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2012.11.09

社会の窓

11月9日(金) 人見知りや引っ込み思案や社交性とか・・・

 僕などはけっこう人見知りするので、何ごとにも積極的に参加行動する人は、もうこういう人は元来の才能じゃないかと尊敬してしまいます。
 人見知りとか引っ込み思案な性格は、親の田舎気質の中で育ったところに拠るのだろうかとも思ったりします。
 田舎の百姓仕事から中小都市に流入して、見事なほど戦後資本主義の流れのなかで生きてきた両親が、そんなに容易く社交家になれるはずもないからです。

 そういう環境で育ち「人様には迷惑をかけてはいけないよ」というのが、唯一の子どもへの教訓めいた言葉だったので、田舎の素朴さと都市で暮らす難しさがまじりあった言葉だった気がします。
 「田舎者」という出自は、安心できるのは「親兄弟」の家族という単位に傾斜しがちになるものです。

 そこらへんが、どうも「人見知りや引っ込み思案」の基盤になっているように思えてなりません。
 しかし、そうしたものが別に悪いものでもないし、成長の過程では否応なしに都市環境に慣れていったような気もします。

 仕事の場では、それなりに社交性も生まれ「協調性」という、少しストレスを併せ持つ方法に馴染んできたけれど、この都市生活者が過ごす、時間の流れの速さや飽食気味になるほどの情報量の多さ、そうしたものを人間関係の基軸にすえた、社会には心のどこかに抵抗感をかくせません。

 田舎者だなぁ~と自分を思います。
 そして、ああ、田舎者の自分が残っていてよかったなぁとも思うのです。

 家の近所の銭湯が廃業となり、鉄とコンクリートの廃棄物が捨てられた跡地に、再分割され密集した建売住宅の工事が始まりました。
 一度はこの銭湯に行ってやろうと思ってたが、思うだけでお終いになりました。

 そうしたら別の広い敷地に立っていた飲食店が、これも閉店してサラ地になって。
 いったい何ができるのだろうか?
 「もったいないものだ」と思うのですが、造って壊す、壊して造る・・・、耐用年数がきて壊すというよりも、売れない儲からないから「不要物」と化すわけです。

 でも不思議でもありません。今じゃ人間だって、まだまだ働ける人をリストラして、パートにして、これも壊していることだから同じことです、その後は、若くて安くてどうにでもなるパートと派遣社員で再構築なわけです。

 散髪に行きました。
 ご主人に「あそこのサラ地には何ができるんでしょう」と聞きましたら「大手のスーパーのような量販店ができるらしい」と言います。

 散髪店のご主人というのは、地域の物知り博士のようなものです。
 何でも知っています、およそ自転車の趣味はないと思うが、自転車の話でもどんどん広がります。
 社交的です。そういう商売なわけですが、それにしてもこの地域のことならば何でも知ってて、知らないことはないという雰囲気です。
 いろんな職種と年代と性別を超越して、仕事の手を休めることなく話すことができる、僕はとても尊敬すらしています。

 かって仕事で一人暮らしのお年寄りと話す機会がおおくありました。
 一人暮らしというのは、どうも寂しく感じる方とほとんど気にならない方と二分されるような気がします。
 仕事という社会の仕組みから遠のき、家族も一人二人と欠けて、生活の空間が小さくなると、やはり話す機会も減ってくるわけです。

 物理的にそれはしかたがないことだが、そういうものをどう捉えて暮らして行くのかは、僕はけっこう大問題だと思っています。
 人と話す機会というのは年齢とともに減って行くのが自然なことです。抗えない社会関係です。

 さてと、一念発起して、少ないながらの人との会話を楽しいものだと思えればそれが自然なわけですが、どうもそうとばかりには行かないのがこの社会のようです。
 ますます引っ込み思案になることや、自分の意思を押し通そうとやっきになったり、そういう流れに竿をさし、余計なトラブルを起こすことも少なくありません。

 僕は一人暮らしと言うのは寂しいのが普通のことだと思っています。
 その寂しさは一人で暮らしているからじゃなくて、話をする機会が減ることに起因してると思っています。
 社会の窓は究極のところ、人と話すことだとさえ思っています。
 それを自分から狭めたり、逆に周りから疎外されたりしてしまう場合もあります。
 社会の窓が小さくなることで、残念なことです。

