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2011年10月

2011.10.31

映画「クイール」

10月31日(月) 犬と家族のはなし

 「山田洋次監督が選ぶ・・・」10月最後の日曜日の映画は「クイール」(2004年・崔洋一監督)だった。
 奇しくも同じ時刻に日曜劇場では木村拓哉主演の「南極大陸」が放送され、犬橇のシーンもあった。

 
 毎週、映画の感想を書いてる。
 映画だけでなく、いろいろ書いてると人から「よく書くねぇ~」と、称賛よりも苦笑に近い言葉もかけられる。
 こんなときは面倒なので「自己満足ですから」と答えている。

 まあ、自己満足できるほどの文章でも内容でもないし、満足できるかどうかなんてどうでもよいことだとも思っている。
 普通の人が仕事をしたり話したりしているのと同じように、退職後の普通の暮らしの中で、映画を観て感想を書いたり日記を書いているだけだ。

 書くのは人と話をすることと同じだと思ってる。そうやって意識して頭の訓練。
 少なくなった社会との接点を補うために、ちょっと書く作業がひと手間多いだけなのだ。
 

 さて、映画「クイール」のお話。
 おなかに羽の模様のある一匹の子犬が盲導犬として訓練され、視覚障がい者の家族のもとで暮らし、年老いて死ぬまでの一生が、この映画の物語である。
 盲導犬に対する家族の愛おしさ、盲導犬センターの訓練士の犬への愛情も、この映画の見どころだろう。

 たしかに、現代はペットが家族と深く関わって生きている時代だと思う。
 「アニマルレス症候群」という症状もある。
 家族のように暮らしていた愛犬や愛猫の死が、飼い主の心に深い悲しみをもたらし、耐えきれない心情に陥ることだという。
 

 ペットが家族の一員となり人間と同じように暮らし、それほどまで深い存在となっている。
 もちろん、我が家も愛犬ポン太という柴犬が家族のように暮らしている。
 付け加えるならば、別居する義母宅へ毎朝出勤して、「何もしない」けれどもアニマルセラピー犬としての仕事をやっている。

 山田洋次監督は映画の冒頭のコメントで「現代の家族にとってペットがもはや人間と深い繋がりになっている」ことに「それは家族というものの哀しさでもある」という意味を述べていた。

 家族のなかで、ペットが大きな存在をもつとしたら、それは現代の家族が欠けているもの、喪失ししてしまったもの、それらを補うものなのだろうか?
 だとすれば、盲導犬や介護犬、老人施設のセラピー犬などのほうが、本来の人間と犬の自然な関係に近いものなのかも知れない。
 番犬。それが僕らの子どもの頃の犬の役割だった。

 なんだか逆説的な厳しい現代の家族にたいする視点だと思った。
 ともあれ、盲導犬と視覚障がい者の暮らしを理解できる映画であり、盲導犬の一生がちょっとだけわかる映画でもあった。

 「可愛い可愛い」と家族の一員として暮らしている犬や猫。
 そんな存在から、今の自分たちの暮らしを見つめなおす映画でもあった。
 
 

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2011.10.30

しとしとまどろむ日曜日

10月30日(日) 雨の休日の過ごしかた・・・

 日曜日の午後。雲行きの怪しい空から小雨が落ちてきた。
 屋根瓦のしずくが、ウインドウのひさしに落ちて、風情のある雨音になる。
 窓の景色は灰色がかり、日曜日というのに「陰鬱」「憂鬱」現代風に言えば「暗い」。

 妻も子も出かけて誰もいない。
 こんな日は、布団にもぐりこみ、ベッドのスタンドの明かりをつけて、読みかけの本のページをめくる。
 ポツン、ポツンともの哀しげな雨音のシンフォーニーだ。

 「ちくま文学の森」6冊目を読んでいる「悪いやつの物語」。
 ダンセイニという作家の「二瓶のソース」という短編。
 食人肉鬼の犯人を解くミステリー仕立てのはなしだが、物語のシリアスさとは裏腹に、ぼんやりと瞼が重くなる。
 まどろみの午後の読書ってわけだ。
 まことに、怠惰でぐずぐずした日曜日を過ごしているように思うだろうが・・・・

 そうでもない。
 友人のK君から庄内緑地公園の自転車走りのお誘いメールがあったのは昨日。

 午前中は曇り空とはいえ、まだ雨粒も落ちてきていなかった。
 庄内川の鉄橋の脇で待ち合わせて走った。
 僕はしっかり上着を着込んでいたが、K君など軽装だ。
 自宅から待ち合わせ場所まで走る距離がちがう。K君は一汗かいている。

 走りながら、最近の自転車事情について話す、サイクリングについて話す。
 およそ、半分は自転車を走らせ、半分は世間のことや仕事のことや、あれこれの話。
 酒でも飲みながらの世間話が普通だとしたら、自転車散歩で井戸端会議みたいなものか。

 いや、けっこう真面目な話もする。
 ベンチに腰かけて、小一時間も話していると、あっという間に過ぎてしまう。
 人生論や社会論や福祉事情なども話題になる。

 「話し上手」とか「聞き上手」という言葉がある。あれはたんなる技術論でしかない。
 技術では言い表せない会話の妙みたいなものだ。
 ごちゃごちゃと複雑に絡み合った現実をそのまま話し、そのまま返し・・本音で共感する。
 言葉で言い尽くせない「色合い」みたいなものの共感だろう。

 いつも、不思議な会話だなぁと思っているが、どことなく通じるものがお互い多い。
 僕は、そういうK君の誘いの自転車は、いくら空が曇っていても、晴れ晴れするのだ。
 感謝してるのだ。
 そんな午前中をすごした昼下がり、しとしと(雨のことだ)まどろむ日曜日だった。 
 

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2011.10.29

秋の名古屋、ちょっとだけ自転車散歩

10月28日(金) 大須観音・テレビ塔・名古屋城ってミニ観光マップみたいだなぁ

 たしか18日と28日は「大須の骨董市」がたつ日だったと思い出した。
 「骨董品には手を出すな~!」と、妻からくれぐれも厳重注意をもらって出かけた。

 いやぁ~、骨董品ってのは実に面白い、面白いものがたくさんある。
 ゴミのような代物からウン十万円か?って物までいろいろある。
 つまり「掘り出し物はないか」と、これは遊び心がなければ楽しめない。

 そもそも骨董品は生活品というよりも、趣味の世界、遊びの世界なのだ。
 そこがわからなくちゃぁ~、ただのガラクタ市になっちまうもの。

 ・・・てなわけで、大須観音界隈から久屋公園のテレビ塔、それから名古屋城へ。
 プチ名古屋自転車散歩。
 有閑倶楽部的一日なり。 (つまり長いから暇人だけ読むべし)


 大須観音の西側に自転車を停めて、さっそく目に飛び込んだのがコレ。
 どこから出て来たのかって思う数々の靴、山積みのカバン、古時計。
 ほほぉ~、骨董品って年代が古いだけじゃなくて、つまり使って古くなったのも骨董品か?
     三省堂国語辞典 【骨董 : 美術的価値のある小道具】
 そういう余計な事はどうでもいい、骨董市の雰囲気があればいい。
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 古着も売ってる、着物生地はけっこう年配の方に人気がある。
 別のところでは「一袋500円、詰め放題だよ~」って、まさに「ええい、もってけドロボー」の気前良さ。
 そういう雰囲気なんだなぁ~、ついつい足をとめ買ってしまうだろうなぁ~。
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 まだまだある。額に入った絵とか、何が入ってるかわからない鞄とか。
 値札がついていない。
 「これいくら?」「2000円!」、値段は即答、ものの1秒もかからない。
 売るほうも買う方も「目利き」が勝負。
 安すぎても高すぎてもダメなのが骨董品の価値。
 もうこういう骨董品ワールドはたまらなく面白い。
012


 つげ義春の漫画に「無能の人」ってのがある。
 主人公はマンガを描くのをやめて、石売りを始める。
 「いつも散歩に行く河原の膨大な石くれを金にすることができたら」とつぶやく。
 なかなかうだつの上がらない破滅的人生模様が描かれていた。

 骨董品の仕入れ値仕入れ先は?ある意味ギャンブル的面白さ。
 少年の頃の「おもちゃ集め」の楽しさが客にはあるが、はて商売となると?
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 「傳説と奇談」、ほぉほぉ~何だか興味をそそられる本。
 テレビもなかった小学生の頃ならば、ちょっと中身をめくってみたくなるだろう。
 1959年、日本文化社発行。やっぱり、そういう時代の古本なんだ。
 もう一冊「尋常小学校教本(?)」、これはあまり読みたくならない。
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 骨董品市場、「近頃、いい品が入りにくくなった」という業者の話が耳に入った。
 古いということだけでも値段がつく、古美術的価値もさることながら、その古いものが無くなってきた。
 ・・・・ということは、子どもの頃のおもちゃや文房具、生活品、捨てずに全部持っていたら、小金持ちになっていたに違いない。
 「夏の嵐」の映画パンフレット。侯爵夫人とイタリア軍将校の破滅的な恋の話。1954年作。
 横の「キンダーブック」は昭和2年に創刊された日本初の保育絵本、これはいつ頃のも?
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 どこかの蔵に眠ってた品物か。
 少し傷があったり埃にまみれていたり・・・そこも価格を決めるので魅力の一つ。
 僕は2つほど買いたいものがあったが値段が合わない。
 「う~ん」と唸ったら500円引き、「どうしようかな~」と呟いたら、また下がった。
 「掘り出し物」と「贋物」、天秤の両端で悩むようなものだ。
 結局は「目利き」の自信もなくあきらめたが、まったく遊びの世界そのものだ。
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 大須商店街に入る。
 万松寺通り。アーケードの天井から「骨董市の垂れ幕」も降りてる。
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 「ドラゴンズありがとう」の垂れ幕も・・・
 昔は東京の秋葉原の電気街に似た「パソコンショップ」ばかりが目立つていた。
 今はすっかり様変わりして、いろんな店も増えてどんな格好でも似あう商店街だ。
 つまり多様なものを受け入れるのが上手いということか。
 人は考えも違えば、嗜好もちがう。
 違って当たり前、日本人は多様性を受け入れるのが下手な国民性なのだが・・・
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 テレビ塔だ。
 名古屋人にはさして珍しくもない、東京タワーに比べたらなんと「無骨」か。
 中途半端で、銀色の単色で、鉄の塔そのものだ。
 けれど、そこが名古屋のテレビ塔らしい田舎臭さ。
 よく見れば純情、素朴な鉄骨美でもある。
 セントラルパークはちょっと色づいた秋の景色になっていた。
038


