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2012.11.27

落ち葉と自転車と図書館

11月27日(火) 落ち葉を踏んで図書館に行く

 久しぶりの友人と会うと「退職して一日何してる?」とよく聞かれる。
 悶々とした日々を無為に過ごしてるんじゃないかと心配されてるようで、これは勤め人の方からすればそういうことだ。

 一日何をしてるのか?といえば、普通の人と同じように、朝起きて飯を食べ必要な家事をこなし自転車で散歩もすれば図書館に行ったり、何万回も繰り返す日常がそこにある。
 そういうものの一つ一つにどうしたら充実感を持つことが出来るのか、所詮、人間の生きる行為なんて退屈なものだと言えばそうだし、面白いと言えば面白いものだろう。

 心配事だって後を絶たないけれど、心配してもきりがないし、一喜一憂するよりも、ど~んと構えていたほうが、気分は楽になる。
 気分が楽になる方法を探して行けば、おのずと日々の暮らし方も決まってくるというわけだ。

 久しぶりに図書館に本の返却に行った。勿論自転車であるが、名古屋市内というのはなぜか南北よりも東西の移動の方がスムーズなような気がする。
 信号だって東西のほうが連動してるような気がするし、裏道もこちらのほうがたくさんあるような気がする。
 綿密に調べたわけじゃないが、まあそう思うわけだ。

 名城公園あたりも紅葉がずいぶんすすみ、真っ赤なもみじがひときわ目につく。
 歩道の脇には落ち葉が積もり、これを踏みつけて進めばシャキシャキと晩秋の音がする。
 風もあり寒い日だったが、寒さを感じられるのは健康的なことで、やはり自転車はどの季節もいいものだと思う。

 このところ読んでいた伊藤礼という人のエッセイを三冊ほど借りた。
 前回は「こぐこぐ自転車 」(2005年)「自転車ぎこぎこ」( 2009年)「 大東京ぐるぐる自転車」(2011年)と自転車エッセイを読んで、この面白みは何だろうと考えた。

 著者は70歳を超えて80歳に手が届くほどの高齢者なわけだが、自転車に乗って東京中をぐるぐる廻る、列車に持ち込んで遠くの町まで行く、それを「探検」と言ったり「出陣」といったり、年齢を超えた自転車の愉しみ方だ。
 年齢を超えたといっても、やはり老人なわけで、それを承知のうえで、ハーハー言いながら坂を上る、道に迷う、自動車の多さに嘆く・・・そうして自転車から見る街の建物や橋や道路に思いを寄せる。
 同年齢の友と待ち合わせて、老人サイクリストたちで輪行する、それらのサイクリング道中のおもしろさはこれも格別である。

 僕はこういう自転車乗りに憧れていたのかも知れないと思う、それはきっと颯爽とスポーツ自転車スタイルでぶっ飛ばすサイクリストよりも、今ある自分の暮らしの中で自転車を愉しむことのほうが自分には似合ってると思ってたからかも知れない。

 自転車の本や雑誌はたくさん出版されているが、この伊藤礼という大学教授を退き、近寄りがたい文化人の顔とはまた別の一人の「おとしよりサイクリスト」のエッセイほど、生きてる実感というか自転車のある人生を愉しむことを教えてくれる本は滅多にないと思うのだ。

 こういう本に出会った時は、次の著書を探すのがいつものことで、図書館の著者検索機で探して、書棚にないので係の人に書庫の中から出してもらい借りたのがこれ。

 「伊藤整氏の奮闘の生涯」「狸ビール」「まちがいつづき」で、これらは自転車エッセイではないが、こういうエッセイの中からこの著者の人生を覗いてみたくなるという心境なのだ。
 自転車は自転車にとどまらず、いろんなことまで興味をひろげてみるのが楽しい。

 図書館を出て名城公園のサイクリングコースを一周した。
 もう晩秋の景色と風の冷たさだった。一昨年の誕生日に妻からもらったマフラーをして正解だった。
 子犬を散歩させてる女性やビニール袋を小径自転車にくくりつけた人に出会う。人生はいろいろある。

 「動物を遺棄すること虐待することは法律違反です」と書かれた張り紙のそばで、二匹の野良ネコが陽だまりの中で寝転がっていた。
 猫も張り紙を読んで安心しきっているのだろう。
 
 

 

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コメント

NHK/BSプレミアム火野正平の「こころ旅」面白い。現在63歳の高所恐怖症人間である。「人生下り坂最高~~」と言いながら自転車で坂を下る。

高い所は苦手。視聴者の手紙でゆかりの場所を訪ねるのだが、吊り橋などは敬遠し、バスに乗って渡ったりする。ある時は「じゃ、行ける所までね」と言いながら大きな吊り橋に向かったが、途中、同行自転車スタッフ4名に土下座して、許しを乞う。ははは、その人間味がいいなぁ・・・隠れた人気番組である。

自転車は19世紀、西洋の若者の遊びだったと聞いている。かのライト兄弟の生業は自転車屋だった。でもフライヤー1号で使ったチェーンが後の国際飛行機競技会では彼らの飛行機のデメリットになった・・・そんな自転車が200年後の現代でも生きているのが「奇跡」である。

投稿: マミケン | 2012.11.28 10:12

こんばんは。
自動車などがめまぐるしい変遷を遂げてるなかで自転車はほぼその基本構造が変わってないというのはたしかに驚異的な事柄なのでしょう。
何故だろうと考えると、僕が思うには人が普通に暮らす行動範囲や運動スタイルにこれほど合致したマシンはないからだと思うのです。
ということは自動車は普通というよりも特殊な領域のマシンで、エネルギーの面からみても、一時代の産物なんじゃないかと、100年後200年後に「おそろしく無駄なものだった」と言われたりして・・・
こころ旅はほんと好きな番組ですね。上り坂が大変だから地元の人の車に乗せてって~、普通は頑張って自力で上がるところですが、変な意気込みをしないところがいいですね。

投稿: ちょっと一休み | 2012.11.28 23:18

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