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2011.12.29

餅つき風景

12月29日(木) 昭和の時代の話 

 『今では正月の餅も家庭でつくのはほとんどみられなくなったけれど。
 あたしらが子どもの頃は家に石臼があってなぁ、臼がある家ばかりじゃなかったから、隣近所が毎年の暮になると貸して欲しいっていうので貸してあげたものだった。
 といっても、29日は9の数字がつくので、みんなその日を避けて借りたがる。
 おじいさんという人が、これまた几帳面な人で、切り餅を物差しで測って切るような人だった。
 そのおじいさんが、「なに29日でもいいじゃないか、「9、苦をついてしまうから縁起もいい」って言ってたものだ。
 それでも、〇〇さんところはいつも若い衆がついていた、それが下手でなぁ石臼はいいんだけど、杵の振り方が悪くて、あちこち臼の角に当てるもんだから、返ってくると杵がボロボロだと、おじいさんはいつも嘆いていた。
 餅つきの日に、鏡餅と切り餅をついて、最後にアンコと黄粉の餅を作るのだけど、それをねぇ、作りながら、こそっと食べるのが美味しかったわ。』


 農協に正月飾りなどを買いに行く車中で、義母からそんな餅つき話をしてくれた。
 餅つきの風景も今では商店街などのイベントでしか見られなくなった。
 鏡餅などもプラスチックの容器に包装されて売られている。
 いや、臼や杵などがある家が貴重なほどだろう。
 便利になって餅も一年中売られている時代、餅つき=正月の風景とは言い切れなくなり、そういう風景を懐かしいと思う人々も皆無になる時代ももうすぐなのだろうか。

 しかし僕の子どもの頃も、年の瀬の30日には餅つきをやっていた。
 奥の台所の窯でもち米を蒸し、木臼だったけれど、表で父親が餅をついていた。
 父がつき、母が餅をかえす。
 それでも、何かの拍子にうち損ねると、木臼だからたまらない。
 杵の木屑が混じったりして・・・
 ぼんやりとした暖色の裸電球が、いっそう餅つきの風情をかもしだしていた。
 昭和30年代のおぼろげながらの記憶である。
 
 
 
 
 
 

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コメント

私も、子どもの頃は家族総出で餅つきしてました。つきたての餅は美味しい。食べた-い。今年は、米屋さんでちゃんとした鏡餅を買いました。今日、生協から届いたのし餅を夫に初めて切って貰いました。生まれて初めての経験だそうで、定規をあてて切ってました。

投稿: 杉山 | 2011.12.30 22:46

我が家もお米屋さんののし餅を毎年切り餅にしますが、適当なので、不揃いになってしまいます。
つきたての餅の美味しさは格別でした。ついた餅の柔らかさ、指で押した感触のたまらなさ、よく叱られたものです。
僕は日本の叙情のような気がします、家族団らんの原風景の一つですね。臼と杵があったら今でも餅つきをやりたいなぁ。
時間に追われる暮らしが家族の風習をどんどん無くして行く、寂しいものだと思っています。

投稿: ちょっと一休み | 2011.12.30 23:49

ボクの少年時代、ご近所餅つきの思い出はない。母は毎年お米屋さんから新聞紙くらい大きな平たい餅を買っていた。

大人になって仕事で壇太郎さんと知り合いになり、正月7日だったか自宅の庭で餅つきをする。妹の壇ふみさんがいる。相撲取りの親方になった高見山(富士通ワープロの仕事をご一緒したことがある)、その弟子の平幕時代の小錦、駆けだし時代の曙もここでお餅をついて「お年賀」を貰っていた。

僕も少し餅をつかせてもらったが、けっこう疲れる。お相撲さんは軽くペッタンペッタンついていたけどね。

投稿: マミケン | 2012.01.05 10:12

壇ふみさん、高見山親方、小錦関、曙関、凄い顔ぶれですね。お相撲さんの餅つきなんて、これほどピッタリな組み合わせはないかも知れませんね。

投稿: ちょっと一休み | 2012.01.05 21:03

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