 波打つ歩道
 ここを通るといつも頭がユラユラする。
 波打っているように見えるタイル舗装なのだ。
 昼食前で、腹ペコだからか。 トリックアートってことで。
048


 官庁街の一枚。手前名古屋市役所で奥が愛知県庁。
 レトロな外観、洋風の建物に屋根をのせる建築を「帝冠様式」というそうだ。
 秋の空が広い。
 さしずめ江戸時代なら、城勤めの旗本武士の昼下がりというころか。
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 名古屋城を北東から眺める「それなりの秋」って一枚。
 城には抜け道(穴)がつきものだが不落城と言われた名古屋城にはない。
 しかし、実はここらあたりに隠された万が一の逃げ道があったという。
 その先には土居下同心屋敷があり、口伝えで子から孫へ伝授されたと・・・だから文献には記が残されていないそうだ。
 まあ、忍者同心屋敷みたいなものか。
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 支柱の影も延びてきた午後。名古屋城の堀の脇の藤棚で休憩。
 いよいよ陽の落ちるのも早くなったような気がする。
 昔「タイムトンネル」というテレビ番組があった。
 ちょっと違うがここに入って行くと江戸時代にワープするとか・・・
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 一筋の波をたてながら・・・未確認生物の遊泳!ははは。
 これも名古屋城。生息する水鳥が一直線の波を描いて泳いでいる。
 暇人は、およそ非現実的な想像をして面白がるものだ。
 古今東西いつの世でも。 
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 天守閣のような雰囲気の「戌亥隅櫓(西北隅櫓)」である。
 それもそのはず、弘前城や亀山城の天守閣よりもこちらの方が大きいという。
 この築材は信長の居城「清州城」の古材を使ったらしい、家康の「清州越し」を物語る建造物なのだ。
 たかが「櫓」でも、コンクリートの名古屋城天守閣より立派に見えてくる。
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 自転車で20キロほどの散歩だった。
 天守の金鯱が陽を受けて輝いてたが、僕はその足元の堀の石垣の方が好きだ。
 豊臣家臣だった加藤清正、福島正則らに普請させ、凋落の権謀術数を図ったのが家康。
 石垣の石は遠く九州から運んだり、そのため藩財政を傾けさせた。
 名古屋城にまつわる秘話は多い。
 やはり名城なので、歴史好きには見どころも多いだろうなぁ。
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 というわけで、暇人にお付き合い、ありがとさんでした。
 

 


 
 
 

 
 

 
  

 

 
 

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2011.10.28

つぶやき

10月28日(金) 夜中のつぶやき

 昨夜は寒かったので、上着のフードをすっぽりかぶって愛犬ポン太と散歩にでた。
 まるで「ねずみ男」のようないでたちで。
 正確に言うと、老犬の域に入って嫌がるポン太を追い立てて、「膀胱炎になるぞ!」と脅して出かけた愛犬散歩だった。

 
 ところが昨夜は不思議なことに、会う人ごと「ぶつぶつ」と何かつぶやいていた。
 最初は、紙袋を3つも4つも抱えたおばあさん、ぶつ、ぶつ、ぶつ・・・・
 でもって追い越して行ったと思いきや、なぜかクルリと振り返って「自転車と自動車が来たんだけどいいんだろうかねぇ」と、今度はつぶやきじゃなくて話しかけてくる。

 まったくもって意味不明だが、せっかく声を掛けてもらったので、僕も「いいんですよ、大丈夫だと思いますよ」と、ただ意味もわからないまま、相槌のような一言を返したら、トコトコト暗い路地の中に消えていった。
 
 また、しばらく行くと今度は小さな犬を連れたおじいさん。
 こちらの方は、本物のつぶやき。
 小さな声で、ぶつぶつぶつ・・・・ほとんど独り言で意味も不明。
 同じ道をすれ違って、そのままぶつぶつ言いながら、ず~っと歩いて行った。

 Twitter(ツイッター)ってのは、やってないから知らないが、日本では「つぶやき」と意訳されている。
 けれども、あれは反応を期待する「つぶやき」であって、ミニコメントのようなものだろう。
 ほんものの「つぶやき」は、今夜の二人のおばさん、おじさん。
 自問自答なのか、たんなる独語なのか・・・ははは、僕のブログもつぶやき日記に近い。

 なんだか、寒さが身に沁みる夜の愛犬散歩だった。
 

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2011.10.27

人生は一期一会 ②

10月26日 仏の顔


 職場から少し離れた木造アパートの二階がSさんの住まいだった。
 南側に窓が一つあるだけの四畳半、小さなキッチンにガスコンロが一つ。
 二階の角部屋とはいえ、窓に隣接して民家があり午前中は僅かに陽が差し込むだけで、午後にならないと、窓に干した洗濯もしっかり乾かない。
 快適な環境のアパート暮らしとはいえないが、「もう十分なところですよ」と笑顔で言う。

 Sさんは70歳を超えていた。白髪で苦労した暮らしからか、ほとんどの歯を失わせていた。
 午前中に訪問すると「今食事を食べたところなんですよ、近所のスーパーで惣菜が安く売ってたのでね」と。
 「入れ歯を作ったらどうです」
 「いやなに、柔らかく煮れば歯茎でもたべられますから、ははは」
 親子ほど離れた僕にも、丁寧な言葉で話しかけてくれる。
 たった四畳半の暮らしにも不満や不平など一言もでない。むしろ、「皆さんにお世話になってばかりでありがたいものです」と笑顔も絶えない。

 ごく普通のどこにでもいるお年寄りにすぎない。
 Sさんは長野県の出身。若いころから仕事は真面目にやっていたが、倒産やアルバイトや、勤め先を変えることが多かったという。

 それでも、歳をとってくると雇用先も限られて、最後には住み込みの日雇い仕事だった。その日雇いもままならなくなって最後は名古屋に来た。
 「名古屋の地下鉄に乗ったら、行き先が名古屋港だった。その頃は行く末もどうなるか、このまま港の海の中でもいいか!って思いましたね。ちょうどそのとき、あなたの先輩のIさんが、いろいろ親身にお世話してくれた、もうほんとうに感謝しているんです」

 Sさんは年金など月に10万円ほどで暮らしていた。アパートの家賃や光熱費を払うと残るのは食費ぐらい。もちろん貯蓄などには廻らない。
 「慎ましい暮らし」といえば聞こえがよいが、やはりその日その日暮らしには違いない。

 午後に訪問するときは、ほとんどいつも家にいた。
 「今は毎週図書館に行っるんですよ、これこれ山本周五郎読んでるのですよ、面白いですね」
 ほとんど家具らしいものは見当たらない部屋で、小さな整理箱と小さな飯台、テレビもなくラジオぐらいなものだった。ただ畳の上には借りてきた数冊の本がいつも積まれていた。

 あるとき「少しお金が溜まったらどこか旅行でも行きたいでしょう?」と尋ねた。
 「今月は1500円ほど残ったんですよ、実は長野の善光寺のそばに親の墓があって、あと何年かかるかわからないけれど、お金が溜まったら、最後の墓参りに行きたいと思ってるのですよ、いつになるかわからないんですけどね」

 70歳を過ぎて身寄りも親戚もいない暮らし、金銭の余裕すらほとんどない。
 わずかに残った毎月のお金を細々と貯めて、いつになるかわからない墓参りが希望だという。
 そういう暮らしだけれど、誰かを恨むとか、不平や不満を聞いたことは一度もなかった。
 かといって淋しいとも言わなかった。近隣やアパートの住人とも普通に会話をしている様子だった。
 そんなSさんの姿は、僕は淡々と生きるという姿、自然に生きるという姿に思えてならなかった。

 歳を重ねると人は丸くなるというが、社会の片隅の小さな木造アパートの一室で、ひとり暮らす不安や淋しさや、そういうものを受け入れて、穏やかに過ごせるものだろうかと思う。
 子どもも独立し、妻も先立って、僕もひとりで暮らすとしたら、こんなSさんのような穏やかな暮らし方が出来るのだろうかと考えてしまう。
 僕はこのSさんの暮らしが、けっして惨めとは思われなかった。

 
 地位も財産も親族や身寄りもいない一人暮らしのごくごく普通のお年寄り。
 その普通の暮らしの中に潜む「凄み!」だと思う。
 あがいたり、もがいたりすることもなく、人はなんて穏やかな暮らしができるのだろうと、何か希望のようなものを感じたのだった。

 それから何年かたった昨年のこと、ふとしたことからSさんが亡くなったことを知った。
 善光寺の墓参りは済んだのだろうか。
 きっと仏のような顔で、穏やかな旅立ちだったに違いないと思っている。

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夜の道

10月27日(木) 続・「自転車は車道」


 昨日は久しぶりに以前の通勤道を自転車で走った。夜なので風を受けるととても寒い。
 寒いからペダルにも少し力が入る。
 この「ちょっと力を入れる」って具合がよい。少しだけ頑張って持続させる・・・何事もここがコツか?

 さて、昨日の続き。
 新聞記事をみて社会の自転車意識は多少の変化はあるのか?と思ったが、ははは変わり映えしない風景だったなぁ。
 まぁ、そんなものだろう。

 そこで思ったのは、「交通事故死ゼロの日」があるように、自転車安全の日(サイクルだから、3日とか9日とか)に、警察や役所や地元の人が街角に立って、自転車の様子を見たらいいと思った。
 以外に知られていないのだ。危ない箇所やその実態が・・・

 おそらく、自転車のルールは交通安全に関わる地域の役員なども、それほど意識していないような気もする。
 右側走行が車にとってもどれほど危険か!どこの道が無法地帯になってるか?交差点の横断歩道の横の自転車通行帯がいかに右左折車にとっても危険なのか。

 そういう実態は実際に自転車に乗って経験しないとわかりにくい。
 自転車に乗らない行政マンや道路関係者が作る交通安全や自転車道も少なくない。
 まず、そういうことを自分たちの目で見て、話し合えば、いろんな知恵が浮かんで、我が街の自転車ライフも楽しくなるように思う。

 ルールを考えるってのは、そういうことじゃないかと思うのだなぁ。
 

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2011.10.26

「自転車は車道」原則徹底 (新聞記事)

10月26日(水) 車、自転車、歩行者のすみ分けが理解され始めるか?

