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2012.06.07

梅雨に向かって

6月7日(木) 朝顔と歴史小説と自転車と・・・

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 「花に水をやってね」と言い残して妻が出勤していった。
 そう言われれば、素直に従って、花壇の脇の散水栓からホースを延ばす。
 どれくらいやればいいのか?と思いつつ、たっぷりやれば花も嬉しかろうと。
 朝顔のラッパのような花が咲いている。

 午前中には萎んでしまう朝顔、少し前はまだツルに葉がついてただけだった。
 花の命もよくよく見れば不思議なものだと感心するが、朝顔に限らず、水分を摂った花たちが、なんだか活き活きとして見える。
 小さな花壇でも、花の鑑賞はやっぱり朝だと思うので、この水撒きを日課にしてもいいと思う。

 司馬遼太郎の「世に棲む日日」(全四巻)を読みはじめた。Img033
 明治維新の、あの吉田松陰の物語で、ちょうど二巻目に突入した。
 僕は英雄史観というものは好きでない、坂本龍馬でも吉田松陰でも人物への興味はあるが、さりとて尊敬とか絶賛とか、そういう思いはない。
 むしろ、名もなき群像の逸話の方が、もっと興味をそそるというわけだ。
 ではなぜ?
 「空海の風景」を読んで、司馬遼太郎という作家の歴史の視点に面白みを感じた。
 ということ。
 だから「世に棲む日日」という背表紙のタイトルに何故?と思い、ああ、吉田松陰かということだった。

 明治維新というのはたしかに興味深いものがある。
 尊王か佐幕か、鎖国か開国か、薩摩や長州の藩士らは・・・
 歴史好きにとっては「たまりません!」でしょうが、そういう歴史風景の中のたとえば

 「ちなみに人間は近代に入ると、泣かなくなった。中世では人はよく泣いた。中世よりもはるかにくだって松陰の時代ですら、人間の感情は現代よりもはるかにゆたかで、激すれば死をも恐れぬかわり、他人の悲話をきいたり国家の窮迫を憂えたりするときは感情を抑止することができない。」

 松陰らが別れの酒座で泣きあったことへの司馬遼太郎の説明である。
 そういう文章を読んで、見たこともない時代の藩士らを想像するのがおもしろい。
 こういうところは、NHKの歴史ドラマではわからない小説ならではのものだろう。

 「松蔭はすでに生を捨ててしまって、禅でいう闊然たる世界に突きぬけてしまってる」と司馬遼太郎は書いている。
 ああ、ここが「世に棲む日日」のタイトルの意味だろうなと思うとおもしろい。

 僕はこの四巻を読み終えたら、五木寛之の「親鸞」を読む予定にしてる・・・と、自分には珍しく読書予定をたてている。

 そろそろ梅雨に入りそうな気配だ。
 友人らと京都の嵐山方面にサイクリング行く予定である。
 と言っても、名古屋から自転車で行くはずもなく、車に自転車を積み込んで、京都の街を走ろうというものである。
 雨が降るかもしれない。ポツポツぐらいならば古都の雨情サイクリングになるだろうか。

 梅雨に向かって、なにやら、いろいろ慌ただしい日々である。
 
 

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