 散髪屋のご主人と無駄話をしたり、近所の飼い犬の散歩する人と話をしたり、友人や知人や果ては見知らぬ人とのちょっとしたあいさつ程度であっても、僕は立派な社会の窓だと思っています。
 会社という組織の人間関係とは、また違うけれども同質だと思うのです。

 だから、人見知りであろうが引っ込み思案であろうが、その時々に出会い話ができることに、大きな生きがいを見つけれたら、都会の孤独な生き方もちょっとは朗々としたものになるのではないかと・・・

 退職を契機にそういうふうに考えているのであります、ははは。
 
 

 

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

 実家の90歳の父親は、サラリーマン退職後もずっと畑や庭の仕事に追われています。先日は竹藪で作業中に脚立から落ちて顔を縫うケガをしたそうです。田舎の年寄りは引退がない。これで跡継ぎが育っていたらいいけど、息子世代は兼業ができる労働時間ではなかったために、農地はどんどん農協に委託されています。実家付近はまだ町への通勤圏内なので年寄りだけという家は少ないようですが、町への通勤圏内にない地域では本当に高齢者世帯のみの限界集落ばかり。そこでの年寄りの気持ちを思うと話相手がいないという以上にたまらんです。限界集落に住む叔父は一人になったら娘が住む名古屋の有料老人ホームに入ると言ってました。

投稿: 杉山 | 2012.11.10 21:50

杉山さんこんばんは。
過疎地域の高齢化社会の実際が思い浮かびます。
都市に住む高齢者の孤立化とはまた違った問題がたくさんあるのですね。
僕らは田舎暮らしを夢のように語りがちですが、そこに住む暮らしの実態は、日本の農業政策だと思うし、都市と農山村のいびつな現代を反映したものでしょうね。
思うのです、土地に愛着をもち農業に愛着を持ち、そこで暮らしたい、生まれ育った土地への意志に大きな障壁が立ちふさがっているということですね。
僕の両親は農家の次男坊で猫の額ほどの田んぼと畑では子どもは育てられないと、農業を諦め都市の町工場で働く道を歩みました。そこで踏みとどまったとしても、いずれは農業など続けることは出来なかっただろうと・・・
都市における社会からの孤立と同じように僻地の農山村のお年寄りも孤立の運命にある・・・等しく「現代日本の貧困化」の現実だと思っています。
貧困っていうのは金も仕事も生活環境も、み~んな破壊して、一握りの人の都合によって再構築される過程なのでしょう。
そういう高齢者の仲間入りが目の前に迫っていると思うと、今から自衛手段を考えないと、国家も地方も誰も本気では考えてくれないのだと虚しく思うわけです。
こういうところは頑張らねば!!

投稿: ちょっと一休み | 2012.11.11 21:40

両親の実家は茨城県の農家でした。農業で社交性なんかそんなに必要じゃないもんなぁ・・・やたらおしゃべりなお調子者より、寡黙でこつこつと畑を耕す農民の方が国家としてはありがたいわけで、「男は黙って・・」の方が絶賛されたわけです。

それが戦後、日本経済を支えるのは農業ではなく、都会のサラリーマンになりかけた頃から、やたら「明るく」とか「社交性」なんかが絶賛されたわけで、まだ戦後70年弱くらいな「モラル」なわけでしょう。「道徳」なんかころころ変わりますから・・・

投稿: マミケン | 2012.11.13 09:59

そうですね。日本の農民は社交性よりも協調性のほうが尊ばれていたように思います。
村社会、親せき関係・・・僕の親の世代は、そういうものに苦労しながら、それでもそうしたものに助けられていたようにも思います。
中小都市の工場勤めになっても、親せき付き合いは大事にしていましたね。法事や葬式、結婚式など欠かしたことがありませんでした。
そういう村社会の共同体のようなものに、本来あるべき人間関係の何かがあるのだろう、今でも孤立化する都市部でも通用するなにかがあるのでは・・・などと思ったりしています。

投稿: ちょっと一休み | 2012.11.14 16:39

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