 今日は急に気温が下がって上着がないと震えるだろうな。

 洗濯機を回している間に書いている、どうも僕のように楽な事にばかり目が向いてしまう性格だと、雨が降ろうが、槍が降ろうが、洗濯だけは死守する!って気概を持たないと、何日でもぐ~たらで過ごしそうだ。
 洗濯も溜まると、これが厄介な仕事になる。洗濯は洗濯機に放り込めばすむけれど、干してたたんで、一連の作業はどんどん増える。
 息子が一人暮らしにギブアップして、夏の終わりに我が家に舞い戻って、いや、ほんとうにギブアップした様子で、一年ちょっとの一人暮らし生活をしたけれど、何か感じたものがあるのか?・・・
 まあ、人生この先長いから、ギブアップもあれば奈落の底もあるだろうし、もちろん良い事もあるだろう。

 ・・・ってなわけで、今日の中日新聞の朝刊一面に載っていたのが、「自転車は車道」原則徹底の記事。
 自転車を暮らしに取り入れる、と思う僕などは、「円高、NY75円73銭!」などという記事などよりも気になってしまう。

 記事によると、警視庁は自転車総合対策をとりまとめ、自転車の車道通行の原則と歩道通行の例外を徹底させるという。
  で、自転車安全5原則というと①自転車は車道が原則、歩道は例外 ②車道は左側を通行 ③歩道は歩行者優先で車道よりを通行 ④安全ルールを守る ⑤子どもはメルメットを着用。
 安全ルールには、飲酒、二人乗り、併進、夜間のライト、信号遵守などがあり、これらは以前から言われていたものだ。

 それで、今回のように一般紙で大いに取り上げられ、「へぇ~そんなルールがあったのか?」というご仁も含めて、自転車の在り方、走り方の問題意識が高まれば、なおいい事だと思う。

 自転車の交通規則など、小学校の「交通安全教室」でちょこっと教えられる程度が今までだったろう。ほとんどまともに自転車の交通ルールなど問題にされてこなかったから。
 自転車は右側で、車と対面するほうが安全だ!と思っている人もいるぐらいだし、歩道をチリンチリンと歩行者を蹴散らすのも当たり前、信号なんて車が来なきゃ無視!。

 まあ、そういう自転車無法地帯化された現状だから、こういう方向が問題是正に結びついてくれるならば大いに結構なものだと思う。
 ただ、こんなニュースも自動車の運転者は「車道をフラフラされたら危なくてしょうがない」と、率直に思う人も少なくない。

 妻なども「並列して携帯見ながら走るとか、車道の真ん中を堂々と走る、『自転車は車道』、そこだけじゃねぇ」とマイカー利用者らしい感想。
 僕も自転車通勤をしていた頃、右側通行する自転車と何回も接触しそうになったし、自転車乗りにとっても自転車の交通規則が曖昧だと、危険この上もなかった。

 そういう安全ルールを守るのはたしかに前提なのだ、その上で車の運転者が「自転車は車道?危なくて走れんわ」というのも率直な現状だけれど、やはり車と自転車と歩行者の公道のすみ分けなんだと思う。

 自転車の歩道走行による歩行者の危険とて同じである。いやむしろ公道上の交通弱者は障がい者であり歩行者なので、自転車が歩道を走ることが基本的には問題なんだなぁ~。
 だから、自転車レーンなどのインフラ整備にはもっと本腰を入れて、歩道脇に立派な柵で囲まれた自転車道などじゃなくて、カラー舗装の自転車レーンで十分だと思う。

 せっかくこうした「自転車総合対策」が出たのだから、全国の主要道で実際に警察官が立って「自転車安全教室の実地」をすればよい、取り締まりというよりも「安全な自転車の乗り方・ルール」を丁寧に優しく教えればいいと思っている、なんせ、これまでほとんど「自転車安全講習」など、ついでの域をでたことがなかったという反省の上に立って。

 僕は自転車の走行時には、子どもだけじゃなくて大人もヘルメットを義務化しても良いとすら思っている。
 併せて国道や県道には自転車レーンを必須にし、都市部では自動車の制限時速を20~30キロ以下に制限してもよいとすら思っている。

 まあ、こういう意見には反対される方も多いかも知れないが、車にも歩行者にも嫌われているのが自転車ならば、社会の全体がそれぞれの「すみ分け」を考え直しす絶好機かも知れない。

 いずれにしても、ちょっと注目に値する自転車対策なんだと思う。
 今日は卓球の練習日。
 ちょっとは街を走る自転車の雰囲気が違ってるか?(笑)
 

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2011.10.25

人生は一期一会 ①

10月25日(火) 僕が出会った人々 

 トムハンクスが主演した映画「一期一会」を初めて観たのはいつごろだったろうか。
 ちょうど知的障害の仕事をしていた頃だったから、人が人に巡り会うことの不思議さや幸せを、おおいに考えさせられる映画だったことを記憶している。

 人と関わりあう仕事。まあ、仕事なんて人間関係の総体みたいなものだから、仕事と割り切って、他人の人生と考えればそれも出来るし、ワーカーホリックのように、人の人生にのめりこむこともできる。

 人さまのことをあれこれ書いて、どうなるわけでもない。
 けれど、こういう人生もあったのだと、深入りするわけじゃなかったが、哀しさや無力感も抱いたりしたが、出会った人について(それは、ほんの数週間の出会いの場合もあったが)、自分の生き方に何かしらの影響を与え、人が生きることの難しさや哀しさや、ときには大いに心が洗われることもあった、そういう人の記憶を心に残しておこうと、文章にしてみることにした。(例によって下手な文章だが)

 
 Yさんのこと

 
 何年か前の春先、ちょうど気候もよくなって、冬の寒さも和らぎ出した頃。
 春というのは、心も体もちょうど、伸びをするように、新しいことを始めるにはよい季節だ。
 そんな頃、Yさんから電話があった。

 一度相談したいことがあると言うことで、僕は1、2度会った。その間4~5回くらいは電話で話したくらいだっただろうか。 
 Yさんはしばらく病気で療養していたが、もちろん住む家はなく、60に間近の歳だった。

 「もうそろそろ、名古屋で老後の暮らしをしようと考えてるのだけれど・・・」
 決して大きな体躯でもなく、ちょっと日焼けした顔が色黒く、まだ元気に働ける様子だった。今のように50歳を過ぎたら職もない時代と違って、頑張れば暮らしてゆくだけの就職先もあった時代だ。

 ほんの数回の出会いだけで、その人の生きてきた過去はわからないものだ。
 ただ、その出会って話す言葉の端々から、生い立ちや、今の暮らしについて推測するほかはない。
 元々、Yさんは群馬の老舗の旅館で番頭の仕事をしていたという。
 どういういきさつなのか話してくれなかったが、この何十年間は東京の「山谷」大阪の「あいりん」そして名古屋の3つの都市を行き来しながら飯場仕事を続けてきたという。

 温厚な語り口だけれど、しっかりした口調で、そんな暮らしであっても、いづれは落ち着いた老後の暮らしをしたいという気持ちをもっていた。
 ごく普通の僕らのようなサラリーマン生活とは違って、住むところも仕事も一年に何回も変遷する、そういう暮らし方が、いかに大変なものか想像することができる。

 それでも、飯場とか日雇いとか、そういう仕事が持つイメージは、貴賎はない職業とはいえ、社会の中ではなかなか理解されがたいものがある。
 Yさんは家族については話したがらなかった、だから、それ以上のことは僕も詳しくは聞かなかった。
 体も元気そう(に僕はそう思えたのだが)だったし、少ないけれど年金も60歳になればもらえると言ってた。

 何よりも、そんな苦境の多いはずの人生に、少なくとも絶望したり、自棄になったりすることがない。
 どんなに苦しい環境でも、きっと将来は落ち着いた暮らしをと見据えている、そんなところが、この人の生きる活力になっているのだろうと思ったものだ。

 「名古屋は東京とか大阪にはない、なんだかほっとするところがあるんだ。60になったら自分は名古屋で暮らすつもりでいるですよ・・・」Yさんはそう将来図を描いてみせてくれた。
 
 特に身寄りがあるわけでもない名古屋、ましてや身内とは交流もなにもない人生。
 そういう意味では「ひとりぼっち」だけれど、生きることへの力強さは到底僕には真似できない人生だと思った。

 しばらくして、最後に会ったとき「大阪で住み込み仕事に就いて、一年ほどしたら必ず名古屋に戻ってくるから、その時はまた相談にのってくれないか、だから名刺をくれないか」というので、ほとんど使うこともない僕だったけれど、Yさんに渡した。

 それから、僕が日々の仕事に追われていた一年後のちょうど春先だった。
 大阪の西成署から「今日簡易宿泊所で亡くなられた方がいて、あなたの名刺を持っていましたが、ご存じですか」と電話が入った。
 心臓発作で亡くなられたという話を聞き、Yさんについて聞いていたことを連絡した。

 僕は、この春にはもう一度名古屋に戻って「この先、どう暮らそう」と、また声をかけようとしていたのだろうと、Yさんを思うとなんだか悔しさと無力感さえを覚えるものだった。
 人の命の儚さ、頑張ってもかなえられない現実もある、けれども一生懸命生きなければならないのが人生なのか。

 たった数回会っただけのYさんだけれど、僕の記憶のなかでは忘れることが出来ない人となった。
 (続く)

 

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2011.10.24

映画「秋刀魚の味」

10月24日(月) 老いと家族

 日曜日の午後10時「山田洋次監督が選ぶ・・・」、映画の感想をまた一つ。

 映画の紹介ブログってわけでもないが、知らない映画を観るってのは勉強になりますねぇ。
 なんだか週一回、受講料無料の「邦画鑑賞講座」を受講しているみたいだ、ただ受講生が一人ってのはちょっと淋しいが・・・(笑)
 的外れな感想であろうが、思い込みの激しい感想であろうが、文章にして書いてみると、観た映画の記憶も残るし、やっぱりいい映画は後から後からじわじわと迫ってくるものがある。

 ちょうど同じ時間に地上波テレビで「ダイハード」を放送していて、妻と娘がほどほどに観ていた。
 「どちらがおもしろいか?」そんな野暮なことは言わない、気分感情によって観たい映画はいろいろだろう。
 まあ、「秋刀魚の味」は観終えたあとに記憶に残る何かがあるのは間違いない。

 娘を嫁に出す父親の老いと淋しさを描いた小津安二郎監督の遺作で昭和37年の作品。翌年60歳で亡くなっている。

 息子と娘をもつ妻に先立たれた父親。久しぶりの同窓会に、かっての漢文の恩師を招いた。そこで恩師は娘と二人暮らしであることを知る。
 娘を嫁に出すことなく老いてしまった恩師、その娘もどことなくギスギスした父娘の二人暮らしだった。

