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2012.09.22

面影探し

9月22日(土) 同窓会 

 何十年ぶりとなる小学校の同窓会がありました。
 小学生いらいとなると、もはや覚えているのは、あの、あどけない子どもの頃の顔でしかありません。

 それが歳を重ね、オジさんやオバさんとなると、いったいどんなものだろう?
 育った町の風景はずいぶん変わったに違いない、そういう好奇心で、僕は参加しようと思ったのです。
 だから、「同窓会」が小学生の頃の懐かしさや同級生との再会に、特別の思いがあるとも言えません。

 僕は特別仲良しで、遇いたいと思う人がいるわけじゃなくて、それは小学校の教室の想い出よりも、自宅付近で遊んだことのほうが、記憶にたくさん残って、同級生らと何を話したり遊んだのか、そういうものが漠然としているわけです。

 そんな思いを持ちながら、受付で会費を払い名札を受け取ると、「〇〇さんでしょ」と声をかけられるが、僕のほうの記憶はとんと戻ってきません。
 「面影があるから、わかりやすい」と言われるが、自分ではそれほど目立った子ども時代だったとは思えません。

 僕らの時代は一クラスが40人ぐらいでした。
 どのクラスも半分くらいは参加していたでしょうか、何十年も経ってから行われる同窓会としては参加率がいいと思いました。

 それは、この町に住み続けてる同級生が多いこと、卒業後も町で会ったりする機会が多いからでしょう。
 きっと過疎地域だったら、就職にともなって他都市に流出して、同窓会そのものも難しくなるのでしょう。

 テーブルに座って、名札を見て、「ああ、〇〇君だ!」と思い、そこから、ちょっと面影があるなぁ~となります。
 女性はもう名札の名前と、何十年も経った今の顔とが、なかなか一致しません。

 が、それは僕だけかもしれません。
 小学校の教室や校庭の想い出が多い同級生たちは、あの頃の話がポンポンと飛び出すようようです。
 僕にとっては同窓会は昔の面影を探すようなものです。
 
 二時間ほどで同窓会も終わりました。
 会場をでて、ふと、ぶらぶらと近くを散歩してみようかと思い立ち、子どもの頃は賑やかな商店街を歩いてみました。

 日頃、名古屋駅や栄などの人通りの多いところを見慣れていると、ここが子ども心には繁華街だと思ったのが嘘のようにも思われます。
 「もう少し先に、観光客がくるメインのところがある」と同級生が教えてくれました。
 今度は自転車で見に来るとして、今日は子どもの頃に見た町の面影がどうなってるのだろうか・・・

 商店街の狭いアーケードや神社の雰囲気は残っています。
 町そのものの骨格みたいなものは昔どおりですが、町の中心を流れる川は整備され、その川沿いに並んだ商店も、きれいになっています。

 なんとなく、ゴチャゴチャして古い建物が建っていた昭和という時代とは大きく変わっています。
 どこの町でも、きっと昔の面影というものはなくなって、時代とともに、同級生の顔かたちが変わったように、ほんの少しの面影を残しながら、変わって行く、変わり続けていくのでしょう。


 ちょっとだけ瀬戸市の風景
 かっては陶磁器産業が盛んだった町も、今は名古屋の衛星都市、観光の町、ぶらぶら歩いて撮ってみましたが、僕にとってしか意味がないフツーの風景かも知れません。

 【名鉄瀬戸線、尾張瀬戸駅の今】
 近代的になりましたねぇ~、かまぼこ型の屋根は、かっての窯をイメージしていると同級生が教えてくれました。P1060740


 【瀬戸川】
 瀬戸川といえば、昔は白濁色の水が流れ、陶器の町を象徴する川でした。
 今はきれいに整備され、川の水は濁りもなくなりましたね。
P1060745


 【せとものの店】
 瀬戸駅から「せともの店」が軒をつらねたのは昔とかわりないが、店もきれいになりました。
 店先に陶器がつまれて売られている雰囲気は同じですね。
P1060746


 【店先にて】
 無造作に「わけ有り品」と書かれ売られている「せともの」、こういうイメージが僕の頭の中には強く残っています。
P1060757


 【銀座通商店街】
 記憶のなかでは繁華街だった。狭い路地が少し緩やかにカーブして、店の構えは変わっても、ここはやっぱり僕にとっては、銀座のような繁華街だったのです。
P1060750


 【レトロな雰囲気の写真館】
 昔からあった写真館かわからないがいい雰囲気です。
 この通りには子どもの頃、大きな(と思ったものだ)本屋があったはずだが見当たらなかった。
P1060762


 【たしかにこんな雰囲気だった】
 神社前の商店街、その横のちょっと上がった広場に「せともの祭り」になると、昔は「見世物小屋」がでていた。
 「蛇喰い女」とか「人魚」とか、子ども心の好奇心をおおいにくすぐったものです。
P1060761


 【瀬戸電】
 名鉄瀬戸線の電車=「セトデン」と呼んでいた。(今もかなぁ~)
 手動式の扉を開けて乗降していた電車も昔はありましたが、もっと昔は陶器の運搬の鉄道だったのですね。
 学生時代もこの電車で通学していたから、いろいろな想い出が多い鉄道です。
P1060765

 ※瀬戸市の観光にはあまり役に立たない写真でした、どうも、どうも・・・


 

 

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コメント

女優の瀬戸朝香が瀬戸の出身でしたね。「瀬戸まつり」は今でも雨がふるのでしょうか?それは、九州の窯元に「独身です」と偽り、地元の娘と結婚して門外不出の秘法を瀬戸に持ち帰った男に対する、捨てられた女の「恨みの雨」という話である。(雨の話は別としてこの話はけっこう歴史的実話のようだ)

投稿: マミケン | 2012.09.24 13:29

ははは、この男とは磁祖・民吉と言われていますね。
その後の話ですが、磁器の秘法を盗った民吉の後を追い、お千鶴という女が息子を連れて民吉に会いに来たが追い返された・・・という説があります。
また別には冷たくされたお千鶴は瀬戸の地で自殺したとも・・・これには「瀬戸市史」ではゆがめられた物語として否定してるようです。
九州の磁器製法を瀬戸に持ち帰った「英雄」ですから、いろんな人の手で脚色された物語になってることは間違いありません。

投稿: ちょっと一休み | 2012.09.24 22:45

こんばんは。

小学校の同窓会だと
「あの頃、好きだったんです」
って告白はなかったかな?(笑)

磁祖・民吉さんの話
ネットで探して読んできました。
いや~面白かったです。

投稿: tami | 2012.09.24 23:18

ははは、ないない。
小学校の頃はスポーツ系にあらず、さりとて勉学にも秀でておらず・・・
でも「いい男になったわねぇ~」って言われました。
御年80歳を超えた恩師の先生(女教師)から、まあ、そう言って覚えていてくれただけでも、嬉しかったですね。

投稿: ちょっと一休み | 2012.09.25 00:24

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