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2012.09.30

ないしょ話

9月30日(日) 「ネット疲れ」現象があるらしい・・・

 本来ならば今日は「中秋の名月」なのに、台風17号のおかげでそれどころではありません。
 とはいえ、台風一過の明日は十六夜の丸いお月さんが眺めれれるだろうか?

 さて、もっか家族にも友人にも誰にも話さずに、日々コツコツと計画準備をすすめています。
 こういう話は、ないしょ話ですが、子どもの頃のないしょ話ならば、裏山に秘密基地を作って、誰にもないしょのお気に入りの宝物を持ち込んだり、ちょっと小さな冒険旅行、ほんの日頃とは少し離れた場所に、ないしょで行ってみたりというものです。

 大人になっての「ないしょ話」となると、ちょっと怪しいものです。
 密かにどこかに「いい人」を作ったり、熟年なんとかの準備を怪しまれずしたり、まあロクなことはなさそうです。

 「ここだけの話だけれど・・・」と、ここだけには止まったためしのない他人の噂話や批判ばなし。
 どうも、大人の「ないしょ話」というものは、裏と表を使い分ける技術のようなものです。
 言いたいけど言えない世間の世知辛さ、上司の悪口のひとつふたつを言ってみたり、同僚の要領のよさという自己中心を嘆いたり、嫁や姑や夫や妻や子どもへの愚痴を、どこかに吐き出したいと・・・

 なかなか世の中というのは難しいものでございます。

 先日、ネット検索をしていて「facebook疲れ」という言葉がでてきました。
 僕はfacebookをやっていないから、どういうものかトンと縁がありませんが、本名を明かすSNSであるというぐらいなものです。

 このfacebookのどこに「疲れ」を感じるのかというと、実在する本名を名のることによって、ネット上での会話や文章やそうしたものに、どうも本音とは違う自分を作らなければならないことへの疲れのようです。

 これはfacebookが比較的早くに確立されたアメリカなどの国々の利用者に見られる現象で、むしろ、facebook熱が広がりはじめたインドなどの国では、コミュニケーション手段への期待のほうが大きいようです。

 とまあそういう記事でしたが、どうなんでしょう、リアルコミュニケーションへの回帰がネット社会でも見直されてゆくのでしょうか。

 ブログ、mixi、ツイッター、facebook・・・さまざまなコミュニケーションの手段が変遷してきました。
 僕が書いてるブログだって、この「facebook疲れ」と同じ現象があるんじゃないかと思っています。

 自分を表現するのがネットコミュニケーションです。
 その自分の偽らざる本音というか、そういうものが他人の目にどう映るのか?ということを考えながら書くというのは、きっと言いたいことが言えない別の自分を書き出し続けることになって行く。
 そういうストレスなんでしょうね。

 つまり「ないしょ話」が出来ない世界でもあるわけですが、リアルコミュニケーションの世界では、そういうことも含めて、生身としての社会関係がつくられるわけです。
 「本音」を語ることが出来ないSNS、なおかつ本名も住まいもオープンにするとなれば・・・

 素性を明かさないブログとて、同じでしょう。
 ほとんど「さしさわりのない記事」を書き続けていても「何かが違う、求めていたコミュニケーションとはどこかが違う」と気が付きはじめると、書くことへの意欲も減退して、疲れが蓄積されて行く・・・

 もともとリアルコミュニケーションとは違うものだと、facebookなどは転職や自分の技術技能をオープンにして行くものとして利用されてきた(と、僕は思っているのですが)

 ブログで言えば、自分を表現するというか、目に見えない世間にさらすのが、まあ、その手段なのでしょう。
 書きながらまとめたり、整理したり、遊んだり、ときどき意見をもらったり、出したり・・・
 という制約下でのコミュニケーションでしかないわけで、だからこそできる「本音」もあるわけですが、どうもその「本音」ってものが「ないしょ話」のように思われているようにも思う。

 ネットコミュニケーションは、ある意味「社会の窓口」だと思っています。
 僕のような退職してリアルコミュニケーションの世界が狭まった者にとっては、やっぱり貴重なものです。
 社会にさらされる・・・という意味での社会の窓口になっています。
 それはそれでいいと思っています。

 むしろ、そうしたことよりも、自分に向かって書いているというのが正解かもしれません。
 その結果「ふむ、なっとくできる文章だった」となれば、それが自分の暮らしのバロメーターにもなっています。
 できるかぎり本音話が書ければと思っているが、それは「ないしょ話」を書こうとというのではなくて、文章力としてなかなか書ききれません。

 「ないしょ話」はリアルコミュニケーションやメールを使うでしょう。
 ブログにはブログの意味がきっとあるはずで、そこは真摯に考え続けなきゃいけないでしょうね。

 さて、あとひと月の準備期間を経て、僕の楽しい企て(悪だくみ)が始まる予定です。
 そういうものをブログに書いたりするのも、また遊びです。
 「大人の遊び」は子どもに負けないくらいに、ひたむきな心が必要だと思うし、そういう気持ちで生きれば、人生は楽しい、ブログも楽しい、嫌な世の中、腹立たしきこと多くても・・・
 
 

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コメント

真夏に父の入っている老人ホームのそばを歩いていて思った。その近所は小さめの個人住宅が多いのだが、みんなクーラー運転で閉め切っているのだ。道を歩いていてもクーラーの運転音だけが響いている。

隣近所のおかずの匂いまで分かった昭和30年代経験者としては悲しいなぁ・・・「プライバシーを守る」イコール「友達がいない」ではないか?バーチャル友達ではなくリアル友達はどこにいるのか?生きにくい世の中になったなぁ・・・

長く営業していた銭湯が廃業となり、跡地を数分割して建売住宅が作られています。
小さい敷地に押し込むように家が建ちます、都市部に人が集中しても、地域の交流は新興地域ほどありませんね。
人の暮らしがコマ切れになって、僕らが経験した「働き蜂」の時代よりも、さらに会社の従僕になっています。
それでもワーキングプアの社会、会社では本音で語る人間関係も築きにくい、自分を慰め人を求めるのはネットの世界・・・
ちょっと淋しいですね。
退職後に行ってる今の職場で「おお、サイクリングで紅葉狩りに行こう~♪」反応は薄いけれど、僕は諦めません。
リアルネットワークは楽しいものです。

家族にも内緒の『楽しいたくらみ』とは一体なんでしょう。ブログに明かされる日を楽しみにしています。

『ネット疲れ』、わかる気がします。自分の本音とかけ離れているような気がしたら書くことを休んでみる。それもアリですね。
中国やイスラム圏の表現の不自由な国では、制限された表現に政治批判や本音を込める映画を作るのでより高い芸術性が生まれると聞きます。
ブログは映画ではありませんが、制限された表現と言うのでは共通かなと思います。

「ないしょでコツコツ」って書いた瞬間、もうナイショ話でなくなっちゃいました。ふむ、コツコツというよりコソコソかも知れませんが。(笑)
ブログはいつも自分にとっては何か?って考えています、結論はいつも変わり、そのつど「まっ、いいか。」となります。
金子みすずの「みんな違ってみんないい」、親鸞の「悪人正機」みたいなものです。
みんなみんな生き方暮らし方は違うけれど、その中の真実みたいなものを、知りたいなぁ~と思って、ブログは読んだり書いたりしています。
とまあ、こういうのって語る人(笑)、僕は語る人のほうが好きなのですが、中身にもよるんでしょうね。
自転車話を熱く語っても、政治話を理屈っぽく語っても、どうも家族にはスルーされてしまいます・・・ははは。

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