 そんな恩師の姿を目にした父親は自分の娘を便利なものとして接してきたことを反省して、なんとか嫁に出そうと、あれこれ算段する。
 娘が旧友の紹介する見合い相手と結婚することが決まった。父親はどことなく淋しげに「ひとりぼっちか」とつぶやく・・・・

 高級食材のハモは同窓会の席に出てくる「これはなんというのかな?」「ハモですよ」恩師が口にして感慨深そうに食するが、ハモは出ても秋刀魚は登場しないのがこの映画。

 映画解説で山本晋也監督が「おいしい秋刀魚にもちょっと苦い腸があって、それが人生のようなもので・・・」という意味の説明をしていた。
 娘を手放す。一緒に暮らすのが当たり前のような家族の中にぽっかり空く虚しさ、娘は嫁いで行くことが幸せだと分かっている、しかしそれは同時に家族が減ることでもあり、最後はひとりぼっちになることをでもある。

 娘の結婚、昭和37年当時は「嫁ぐ」という概念が強く生きていた。子どもの巣立ちとは、とりもなおさず親の老いと歩調を合わせるものだ。
 まあ、現代では娘も親も、アッケラカランとして、「私いい人できたから結婚するわ~」「そうか、そうか結婚か、せいせいするなぁ~」ってな、父娘の会話が聞こえそうなご時世だが・・・。
 
結婚しても実家の親をあてにする子どもたち、ぽっかり空いた穴も簡単に老後のエンジョイ生活で埋める親たち、親子の関係もサバサバしたというか、昔ほどの「親子の絆」を見据えるほどのこともなくなったか。

 核家族化がすすみ「家から嫁に出す」というよりも、子どもが世帯を持ち別のところに住むというだけの関係になったのか。
 世の中の雰囲気だけを見れば、家族の中にぽっかりと穴が開くという気持ちなど希薄になってきたような気がする。

 娘の、いや女性の社会進出や自立心の表れで、けっこうな事だと思うし、親とて老いても子に依存することなく生活を楽しむことは喜ばしい。
 が・・・子どもが新しい家族を形成しするということは、親が築いてきた家族の暮らしが、ひとつ壊れることでもある。そして、それは同時に親がひとつ老いて行くということでもある。

 家族というのは、そうやって細胞組織が新陳代謝を繰り返すように繋がってゆく。
 実に愉快なことであり実に淋しいものでもあると思う。しかしそれも家族のもつ宿命であり、そうした心の襞(ひだ)は昔も今も永遠のテーマに他ならない。

 ここは「東京物語」と共通するテーマだなぁと思う今回の映画「秋刀魚の味」だった。
 
  

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2011.10.22

雨の中を走る「第55回全国サイクリング大会inみえ」

10月22日(土) 雨天決行!

 天気予報ってものは当たって欲しいものだが、ひたすら外れてくれと思うこともある。
 そういう場合に限って、予報というのはしっかり命中するものだ。

 「てるてるぼうずでも作った方がいいんじゃない」と妻が言う、そうかも知れないと年甲斐もなく、ピンポン球をくるんで作ってみた。多少の効果はあったか、まあ、心がけってもんだろうが。

 昨日の天気予報では伊勢地方は激しい雨となっていた。曇りときどきパラパラならましだが、サイクルトレインで行く友人と連絡をとり、中止かどうかは当日の朝決めることにする。
 そして朝、東の空はうっすらと明るい。予報も現地では昼間は曇りのマークすらあったので、雨天決行となった。

 近鉄名古屋駅に行く途中から降り出す雨・・・雨の日にサイクリングなど人が集まるのだろうか?
 募集人員120名、事前の参加申し込み人員60名余、そして実際に参加した人は30名弱、ほぼ半数の人がキャンセルしている。

 自転車には雨は天敵であることは間違いない。最後の最後まで天気予報とにらめっこして、大雨にはならないだろうと予測したのが30名弱のサイクリストってことか。
 この大会そのものには数百人が参加していたから、大会としては成功だったのでしょう。

 雨が降る中で出かけようと思うと「心が折れそうになるわ!」というのが妻の心情だった。まったくサイクリングは晴天の日に限る!・・・というのが普通なんだろうが、案外、僕は雨の中でサングラスに水滴がかかろうとも、そういうサイクリングも面白いだろうと腹をくくるから平気なほうだ。

 まあ、今日参加した友人たちは初めてのサイクルトレインだったので、気の毒だったとは思うが。
 雨より晴れたほうがいいが、どちらにしても知らない街を自転車で走る、そういう面白さだと思っている。
 というわけで、雨の中を走るサイクリングの記念スナップを撮った。

 自転車ばかり写っている。こういう写真が面白いと思うのは僕だけか・・・・

 
 ①近鉄サイクルトレインの車内
 例によってつり革からマジックテープで自転車を固定する。アナログ的で安上がりな方法だといつも思うが、その効果というか安定感は抜群、通勤列車がサイクルトレインにヘ・ン・シ~ン!
 しかし、参加者が少ないので、ほぼ一車両を貸切状態、ちょっと寂しい気もする。

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②近鉄五十鈴川駅
 本日はここから大会会場のサンアリーナへと走るわけだが、出発するとすぐに雨が降り出す。
 まあ、こんなものだろう。必ず途中で晴れとはいかないだろうが雨も止むだろう。

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③いよいよサイクリングコースへ
 大会会場では式典と昼食をとる。沖縄とか県名の入ったサイクルウェアーも・・・、たしかに全国大会だ。
 空は厚い雲に覆われているし路面はしっかり濡れている。条件としては悪い。しかしそれでも自転車は行く~ぅ♪って雰囲気。

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④名物「へんば餅」とか「伊勢河崎商人館」とか
 見てのとおり、参宮街道(旧道)にあるむかしながらの街並みである。へんば餅を土産にひとつ買った。
 サイクリングと観光めぐりというのは、両立がむずかしものだ。
 自転車を走らせながら街並みや風情を楽しむことはできるが、ちょっと気に入った景色をじっくり堪能する余裕がない。
 というのも、やっぱりサイクリングは自転車を走らせるのが基本で、風景はそれに付随するものだ。ここら辺のバランスというか割合がむずかしい。人の好みは多様だからなぁ~。

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⑤というわけでサンアリーナ(会場)に戻ってきた
 ずっと小雨が降り続いていたわけでもない。途中の「斎宮」あたりでは曇り空で心地よいぐらいだった。
 途中コースを外れてしまい、和歌山から来た方と一緒に走る、けっこうお歳だけれど、これが速い速い、あっという間に離される、ヘルメットをかぶるとサイクリストは途端に10歳は若くなる(笑)
 妻なども「へんば餅」の店で休憩したら「私先に走ってるから~」日ごろは尻が痛い、足が疲れる、狭い道は嫌だ・・・いろいろ言ってくれるが、まあ、これも気持ちが若くなるということか。

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 今年のサイクルトレインは中止が多かった。
 大雪警報で中止、東日本大震災後で辞退、台風で中止、3回取りやめになって4回目の今日は「雨の日」、よくよく天候にも嫌われたものだと思うが、戸外のスポーツ、レクリェーションはこんなものだろう。

 みんなめげずに走り終えたことが素晴らしい。
 本日の総走行距離57キロ、自転車ばかりのスナップ写真(笑)

 
 

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2011.10.21

自然の摂理と生命力

10月21日(金) 鳩とコスモス

 新聞のニュースにリビアのカダフィ大佐が拘束され殺害されたと報道されていた。
 40年以上続いた独裁体制の終焉、石油資源を背景に権力をほしいままに行使していた独裁政権の最後というわけだが、中東にはいつになったら平和が訪れるのか。

 前門のオオカミ後門の虎。目の前の独裁政権が倒れて、次にやってくるのが石油資源を手中に収めようとする国際資本とその権力者だとしたら、リビア国民の平穏な暮らしはまだまだ遠い。

 僕は博愛主義者でもないから、独裁者の死、それが殺害であったとしても、国民の抑圧された暮らしへの積み重ねられた憎しみが、それを望んだとしたら、その心情はわからないでもない。

 自由・平等・博愛はかっての資本主義の旗だけれど今は色褪せてしまった。色褪せさせたのはその資本主義自身。
 殺戮や権力闘争や国際資本からの収奪といった富へのあくなき欲望が今の社会の本質だとしたら、社会の進歩、人間の英知などというものが、いかに危ういものかと思われる。

 21世紀になっても、戦争に明け暮れた20世紀の延長があるだけなのか、99パーセントの貧者と1パーセントの富裕者の横暴に抗議するアメリカ市民の抗議デモ。誰がどのような意図を持ってるのかわからないが、その感情は共感できるものがある。

 僕は反戦といえばベトナム戦争の時代に青春期を過ごしている。
 その頃は平和のシンボルとして鳩が象徴的だった。
 GS(グループサウンズ)の時代の少し後の世代で、沢田健二らがタイガースというグループを組んでいた。
 その歌に「廃墟の鳩」っていう曲があって、荒廃した社会の中から白い一羽の鳩が飛んでゆくってイメージで、その鳩は平和と繁栄の願いが込められていた。

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 まあ、今では団地や公園のドバトは糞公害をまき散らす嫌われものって感じだけれど・・・
 庄内緑地公園のいつものベンチに腰掛けたら、一羽の鳩がうずくまっていた、どうも歩き方も変で猫かカラスにやられたのか傷ついている様子だった。
 逃げもせず飛びもせず、ああ左の羽がちょっと曲がっている。
 可哀そうだけれど連れて帰る箱も自転車カゴもない。

 今日一日生き延びられるか、明日はどうにかなるのか、そうは思うがどうにもならないと見ていたら、一人二人とおじさんも寄ってきて「可哀そうだけれどしかたがないなぁ・・・」

 可哀そうだけれど、自然環境で生息するドバトはいつも死と隣り合わせ、そうして淘汰されて行くのもドバトの運命なのだろう。
 生命力の強い生き物が生き残る動物界だが、人間社会が同じように弱肉強食であっていいはずがない。
 「命は地球より重い!」と言うけれど、なんだかあまりにも哀しい現実が多すぎるように思う。

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 生きる力といえば、今年はあの台風の影響で、庄内緑地公園のコスモスの花は寂しいものだろうと思っていたが、とんでもなく元気に咲いていた。
 茎は大雨で傾いても色とりどりのコスモスの花はちゃんと咲いている。
 ほんとうに見かけよりもずっと強い花だと思うし、そのギャップにこそコスモスの可愛さがある。

 僕もコスモスのように強くならなくちゃなぁ~と思うのだけど、思うほどにはままならない。
 意志薄弱にしていい加減、努力という二文字が似合わない、諍いも苦手で一等賞も嫌いというか縁がない。
 凡人なのだが、区分けすれば凡人というもっとも大きなグループに属しているってのが唯一の強み。

