の話をする。その風景は、今の日本ではない。80年以上前の風景と心だ。今、その美しかった日本はどこに行ったのだろう?

投稿: マミケン | 2012.11.27 12:47

困ったときはお互い様、ほんとにそうですね。
昔のドラマ「3年B組金八先生」の名言「人と言う字は人と人が支えあう」これなんかも同じですね。
いつ頃から日本中は完璧な人間ばかりになってしまったのかと思います。ほんとうは完璧などと思うこと自体が虚構なんだけど、優れている、立派だ、あらゆる人間評価がそういう縦軸のメモリで測られる社会は、息苦しくてたまりませんね。落ちこぼれ万歳!でいいじゃないかと・・・


投稿: ちょっと一休み | 2012.11.27 22:18

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