 まあ、何事も倒れそうになっても倒れさえしなきゃ、こうやって車いすのお年寄りやカメラを片手に、近寄って穏やかな笑顔の花も咲くってもんだ。
 

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2011.10.20

日没

10月20日(木) 怠惰で無為な一日でも陽は沈む

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                                   (クリックで拡大します)

 夕方、小学校の体育館のガラス窓が茜色に染まっていた。
 自宅からは建物が邪魔して見えないけれど、たしかに今日の夕陽は綺麗そうだと思い、自転車に飛び乗って近くの庄内川の堤防を駈け上ってみた。

 陽が沈むまでのしばらくは夕焼けの空に茜雲が広がり、一日働いて疲れた心と体を癒してくれる、そんな時間だろう。
 堤防の向こうの松林の、そのまた向こうに鈴鹿の山並みがぼんやりと見える、その稜線に今まさに陽が落ちようとしている瞬間だった。

 陽が欠け始めると、あっという間に姿を隠してしまう日没、ものの数分で見えなくなる。
 なんと短い時間だろうと思う。
 何年も何千何万年も同じ繰り返しの光景なんだろう。
 自然はもはや人間が生み出した時間という概念など意に介さない。
 だから、何百年だろうが、何億光年だろうが、ほんの一瞬のことなのかも知れない。

 午後なんとなくぼんやりしていると、以前の職場の友人から電話が入る。
 「仕事について教えてくれない・・・」教えるほどのものはないけれど、気兼ねなく電話をくれる事が嬉しい。
 みな元気に働いて、元気に悩んだり笑ったりして一日過ごしているのだろう。

 その後にMさんから突然の電話があった。
 Mさんは僕と妻の仲人でいろいろお世話になった方で、「昨日、偶然Yさんにばったり会ったら元気そうだったよ、今は退職して3つも4つも文化教室に通って漢方の勉強をしているらしい・・・」と、そんな旧友の近況を知らせくれた電話だった。
 惰眠をむさぼるように過ごしている僕の今日を見透かしたような二つの電話だった。

 ときおり今日のように、何もせずにぼんやりと本を読んで過ごす日がある。
 何一つ生産的なこともせず、一日が過ぎて行く、と言っても気に病んでいるわけでもなく時間に押しつぶされてるわけでもない。

 ただ、それは無為な日常に思われるかも知れないし、かって仕事に追われ「無為」という言葉すら思いつかない頃からすれば、暮らし方は大きく違っている。
 幸いなのは、そうした日々があっても「もっとしっかり家事をやってよ!」などと、妻から厳しいお叱りもないことかも知れないが。

 まあ、中途半端な暮らしといえばそうかも知れない、さりとてもう一度働こうとか、どこかの文化教室で教養を積み重ねようなどという気も起らない。
 僕にとっては、仕事をしていた頃も今も、何ひとつ変わってはいない、ただ「意識して生きること」との戦いというだけである。

 坂口安吾の「ぐうたら戦記」という短編がある。
 これは今読んでいる「怠けものの話(ちくま文学の森 8)」筑摩書房に収録されている。
 戦争が始まった12月8日から敗戦まで、戦争などどこ吹く風と、ぐうたらな生活を送った作者の私小説である。
 その中の一文に目が留まった。

 「元々芸術の仕事というものは、それ自体が戦争に似ている。個人の精神内部における戦争のごときもので・・・私のように身の程もかえりみず、トンボか、せいぜい雀ぐらいの才能しかないくせに、鷲か鷹でなければ飛べない山脈へあがろうという。その無理はよその人が見て考えるよりも本人自身が身を切る思いで知っており、朝に絶望し、夕べにのたうち、鷲や鷹につかみ去られて食べられて糞になったり嘔吐になったり・・・」(ぐうたら戦記)

 僕はこの一文を読んで実に爽快であった。
 芸術家であろうが小説家であろうが、どこの名前もわからぬただの人であろうが、何かを創作しようと思い、どんな暮らしをしようと考えたり・・・そういう生きることのほとんどが、雀のような己との戦いであるということなのだろうと。

 
 太陽が地球の裏側に入り、また明日は陽が昇るだろう。
 明日は今日の分まで頑張らねば・・・ははは。

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2011.10.19

収穫の季節

10月19日(水) つまり、総決算の刈り取りってわけ!

 今日は名古屋地方の職場や家庭では野球談議に大輪の花が咲いていたことだろう。
 プロ野球も一年144試合の結果がでて、それにしても144試合を仕事として戦うのも大変なものだ。
 その半分以上の試合に投げた浅尾投手は端正な顔立ちでちょっと少年ぽい面影が残って、そのどこに強靭な肉体と意思があるのだろうかと思うと、筋骨隆々なプロ野球選手にあっては特筆ものだ。

 当然、出番がなくても肩を作るために準備はするし、出たら出たでプレッシャーは相当なものだ。
 野球ではないが、プロレスラーという職業も年間200~300試合の興業試合に出場するという、こちらも体を張った商売だから、少々の怪我をしようが痛い痛いなどと言ってられない仕事だ。
 いづれにしてもプロという商売は常人の感覚とは大きく違うところであり、それが凄さということだろう。

 というわけで、プロ野球も一年、日々コツコツと積み上げてきた総決算となった。
 今日の中日新聞でも中日スポーツでも一面トップ記事、名古屋駅のキオスクあたりでは中日スポーツは売り切れ状態だったが、それにしてもローカル新聞とはいえ一般紙の中日新聞までがトップ記事とは地元意識マル出しの紙面なのか他に記事がないのか、いやはやなんとも苦笑してしまう。
 というわけで、名古屋駅前のナナちゃん人形の優勝おめでとう写真も撮ってみた。

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 楽しい話題はプロ野球ばかりではない。

 近所の田んぼから賑やかな子どもたちの声が聞こえてきた。
 春先から育ててきた田んぼの稲刈りがおこなわれていた。銘々に鎌を手にして上手に稲を刈り取る。
 刈り取った稲を一束一束と束ねてゆく、小学生2~30人の待ちに待った収穫どきである。

 自分たちが育てた稲、鳥に荒らされまいと作った案山子、そういう作業を通じて刈り取った稲がお米となる喜びを実感できるって最高の幸せなのかも知れない。

 楽しそうである。
 こういう光景は見ている僕も楽しくなる。労働はどんなに汗水流しても、楽しくできることが一番で、その結果の収穫が目に見えればこんなにも輝くものなのだなぁ~。

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街角自転車散歩で秋に出会う

10月18日(火) 寄り道、まわり道②

 今日は雲一つない秋晴れの名古屋だった。
 今週末にサイクルトレインで「第55回全国サイクリング大会inみえ」に参加する予定だが、天気予報はよろしくない。
 「なんとかと秋の空」だからこればかりはしかたがないが、今日の秋晴れと交代して欲しいところだ。

 朝、早々と家事を済ませ名古屋市中区の書店に注文しておいた本を取りに行く。
 「風天 渥美清のうた」(森英介著 文春文庫)、図書館で単行本を借りて読んでいたが、文庫版が出ているのを最近知って頼んでいたもので、「男はつらいよ」渥美清の俳句を集めた本。

 そのあと、自転車を飛ばして名古屋市港区にある元の職場に向かう。サイクルトレインの切符と案内を届けるため。
 名古屋の幹線道路は広い、 たしかに広くて車線も3つも4つもあったりするが、自転車でここを走ると緊張感が一挙に増すのだ。

 とくに市の南部はトラックが多い、そのトラックの風圧を受けながら走る自転車、車道を走る自転車が少ない。
 東京ではメッセンジャーの自転車も多く、それなりに車道を走る自転車も見受けれれるというから、名古屋もそういう車道を走る自転車が増えれば、もっと認知されるだろうか。

 昼過ぎに用件はすべて済ませると、もうあとは一路自宅へ向かうばかりである。
 しかし、こんなに晴れた秋空の日に、何も交通量の多い幹線道路を走るというのも、ちょっと面白くない。
 寄り道、裏道、まわり道をしてやれと、名古屋市の西のはずれを流れる戸田川を北上してみた。

 農業文化園、とだがわこどもランド、戸田川緑地・・・この蛇行する戸田川は意外と橋が少ない、しかし大きな川でない分、その風景はけっこう風情がある。
 名古屋市の穀倉地帯じゃないが、まだまだ田んぼも残っているし、自転車散歩にはもってこいの地域のようだ。

 ゆっくり走りながら、ごくごく普通のスナップを撮る。どこにでも転がっているような風景でも、秋がそこにあるし、人の暮らしがそこにある、そういう風景を眺めながら、ちょっと汗もかいた午後だった。

漁船と河岸

 漁船だろうか船が係留され、その河のむこうには瓦屋根の民家が川に沿って並んでいる。なんだか懐かしい昭和のような風景の一枚。
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稲束

 竹を組んで刈り取った稲束を干す棚を「稲架(はぎ)」と言うそうだが、狭小田んぼの多い名古屋では、あまり見かけない。手間暇かけて収穫したコメ、TPPが云々されてるご時勢で、日本のコメ、食糧自給はどうなるんだ!などと思う一枚。
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ススキと戸田川

 戸田川を北へ北へと走っていて出くわした風景。僕はこういう風景が好きで、こういう川べりでゴロリと一日寝転んでいても飽きないような気がする。
 川はいつも留まることなく流れ、川底にはいろんな生き物が生息しているのだろう。時には牙をむいたり、時にはのどかな癒し顔であったり。
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 柿木と用水路

 知らぬ間に近鉄戸田駅に出てしまった。そこから民家の裏路地を選んで走ると用水路の脇にでたら、柿木に実がなり、その一つは熟れていた。
 用水路の上じゃ誰も採らないだろうと思っていたら、名前の知らない鳥が木の葉の間から飛び立っていった。
 ははは、鳥ならば誰にもジャマされないか。(向こうの紫の花は何?わからないなぁ)
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 歩道階段

 さて、ここから中村区の自宅に帰るためには新川の万場小橋と庄内川の万場大橋の二つの橋を渡らなければならない。
 のだが、ここは車線も狭いし路肩もない、自転車は橋の脇の階段を昇って歩道を走ることになるが、この昇り下りはけっこう大変で、お年寄りには一苦労である。
 川越というものはどこでも難儀なものだけれど、この階段をママチャリで押し上げられるのは若者くらいか?
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 名古屋演劇練習館 アクテノン 

 この名前でピンとくる人は地元の人ぐらいだろうか?いや地元の人でも「稲葉地配水塔」という方が分かりやすいかも知れない。
 とにかくでかい、ギリシャのパルテノン神殿を思わせる外観だ。僕が初めてこの建物に来たときは中村図書館だった頃で、昭和12年に建てられた稲葉地配水塔→中村図書館→名古屋演劇練習館と変遷してきた。
 陽も西に傾き白い柱をもった外観が、いっそう白く輝いていた。
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 誰もが見られる秋の風景でしかないけれど、ちょっと忙しい(暇人だけど)合間に、こんな散策を楽しむ。
 ちょっといいなぁ~って風景は探せばどこにでもあるような気がするし、そうそう少し足を延ばすには自転車は最高のマシンなのだ!ったらなのだ!(笑) 本日の走行距離40キロ。


 

 


 


 

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2011.10.18

祝・中日ドラゴンズ セ・リーグ連覇だぁぁ~♪

10月18日(火) 寄り道、まわり道 ①

 優勝へのカウントダウンから、巨人に3連敗で、ちょっと寄り道、まわり道をしたけれど、やっと決まりました。
 横浜戦3-3の引き分けで優勝決定、落合監督の談話じゃないけれど、ほんと今シーズンを象徴するような負けない試合運びだった。
 テレビの試合中継を観ていて、とりあえずは記念の優勝シーンを一枚(画像が荒いけれどご愛嬌です)

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2011.10.17

日本のおかあさんの原風景だなぁ

10月17日(月) 映画「おかあさん」(S27年 成瀬巳喜男監督)

 自転車で長距離を走ってもこれを観なきゃ終わらない日曜日の「山田洋次監督が選ぶ日本の名作100本」今週は成田巳喜男監督の映画「おかあさん」だった。

 戦争が終わり、ようやく落ち着きを取り戻し、人々の暮らしも将来にむけて動き出した昭和27年。
 まだまだ貧しい暮らしのなかで、クリーニング業の再出発を始める一家の母親の物語だ。

 家族の暮らしには夫の死、息子の死、次女を養女へと出す別れ、クリーニング業を手伝う夫の弟、息子をこの家族に預けて、美容師で自立しようとする叔母さん、そして「私」は子どもから女性へと成長遂げようとする思春期のこの家族の長女。

 一家の暮らしには、そんな哀しさや辛さや嬉しさが川の流れのように連なっている。
 そんな暮らしのなかで、私のおかあさんは家族の支えとなって淡々と生きている。
 肉親の死、愛するわが子を養女に手放すそうした悲しさ、娘の成長する姿に嬉しさもあり、なんとか家業のクリーニング業で生き抜こうと一生懸命な姿、そういう「私」のお母さんを、家族みんなが支えと思っている。

 でも「おかあさんは幸せなんだろうか?」と私は思う、ほんとうに幸せなんだろうかと・・・
 日本の母親のイメージは何も古い良妻賢母の姿ばかりではない。
 家族の生も死も働くことも、淡々と受け入れごく自然なことのように生き抜いているお母さん。

 映画ではそういう家族の暮らしのなかで、大げさに泣いたり笑ったり燥いだりすることなく・・・いや、たった一度、死期の迫った夫の姿に耐えきれず、表にでて涙をこらえるシーンがあったが、普通のように生きるお母さんが全てである。

 戦争を生き抜いた強さとか、母親の強さとか、幸せとか不幸せとか、なんだかそういうものを超えた「おかあさん像」が伝わってくる。
 これが、この映画の素晴らしさかもしれない。

 映画と言えば、ドラマでもそうだが、感動や悲しみや喜びのシーンが演出され、そうしたものが映画の中心に据えられていることが多いが、この映画では淡々とした終わりのない家族の暮らしが続いている。

 ごく普通の、ごく自然な、人の生死、喜怒哀楽、それが当たり前のような暮らしとして描かれているが、そこにはおかあさんの姿を通して、人が生きるという意味を問いかけているように思われてならない。

 大げさな脚本、ばか騒ぎのような構成、これでもかと言わんばかりの感動の押し付け、そういうものとは対極にある、見ごたえの大きい映画だった。

 番組のなかで山田洋次監督が「この映画を観て、ああこういう映画を撮りたいなぁと思っていた」と述べていた。
 山田洋次監督映画を観るとなんだかよくわかる気がする。

 人間が生み出す作品、映画の世界にとどまらず、ごく普通のものの中に、自然にながれる暮らしのなかで、人が生きていることを表現できるれば、そんな素晴らしい作品はないと思った。

 映画「おかあさん」は僕らのなかにある母親像の原風景だと・・・自分の母親を思い出すなぁ。
 

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2011.10.16

秋空とサイクリング

10月16日(日) 木曽三川公園までサイクリング

 昨夜半までポツポツと降っていた雨もピタリと止んだ日曜日、友人のTさんに誘われて木曽三川公園までサイクリングの日曜日だった。
 「ヘルメットと手袋と水筒があればいいんじゃない」と言われ、「ついでにカッコいい服装も・・・」

 ふむ、カッコいい服装なんてありはしないが、それよりも往復55キロほどの距離と、時速25キロほどで走ると言われている、その体力があるかというほうが心配種だった。
 まだ、一日80キロの距離の壁は破れていないからなぁ。

 朝8時40分に自宅をでて、友人のTさん宅に向かい、そこから6キロほど先の集合地点に向かう。
 最近は、ゆったりゆらゆら自転車散歩が多いからなぁ~と思いつつ、集合場所には、おお、カラフルでカッコいい自転車とサイクリストが集合し始めている。
 ははは、こういう光景をみていると、ついていけるかしらんと怖気づくのだなぁ~。

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 簡単な注意事項とコースの説明があり、グループに分かれて出発する。
 若い女性も加わった友人が引率するグループで、秋空の下一列になって車道を走る。
 やっぱりサイクリングは天気が良いと、気分も軽やかで、風を切って走ると気持ちがよいものだ。

 片道27キロほどのコースは、思ったほど疲れないし、この分ではとくに脱落ってこともなさそう。
 昼前に目的地の木曽三川公園に到着、どこかのトラック関係の方々のに賑やかな歌なども聞こえて、河川敷はさながら、秋祭りのような雰囲気だ。

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 公園の草原に自転車を止める、いや寝かせる。
 60台ほどのロードバイクがゴロリと寝転ぶ風景も面白い、壮観だと思う。
 バーベキューの準備がされ、サイクリング気分は上々である。

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 しかし、高価な自転車がいっぱい並んでいる、「初めて乗った自転車というのは手放せないもので、愛着があるんだなぁ~」と、一緒に走った方が言ってたが、僕も今日の自転車は初めてのロードバイクで通勤で何年も乗ってたから、確かに愛着がある。

 ゆったりとバーベキューを食べ昼を過ごして、さて帰路へ。
 同じ道を引き返すわけだが、さすがに走りなれてる人のスピードは凄いものだと、30キロを超えるとちょっとしんどい僕だが、軽快に追い越してよく、どんどん前を走り、あっと言う間に見えなくなる。

 自転車もパワーと技術とマシンが、快適で快走を生み出すもののようだ。
 自宅に戻って距離メーターを見たら68、9キロだった、久しぶりに長い距離を乗ったわけだけれど、バテることなく走れたのが本日の成果だった。 誘ってくれた友人に感謝です。

 ☆本日の一枚・・・自転車を走らせる女性は美人が多い

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2011.10.13

マドンナは文学少女(笑)

10月13日(木) ブックカバーの話

 地下鉄の列車の中や喫茶店で、一人静かに本を読んでいる女性をみると、ついつい気になるものだ。
 まあ、僕の嗜癖のようなもので、「本を読む女性」というのに永遠の憧れのようなものを感じてしまう。
 つまり、人それぞれある永遠のマドンナ像みたいなもので、メガネをかけて品よく読書している姿でなくてもいいわけで、それはケバケバしい化粧をした女性でも、しっかりお年を召した方でも、姿かたちはともかくとして、読書する姿が美しく見えてしまうから、もうほとんど病気のような世界かも知れない(笑)。

 しかし、この手にした本のカバーが書店で無料でくれる紙カバーだったり、いやカバーもない無造作な本そのものだったりすると、僕の中のマドンナ像は一気にしぼんでしまう。
 それが、ちょっと落ち着いた布製のカバーだったり、小奇麗な模様の紙カバーだったりすると、どんな服装であろうと、どんな格好であろうと、もう、そういう風景が一枚の絵のように記憶に残るものだ。

 だから、おしゃれ雑誌にカバーをかけろとは言わないが、本の中身もあろうけれど、やっぱりブックカバーをして、通勤列車や喫茶店では読書して欲しいものだと、身勝手な要求をしているのだ。

 「美しい女性には、ちょっとオシャレなブックカーをした本を読んでいる姿が似合う」と、退職時にお世話になった職場の若い娘さんらにプレゼントをしたのは今年の春。
 安物の気にしなくていいほどの布製カバーだったが、後から思うと、まったく自分の嗜好を押し付けてるようなものだったとも思う。
 やっぱり本には是非ともブックカバーという華もそえて読書して欲しいと今でも思っている。

 そんなわけで、僕が持ってるお気に入りのブックカバーといえば、こげ茶と黒の革製のものとシンプルで落ち着いた布製のブックカバーだ。
 いづれも文庫本用と新書本用のもので、単行本はといえば持ち歩くことも少ないので、フリーサイズの布製のものを使っている。

 書店で本を買うと「カバーを付けますか?」と聞かれるものだが、最近はいらないと言う人が増えているという。
 さて、その人たちはカバーなど面倒なものと考えてるのか、それとも自分のお気に入りのブックカバーを持ってるのか?

 最近はデジタルブックなるものも宣伝されて、ケイタイで何やら読んでる光景も見られるが、あれは「読書している」という臨場感もなければ、ごこまで読んだのかという実感もわかないもので、僕も試してみたことはあるが、とうてい楽しい読書とは程遠いものだった。
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 さてそこで、こうした嗜癖ともおもわれるブックカバーへの執着心から、新しいブックカバーを手に入れた。
 表面に薄い天然木を張ったブックカバーで、無駄な厚みもなく手触り感は実にいい代物だ。

 こういうものも「読書の秋」を自己流に演出するアイテムだと思うし、楽しい凝り性の心がなせる遊びでもある。
 
 中日ドラゴンズM2となった、明日は一気に決まるかなぁ~。 
 

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2011.10.12

ラジオと野球とドラゴンズ

10月12日(水) 中日ドラゴンズにM4が点灯したぁ!

 「空振り三振!試合終了~」ラジオのアナウンサーの絶叫が響いてくる。
 テレビ中継のない日、リビングのテレビの前にラジオを置いて野球中継を聞いていた。
 ついに、優勝までM4となったが、今年は1点差のヒヤヒヤする試合が多い。

 アナウンサーの中継に耳を凝らし、解説者の批評に試合の展開を予想する。
 ラジオの聴視者にとっては言葉の一言一言と球場の歓声が全て、テレビの野球中継であれば映像から、選手の好不調や試合の雰囲気が解説なしに伝わってくるから、そこが大きく違う。

 ラジオは接戦になればなるほど、集中して聞き入ってしまうものだと思う。
 思い出せば、まだテレビが普及し始めた頃、貧乏でテレビが来たのは遅かった。それも買ったのではなくて、よその家の中古をもらって、もちろん白黒テレビ。

 まだ野球中継も少なく、あっても巨人戦ばかりという、巨人・大鵬・卵焼きの昭和という時代。
 子どもの僕の野球はラジオ中継が始まりだった。その子どもの頃を思い出す今日のラジオ野球中継だった。
 当時はいつもBクラスに低迷していた中日ドラゴンズだったから、いつも悔しい思いで聴いていた。

 ラジオを聴くことが減ったのは、やっぱりテレビの普及だった、それでも学生時代の試験勉強の夜はけっこう深夜のラジオをよく聞いていたものだ。
 今では車にはカーナビとテレビが普通だけれど、そんなものがない時代はマイカー通勤では、やっぱりラジオを聴いていた。

 なんだか、テレビのない居間でラジオの野球中継を聴いていると意外と落ち着くものだ。

 そういうわけで、中日ドラゴンズに連覇までマジック4がついたが今年はよくぞここまで来たものだと。
 一時は12球団最低の打率で、打てない打線・・・もはやCSにも黄色信号か!という頃もあったが、9月になって勝ち星が先行しはじめ、この最終盤は「負けない試合」が続いている。

 10年に1度優勝できればもうけものという、子どもの頃のドラゴンズと一体何が違ってきたのだろう?

 僕の落合監督論
 今シーズン限りで落合監督が中日のユニフォームを脱ぐことになった。
 「オレ流、オレ竜」などと言われた8年間、僕は球団史上もっとも「勝つ野球」を徹底した監督だと思っている。
 全国区の超有名選手がゴロゴロいるわけでもなく、財政的にも豊かでもない中日ドラゴンズが、毎年Aクラス以上の成績を上げているのは不思議なことだ!と僕は・・・・思わない。

 投手陣の層が厚いとよく言われるが、たしかに豊富な投手陣である。けれどもドラフト制度になって「超」のつく人材が入団した記憶はあまりない。
 優秀な選手が入団するのはプロ野球なので、どこも同じだと思うし、金さえあればもっと優秀な選手や実績のある選手を獲得できたに違いない。

 まあ、そこがローカル球団のローカルの所以だと思うし、こういう球団が結果を残してナンボのプロ野球の世界では、普通に優秀な選手がその役割をしっかり発揮できてこそのもの。
 金がありマスコミも喜ぶ選手が集まれば!というプロ野球の考え方を、ひっくり返してくれたのが落合監督だった。

 「現有勢力の10パーセントのアップで優勝ができる」と宣言して実行したことが物語るのは、野球は支配下の全選手で戦うという、本来のチームのあり方だったと思う。

 花形選手が入団すれば、有名選手をFAで獲得できれば戦力アップになると思っていたのは僕だけではない。
 ただ、そうすれば普通に入団した普通に優秀な選手の働く機会も減るのも事実であるが、どうみても落合監督は、勝つためには全選手の力量アップと全選手が試合に貢献する・・・そういう考え方を曲げなかったと思われる。

 プロ野球の世界、球団からもいろいろ言われるだろう。地元選手を使えとか、客が呼べる選手を作れとか・・・
 そういう球団のあり方は、過っての王・長嶋の時代の野球の勝ち方でしかないわけで、勝つことを監督の采配とするならば、その徹底ぶりは見事なものだった。

 少し前「うちの球団にはベテランなど一人もいない!」と監督談話があった。
 ベテランだろうが若手だろうが力のある者を使う!という姿勢だが、そこには勝つためには誰でも頑張ればチャンスありだと言ってるわけで、組織特有の「ひいき」とか「パフォーマンス」というものが感じられない。

 落合監督は本気で「誰でもチャンスがある」と言っていた。
 だから試合にはそういう選手起用になるもので、結果的には「新しい選手とくに打者がこの何年間出てきていない」という批評は、ある意味当然の帰結なのかも知れない。
 まだまだ年長者が勝っているというだけだが、岩瀬投手や谷繁、和田選手などの起用も慎重と配慮は怠っていない。

 「グラウンドには金が転がっている」とも言ってた、プロ野球に入ったごく普通の優秀な選手(変な言い方だが)が、球団という組織、試合という仕事の中で、公平に扱いますよ!だから頑張ってくれよ!と言ってるようなものである。

 僕は選手のモチベーションにこれほど配慮して選手起用をした監督はほかにいないとすら思っている。
 たとえば職場の中で、派閥・学歴偏重とか、効率主義・成績主義とか、ワンマン上司の上意下達とか・・・そういったものが、一握りの者には効果があっても、組織としての全体の力量を低下するものになることがしばしばある。

 まあ、そういうのによく似ていて球団の選手全体の力量があがれば、優秀なプロの選手になった人たちだから、どこかで、必ず「勝つ野球に貢献できる」しチャンスもある、数人の超スーパースターに依存する野球など望めないこのローカルで貧乏な球団では、それが勝つための方法なんだろう。

 
 今シーズン限りで中日ドラゴンズを去るのはとても残念だと思っているが、横浜とか広島といった「うだつが上がらない (失礼だけど)」球団の監督になれば、きっとまた言うだろうな「現有勢力の10パーセントの底上げで・・・」
と、そういう監督だと思う。

まあ、何はともあれM4になった!ははは。
  

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2011.10.11

街角散歩でスナップ

10月11日(火) 名古屋の街のありふれた風景 

 考えてみれば忙しく働いていたころは、目的のない散歩などしていなかった。
 散歩と言っても、お気に入りの喫茶店に出かける、公園を何キロ自転車で走るか、スポーツ用品店の自転車コーナーに行く、本屋で目的の本を探す、図書館の返却期限の本を返す・・・

 言うなれば、ただただぶらりと散歩するといっても、やっぱり時間との兼ね合いを気にしていたのだが、最近は時間を気にすることもなく、空を見上げたり、人の流れを眺めたりと、そういう散歩(自転車だが)が多い。

 散歩にはデジ・カメを持ち歩く。
 なにを撮るという目的はなく、なにか面白いものでもあればと思ってただ持ち歩いているが、そうそうに面白いものなんてあるはずがないのが日常ってやつだ。

 そうして何枚も何枚もスナップ写真を撮った結果は、パソコンに恐ろしいほど保存されているが、写真の技術や風景なども、一向上達するわけでもなく、同じものを何枚も繰り返しているにすぎない。

 まったく無為な日常じゃないかと思うこともあるが、もともと散歩というのはそんなものだろう。
 こうした意味のないようにすら思える散歩も、その時々の街の顔は日ごと違って見えるから不思議なものだ。

 けれども、こういう膨大な時間の浪費のような散歩が苦手だ!退屈だ!そんなの出来ないなぁ~と言う人もいるから、生きてきた環境の違いというのは、やはり人さまざまなわけだ。

 名古屋駅JRツインタワー
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 高層ビルというやつはどうしても好きになれないが、秋晴れの天気の良い日に、何も遮るものがないビルの壁面に太陽の光が当たると、青い空にきれいに映えるもので、その一瞬はこの高層ビルも絵になる。
 
 名鉄電車

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 誰も「名古屋鉄道」とは言わない、名古屋駅だって「名駅」で、地下街だって「メイチカ」で、まったく短縮形が好きなのが名古屋とも言える。
 地名だって「名駅一丁目」と言うから、もはや「名古屋駅」と言うのは市外県外の人との区別の方法かもしれない。
 この名鉄電車は昔から赤い電車と相場が決まっている。
 開かずの踏切はどこにでもあるもので、この踏切もともすれば遮断機が上がったかと思うとすぐ下がり、通勤していた頃ならば、まだ列車も見えていないのにキンコンキンコンと踏切音が鳴るのには閉口したものだ。
 列車が通る街は川の流れる街と同じくらい風情があるものだと思う。

 秋色に変わり始める 

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 名古屋の街を流れる堀川にはソメイヨシノの街路樹が植えられている。
 その葉のいくつかが色づいて、日に日に秋色に変わって行くものだが、まだ全体は緑の葉が多い。
 東北地方の山並みは紅葉に彩られているとニュースが伝えていた。
 紅葉前線も南下して、行く行くはこの名古屋の街の木々も紅葉に染まり、そうして葉が落ちて冬がやってくる。
 何の変わり映えのしない風景のなかに、木々の生命の営みの不思議さを感じてしまう。

 古本屋

 BOOKOFFに行った。
 最近は漫画のコーナーと写真集などのエンタメ系の本が恐ろしく増えているような気がする。
 たとえば小説の単行本なんて売り場の10分の1以下しかないし、詩、短歌、俳句といった文芸書などほとんど見当たらない。

 今の出版業界の売れ筋傾向も、この並べられた本の多さですぐにわかるというものだ。
 まあ、活字離れが進んでいると言われてる最近だから、手軽に読みやすくすぐに役に立つ本というのが、求められているのか・・・そういう出版戦略なのか?どちらにしても、なんだか個性がなくなってきたよに思われる「本の世界」だと。

Img003
 それでもこまめに探すと面白い古書に出くわす。「木村伊兵衛 昭和の女たち」(ちくまライブラリー)定価の半額で売られていた。

 土門拳とともに代表される写真家、この巨匠の撮った昭和の時代の女性たちである。
 このちょっとソフトな普段着のような写真の数々は、あの鬼気迫る土門拳とはまた違った雰囲気である。
 僕は最近になって、なるほどなぁ~と思うようになってきた木村伊兵衛の写真である。

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2011.10.10

続・週末ロードショー

10月10日(月) 映画「お引越し」相米慎二監督(1993年)

 「山田洋次監督が選ぶ日本の名作100本」、昨日は「お引越し」という映画だった。
 日曜日の夜10時のNHKBSプレミアム。この時間帯はサラリーマンにとっては、月曜日を控え、ため息の一つも出るのが日曜日の夜なので、ゆったりした気分で観るならば録画というところだろう。

 さて、この映画は三角形の食卓を囲む離婚を前提にした夫婦とその娘の食事風景から始まる。
 両親の離婚は父親の別居、「お引越し」なのだが、その両親二人の間で揺れ動く小学校6年のレンコ。
 このレンコの葛藤と成長の物語が「お引越し」の主題となっている。

 昔から「子は鎹(かすがい)」とよく言われたもので、鎹というのは家の柱と梁などを補強する金具ってわけだが、若い方はあまり知らないだろう。

 もう別れたいと思っても、この子の将来を考えると不憫だ!ってわけで、我慢する。離婚の危機も子が取り持つ、だから夫婦の縁を補強するのが子ということだ。
 けれども、もうそういう時代は古い過去のこと。「子どもが可哀そう」というよりも、別れる羽目になった夫と妻のほうが、どれほど可哀そうなことかなのだが。

 だから、映画の始まりのレンコは言う。
 「私はお父さんお母さんが喧嘩してもガマンしたんよ。なんでお父さんお母さんはガマンできへんの!」

 今日のように離婚が普通のことになった時代、子どもの両親に対する気持ちはそういうことだ。
 小学校6年生の娘の家族崩壊は抵抗は理解を越えがたいもので、いろいろと反抗する。
 その反抗は、あの懐かしい「鎹」のようなものなんだが、大人の夫婦というものは、残念だが一度切れた糸はなかなか戻らないという現実なんだ。

 レンコの抵抗は、かって家族そろって行った琵琶湖旅行を無理矢理実行する。
 願いは元の楽しい家族に戻りたい・・・もし、戻れなくても「お引越し」した父と母の別居でいいじゃないと。

 琵琶湖の祭りで会ったおじいさんは昔のことも忘れてしまうという。
 楽しい思い出、家族という暮らしが消えかかる不安を悩むレンコにおじいさんは言う。

 「自分のしたことを全部覚えていたら、こない歳をとれへんかったなぁ・・・昔の思い出は片手で数えられるくらいで十分だ。」

 祭りのシーン・・・レンコは悩みながらも何かふっ切れる。
 何をふっ切ったのか?。
 父と母と自分が遊んだ琵琶湖の湖。

 レンコはそこで父と母が遠くへ行ってしまう自分の幼い姿を見る、そしてその幼い自分を抱きしめる。
 「おめでとうございます!」とレンコは叫ぶ。
 それは、レンコ自身が父と母の生きる道を認める言葉でもあったし、自分の成長への励ましと褒めの言葉であったに違いない。

 子どもにとって両親の離別は辛いものだろう。
 しかし、親子の絆は永遠のもの。
 夫婦が別れて暮らそうが、子どもにとっては「お引越し」に過ぎない。それもまた子ども自身の成長がそう言わせるものだと思う。

 いやぁ~、考えさせられる映画だった。
 「山田洋次監督が選ぶ日本の名作100本」、いい映画が続きますねぇ。

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2011.10.08

週末ロードショー

10月8日(土) 映画「猿の惑星 創世記」を観る

 3連休の週末、久しぶりに妻と映画「猿の惑星 創世記」を観に行った。Img002

 毎日が週末のようなものだけれど、週末というのは、ちょっとみな機嫌が良いのは3日も休みが続くからだろう。
 僕にとっても週末というのは家族と関わる時間が多いから、やはり特別なものだ。

 なんだか、社会とか日常とか家庭とか・・・つまりは、そういうものって人間関係の別称のようなものだと思えてならないのだ。

 「猿の惑星」は1968年に第一作が公開され、それ以後「続・猿の惑星」「新・猿の惑星 (1971)」「猿の惑星・征服 (1972)」と観てきた。

 第一作は猿の特殊メイクの出来のよさが特筆ものだったような気がする。
 映画自体も、宇宙船が辿り着いた星は「猿が人間狩りをする星」、当時としては、SF映画としてはかなりワクワク感のする斬新な内容で、宇宙飛行士テーラーが見たものは海岸の砂に埋もれた自由の女神、つまり地球だったという最後も、物語としては素晴らしい出来栄えだったと記憶している。

 その後、続・新「猿の惑星」と連なるなかで、人間の未来の姿としてミュータントが登場し、コバルト爆弾を神として崇拝するシーンなどは、核爆弾への風刺として描かれたりして、けっこうSF映画の割には社会性も持ち込まれていた映画だったといえる。

 若いころに観た映画としては、けっこう心に残る作品だったから、まあ、今回の「猿の惑星 創世記」は、当時の自分の暮らしなども思い出しながら観てしまったが、妻などは勿論最初から観てるわけではないので、ストーリー的には、どう繋がるのという疑問を持ったようだが。

 これは映画館を出たほかのカップルの男性がしきりに彼女に作品の流れを解説していたから、こうした映画を好むのは男性の方かも知れない。

 映画のあらすじは、アルツハイマー治療薬を開発する過程で生まれたチンパンジーのシーサーが高度な知能を持ち、人間社会に挑戦してゆく・・・それが、猿の惑星の始まりだった、その治療薬のウイルスは人類にとっては死を招くもので世界中に拡散してというエンディング。(あらすじはネットでも公開されている)

 今回の「猿」はほとんどがCGによるもので、動物愛護の団体からも評価されているという前情報もあり、あらためてCG全盛の今の映画界だと思うと、初期の「特殊メイク」の凄さの方が際立っていたと言える。

 娯楽映画としては最高だと思って楽しんで観ることができた。
 意外と、無理矢理ヒューマニズム映画とか説教がましいアニマル映画(?)でなかった。

 このところ二人で観る映画は週末の午前中、帰りに「お好み焼き」を焼いて食べるというパターンが多い。
 ちょっと映画の話をしながらお好み焼きという週末だった。
 

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2011.10.05

秋のサイクリング

10月5日(水) 自転車が心地よい季節になりました

 今日は一日小雨が降りやまない。雨降りの日は気分もイマイチでいけないが、気を取り直して洗濯と掃除。
 この半年で格段に上手くなったのは、洗濯物のたたみ方。
 自分で言うのもおこまがしいが、店頭に並べられたディスプレイほどの綺麗さ(?)で、数年前に上手くたためないと嘆いていたのが嘘のようにビューティフル。
 人間数こなせば知恵もつくってものだけれど、洗濯も終わりなき永遠の繰り返しだなぁ~と。
 
 秋になって、気温も20度を下回るこの季節は自転車が気持ち良い。Photo

 10月は2つほどサイクリングの計画をしている。

 一つは友人から誘われた木曽三川公園までのサイクリングで60キロぐらいはあるだろうか。
 おまけに、この友人ってのが名古屋-高山300キロを日帰りしたツワモノで、普段は「自転車散歩だぁ~」と優雅に走ってる僕にとっては、ちょっと本格的で、ちょっと距離もあるから、完走できればいいが。
 大勢で走るサイクリングなので、脱落だけは免れたいと、やけに控えめなのだ。

 まあ、木曽三川公園と言えば愛知・岐阜・三重の3県が合流する公園なので、一日で3つの県を自転車サイクリングするようなものってことにしておこう。

 もう一つは、恒例になった近鉄のサイクルトレイン、以前の職場の友人に声をかけて5名で参加することになった。
 今回は「第55回全国サイクリング大会inみえ」の大会参加という企画で、参宮街道を走る歴史探訪の家族向けのコースを走ることにした。
 妻も友人のお子さんも一緒に行けることになったので、文字通りファミリーでサイクリングを楽しむものになった。

 
 一日自転車に乗らないと体が重い・・・という、変な体質になったような気もする。
 体力の維持も意識して行わないとすぐに落ちてしまうから、自転車に乗れない日のために、上腕筋の強化、腰の強化という名目で、筋力アップの補助器具を買った。

 「そんなものを買わなくてもバランスボールがあるわ」と妻は言うが、筋力アップもダイエットも、結局のところ、いかにして日々持続して行うかに尽きる。
 デレビショッピングのCMの高額な器機をそろえても、どんなに流行の方法を取り入れても、最終的にはいかに持続するかってことで、我が家にあるダイエットマシンも居間の飾りに落ち着いているようではなぁ~

 だから僕は980円の補助器具を買って、これをコツコツと日々やってるわけで、一年後には素晴らしく筋力アップした姿をお見せできるだろう・・・と、そういう目標を言葉にしてみるのだが、成功率10パーセントくらいか?

 やっぱりなぁ~、戸外の風景を楽しみながら走る自転車に勝るものはないのだなぁ~。
 

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2011.10.03

映画「私は二歳」

10月3日(月) 慌てて上着を引っ張り出す、どえりゃぁ寒なったがね(名古屋弁)

 「山田洋次監督が選ぶ日本の名作100本」コツコツと観て感想を書いてるけれど、映画レビューなどというほどのものでもない。
 飯を喰うのと一緒、風呂に入るのと一緒、本を読むのと一緒、凡庸なブログを書くのと一緒。

 ただ、こうした映画を観続けていると、昔を思い出したり、なるほど!と感心したり、心に沁みたなぁ~と嬉しく思ったり・・・まあ、その程度なんだけど、それはそれで僕の日常の一ページ。
 
 「私は二歳」1962年(昭和37年)の市村崑監督作品。オープニングで「総天然色」って文字が、日本のカラー映画の始まりの頃だろう。

 団地住まいの若い夫婦の一人息子が「私」、大家族制度が崩壊して、核家族化が進む日本、「団地生活」がサラリーマン文化生活の憧れだった時代の夫婦と赤ちゃんの暮らしが描かれている。
 ひょんなことから姑と同居することとになった一家、子育てを巡る夫婦、嫁姑などの人間模様が繰り広げられる。

 なんだか、何年も前の自分の子育ての頃を思い出してしまうし、自分が子どもだった頃をも思い出してしまう。
 つまり、親から見る子ども、子どもから見る親、まだ僕は孫なんていないが、祖母から見る子と孫、そういうものがよく見える映画だった。

 苦笑しなければ見れないシーンも多々あるし、たしかに「子育て」はいろんな人間模様を引きずり出すものだと思い出しながら見ていた。

 そういう「私は二歳」の「たっちゃん」をとりまく環境は、核家族化や少子高齢化が進んだ今でも、根っこでは同じなんだと思うし、そういう子育て家族の問題を、昭和62年という時代に映画化されたところに価値がある。

 映画の終盤で、祖母の突然の死によって、ちょっと寂しくなった家でお父さん役の船越英二が言う。
 「大人、子供、孫、そうやって世の中は続いていくんだ。大人ばっかりだったら面白くもない。」

 家族というものはいくつもの世代を受け継いで続いていく・・・だから時には辛いことがあっても、面白いといえば、面白いのかも知れない。

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